街ブラデート
―― 悪寒がする。
「
「このお店に変な雰囲気の人が座っている気配がするんです。」
私は恐る恐る隙間を覗き込む。
―― あ、あの人だ。
私ははっきりと感じた。黒い気が渦巻いている。
「あそこに座ってて、今、注文した人です。」
店内なのに笠をかぶったまま取らずに注文している。
「あの者は…」
「大丈夫だ。心配はない。きっと妖術使いか何かだ。」
私は知らないうちに震えてしまっていたらしい。
「すみません。取り乱してしまって。こんな感覚、初めてで。」
「邪悪な気の流れを感知できるのも、多分そなたのカムナリキのなせる技であろう。」
「これが、カムナリキの?」
「ああ。きっと経験を積めばその感覚にも慣れていくだろう。とにかく悪い感じのするものには近づかぬことだ。」
「…はい。」
今までオババ様の屋敷内にいたから分からなかったけど、オババ様の土地は相当に安全地帯だったんだな。
「勘定を済ませて来る。」
「あの、私、自分で払います!」
オババ様からもらったお小遣いの入った財布を取り出そうとする。
でもそんな私を無視して、
―――
その男の二本差しの鞘には不思議な彫り物がある。
―― やはりな。軒猿のあつめた情報と一致する。
「店主、
「離れのあの小屋に。」
「ちょっと
「へい。」
薄暗いところにある者がいるのを見つける。
「
「は。」
「先日魔獣を操っていた者と思われる男がいる。特徴は覚えてるな。今はそこの鰻屋にいる。追え。」
「
―――
個室の障子が開いて、
「あ、
「そんなことは良い。さぁ、行こう。オババ様から頼まれた買い物をせねば。」
サッサと
「ま、待って下さい。」
―― あ。
あの笠の男の人の席に近づくにつれて、嫌な感じの気が濃く感じられる。
―― どうしよう、また体が震えだしちゃった。
こんなにも脆弱な自分が嫌になる。
治安が悪いこの世界では私のような世間知らずの女では色々と危険もありそうだ。
治安が良かった現代日本ですら殺されそうになった。
オババ様の優しさで守ってもらっているから日頃は感じなかったけど、自分がこんなにも弱い存在だなんて。
自立するなんていつの話だろう。
一人で街を歩くことすらもままならないのに。
―― ん?
ふと、
そして、その瞬間、
―― え? え?
「何も案ずることはない。」
不意に心臓がドキドキし始め、頭の中が真っ白になり、恐怖が飛んで行った。
自然に早歩きになり、そのまま一緒に歩いて店を出た。
店から少し離れたところで、
「すまぬ。あまりに怯えていたようだったので、あの場から早く去らねばと思ったのだ。」
「い、いえ。あ、ありがとうございます。」
―― ドキドキしてる場合じゃなくて!
―― 私、
「あのっ。」
「ん?」
「私、こんな弱い自分に嫌気がさしてたんです。この世のこと何も知らなくて、皆に助けられないと生きていけないし、自立するって言ったのにどうしたら良いのかわからないし、お金も何も持ってなくて…。」
「
「そうやって、
「ハハハ!」
―― ん? 今、声を上げて笑った? 初めてだ。
「甘えていて良いではないか。」
「え?」
「誰しも何かしらの辛い思いをした事がある。そして辛いことは甘えられる人がいるから乗り越えられる。その経験を乗り越えた時に他の人に優しさを返せばよい。今のオババ様がそなたにしているように。」
「
「
命を助けてもらっただけじゃなく、心も救われてる。
「
「礼などされる覚えがないな。」
一歩前を歩く
―――
鰻屋を出た私は
オババ様に頼まれたものがたくさんあるので幾つかの店に立ち寄った。
その度に
―― 何というか…調子が狂うな。
今日は一日中、調子が狂いっ放しだった。
差し入れを持って行けば、思いもかけず涙を見せられ、
―― そもそも、何事にも警戒心がなく、何を考えておるかがそのまま顔に出ておる
美味しい美味しいと鰻をシマリスのように頬張っていたかと思えば、
獣魔使いの放つ気に当てられ震えだすし。
―― まったく、目が離せぬ..…。
小間物屋から反物屋へと、オババ様の指定の店に寄る途中で、
「この町には可愛いものがたくさんありますね。」
「この城下の職人は手先が器用なことで有名だ。特に貝や
その店先にはいかにも女人の好きそうな可愛らしい髪飾りが並べられている。
「わぁ。なんかこの石、すごくキラキラしていますね。」
―― こういう色が好きなのか。
頬を桃色に染め嬉々としている
――
―― わ、私は何を考えている!
