01. 第一章

数珠

それは私が5歳か6歳くらいの時の記憶。

まだ肌寒い初春の昼下がりだった。

よく行くさびれた神社の境内の裏門あたりに私のお気に入りの木がある。

うっすらとピンクに色づき、かすかに開きかけた花のつぼみ。

そのつぼみをたくさんたたえた桜の木の下で、私は不思議な男の子に出会った。


背がすらっと高く、質の良さそうな着物を着て、はかまをはいている。

そして木の幹に寄りかかっている。


「お兄ちゃん、どうして泣いているの?」


今思えば、7、8歳くらいの男の子だった。

私もまだ幼く空気を読んだりできなかったので不躾ぶしつけに声をかけた。


「な…泣いてなど、いない。」


その子は着物のそでで顔を隠した。


「泣いているように見えたよ。何かあったの?」


目元をゴシゴシとふいて、振り返り、ようやく私を見たその子はびっくりしたような顔をした。


「お、お前は、人間か?」


「え?」


数秒無言でみつめあった。


「人間にきまってるでしょ。それに初対面でお前よばわり?シツレイじゃない?」


私は両手を腰にあててフンと鼻をならす。


「す、すまん。」


「ところで、お兄ちゃん何かあったの?だいじょうぶ?」


「子供には関係のないことだ」


不貞腐ふてくされたように言いながらその子は木の幹に腰をおろした。

私もつられて横に腰を落とす。


「私、まだ子供だけど、いつも、おばあちゃんが、困ってる人がいたら助けなさいって言うんだ。私、おばあちゃんと暮らしてるんだよ。」


私は持っていたチョコレートの包みをいくつかポケットから取り出した。


「はい、これあげる。」


「これは?」


「チョコレートよ。私のお気に入り。とってもおいしいのよ。」


「おいしいのか…。ありがたくもらう。」


男の子は大事そうにそのチョコレートをふところにしまった。


「・・・今日、母上がってしまわれたのだ。父上に追い出されて。」


「え?」


男の子は一生懸命涙をこらえて、ふいっと横をむいた。

少しだけ涙に濡れた横顔がとても儚げだった。


「そっか。私のお母さんは3歳の時に死んじゃったの。だからお母さんに会いたい気持ちわかるよ。」


「3歳の時に?」


「うん。あんまり覚えてないけど、お母さんが大好きだったってことは覚えてるんだ。」


「だから、お祖母様ばあさまと暮らしているのか?」


「うん。あなたのお母さんは生きてるんでしょ?」


男の子はコクンとうなずく。


「生きていれば、きっといつか会えるよ。私は絶対に会えないけど。」


「…そうだな。」


「ねえねえ、どうして着物を着ているの?七五三か何か?」


「え?これが普段着だが?」


「うふふ、おじいちゃんみたいな話し方するのね。」


「おじ? おじいちゃんなどではない!」


さっきまでメソメソしていたのに、むきになる姿が少しおもしろくて私は思わずクスクス笑った。


「か、からかうな!」


「ごめんごめん。じゃ、私、行くね。いつまでも泣いてちゃだめよ。」


「泣いてなどいないと言っておる!」


「はいはい。それからチョコレートは早く食べないと溶けちゃうからね。」


「そうなのか?」


「うん、じゃあね!」


「ちょ、ちょっと待て。」


その子は走り出そうとする私の腕を掴んだ。


「なに?」


もらってばかりはしょうに合わぬ。」


そう言ってその子はふところから何かを取り出して私の手に握らせた。


「これ、何?」


私は薄い黄色の丸い石と木の玉が連なったブレスレットみたいなものを日の光に透かしてみた。

薄黄色の玉がキラキラ光っている。


「きれいー!」


数珠じゅずだ。お前の母上の成仏を祈るとともに、お前の寂しさを和らげるよう祈りを込めよう」


「ありがとう!」


私はその意味がイマイチよくわかってなかったけど、優しい気持ちが詰まったプレゼントだということだけはしっかり伝わった。


「じゃねー! 着物のお兄ちゃん!」


私は手をふるその子に見送られ、家にかけていった。

その時の濃い霞がかかった、でも明るい空を今でも覚えている。

あの子、お母さんに会えたかな。


「ん・・・」


明るい日差しで目がさめる。


―― またあの時の夢か。


子供の時には完全スルーしていたけれど、今となっては不思議すぎる子供だったな。

着物を着ていたのは何かの行事だったとしても言葉遣いが時代劇っぽかった。

いや、私の記憶がネジ曲がってるのかもしれない。

もしかしたらそんな子に会っていないかもしれない。


ただ…

私は枕元に置いた明るい黄色の石を見つめた。

朝の日差しを受けてキラキラと光っている。

その数珠じゅずは確かに誰かにもらった。


―― もしかして幽霊だったとか???


