赤い靴

もと

履いてない女の子

「マッチは要りませんか? 長く燃えます。マッチは要りませんか?」


 今日も呪文みたいに唱えて歩く。

 さっきすれ違った子の赤いお洋服、可愛いかったわ。


「マッチは要りませんか? よく燃えます」


 いつかショウウインドウで見た、あのお洋服だった。

 きっと毎日ご飯も食べれて学校にも通って、お風呂にまで入れる子だけがあんなの買ってもらえるのね。


「お嬢さん、落とし物ですよ?」

「……私じゃないです」


「そうですか、失礼しました」

「いいえ、ご親切にどうも」


 受け取っちゃえば良かったかしら、白い貝のイヤリング。売ればお金に……ダメダメ、それは泥棒、泥棒はくないわ。


「……あれ?」


 なんか今の人、ヒトじゃなかった気する。なにだったんだろう?

 振り向けば森の中、あれれ、前を見ても森の中、ヤダ、こんな所じゃマッチは売れない。

 お洋服の事を考えてたから? 町から森まで来ちゃうなんて、そんなに歩いてたなんて、どうしましょ、迷っちゃったわ。

 夜明けと同時に家を出たけど、もうあんなお日様ならお昼は過ぎてると思う。


「まだ一箱も……ああ、お金どうしましょう?」


 迷子よりもパパに殴られる方が怖い。このまま帰ったら首も絞められるかも知れない。

 涙と冷や汗に震えながらかえでの落ち葉をパリパリ踏んで歩く。もう来た方向も行く先も分からないけど、殺されるよりはマシだから歩くわ。


「……お腹が空いたわね」


 と、思ったらいい匂い。今の私は動物みたいに鼻が良くなってるのかも。

 楓とは違う、森の奥から木の陰から甘い匂いが流れてくる。心のままにやぶを抜けてキノコを踏んで小鹿を驚かせて小川を飛んで、やっと見付けた。


 甘い匂いに誘われた虫の大群の中に、茶色い壁の家がある。

 私この匂い、知ってる。パン屋さんやケエキ屋さんの前のとおんなじよ。走ろう。


「わあ……!」


 羽アリのかたまりを手で払えば、その下からホロホロ崩れる茶色い壁が見えた。指先に付いた欠片かけらを舐めると甘い、食べ物だ、手で取れそう、食べれそう、美味しい、甘いわ。


 カナブンやクワガタやチョウチョやら見た事ない何やらもゴメンネと退けながら壁を食べる。いつもの街角で想像してた味とは似ても似つかない、この匂いはこんなに美味しい物だったんだ。

 サクサクモグモグと口いっぱいに頬張って、何歩か下がって見上げれば赤い三角屋根に煙突、煙が出てる。こんな凄い物で家を建てちゃうなんて、どんな人が住んでるんだろう?

 コンコン、コンコン。

 ノックの度に崩れる青いドアも口に入れながら。


「……ほんいちはこんにちわほなたはどなたかいらっしゃいまふか?」

「なんだお前は?! 食ったのか?! 食ってるのかい?! 食いながら訪ねて来るとはイイ度胸だね?! なんて図々しいんだい!」


「あ、すみません、とても美味しくて……ごめんなさい」

「素直だね?! 何なんだい?! 腹が減ってるのかい、迷ったのかい?! 仕方ないねえ、休んでいきな!」


「ありがとうございます! 私、迷子です、お腹も空いてます!」

「騒がしい子だねえ! タダ飯は許さないよ、家の仕事を手伝うんだ!」


「はい!」

「入りな!」


 青いドアをドカンと開けて出て来た元気なオバアサンは、黒い三角帽子に黒いワンピース、たぶん魔女。

 でも優しい人だわ。

 とりあえずだとテーブルに着かせてくれて、温かいお肉のスープとパンを振る舞ってくれた。お菓子でお腹いっぱいになるのは体に悪いって。


「ご馳走様でした! オバアサン、とっても美味しかったです!」

「そうかい! お粗末様でしたね!」


「オバアサンは魔女ですか?」

「そうだよ! 文句あるかい?! ああこれこれ、そんななりで台所に入るもんじゃないよ! 手伝いの前にまずは風呂だね、着替えは用意しといてやるから! なんだい? 靴も履いてないのかい! 可哀想にね!」


