03. 第三章

差し入れ

私は玄関の前で掃き掃除をしながら山の下を見下ろした。


オババ様の屋敷は小高い山の中腹にあって、山の傾斜に咲いている桜や亜国あこくの城下町を見下ろせる。

少し先にお城も見える。

よく日本で見たお城にそっくりだけど違うところもある。


―― きれいだなぁ。


電線もない、飛行機も飛んでいない少し霞がかかった春の空を見つめる。

綺麗な鳥の鳴き声だけが風に乗って聞こえてくる。


―― なんか、落ち着く。


怖い事や、急な環境の変化があったのに、

ここでの暮らし、のんびりした時間の流れ、澄んだ空気と水が癒しとなっていた。


美しい景色を堪能しながら掃き掃除を続けていると、そこへ、誰かが訪ねてきた。


「失礼する。」


聞き覚えのある低音の落ち着いた声がする。


「あ、伊月いつきさん、こんにちは。」


「ああ。」


「お久しぶりです!先日はお世話になりました。」


「ああ、草餅を頂いた。うまかった。」


「お口に合って良かったです!」


ふみも読んだ。源次郎げんじろうに返事を書けとせがまれたが、どうもしょうに合わず、ここにやってきた。」


「え?オババ様に用じゃないんですか?」


「いや、オババ様じゃなく。これを那美なみどのに渡しに来ただけだ。」


いつきさんは背中にからっていた風呂敷包みを解き、ぐいっと私に押し付けるように差し出した。

私はもっていたほうきを門の塀に立て掛け、両手で受け取る。


「草餅の礼だ。貰ってばかりはしょうに合わぬ。」


―― そのセリフ、聞き覚えがあるような。


「このために、わざわざここまで来て下さったんですか?」


「ああ。」


風呂敷包みは結構な重みがある。


「嫌いな物があれば、オババ様にあげればよい。」


「こ、これ全部、私に?」


「他に誰がいる?」


私のためにわざわざ何か持ってきてくれるなんてあまりにも意外だった。


「あ、ありがとうございます! 開けてもいいですか?」


「そなたのものだ。好きにしたらいい。」


私は片手で風呂敷にを抱えたままもう片方の手で結び目を解いた。

全部は見えないけれど、チラッと見ただけでもマフラーみたいな長いモコモコの布、ジャムみたいなのが入った瓶、お茶っ葉のようなもの、紙袋、裁縫箱、色々な物がゴロゴロ入っている。


「先日、港町に行く用事があったので色々と買ってきた。」


「そ、そうなんですか?嬉しいです!こんなに色々頂いていいんですか。」


「いいから持ってきた。いきなり知らぬ土地に来て色々要り用かと思ったのだが、女人にょにんがどんなものが要るのかさっぱりわからぬ。」


「あの、これは何ですか? すごく、きれい。」


風呂敷包みから綺麗な色の瓶詰めを取り出す。

太陽の光に透けて見える、薄い赤色のものだ。


「果物の砂糖煮だ。イチジクやら何やらが入っている。」


「わあやっぱりジャムだ! キレイな色ですねー。美味しそう!」


「じゃ…む?」


「これは何ですか?」


さっきから気になっていたモコモコの布を指差す。肌触りが罪深いほど気持ちいい。


襟巻えりまきだ。寒い季節になったらいるだろう。」


「あ、やっぱりマフラーだ! わぁ、モコモコですねー! あったかそう!」


「まふら??? もこもこ???」


伊月いつきさんは女の子が何が好きかわからないと言いながら色んな物を考えて持って来てくれたんだ。

その気持ちが無性に嬉しくて、思わず風呂敷包みごとギュッと抱きしめた。

おばあちゃんもこうやって風呂敷に色々包んでくれてたっけ。

卒業式の前に着物に合わせる髪飾りや小物を風呂敷に包んで準備してくれていたな。

懐かしさと寂しさと伊月いつきさんの優しさが嬉しいのと色々と胸に込み上げてくるものがあった。


伊月いつきさん…」


思わず涙が出そうになって言葉が詰まる。


「な、なんだ...」


泣きそうになった私を見て伊月いつきさんが少し慌てているようだった。

こらえようとしていたけど、我慢できずに涙が一筋落ちた。


「な、な、な、何を、泣いている?? は、はらでも痛いのか??」


「すみません、すごく、嬉しくて。ありがとうございます。」


慌てて涙を拭いて、笑顔を作った。

そんな私を伊月いつきさんは不可解そうな顔をして見ていた。


「それにしても女性に対して、腹が痛いのかって...」


伊月いつきさんのコメントがおもしろくてクスクス笑っていると、


「泣いたり笑ったり忙しいな。」


伊月いつきさんがボソッとつぶやいていた。


「でも、本当にありがとうございます。すごく嬉しくて涙が出ちゃいました。」


「そ、う、なのか…。」


心底理解できないという表情を浮かべる伊月いつきさんの後ろから足音がした。


「なんだ騒がしいと思ったら伊月いつきがきておったのか。」


研究室からオババ様が出てきたみたいだ。


「差し入れを持ってきただけなので、私はこれで失礼する。」


伊月いつきさんはそそくさと門を出ようとしたけど、オババ様がが引き止めた。


「待て、ちょうど良かった。伊月いつき、今から那美なみを城下町へ連れて行け。」


「え? な、なぜ私が?」


那美なみはまだ城下に行ったことがないのだ。城下の事は知っておいたほうが良い。時々お遣いにやるかもしれぬでな。那美なみに城下を見せてやれ。」


「だ、だから、なぜ私が?」


オババ様はいつものように話を一方的に進めているけど、伊月いつきさんは嫌そうだ。


「あの、オババ様、お遣いなら一人で行きますよ。道を教えてもらえば…。」


「オヌシ、方向感覚がすこぶる悪いではないか。この前もこの屋敷の中で迷子に..」


「で、でも!」


それ以上言われるのが恥ずかしくてオババ様をさえぎる。


「でも、伊月いつきさんにこれ以上迷惑をおかけするわけには・・・」


「迷惑ではないぞ。」


断言したのは、伊月いつきさんではなくオババ様だ。


「どうせコヤツは今から城下に行くのだ。」


「それはそうだが…。」


「ついでに買い物も頼むぞ。買ってきてもらいたい物をここに書いておく。」


言い淀む伊月いつきさんをよそにオババ様は紙と筆を取り出して何やら書き始めた。


「あの、伊月いつきさん?無理しなくても・・・」


「無理をしているわけではないが・・・ 仕方がない、ともに城下へ行こう。」


「でも、嫌なんじゃ?」


「この屋敷内で迷うような娘を一人で遣いになど行かせられぬ。どうせ迷子になったそなたを探しに行くのも私になる。」


「わかっておるではないか。」


オババ様は紙に書く手を休めて大きくうなずいた。


「な、なんかすみません。」


那美なみ、良いから早く準備をして来い。」


オババ様がせかす。


「は、はい、じゃあこの頂き物を部屋に置いてきますね。」


私はおじぎをして屋敷の方に駆け出した。


自分の部屋に行き風呂敷包みを机の上にそっと置く。


―― 素っ気ない態度の伊月いつきさんだけど、なんだかんだ優しいよね、こんなに色んなものを持ってきてくれるなんて。


―― 伊月いつきさんには申し訳ないけど、城下へ行くのは少し楽しみだな。


私は、オババ様の龍の文様の入った首かけをかけて、いそいそと門のところへ戻った。


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