その幽霊?に出会った日、この数珠じゅずをおばあちゃんに見せたら、


「この数珠じゅずはきっと御神木がさずけたものだから大切にしなさい。」と言われた。


だから私はその数珠じゅずを大人になっても、いつも持ち歩いていた。

この世界に来た日もその数珠じゅずをクロスボディの小さなショルダーバッグに入れていた。

私を助けてくれた人は私のバッグも無事にオババ様に預けてくれていた。


―― そろそろ起きるか。


私は床を出て、オババ様から貸してもらった着物に着替え、その数珠じゅずをそっと着物のふところに入れた。


_____



「おはよう、夕凪ゆうなぎちゃん。」


「おはよう、那美なみちゃん。 今日から修行開始だってね。」


夕凪ゆうなぎちゃんは、私がこの屋敷で目覚めた夜に、お茶を出してくれた女の子で、オババ様の眷属けんぞくだ。

化け狸のあやかしで、見た目は13歳くらいの人間の女の子なんだけど、モフモフの尻尾が出ていて、実はもう95年生きているらしい。


「うん、やっと体力も回復してきたから、オババ様がそろそろ修行始めるって。」


私はこの世界に来た時に、そうとう体に負担がかかっていたみたいで、数日体調が本調子じゃなかったのだけど、夕凪ゆうなぎちゃんとオババ様が沢山ご飯を食べさせてくれて、すっかり元気になった。


台所に行き、夕凪ゆうなぎちゃんと雑談しながら二人で朝餉あさげの準備をする。


この三日間で私はこの世界の厳しさを思い知った。

多分、日本の戦国時代か江戸時代のような感じで、テクノロジーがほとんどない。


かろうじて水洗のお手洗いがあったり、水道があったり、上下水道の整備はされている。

それから瞬間湯沸かし器みたいなのもあって、お風呂にも困らない。

洗濯機もある。

それもこれも龍神の血を引くオババ様の水を操る力のお陰で成り立った設備だという。

土間の台所には裏庭に出る勝手口があって、そこから外に出ると、氷室ひむろと言われる倉庫がある。

この氷室ひむろはオババ様の不思議な力で冷蔵庫と冷凍庫の役割を果たしている。


でも、電気はなく、ライターもないから火も火打石を打ってつける。

台所にはかまどがあり、お米を炊くときは、時代劇で良く見る、あの竹でふうふうするやつをしなければならない。


家事手伝いをすると豪語したものの、わからないことが多すぎて、オババ様や夕凪ゆうなぎちゃんに色々教えてもらっている。

火打石で難なく火をつけられるようになるまで丸一日かかった。


そのうち、ものすごい寝ぐせをつけて、ボサボサ頭になったオババ様も起きてきて、三人で朝餉あさげを食べる。


「おいしいーーー!!」


「ただの漬物と米じゃぞ?」


「ただの漬物と米だよ?」


オババ様と夕凪ゆうなぎちゃんが同時に突っ込む。


「でも、本当に美味しいんです!」


二人に、今までどんなまずい物を食べて生きてきたのか、というような、哀れみをたたえたような目を向けられたが、気にせずモリモリ食べた。


この三日間で私はこの世界のご飯の美味しさを知った。

かまどで作った玄米ご飯の美味しさは半端ない。

炭火で焼いたお肉やお魚の味も半端ない。

たぶんあまり農薬とかを使わずに作られたからか、お野菜も味が濃厚だ。

とにかく美味しい。


オババ様の屋敷の敷地はかなり広く、ちょっとした畑もある。

今私が頬張っている漬物のきゅうりもここの畑で取れたものらしい。


―― 漬物がこんなに美味しいなんて。


「よしよし、那美なみはその食い意地のお陰ですっかりカムナリキが回復しておる。」


「う・・・食い意地って。反論できませんけど。」


「食べる力は生きる力じゃ。」


アッハッハと笑っているオババ様を見て少しほっとする。


―― 少なくとも笑いは取れた。


「さて、食べたら修行を始めるぞ。」


こうして私のカムナリキを使うための修行が本格的に始まった。

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