正義の味方

エイドリアン モンク

正義の味方

 昔々-というほど昔でもない昔、人々は自分の意見を自由に言えたらしい。自由に意見が言えることが人々を幸せにする、世界を平和にする、そう信じられていた……と歴史の教科書に書かれている。

 でも、それは大間違いだった。人々はその自由を自分と世界のためではなく、人を誹謗中傷することや個人情報をネット上にさらすこと、質の悪いデマを流すことのために使った。

 ネット上のいじめで悲惨な結末を迎える。デマに踊らされた人々が暴動を起こす。

 こんなこと、もう繰り返してはいけない。

 そういうことが起きるたびに、人々は言った。でも、何も変わらなかった。

 そのうち、一人ひとりの行動ではどうにもならない、国が法律で規制するべきだと人々は考えるようになった。だから世界各国の為政者たちは、国民の希望通り法律を作った。そのおかげで、誹謗中傷やデマは無くなった。


 これでみんなは幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。


 国民がもっと幸せに暮らせるようになるために法律を強化しよう。

 個人情報が不正にさらされないように、国が全て管理してあげよう。

 みんなが法律を破らないように厳しく監視して罰則も強化しよう。


 為政者たちは「国民のために」熱心に法改正を進め、国民はそれを手放しに受け入れた。その結果、全てのスマホには監視ソフトが入れられ、テレビや出版されるものは、使っていい言葉が細かく定められた。

 こういう動きに対して反対する人たちもいた。彼らは「言論の自由は守られるべきだ」と主張した。

 危険な考えだ。

 また、世界を暗黒時代に戻すつもりだろうか?

「言論の自由」を主張する人たちには、多くの人が嫌悪感を抱き、警戒した。

 俺もその一人だった。


「やあ、時間通りだね」

 俺が、待ち合わせのコーヒーショップに行くと、いつもの場所に中年の男が座っていた。この暑いのにきっちりとスーツを着ていて、見ているこっちが暑苦しい。俺は、アイスコーヒーのトレーを持って男と向かい合うように座った。

「もう期末テストは終わったのかな?」

「ああ」

「そうか、お疲れ様。いい点だといいね」

 この男は世間話をしに来たわけではない。

「初仕事ご苦労さま」

 男は鞄から少し厚い封筒を取り出して、俺の前に置いた。

 一瞬、受け取るのをためらった。手が震えた。男が俺を見ている。そうだ、俺に選択肢はない。封筒をつかむとリュックに突っこんだ。

「この調子で来月もまた頼むよ」

俺は答えずにコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がった。

「もっと自信を持ちなさい。君は正義の味方なんだ」


 自分の部屋に戻ると、封筒の中身を出した。中に入っている金を数えるとかなりの額だった。だが、俺の心は晴れない。封筒を机の引き出しの奥に放り込むと、ベッドに横になった。

 なんで俺がこんなことをしなければならないのか―己の不運を呪った。


 男から連絡は、スマホにメッセージで届いた。メッセージには俺の名前だけでなく通っている学校と成績、親の名前と勤務先、そして俺が隠している秘密まですべて書かれていた。メッセージの最後に、秘密をばらされたくなければ指定された場所に来いと書かれていた。それが、今日、男と会ったコーヒーショップだった。

 初めて会ったときも男はスーツ姿だった。国の役所に勤めていると男は言った。

「こんな形で君を呼び出すのは心苦しかったんだけどね。我々がAIを使って独自に判定した結果、君が一番適任だと判断されたんだ」

「俺に何をさせる気だよ?」

「簡単な事さ。君に情報提供者になって欲しんだ。学校で国を批判するようなことを言っていたら私に通報してほしい。それだけだよ」

「俺に、クラスの奴や先生のことをチクれっていうのか?」

「正義の報告と言ってもらいたいな。もちろん報酬は出す。選ぶのは君だ」

「でも断ったら……って続くんだろ?」

「察しがいいね」

 ドラマや漫画のヒーローなら、ここで断るだろう。俺にも、その勇気が欲しかった。

 でも俺には無かった。


 次の日、学校に行くと、担任がクラスメイトの一人が突然転校することになったと告げた。あまりに突然のことで、クラスの何人かが事情を聞こうと担任に詰め寄ったが、家の事情としか言わなかった。

 俺はトイレに行って吐いた。いなくなったのは、俺が男に密告した奴だった。

 男に、毎月最低でも一人は密告するように言われていたが、誰もおらず苦し紛れに

冗談で「テストがめんどくさいので学校が吹き飛べばいい」と言ったそいつを密告した。


 慌てて男に電話した。

「彼と、彼の家族は我々の機関が拘束している。安心しなさい。手荒なことはしない。ただ、正しい国民になってもらうために再教育をするだけだ」

 その再教育で何をするのかは考えたくも無かった。

「違うんだ。あいつは……」

「君は、嘘をついて無実の人間を密告したのかな?」

 心臓がドクンと大きく鳴った。

「……ちがう」

「じゃあ、問題ないだろう?自信をもちなさい。君は正義の味方なんだ」

電話が切れた。


 胃が空っぽなのにまた吐いた。

 あいつが自由になれば、俺があいつになる。

 それは嫌だ。

 

