終話
後宮の池に住む龍がいる。
それは伝説とされていはしたが、本当のことだった。
――本当のことでないと、今自分はここに存在しない。
後宮の池に住む龍を自称する男は、池のそこでほっと息を吐いた。
眉間に深い皺を寄せ、何かに耐えるようなそぶりを見せる。
いつもならば、ここでずぷずぷと負の思考に苛まれるところだったが、今は違う。
「――どう、されましたか?」
そんな
「ああ、大丈夫だ」
少し、考えごとをしていただけだから。
そう続けると、花嫁――玲藍は、安堵の表情を見せて、「良かった」と呟いた。
大丈夫、大丈夫。
男は、そう自分に言い聞かせる。
自分の存在は、あやふやな伝説などではなく、自身の妻が証明してくれるのだから。
そう分かっていても、時折不安になることを止めることができない。
きっとこれは、死ぬまで続くのだろう。
……だがそれは、いつかは終わるということ。
自らの悩みでもあり、救いでもある寿命。
それについて考えだすと、男はいつも、昔を思い出してしまう――
この国の守護神は、竜王とされている。
初代竜王の父親は龍神で、創世神である月の神の夫だという。
曰く、龍神と月の神の間には男の双子がいたが、片方は竜胆色から濃紫へと徐々に変化してゆく髪を持った龍で、片方は紺色から露草色へと徐々に変化してゆく髪を持った竜だったという。
龍は、寿命を持つ生き物だ。
そのため、龍は代々、母親である月の神が心臓を隠した場所、綜竜という国を治めるよう命じられたのだという。
一方の竜は、寿命を持たない。
だが、生殖する機能はある。
そのため、土地や資源に限度があり、循環し続ける人間界では、長期間生活することができない。
それ故に、竜は人間界には基本干渉することなく、月の神が地上へ降りるときに使用するという祭壇がある、太陽神の子が創った焌燕という国を、竜国に居ながら守護するよう命じられた。
その後、綜竜を治めるよう命じられた龍の子孫は、黒髪となった自らの一族を皇族と呼び、寿命を持たぬ紫の髪をした竜の子孫は、自らの一族を竜神と呼んだ。
焌燕の建国をも手伝った彼ら竜神は、国土と資源の限界がない竜国で緩やかに数を増やしながら、過ごしていた。
だが、そんな竜国で、前代未聞の出来事が起こったのだ。
竜国を治める竜王の三男が、龍だったのだ。
竜の一族に、紫の髪を持った生まれた龍の王子は、竜国における権力者たちによる相談の上、焌燕の後宮にある池に寿命が来るまで住まわせ、地上のことを逐一報告させるということで落ち着いた。
しかし、ここで一つ問題が生じる。
龍の王子の寿命は、いくら経っても尽きることはなかった。
竜の親から生まれたからなのか。
理由は誰も知る由もなかったが、龍の王子は、いつ訪れるかもわからぬ死の恐怖に、常に苛まれることとなった。
だから、だろうか。
彼は、自身の伴侶という存在を渇望した。
いつ終わるかわからない時を生き続けるには、ひとりでは寂しすぎる。
龍や竜にとって、伴侶となるべき相性の良い存在は、会えば分かると言われていた。
唯一ではないが、とても数少ないその伴侶を、彼らは探す。
それは同族のこともあれば、異種族のこともあった。
だが、龍と竜の性質が混ざった王子は、伴侶を見つけることが、長い間できなかった。
やがて、伴侶を探すことすら億劫になった彼は、池の中に閉じこもるようになった。
そうして、地上についての報告と、ときたま現れる、自身の池を死に場所にしようとした人間を救出する以外のことで、外に出ることがなくなったころに、彼女は現れたのだ。
異国風の容姿をした、生気のない少女を。
池に近づいた彼女を見て、この娘こそ自分の伴侶だと確信した。
そのときは、彼女の乳母という存在があって、水底へ誘うことは叶わなかったが。
そして、それから四年。
王子の肉体は、緩やかに年を取り始めた。
おそらく、伴侶に出会ったことによって、自身の寿命が確立されたのだろう。
恐れていた筈の死が、現実に迫って来たというのに、心は自然と穏やかだった。
そうして、四年後に再び池を訪れた少女を手に入れたときは、心から満ち足りた心地を味わった。
長くてもあと七十年ほどで、ふたりの寿命は尽きる。
だが、終わりがあるからこそ今この瞬間を大切に生きようと、そう思う。
龍の王子――男は、自身の花嫁を心から愛しているのだから。
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