 後片付けをしようと思っただけなのに、あれよあれよと私は小綺麗な女の子にされたの。

 用意されてた着替えは真っ白い下着とブラウスに赤いスカアト、白い靴下にエナメルの赤い靴もあった。こんなのクルクル回っちゃう。伸ばし放題の黒髪もすいてくれて、大きなビロオドのリボンも着けてくれた。


 お家の中には本も沢山。オバアサンは読み書きから丁寧に教えてくれて、私は一人で平仮名も片仮名も読めるようになったわ、計算まで出来ちゃう。そして名前も無かった私にメリイと名付けてくれた。人から呼んで貰えるってこんなに幸せだったのね。

 オバアサンはよく出掛けるから連絡用だとスマアトフォンも持たせてくれた。これ便利、楽しい。色合わせの積み木崩しとか剣や魔法で戦えるゲエム、とても楽しいわ。

 あら、パパはどうなったかしら、私の事は忘れたかしら、もう生きてないんじゃないかしら。


「勉強ばかりするんじゃないよ! 今月の課金がまだコレっぽっちかい、もっと遊びな!」

「はい、ごめんなさい!」


「さあて今日は客が来るんだよ、ちょいと隠れておきな!」

「はい! ……え? どうして? 私、おもてなしのお手伝いしたいわ?」


「ダメダメ、アタシの本筋に関わるんだ! 黙って引っ込んでおくんだよ!」

「そうなの、分かった」


「いいかい良く聞きな! この本棚の裏には宝石が隠してあるからね、暖炉の炭の下を掘れば金塊が出て来る、井戸の蓋には金が詰まってるよ! 一生遊んで暮らせるだろうさ! 覚えたかい?! ほれ、さっさと奥の小部屋に入るんだ!」

「オバアサン?」


「退屈だと可哀想だからね! スマホと充電器と紙とクレヨンとパンとオニギリ、飲み物とオヤツだ! 大事に食べるんだよ! ドアには魔法をかけるからね、解けたら出て来て金目の物取って贅沢に暮らすがいいさ!」

「……オバアサン?」


 いつもの様に怒鳴りながら、オバアサンは私を抱き締めてくれるから抱き返す。温かくて太いお腹、大好きよ。


「……一度でいいよ、呼んでおくれ『お母さん』と」

「オカアサン」


「……ありがとうね、親子ゴッコでも楽しかったわ」

「どうしたの? どこかに行ってしまうの?」


「ちょっくら野暮用さ! はいはい、早くしな!」

「オカアサン、オカアサン」


 グイグイ押されてしまうわ、オバアサンのお部屋の壁の中、本当に小さなお部屋に入れられちゃった。

 しばらくするとオバアサンの叫び声が聞こえた気がしてドアを蹴破ろうとしたのにビクともしないのよ。

 オバアサン、お菓子のお家の愉快な魔女のオバアサン、早くここから出たいわ。

 ちょっと隠れてと言われてからどれぐらい経ったかしら。こんなに長く閉じ込められるなんて私、何か悪い事をしてしまったのかしら。

 紙も無くなったけどクレヨンも赤ならまだあるわ、壁に書いてみようかしら。絵はもういい、お願い事でも書こう。


 オカアサン、ごめんなさい、だして。


 『何もしてないのに謝るんじゃないよ!』ってオバアサンが、オカアサンが来てくれる気がする。壁いっぱいに書こう。


 ……眠ってしまってたわ。

 ミシミシ、ギシギシ、ドカンドカンとお部屋が揺れてる。外で何をしてるんだろう、とても怖い、でも首を絞められるよりはマシね、ジッとしておく。

 オカアサンどうしちゃったの、ああそうだわ、スマアトフォンがあるじゃない。


「……鳴ってる? 近いわ、この壁の向こうだわ」

『……もしもし?』


「あら、男の方ね? オカアサンにかけているんですが、そこにいらっしゃいますか?」

『いや、ええと、どちら様で、これも誰の、何故こんな所に……』


「私はメリイです、たぶん今あなたの近くにいます」

『……』


 切られてしまったわ。何か叫んでる。

 残念ね、声が聞こえるほど側にいるのに助けてはくれないみたい。

 ドアを開け……あら開いた。横に引くドアだったのね、押しても開かないのは当たり前だったわ。


 小部屋から出てみればそこは別世界、お菓子のお家、無くなっちゃってるわ。

 真っ平らな木の床に真っ直ぐな白い壁、これはどうしちゃったの?