 そうだ、国に危険と判断されることを言う奴が悪い。

 俺は正しいことをしたのだ―何かが吹っ切れた。


 それから、俺は報告を続けた。休み時間にした友達とのバカ話の内容を、授業で教師が言った話を、隣のクラスの噂話を。学校から少しずつ人がいなくなった。

 さすがにみんな気が付き始めていた。でも、口を閉ざしていた。誰も、俺が情報提供者とは思っていない。

 机の奥にしまってある封筒は、どんどん厚みを増していた。罪悪感から逃れるためにネットゲームに課金してそれを使いまくった。


「絶対に何かおかしい」

 学校からの帰り道、友達が言った。こいつは、幼稚園の頃からの幼なじみ、親友と言ってもいい。

「次々と学校から人がいなくなっているんだぜ?それもみんな急な転校や、一身上の都合で退職だって言う。こんな偶然続くか?」

「じゃあ、何だって言うだよ?」

「国とか、そういう大きなものが関わってるんじゃないか?」

「そんなドラマみたいなことあるか?」

 俺は笑って聞き流そうとした。……ちゃんと笑えただろうか?

「分からないぜ。国の考えと違うことを言うだけで、警察に連れて行かれるのがこの国だぞ。なにがあってもおかしくない」

 この話は、俺しか聞いていない―本当に?

 誰かがこの話を聞いていて、密告したら、こいつだけじゃなくて俺と家族が危なくなる。

 友達と別れ、俺は男に電話した。

 次の日、そいつは学校に来なくなった。また、急な転校だ。

 しょうがない。あいつが悪いんだ。俺は正義の味方だ。


 数日後、男と会った。いつもと同じように、俺より先に来て、いつもの席に座っていた。

「頑張ってくれているようだね」

「別に……」

「君はよくやってくれた。感謝しているよ」

「過去形で言うってことは、俺の仕事は終わりか?」

「そうだ、残念ながらね。この仕事は長くやると暴走する恐れがある。だから定期的に入れ替えるのさ」

「今度は誰が情報提供者になるんだ?」

「残念ながらそれは教えられないな。なに、大丈夫だ。健全な国民なら何も怯える必要はない」

 男が封筒を置いた。

「今回は感謝をこめて封筒の中身も増やしてあるから」

封筒をリュックにしまった。何も感じなかった。

「君の功績は称えれるべきだ。だから、国は君の情報と功績を広く公表することにした」

 こいつ、何を言っている?

「君の学校の仲間も大変誇らしく思うだろう」

 急に視野が狭くなって、頭に血が上るのを感じた。次の瞬間、仕立てのいい男のスーツを掴んでいた。

「私を殴ったら、君は重罪に問われる」

 感情のない声で言った。客が俺たちに注目する。俺は手を離した。

「君は賢い子だ」

男が先に立ち上がった。男に連れ立てられて店の外に出た。

「さあ、胸を張って」

 男が優しい声で言った。

 大通りに面したコーヒーショップの前は、たくさんの人が行き交っている。

 突然、それまでにないほど無数の視線を感じた。

 みんな俺を見ている?

 少し離れたところで、おばさんたちが立ち話をしている。あの人たちは俺の話をしているんじゃないだろうか?背中に汗が伝わって来る。

「ほら、見てごらん」

 男が指さした。その先にいたのは、俺の学校の制服を着た奴らだ。こちらに向かって歩いてくる。

 一人がスマホを取り出して、画面をみんなに見せている。俺の事、バレたのか?

「何を怖がっているんだ?」

男が俺の肩に手を載せて、優しく囁いた。

「君は正義の味方だ。堂々としていなさい」

 学校の奴らが近づいてくる。あと十メートル、五メートル。

 どこかから叫び声が聞こえた。狂ったように叫んでいる。それが自分の声とは分からなかった。

 俺は男の手を振りほどき、人込みの中で多くの人にぶつかりながら。走り去った。 

 どこへ向かって走ったのか、覚えていない。


 気が付くと、病院のベッドに寝かされていた。手足はベッドに括りつけられ、なぜか喋ることができなかった。

 誰かが何かを言っている。目だけでその声を追うと、あの男が立っていた。

「……以上の法律に基づき、君を強制的に治療する」

 男が一歩下がり、医者が注射器を持ってオレに近づいた。

 やめてくれ。必死に叫んでも言葉にならなかった。冷たい感じがして、薬が血管に入ったのが分かった。

 医者の後ろで男が笑っていた。初めて見る男の満面の笑みだった。

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