14.隊長さんと裏人格さん

 簡単な注意点を述べた後、水先案内人として歩き始めます。


 隊長さんの夢はかなり現実に則しているようで、私たちの住む街の通りや建物などがふいっと現れては後方に流れていきます。それらを眺めながら私はできるだけ普段通りにしゃべりました。


「人間の記憶ってすごいですよね。普段は忘れてしまっていることでも、心の奥底ではちゃんと覚えている。それがたとえ、忘れてしまいたいほどツラい記憶だったとしても、です」

「……」


 見なれた景色を抜けると、見たこともないような大きな街に切り替わりました。きっとここは首都。騎士様たちが試験に合格したあと、一年間の訓練を受けるという宿舎なのでしょう。

 誰も居ない通りを、二人で並んで歩いていきます。シンと静まり返った世界で私たちの足音だけが響きます。


「裏人格さん、ここには居ないみたいですね」

「……」


 私がそういうと、首都の記憶はサァッと溶けるように消え去っていきました。横を見ると隊長さんは立ち止まり、浮かない顔つきで地面の一点をじっと見つめています。

 私は何も言わずに辺りを見回しました。遠く離れたところに一つの街が見えます。重厚な色をしたレンガ造りの街。それは目を凝らさずともわかるほど、私にとっても見覚えのある街でした。


 記憶の中にしかない街は、隊長さんの意思一つでその存在感を変えます。幻想のように揺らいでは現れたり、遠くなったり近くなったり。無意識の内に私に見せたくないと思ってしまっているのでしょうか……。でも、このままでは前に進めません。

 もしかしたらこれで嫌われてしまうのかな……と、痛む胸を堪え、私はそっと打ち明けました。


「ごめんなさい隊長さん、私、あの街に行きました」


 その瞬間、この世界全体が萎縮したように揺らぎました。それでも私の存在をここから追い出すことなく、隊長さんは冷静に返します。


「知っていたのか……」

「はい。あの……過去を探るような真似して、その……」

「いや、依頼したのは私だ、君が謝る必要はない。そうか、問題解決のためにあんな遠いところまで……」


 振り返ると隊長さんはどこか寂しそうに微笑んでいました。自分の胸に手を当てしばらく黙り込んでいましたが、やがて静かに語りだします。


「君が気付いている通り、この身体の元々の持ち主は私じゃない。どうにもアイツらしいな」


 予想はしていたものの、本人の口から聞くとドキッとしてしまいます。何も言えないでいると、隊長さんは穏やかに続けます。


「自分が第二サブ人格であることは薄々察していた。ただ、私の中にもあの時の出来事は記憶としてちゃんとあったし確信が持てなかった……認めたくなかったんだ」

「隊長さん……」

「自分の汚い部分を切り捨てたら、新しい自分になれるんじゃないかと思って騎士になった……『私』という人格が『俺』から分離した物なのだと自覚すらしていなかった――奴が再び出てくるまでは」

「あの――」


 ずっと考えていた事を言いかけた私は、周囲の景色がいつの間にか変化している事に気づいて息を呑みました。

 威圧感のある大きな城壁。そこに吸い込まれていく街道。私がつい先日、馬車から降りた場所です。ただあの時と違うのは、道の真ん中に割れた破片が散らばっている事でした。


「これって……」


 屈んで拾い上げようとした瞬間、この空間で初めて私と隊長さんではない第三者の声が響きました。


「よぉ、まさかこうして対面できる日が来るとはな」


 ビクッとして顔を上げると、少し離れたところに声の主が出現していました。鏡に映したように隊長さんと同じ姿の彼は、こちらに背を向けて街の方を見上げています。

 しばらくして、彼はゆっくりと振り向きました。生来の人格であるウィルフレドさんは、騎士の聖剣を握りしめていました。皮肉っぽく笑った彼は、その切っ先を隊長さんに向けてまっすぐ突き付けます。