「……こんにちは、どなたかいらっしゃいますか? 先ほどの方?」


 小部屋の隣はドアが開けっ放し、ベッドが二つ並んでる。

 どうしちゃったのかしら、あらこれはオカアサンのスマアトフォンね、どこへ行ってしまったのかしら?

 玄関も開いてるわ、とにかく外へ出てみましょう。


 ……もうここは森ではないの、同じような四角い家が並んでどうしようも無いわ。

 トボトボと夕焼けの中で影を伸ばして行けば、子供が広場でボオルを蹴って遊んでる。でも私の靴は可愛いビロオド、汚す訳には……あら私、どうして汚れてないのしら? 不思議ね、ゴロリと眠ってしまったのにお洋服に皺ひとつ無いの。

 子供が遊んでるという事は、この建物には入れそうね。一晩か二晩、休ませて貰いましょう。なんだか疲れたわ、オカアサン、もういないのね。

 ヒンヤリした廊下、灰色の階段、幽霊でも出て来そうで怖いわ。


「……おトイレ行っておこうかしら」


 個室から出ようとした時に誰かが入ってきた。勝手にこの建物に入ったのは悪い事だというのは分かる。ジッとしておきましょう。

 と、思ったのにコンコンコンコンと妙なリズムでノックされた。どうしましょう? 黙っておきましょうか。


「……」

「……え、私が言うの?」

「私がノックしたんだからユキちゃんが言ってよ」


「……?」

「もう……花子はーなこさん、遊びましょー」

「……いない?」


 私は花子さんではないけど、この女の子達は遊んでくれるのかしら? それより今はこの状況が何なのか教えて貰いたいわ、花子さんになりきろうかしら。


「……遊びましょうか?」

「キャー!」

「キャー!」


 手を洗いながら考える。呼んだくせにお返事したら逃げられるなんて、これはどういう事なの?

 ともかく日も暮れてしまったし、ここで休みましょう。

 ベッドのあるお部屋があるわ、薬品の匂いが気になるけど横にならせて貰いましょう。


 ……少し眠れたのかしら? 誰かの足音ね?

 今追い出されたら大変、まだスマアトフォンの充電も終わってないわ、隠れておかなきゃ。

 ガラッと横に引くドアが開いて、ガランッと閉まった。見回りみたいな事かしら? ゆっくりと遠くなる足音は大人の物の様な気がする。お話が出来るかも知れない。


 ガバッとベッドの下から出て、足音を追いかける。

 階段? 向こう? こっち? どこかしら?

 音が響く仕様の建物で追うのが難しいわ、足音の主も急に移動が速くなったの。あらピアノがあるわ、ドレミファ、綺麗な音ね。

 ああいけない、遊んでる場合じゃないわ、あの人を捕まえてお話ししなきゃ、このお部屋に入ったわ、あら物が沢山ね、倒しちゃった。


「……あの、待って、お話を」

「うわあー?!」


「あの?」

「キャー?!」


 この辺の人達は人付き合いが苦手なのかしら? 私は誰にでも愛想良くマッチを売ってたから知らない人ともお話出来るけど、きっと得意じゃない人もいるのね。仕方ないわ。

 ため息が出ちゃう、お部屋を片付けておきましょう。人間の骨かしら、バラバラになっちゃってるわ。これは半分筋肉だけの人間のお人形、なるほど、こういう人達が普通にいる世界なのかも。

