スーパーヒーロー

ドサッ


「ゲホッ、うっぅぅ。いて、いててて!!! 」


でも次の瞬間、痛みを訴えたのは露天商の男の方だった。


―― え?


恐る恐る目を開けると男は私と同様、地面に倒れ込んでいた。

そしてその男の前に立っていたのは見知った人だった。


―― い、伊月いつきさん…。


そして、伊月いつきさんは倒れ込んだ男の胸ぐらを掴んだ。


「な、何をする! は、離せ!」


伊月いつきさんは騒ぐ男と対照的に終始無言だ。

そしてその男の胸ぐらを掴んだままその男の体を片手で立たせる。

そして、地に立たせるだけでなく、そのまま持ち上げた。


「えっ…」


露天商は伊月いつきさんよりも一回り小柄だけど、それでも普通の体格の男の人だ。


「あ、足が浮いてる…。」


伊月いつきさんは片手でその露天商を宙ぶらりんにしている。

ふと気づけば野次馬が集まっていて周りの人たちがどっと歓声を上げる。


「すげーお侍さん! 力持ちだなー!」


「そのままやっちまえー!」


露天商は足をジタバタしながら


「お、下ろしてくれ!」


と悲痛の声を上げる。


「あい、分かった。」


と言って、伊月いつきさんは勢いよく手を離した。

その瞬間にその男の体は3メートルくらい飛ばされて、強く地面に叩きつけられた。


「いててて!」


町の人たちがわっと拍手喝采をし始める。

伊月いつきさんはあっけに取られる私に無言で歩み寄り、腕を取って私を立たせた。


ど、どうしよう。すごく怒ってる。

顔が怖い!!


「ご、ごめんなさい。私…」


「話は後だ。」


伊月いつきさんは有無を言わせず、私の手を引いて歩き始めた。

町の人はまだ地面に転がってる商人に罵声を浴びせている。


「ざまぁ見やがれ、ボッタクリ商人め。」


「お前の所からは金輪際何も買うもんか。」


「さっさと店を畳んじまえ!」


伊月いつきさんは振り返らずにズンズン歩いて人だかりを抜ける。


「あ、あの、お侍さん!」


そこに、さっきの子供連れの女性が来た。


「その方は私を助けて下さったんです。どうお礼を言っていいかわかりません。」


伊月いつきさんが立ち止まってその人を見る。


「お、お願いです。奥様をしからないであげて下さいまし。この通りです。」


女性は伊月いつきさんに頭を深々と下げた。


「お...おく...」


伊月いつき月さんは一瞬びっくりした。


「…しかるつもりはない」


といって伊月いつきさんはまた歩き始めた。

歩きながら、不意に「源次郎げんじろう」と言う


―― え? 源次郎げんじろうさん?


びっくりして見回すと、人混みから源次郎げんじろうさんが出て小走りで追いかけてきた。


「酒を買って来い。稲荷小川に行く。」


「は。」


私は、わけがわからないまま、伊月いつきさんが手を引くままに付いていく。

商人町の裏手にある人気のない通りに来ると伊月さんは立ち止まり、私の背中に手を回した。


―― な、なに?