「あ、すみません。退屈でしょう? 次のお店へ行きましょうか?」
「いや構わぬ。店の中を見て回ったらどうだ?」
店の中を覗くと、所狭しと彩り鮮やかな、装飾品、反物が並んでいる。
「でも、ここ、
「私はそなたに城下を見せるために来たのだから構わぬ。」
「でも...」
「私はここで次に買わなければいけない頼まれ物を確認しているので、ゆっくり見て回るといい。」
私はそう言うとさっさと店の軒下に陣取って、
―― はぁ、どうすればいいのだ。
正直、買い物もあまりしたことなければ、ましてや女と街をブラついたことなど一度もない。
二つの慣れないことを同時にやってのけるのはなかなかに大変だった。
オババ様が買ってきて欲しい物を書くと言って書き連ねた長い紙には、実は買うものだけではないことが色々と書いてある。
例えば、
『一つ.女は買い物が好きなのだ。何も買わずとも色々見て回るだけで楽しいのだからオヌシは邪魔をせず十分に見させてあげること。』
『一つ.女は歩くのが遅い。歩幅を小さくし、ゆっくり歩いてやれ。』
『一つ.
さっき
―― しくじった。
後悔の念とともに、あの時の
一瞬、肩をビクッと震わせ、固まっていた。
きっと嫌だったに違いない。
オババ様の忠告はまだ続く。
『一つ.女は甘味が好きだ。歩き回って疲れたら甘味処に寄って休憩しろ。』
『一つ.荷物は全部オヌシが持つこと。』
―― なんなんだこれは。
紙をガシガシと丸め、また懐に入れる。
―― まるで女を喜ばせるための指南書のようなものではないか
憤慨しつつも、この後は甘味処に行こうと決めた。
今日は、なぜだか、霞んだ春の空も眩しく見えた。
―――
―― 城下をブラブラするのすごく楽しかったな。
私は商人街のはずれにある茶屋で、柏餅を頬張りながら今日一日を振り返った。
隣では、
私に合わせて歩みを遅くしてくれたり、疲れた頃にこうやって甘味処に連れて行って休憩させてくれたり。
文句も言わずに私の見たいものは全部見せてくれて、荷物も全部持ってくれて、完璧なエスコートだったな。
―― 女性慣れしてるっていうか...。
私はお団子を頬張り始めた
ぱっと見は大きいし、顔に傷あるし、強面だけど、よく見るとイケメンなんだよね。
―― やっぱ女の人はほっとかないよねぇ
と、なぜか残念にな気持ちになる。
「な、
「あ、すみません。つい見ちゃって。」
「この団子が欲しいのか?」
「あ、いえ、そういうわけでは…」
「ほら、分けてやる。」
やっぱり、
「ありがとうございます。」
でも実際に食いしん坊だから素直にもらっちゃう。
「いただきます。うわぁ。もちもちだ。美味しいー。」
現代日本のスイーツに比べたら
でも、優しいほんのりとした自然の甘みが心を癒す感じがする。
「
そう言うと、
―― うん、笑うとなおさらイケメンだ。
「オババ様にも、
「食うことは生きることだ。」
「あ、それ、オババ様も言ってました。」
「そうか。オババ様の口癖が移ったのかもしれぬ。」
「あの、前から気になってたんですが、
―― この二人の接点がサッパリわからない。
「私とオババ様か? まあ、私はあの人に幼き頃、育てられたようなものだ。」
「え? そうなんですか。意外です。」
オババ様の占めるタカオ山も
「元服まで5年ほどあの屋敷に住んでいて、飯炊から、武術の稽古まで、それは鍛えられた。」
「うふふ。それは何か想像できます。」
―― 幼い頃の
―― オババ様の水晶で見せてもらったりできないかな。
その時、何処からともなくゴーン、ゴーン、と鐘の音が聞こえた。
「この音は何ですか?」
「
「はい。あのう、
「そうか、それは良かったな。」
じゃあ行くぞ、と
―― このまま日が暮れなければいいのに。
何故かこの一日が終わるのが口惜しい。
まだ日が沈んでいないのに、うっすらと月が二つ見える。
「月が綺麗。」
思わずつぶやくと、
「ああ、綺麗だな。」
綺麗だけど、どこか切なかった。
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