巨石塔の城門
Jack-indoorwolf
ポエム会で退屈をしのぐ
降り続く湿り気のない雪がベールとなって、景色が白と黒にけぶる。山々にある針葉樹林の深い緑がモノクロの風景に映える。小さな虫たちや花々はほとんどが死に絶えた。今は北海道の冬がその寒さを魅せる。静か。
新型コロナウィルスの何度目かの流行の谷間。久しぶりにみんなマスクを外して、浮き足立っていた。昨夜は、酔っ払いが自宅へたどり着けず路上で凍死した、というニュースも。
昔、この部屋では野生エゾシカの解体作業が行われていたという。今も微かに血の匂いがする。この辺りでは食肉用としてスーパーマーケットで売られている。ところが、解体職人がここで自分の老いた母の死体を処理したとか、しないとか。それでこの施設は公営のコミュニティセンターへ格下げになったとか、そうじゃないとか……。
当時は、それはそれは大騒ぎになったらしい。
北側の壁面には、撤去された巨大冷蔵庫の大きな鉄の扉だけが残っている。今は扉いっぱいに赤いスプレー塗料で「ママ、クソ愛してるぜ」の落書きがあるだけ。
室内は暗く、何本かのキャンドルで、かろうじて木造の内装が照らされている。床はフローリングだが、もう何年もワックスが塗られていない様子。広さは小学校の教室をひと回り大きくしたくらい。寒い。部屋の隅に灯油で燃える小さなストーブが一台あるだけ。
長い黒髪ストレートの少女がアドリブで詩をつぶやいている。残りの数人は少女の周りを囲んで、パイプ椅子にすわり大人しく少女の声を聴いていた。
少女のそばには三脚が立っている。三脚のてっぺんには横になったスマホが取り付けられ、集会はライヴ配信されているようだ。
「あの女の子、YouTube に自作ポエムの朗読動画上げてるから、今度見てみ」
隣にすわっているミサキ君から俺のスマホに line が届いた。自由におしゃべりが出来ない環境なので、しょうがない。
みんなの尻の下にあるパイプ椅子が軋む音が時どき。
今、ここでは地元大学の文学サークルの詩会が行われている。ポエム会、略してポエ会。隣にすわっているミサキ君が通っている大学だ。俺はミサキ君に誘われた。
俺は勉強が嫌いなので進学はしなかった。知的好奇心がないわけではない。集中力がないので、長い間机に向かっているのが苦手なたけだ。
でも、中原中也くらいは知っている。それだけだが。
愛か……
俺も心の中で繰り返した。
少女が愛について語っている。
こういう女の子の声でハードな SF 小説を読んで欲しいもんだ。硬質で鋭さがあるんだけど、やさしさも忘れていないような声。Amazon の audible でやってくれないだろうか。彼女の声で「火星のクレーターからアンモナイトの化石が発見された」と告げられたい。
おおむね退屈はしなかった。詩の朗読会が終わってから、俺とミサキ君は、愛を語った少女のところへ挨拶しに行った。
キャンドルの火は消され、代わりに天井の led ライトが灯る。室内の神秘的な雰囲気は消えた。数本の汚れたモップとポリバケツが部屋の隅に姿を現す。
お目当ての少女は、俺を一目見てプッと吹いた。
え、どういうことだ?
初対面の少女に不意打ちを喰らい、俺はソッコーで反応出来ず、ドギマギしていた。少女が気を取り直す。
「失礼、顧問の宮本教授と近いうち昼メシ食う約束してきた」
このタイミングでミサキ君が加わり、三人になった。
「こちら五十嵐六郎太、コンクリート工場で働いている、実は学生じゃないんだ、恥ずかしながら僕は勉強を教わっている」
「へぇ」
「初めまして、六郎太です」
「初めまして、織原雪子です」
「コンクリート工場で建築資材作ってます、土管とかね。まぁ肉体労働です」
ポエ会のメンバーがゾロゾロと帰り始めた。みんなガサゴソと音を立てながらダウンジャケットを着たり、ウールの帽子を被ったりしている。
「ウクライナ戦争はいつまで続くの?」
雪子がスマホの取り付けられた三脚を分解しながら、俺に尋ねた。
「え、ああ、どうだろ、いつ終わるか分かんないような展開って、一回性の瞬間が反転した現象なんだ。プーチンがムーブメントの外側に出られたら、すぐ戦争は終わるよ」
俺は普段考えてることを話した。
「あら」
雪子は昔の落としものを偶然見つけたような顔をしている。
「ふふふ」
俺はワザとらしく笑った。
「パンの値段がまだ上がりそうで、ヤになる」
「そうだな、でもパンがダメならケーキがある」
「……詩に興味あるの?」
「まぁね、退屈だしな」
俺は内心ドキドキしながら雪子としゃべった。脇汗がすごい。緊張している。
そのあと、俺は、これから時どきポエ会に参加させてもらうことを雪子に告げ、挨拶した。
そうしてミサキ君が tumblr で見つけた無名の英国詩人について、雪子としゃべり始めた。話は盛り上がっている。
俺は部屋の後片付けを手伝いながらミサキ君と雪子を眺めていた。
今度、雪子が、なぜ初見で俺を笑ったのかちゃんと聴いておこう。
それにしても、さっき詩をつぶやく雪子はカワイかった。健気というか。何より幸せそうだった。
俺は不幸な女を見ると気が滅入る。だから幸せそうな雪子を見て心がウキウキした。しかし、俺は雪子を見て逆に母親を思い出した。
俺の母親は不幸な女だった。
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