3 酩酊
それからはコールセンターでアルバイトしては電話が怖くなって精神科にかかり、総菜屋でアルバイトしては上司が怖くて精神科にかかり、とくになにもなくてもしんどくて内科でマイスリーをもらい、みたいな生活をしていたのだがあるときから酒も呑むようになった。それまでは「飲み会とか家に友達来るとかしたら呑む」程度だったのが毎日になった。そのころ小説家になる夢を諦められず盛んに作品を作っており、プロでもないくせに「呑まないと書けない、書くためには呑まなきゃ」という思考になっていた。
このころからアート系のサロンに出入りするようになり友達ができたり、精神科の先生がうまい具合に相性良かったりして少し救われたが、マイスリーもワイパックスも手放せなくて酒も手放せなかった。当時いわゆる「大人の発達障害」を疑っており、偏差を受けたが結果はグレー。「手帳取れませんか」と相談するも「現在の症状だけでは難しい」と申請もできなかった。
しかしこの数年後、別の病院で自閉症が見つかることとなる。手帳も取得することとなる。マジかよ。
転院の理由は引っ越しであった。引っ越しの理由は結婚である。腐れ縁の幼馴染から電話がかかってきて、どうせお互い相手もいないんだから結婚しようみたいな内容で、了承した。その幼馴染が遠方に住んでいたのでそちらに引っ越した形である。
同棲・結婚生活が曲がりなりにも「維持された」のは2年とちょっとくらいだろうか。最後のほうは配偶者と顔を合わせたくない→眠っている間は顔を合わせなくて済む、ということでいわゆる連続飲酒に近い状態だった。もちろん睡眠導入剤も服んでいた。最悪のパターンである。過剰な酒量がばれないように酒瓶を隠したりもしていた。そのくらいの状況だった。配偶者の友人が遊びに来たときにニコニコもてなして楽しくおしゃべりしながら離婚を考えていたりした。もともと住んでいた自治体に戻るつもりで、配偶者のいない間にそこに生活保護の問い合わせをしたりしていた。わたしの収入はすべて生活費になるので、自分の貯金は全くなかった。配偶者は家賃と通信費を出していたが、それ以外の給与がどこに行っていたのかわたしはよく知らない。
このころには経済的なこと以外にも「直接殴られてはいないがこれはDVじゃないのか」とうすうす思っていて、あちこちの相談ダイヤルに電話しまくって、最終的に警察に相談したら保護されることになった。シェルターに入ることで話がまとまりかけたが、母に電話したら「交通費振り込むから、すぐ帰ってこれないの?」と言われた。そんな簡単なことが頭になかった。
その場で明日の飛行機を予約し、ホテルを取り、警察の方にホテルまで送ってもらった。夜の警察署で泣きわめくのは貴重な経験だった。
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