 だったら普通の体の私は変なのかも知れない、みんなが驚いたり怖がったりするのは体のせいなのね。あらでも今の人も私と同じ体だったわ、変なの。


 夜明けまでベッドで休んで歩くわ。何日も食べない切なさは知ってるから大丈夫。

 たまに優しいお年寄りの家に身を寄せたの。若い人にも良い人は沢山いて、ゲエムを教えて貰ったり、家のお仕事を手伝ったりしながら暮らしてた。

 でも少し経つとみんなシワシワになって死んでしまう。ピチピチのままでも死んでしまう。儚いわ。


 一人になったら色々な事を検索して時間を潰すの。特にブランコに揺られながら過ごすのがお気に入りよ、どこの公園でも気持ちが良いわ。

 あらこのニュウス、これ私そっくり。白いブラウスに赤いスカアト、赤い靴を履いた少女は現代版の座敷童子ですって。座敷童子って何かしら?

 キイコ、検索、キイコ、検索と揺れていると泣き声が聞こえてきた。赤ちゃんね、とても小さな……泣き止まないわね? どうしたのかしら? あっちだわ、行きましょう。


「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」

「……なんすか?」


「お隣、赤ちゃんが泣いてます、泣き止まないんです」

「いつもっすよ」


「いつも泣いてるって変じゃありません?」

「……変……っすよね」


 目的のお家には鍵が掛かっていたから、そのお隣のオニイサンに頼ってみた。すぐにオマワリサンを呼んでくれて赤ちゃんは病院へ行ったみたい。良かったわ、とても痩せていて可哀想だったもの。


「オマワリサン帰ったよ。で、キミはどこの子? もしかして……」

「私はメリイ、お菓子の家のオバアサンがオカアサンです。でもお家が無くなってしまって、どこの子なんでしょう?」


「あれ? 座敷童子じゃないんだ?」

「私が? 幸運は呼べた事が無いわ」


 きっと他所よそのお家にいる事は善くないから捕まってしまうもの。オマワリサンが帰るまでお部屋に隠して貰っていたらオニイサンと仲良くなれたわ。お茶を入れてくれて、この世界のお話をして貰った。なんという事でしょう、私の世界はどこへ行ってしまったのかしら?

 やがてオニイサンもシナシナになって死んでしまったわ。

 ああ悲しいわ、切ないわ、どうしましょう。


「お嬢さん、落とし物ですよ」

「あら……クマさん? ウフフ、それは、そうね、その白いイヤリングは私のです、ありがとう」


「ああ良かった、やっぱりキミのだったんだね」

「ええ、お礼がしたいわ」


「では一曲お付き合いして頂けますか?」

「喜んで」


 大きなクマさんとダンス、ポッカリ穴が空いてしまってた私にはちょうど良いかも。

 一曲といわず何曲でも、クマさんは家族が待つお家に帰ってしまったけど私は……もう疲れたけど止まらないの。


 困ったわ、赤い靴の足が勝手に踊るのよ。

 横になって休んでも立ち上がろうとするの、足が踊るから私の背中が削れてしまったわ。


「これはもう切ってしまいましょうか、こんなの変ですもの」


 足を切る、それなら包丁ノコギリ斧に鎌にチェーンソー。いいえ、きっと自分でやるのは大変だわ、切って貰いましょう。


 ああ良い所に線路があるわ、これは空へ昇る前の銀河鉄道の青い線路ね。

 ゴロンと暴れる足を横にして、遠くから揺れてくる電車のライトに託すの。銀河鉄道はゆっくりと何両もかけて私の膝を砕いて行った。痛かったわ、でも踊る足を切り離してくれた。

 窓から青い目の異人さんが手を振ってくれたわ、いいわね、旅行かしら。

 ああでも本当にちょうど良かった、人間の電車だったら人が線路にいたら停まってしまうもの。


「あら大変、どこ行くの?」


 私の膝から下がステップを踏みながら二本仲良く遠ざかっていく。あんなの、この世界の驚きやすい皆さんが見たら腰を抜かしてしまうわ。追いかけなきゃ。

 あら足が無いから歩けない、手で這っていくしかないわね。スカアトのポケットに入れたスマアトフォンが動く度に地面にあたってうるさいの。

 タカッ、カタッ、テケッ、ケテッ。

 操作音ぐらい消しておけば良かったわね。


 あらまた叫び声? どうしたのかしら。



  おわり。

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