観音さまと夏の雪

ミコト楚良

一幕 観音堂 かんのんどう

 昔々のことである。


 その村にある寺の観音かんのんは、かつて山の領を治める一族の守護観音だった。とある時代、一族のあるじが荒れ果てていた寺を復興し、一族の菩提寺にした。


 それから、ずうっと時が下って、ある日、寺は失火で炎上し焼け落ちてしまった。

 村人たちは大層落胆したが、村長むらおさと共に八年を費やして、ようやく、この年の春に寺の再建が叶ったのだ。


 しかし、ただならぬ噂がたちはじめた。

 再建のために集めた材木の一部が、御山みやまの木ではなかろうかと。


 御山みやまとは、幕府直轄領の山である。

 


 きぃ一本 首ひとつ

 御山みやまの草は採ってはなんねぇ

 枯れた枝も拾うてはならねぇ

 きぃ一本 首ひとつ



 村人なら誰もが子供の頃から親に、そう教わったはずだ。

 それなのに、どこで教えがほころんだものか。

 立派なひのきを見つけて、『寺さ、ふさわしい』と大喜びでったのだろうか。御山みやまに立ち入ってしまったと気づかずに。


 御寮ごりょうの代官が、御山みやまの検分に参るという書状が来て、村長むらおさは震えあがった。

 川を下った御領ごりょうの支配所にまで、噂がたどり着いたのだ。

 御山みやまの木をったと知れたら、どんなお沙汰さたが下るであろう。


 途方に暮れた村人たちは、なすすべなく。

 もはや観音さまのお力にすがるしかないと、寺の観音堂にこもり祈りはじめた。

「もし、お救い下さりゃあ、村が三軒になったとしても歌舞伎を奉納いたします」と。




「――御山みやまの木をっちまうだなんて、やっちまったな?」

「うっかりさんは、どの時代にもいるぅ」

 二人きりの空間で、カンノンとスガヌマくんは話している。


 そこは母親の胎内のような、薄暗いのか仄明ほのあかるいのかわからぬ場所だ。


「で、カンノンは、村人の祈願を聞いてやるのか」

 スガヌマ君は髪の後ろを細く切った紙でくくり、こざっぱりとした水干姿すいかんすがた片肘かたひじをついて寝転んでいた。行儀の悪さを見目みめの良さでおぎなっている若者だ。


「われたちのために寺を建て直さんとして起こった事だしぃ。三日三晩、お祈りされているしぃ」


 ここには、波動のように村人の唱える念仏が届いてくる。

 カンノンは目を細めて、耳を澄ませた。

「村が三軒になったとしても、毎年、歌舞伎を奉納いたしますって言ってるぅ。過疎化する前提、ちょっと悲しぃ」

「歌舞伎か、楽しいかも」

 スガヌマ君は言ってはみたものの、実は歌舞伎がどんなものだか知らない。


「な、助けてやりたいだろぅ」

 カンノンはスガヌマ君を伺うように、にぃと微笑んだ。

「異能に、生まれた者としてはぁ」


「好きで異能に生まれたんじゃない」

 スガヌマ君は心底イヤそうに顔をゆがめ、自分の首の辺りに手をやった。

くびられる瞬間で覚醒めざめただけ……」


「ごめ~ん、トラウマ心的外傷思い出させちゃってぇ」

 カンノンは薄い謝り方をした。

「それ、外傷っつう?」

 スガヌマ君のジト目には気づかないふりだ。


「何とかしてよぉ、スガヌマ君」

「そうやって、また丸投げする。カンノンは」

 そこそこ長い付き合いで、めんどうくさい仕事を押しつけてくるときのカンノンのやり方をスガヌマ君は知っている。


「だって、皆、カンノンにはチカラなんぞないって、わかってないから。カンノンができるのはことだけだから」

 そういうときのカンノンは小さな子供のようだ。

「しゃーねぇなぁ」

 したは働くしかない。スガヌマ君は重い腰を上げた。



「う~ん、どうにかするって。御山みやまの木を元通りにすればいいのか?」

 スガヌマ君は早速、御山みやま


 御山みやまは杉、ツガツキ(ケヤキ)、サワラ、松、ヒノキなどの何万本から成る原生林の森であった。


(ちっとぐらい減ったってわかりゃあせんが)

 その考えは甘かった。

(けっこーな本数、ってるじゃんか)

 思わず苦笑いのスガヌマ君だった。


 切株の場所は、あちこちに散らばっている。

(こりゃ、誤魔化せねぇ)

 モノを元に戻す異能はスガヌマ君にはない。

(オレにできるのは、所詮しょせん、はったり)


 そのとき、スガヌマ君の後ろで声がした。

「おおおお代官さま」


 振り返るととおぐらいの子供が、地面に土下座していた。

「おおおお越しでしたか」


「いや、代官ではない」

 スガヌマ君がそう言うと、子供は、そろりと顔を上げた。

 スガヌマ君と目が合って、また土下座に戻る。

「おおおお殿さまですか」

 子供は恐縮至極きょうしゅくしごくの姿勢になっている。

 それよりも。


「お前、わしが見えるのか」

 お決まりの文句をスガヌマ君は言ってみた。


 共鳴する領域の人間にしか、スガヌマ君は見えない。

 その共鳴する領域というのは、人としてはかなりヤバい状態のヒトだ。


「思いつめてんな、お前」

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