扇形家奇譚

宵待昴

第1話 魂の記憶

「私さ……ホームの階段を、老若男女沢山の人たちがぞろぞろ昇って行くのを見るのが、少し怖いんだよね。」

「はあ!?」

休日の昼下がり。私は、プラスチックの安っぽいベンチに座って、足をぶらぶらさせながら言った。

此処は、家の近くの古くて小さな駅のホーム。一番と二番線のホームしかなくて、おまけに地上に作ってあるから雨風もばんばん入って来る。

ホームの一部にある屋根も、申し訳程度にしかなくてーーまあ、無いよりマシなんだろうけどーーあんまり意味が無いようにも思えた。


まだ春は始まったばかり。


日差しは鈍い暖かさと共に、屋根を通り越して私たちに降り注いでいる。

平日はそこそこ人の数があるけれど、休みとなると閑古鳥が鳴いたようになる駅のホーム。

今だって、電車に乗るであろう乗客は私たちしかいない。

私の隣に座っていた若い男・勾楼こうろうが、ひょいと私の顔を覗き込んで来た。

「もうちょっと私にも分かるように喋っておくれな、薫」

困っているような色の瞳に、私の方もちょっと困ってしまった。

別に、何かをこんこんと語りたくて言った訳では無い。ただふっと、口からついて出てしまっただけなのだ。


ーーそうそう。私の名前は扇形薫せんがたかおる。小学五年生になったばかりの十歳。

さっきも言った、隣で困った顔をしている若い男の名は、勾楼こうろう

藍色の着物に、暗めの黄色い帯。少し長い黒髪を後ろで低い位置に一つに結っている姿は、パッと見時代劇の役者さんみたいだ。

だけど本当は違う。勾楼は、お祖父ちゃんの勾玉に宿る付喪神つくもがみなのだ。

強い力を持っているから、他の人の目に見えるくらい実体化することが出来る……らしい。


それはともかく。今日は、小説家の父に頼まれて、父が打ち合わせをしている出版社に向かっている。

何やら、必要な資料を忘れて行ったらしい。家にいるのが私だけだったので、私は電車ではるばる父の元へ行くことになったのだ。

勾楼はまだ諦めず、説明しろと言わんばかりの視線を送って来る。

私は諦めて、勾楼の方を向いた。

「うん……よく、さ。人の沢山居るホームって、階段が混雑するでしょう?」

私の言葉に、勾楼はうんうんと頷く。

「それを階段の下から見上げる時、大勢の人たちが同じリズムで階段を昇って行く。それだけのことなんだけど、私にはそれがちょっと怖いんだ。ーー何だか、ずっと昔にも似たような光景を見た気がして。時々その中に入るのが怖くなる時があるの」

例え付喪神相手に話している内容でも、突拍子が無さすぎた。

自分でも何を喋っているんだろう、とは思ったけど、こんなことやっぱり勾楼くらいにしか話せない。

私はてっきり、勾楼はさも可笑しそうに笑うのかと思っていた。妙に人っぽい感覚を持つこの付喪神は、私の感覚を馬鹿にしたように笑い飛ばすのだろう。そう、思っていた。

だけど、もう一度私を見たその目は真面目のそれだった。

予想外の態度に、私の方が戸惑う。

「勾楼……?」

思わず名前を呼ぶと、勾楼はニヤッと笑った。

いつもの、私をからかう時と同じ目。ちょっとホッとした。

「薫……お前さんいつも、そんなこと考えて過ごしているのかい?」

「い、いつもでは無いよ。時々ふと思っちゃうだけ」

「ふうん。まあ、何でも良いけどね。あんまり感覚を開きっぱなしにしておくで無いよ」

「え?」

私は、言われたことの意味が分からず、勾楼を見上げた。

だけど、勾楼はそれには答えてくれず、私の胸元を人差し指でちょんと押した。

「ひょっとすると、お前さんの魂は三途の川の記憶でも持っているんじゃないかい?うっすらさ。あそこだって、ぞろぞろ歩っているだろう?」

ーー老若男女、大勢の人間が、さ。

私はハッとして、勾楼を見上げた。

うっすら笑う彼には、春の日差しが降り注いでいる。もちろん、私にも。

私の頭の中では、人々が黙々と階段を昇って行く光景が浮かんでいた。サラリーマン、学生、お爺さん、お婆さん、小学生や子ども、赤ちゃんを連れたお母さん。そんな人々が、ただひたすらにぞろぞろ昇って行く。表情も変えずに。

次にその場面に出会したら、私は入って行くことが出来るのかな。私は急に不安になって、怖くなった。これから、電車に乗るのに。

そういえば。あの世に行っても、三途の川に着く前に山を歩いて来る、という話を聞いたことがある。勾楼の話から考えると、私は大勢の人々と歩いた記憶が、まだ残っていることになる。

私がどんな表情になったかは分からないが、勾楼がいきなり慌て出した。

「別に薫を怖がらそうとなんかしてやしないからね。そんな泣きそうな顔をおしでないよ。ーー全く。お前さんは生きてここに居るだろう?駅は別に三途の川なぞでは無いんだからね。怖いことなんて一つもありゃしないよ」

畳み掛けられるように言われた言葉に、私は思わず、うん、と頷いていた。

勾楼は、やれやれという顔で笑う。

「それに、今日は私が居るじゃないか。一人じゃないんだから平気さね」

勾楼が言った瞬間、電車がやって来るアナウンスが流れた。

私は立ち上がり、同じように隣で立ち上がった勾楼の手をぎゅっと握った。

「うん。ーーそうだね」

言った私の頭の上に、勾楼の手が乗ってゆっくり撫でてくれる。

くすぐったいような変な気分になった。

ホームの階段が、例え三途の川と重なっても。勾楼が居るなら良いや。


そんな気になって、私は一人春の陽気の中で笑ってしまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る