その瞬間、視界がぐっと高くなる。


「えっ」


伊月いつきさんから横抱きにされたのだと気付く。


「あ、あのっ」


「大人しく捕まっていろ」


私は体のバランスを取ろうと、思わず伊月いつきさんにしがみつく。

伊月いつきさんはそのまま歩き始めた。


「あの、自分で歩けます。」


「嘘をつけ。」


―― 伊月いつきさんには見抜かれてた


さっき地面に突き飛ばされた時に、左の足首をねじっていた。

本当のことを言うと、ここまで歩くのも結構痛かった。

伊月いつきさんの表情は今も険しいけど、ずっと気遣ってくれているのがわかる。

きっと私が後先を考えず、無茶をして、こんなことになっちゃって、呆れられてるはずだ。


「ご迷惑かけて、すみません。」


伊月いつきさんにはいつも助けてもらってばかりだ。

こんな自分が不甲斐ない。


「迷惑ではない。」


「でも...」


私は何と言っていいかわからず、そのまま口をつぐんだ。

伊月いつきさんはいつもそうだ。

私が何と言っても有無を言わさず助けてくれる。


伊月いつきさんは小川の流れる場所まで来ると、私を岩の上に座らせた。

小川の水を手ぬぐいに浸し、土だらけの私の手の平を洗ってくれる。


「うっ。」


地面に叩きつけられた時に両手をついて、手の平は擦り傷だらけになっていた。

そこに源次郎げんじろうさんがやって来て、買った酒瓶を伊月いつきさんに手渡した。

伊月いつきさんは手ぬぐいに酒を染み込ませ私の傷口を拭いてくれる。


―― 消毒してくれてるんだ。


傷口に染みる痛みとともに、胸が苦しくなる。


―― 悔しい。


源次郎げんじろう、私は那美なみどのを送ってから帰る。そなたは先にオババ様の所へ那美なみどのの荷物を届け、屋敷に戻れ。」


「承知。」


源次郎げんじろうさん、す、すみません。」


「これしきのこと、いっこうに構いませんよ。」


源次郎げんじろうさんは私にアイドルスマイルを見せて、背中に背負っていた私の荷物を預かってくれた。


「では。」


源次郎げんじろうさんは颯爽とその場を去って行った。

伊月いつきさんはまだ無言で、小川に手ぬぐいを浸している。

そして、よく冷えた手ぬぐいを私の左の足首に巻き付けた。


「うっ。」


伊月いつきさんには全部お見通しなんだ。

捻った足首はさっきよりもちょっと痛みが増している気がする。


「二日間は安静だ。今夜辺り腫れるぞ。」


伊月いつきさんは短くそう言うと立ち上がり酒瓶を腰に下げた。


伊月いつきさん、私、何てお詫びしていいか...。自分では何もできないくせに向こう見ずなことしちゃって。私...。」


泣きそうになるのをグッとこらえる。

自分でしでかしたことで泣くなんてダメだ。

そう言い聞かせて、唇をキュッと結んだ。


その時、伊月いつきさんが、とても悲しそうな顔をした。

そして、そっと私の右の頬に触れた。


―― え?


びっくりして伊月いつきさんの顔を見上げる。


「そのような顔をするな。陰鬱な顔はそなたには似合わん。」


さっきまで泣きそうになっていたのに、途端に自分の顔が上気したのが分かった。

耳まで熱くなって、かたまってしまう。

伊月いつきさんはそのまま優しい手付きで、私の乱れた髪をそっと右耳にかけてくれる。

不意に心臓が高鳴りだす。


「あ、あのっ。」


あたふたしている私を他所に伊月いつきさんは私に背中を向けた。


「乗れ」


「え?」


「その足では歩けぬ。オババ様の所まで送って行く。乗れ。」


「で、でも…」


私は恥ずかしくてテンパっている。


「また、さっきの抱き方がいいのか?」


伊月いつきさんは振り返って私を見下ろす。


「い、いえ、じゃあ、おんぶで。」


テンパっている私を見て伊月いつきさんはどこか満足そうに微笑む。


―― なんだか、その笑顔、ずるい。


「では早くしろ。」


「し、失礼します。」


私はおずおずと伊月いつきさんの背中に体を預けた。

伊月いつきさんはそのままさっさと歩き出す。


「あの、重くないですか。」


「重くない。」


気まずくて何か話そうとするも、すぐに会話が終了してしまう。


―― あんまり話したくないのかな


暫く黙っていようと努力する。


―― おんぶなんて初めてだな


伊月いつきさんの背中はとても落ち着くし、とても安心する。


―― 人の背中ってこんなにもあったかいんだな

―― 子供がお父さんやお母さんにおんぶしてもらいたがるの、分かるなぁ。


私はあまりの心地よさに、ついに脱力モードになってしまい、無意識に頬を伊月いつきさんの背中に預けてしまっていた。


「はぁ、伊月いつきさんの背中って、大きくてかっこいいな。」


「な…何を急に。」


―― あ。思わず心の声が漏れてしまった。


「全く…そういうことを簡単に言うものでは無い。」


―― 不謹慎と思われたかな。


「すいません。つい…。」


「そなたはまことに能天気な女だ。」


「う…。呆れてますか?」


「ああ、呆れている。」


「やっぱり...。」


ガックリ項垂れる私に伊月いつきさんはいつになく優しく言った。


「だがその那美なみどのの能天気さに救われる者がいるのは事実だ。」


―― 能天気って2回言われた。


「そうでしょうか。私は伊月いつきさんに救われてばっかりです...。」


「私が救ったのではなく、那美なみどのの生命力が強いのだ。それに、前も言ったが、人に甘えることは悪い事ではない。」


―― オババ様もそうだけど、伊月いつきさんって、面倒見がいいよね...

―― 思わず甘えちゃいそうになる。でも...


「私、やっぱりちゃんと強くなって、自立して、伊月いつきさんやオババ様に恩返ししたいです。と、いうか恩返ししますから!」


恩返し宣言をした私を、フッと伊月いつきさんが笑ったのが後ろ姿からも分かった。


「そなたの恩返しとやらを楽しみにしておく。」

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