「お初にお目にかかるぜ簒奪者さんよ、主人格に逆らおうたぁいい度胸じゃねぇか」


 間に立たされた私は体を強ばらせます。そんな私を退避させるように、隊長さんが肩を掴んでグイと脇へ押しやりました。


「たとえそうだったとしても、私は躊躇わない」

「え、えぇっ!?」


 驚いたのは私です。進み出た隊長さんは、いつの間にか聖剣を顕在化させて鞘からスラリと抜いていたのですから。

 えええ、教えてないのになんでそんな早っ……私がランタンを出せるようになるまでどれだけ掛かったと――って、そうじゃないっ


「お二人ともちょっと待っ――」


 慌てて止めようとするのですが、鞘を投げ捨てた隊長さんはこちらを見ることなくこう続けました。


「わかっているチコリ君。ここできっぱり過去を断ち切れという意味で、ここまで導いてくれたんだな」

「違っ……」


 思わぬ話の展開にぎょっとして目を見張ります。そうじゃない、そうじゃないです隊長さん、私はお二人に


「上等だァ! かかってこいやクソがあああ!!」

「えええええ!!」


 裏人格さんが叫ぶのと、隊長さんが踏み込んだのがほぼ同時でした。私は最後まで言う事も叶わず、二人が衝突した余波で、はるか彼方に吹っ飛ばされてしまいます。


「ぶへぇっ!」


 夢の中なので恐ろしいことから逃げてしまいたいという私のイメージがとても強いのです。

 べちゃっと落ちた私が慌てて上体を起こすと、二人のウィルフレドさんは凄まじい剣戟で切り結んだところでした。拮抗する実力は相手を押し切ろうとビリビリと空気を震わせています。


「俺はテメェが憎い! 要領よくやりやがって、自分を圧し殺してまでチヤホヤされて嬉しいか!? この偽善者め!」

「憎んでくれて結構、私もお前が大嫌いなんだ!」


 キィンと弾いた裏人格さんが、二歩ほど後ろに飛んで距離を取ります。自分の胸に指先を当てると邪悪に笑いながらこう続けました。


「ハッ、そりゃ残念だったな、お前の本性は俺だ! どんなに上手く取り繕ったとしても、その根っこにある部分はお前が忌み嫌う俺自身なんだよ!!」

「私はお前とは違う! 二度とあのような思いはしないと誓った!!」


 隊長さんは深く踏み込んで低い位置からの突きを繰り出します。ギリギリのところで弾いた裏人格さんは、それまでの余裕の表情を消し去り冷や汗を掻いていました。


「誰の許可とって俺の体を乗っ取ってんだクソが!! とっとと失せろっ」

「貴様こそ消えろ! 望んでいた通りになっただろう!」


 その言葉に一瞬グッと詰まった裏人格さんでしたが、すぐに目じりを吊り上げると吐き捨てるように叫びます。


「そこに俺の意思がないとは想定してねぇよッッ」


 あぁ、ああぁ、とてもではありませんが割り込める雰囲気ではありません。少しでも踏み込んだら一瞬の内に細切れにされてしまうでしょう。さすがに夢の中とは言え、精神が切り裂かれたら現実で無事でいられる保証はありません。

 何か二人を止める手立てはないかと頭を抱えていますと、裏人格さんはあの挑発しているような声音を出します。


「ハッ、『優しいみんなの隊長さん』は、俺だけは救ってくれねぇのかよ?!」


 隊長さんの表情に一瞬の迷いが生まれます。ですがキッとにらみ付けた彼は痛みをこらえているかのような顔でこう叫びました。


「そこに居るチコリ君も優しい私であってくれと願っていた。要らない! お前みたいな人格は要らないんだ!!」


 一瞬だけ表情をこわばらせた裏人格さんが、信じられないような瞳でこちらに目をやります。私も同じように目を見開いて、あの森の中での会話を思い出していました。


 ――私は……『騎士隊長のウィルフレド・ベルツ』は、優しくあるべき、だよな?

 ――私が憧れたのは優しいウィルフレドさんです。お願いですから、絶対にそのままで居てください!


 違うんです、私が言いたかったのはそうじゃなくて……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る