第26話

 小原こはらさんが魔衣まいの手を引いてやってきたのは女性服売り場の下着コーナーだった。

 薄いピンクやら水色やら、タイやヒラメが舞い踊りそうなおとぎ話のサンゴ礁みたいな世界に、僕は思わず目がくらみそうになった。


 僕は立ち止まって、周囲の様子をうかがった。

 カップルで買い物に来ているのか男性の姿もあるにはあるけど、僕は小原さんとは友達以上の関係じゃないし、二人の行き先が下着コーナーであると気付いた時点で遠慮しとくべきだよね。


 振り返ってみると、行き場を失った男性客の逃げ場とばかりに用意された長イスがあった。

 僕はなんとなく負けを認めた気分で腰を下ろし、上着で隠した魔衣の大型ライフルを抱えて二人の様子を眺めていた。


 遠慮するとは決めたものの、二人のもとに飛んでいきたい場面は何度もあった。

 というのも、小原さんがパンツを探せと言っているのに魔衣はブラジャーを裏返したり引っ張ったりして遊んでいたからね。優しい小原さんはため息をつきつつも魔衣に近づくと、ブラジャーを魔衣の胸に当てて使い方を説明してあげていた。


 それから小原さんは何かに気づいたのか、魔衣の服の肩の部分から中を覗きこんだ。ブラジャーを着けているか確かめているのかと思ったけど、どうやら魔衣の服の機能性に感心してるみたいだった。


 そもそも、なんで突然パンツなんか買うんだ?

 目つぶし光線のせいで気づかなかったけど、も、もしかして履いてないのか!?

 モンモンとしていた僕の疑問に答えるように、戻ってきた小原さんが言った。


「見せてもいいパンツを買ったから」


 何を思ったのか、魔衣がスカートをまくり上げて僕にする。


「ちょっ、まだ履いてないじゃない! それに見せパンだからって見せてもいいってわけじゃないの!」

「……」

 魔衣はキョトンとした顔をしている。

「あのね、見せてもいいパンツっていうのは単なる保険なの。万が一スカートがまくれても下着が見えないようにっていう。女の子ならパンツが見えないように恥じらいを持って行動すべきよね。もしのぞこうとする男の子がいたらにらんでやるといいわ。ま、まあわたしだったら走って逃げちゃうけど……」


 小原さんの言葉を黙って聞いていた魔衣は、両足をキュッと閉じてスカートの前を押さえ、僕をキッと睨んだ。まあ、どこまでも素直な子だと思っておくことにする。


「魔衣ちゃんったら……、フフ」

 そんな魔衣の様子がおかしかったのか、小原さんが今日はじめてクスりと笑った。

 でも、その笑顔は僕に見られた瞬間に元のムスッとした顔に戻ってしまった。


「ん、うん。睨み続けられても困るから、は、はやく履いてきなよ」

 僕は慌てて魔衣に声をかけた。

 周囲を見回すと、女子トイレの場所を示す案内表示が見えた。



 小原こはら朋美ともみは魔衣の背中を押すようにして女子トイレに入ると、買ったばかりの下着を紙バッグから取り出した。

「まったく。新谷あらやくんったら、この子の保護者のつもり?」

 朋美の独り言だった。

 トイレに入る前、タケルに魔衣のことでしつこく言われて朋美はうんざりしていたのだった。


「あのさ、買ったものは履けるようにして渡してやってくれないかな?」

「どういう意味?」

「えっと、買った状態のままだとどうしていいか分かんないと思うからさ。ついでにパンツを広げて、こっちがお尻でこっちが前、ここに足を通すとか教えてくれると――」

「も、もういいわ、あっち行って!」

 朋美は顔を真っ赤にしていた。



「はい、履き方はわかる?」

「……さっきゲームを見て覚えた。半脱ぎのタイミングで必ず男の子が入ってくる」

「こ、ここは女子トイレです。普通男の人は入ってきません!」


 朋美は両手でパンツを受け取った魔衣を個室に押し込んだ。周囲を見渡して、他に誰もいないことを確認して深呼吸する。

 わざわざこうして二人きりになったのは、彼女の本心を確かめるためだ。

 朋美は扉越しに魔衣に話しかけた。


「ねえ、魔衣ちゃん、でいいのよね? あなたタケルのどこがよくて一緒にいるの? その、あいつは本物の女の子よりマンガやアニメのキャラクターが好きっていうオタクなのよ。魔衣ちゃんにまでそんな恰好させて。そりゃ、私に好意を持ってくれてたのは嬉しかったけど。でもあいつは、私の前であんなに目をキラキラさせながら私以外の架空の女の子に夢中になってたのよ? あなただってきっと――」


「アナタはタケルのことがスキ?」


 突然扉の向こうから質問されて朋美は言葉に詰まった。


「す、すきとかじゃなくて……、べ、べつに私は何とも思ってないわ――」

「それなら、ワタシがどうしようとアナタに関係ないハズ」

「そ、そうよ。関係ない、けど。私はただ――」

「ワタシもカレのことはナンとも思っていない。ただ、どうすれば生きるノゾミをなくして死んでくれるかと思っているだけ」

「……え?」



「ああもう!」

 小原さんに指摘されるまで何で気付かなかったんだろう?

 僕はいつの間にか魔衣の世話係になっているじゃないか。

 

「あの子を追い出すはずが、なんでこんなことに。でもあいつ、今は全然危ないヤツっぽくないんだよなあ。それどころか子供みたいで……あんな可愛い生き物にあーんって出来ただけでも嬉しいっていうか……じゃなくて!」


 魔衣をどうにかしようとすればするほど、頭が混乱して考えがまとまらなかった。


「あれ?」


 視界の端に小さな違和感。女子トイレの前で立ち止まっている女の子の様子が少し変だ。季節外れのコートを着て、別に混んでいるわけでもないのに中の様子をじっとうかがっている。

 女の子はコートのポケットに手を突っ込むと中から鈍く光るものを取り出した。

「あれって……ナイフ?」

 魔衣だけでもう十分危ないのに、また別のヤツが現れたのか!?

 正直、あまり信じたくないし、できれば関わりたくないけど、トイレの中にいるのが自分の友達だと分かっている以上、無視するわけにはいかないよね。



「え? 今、あなた何て言ったの?」

 朋美は扉の向こうにいた魔衣に話しかけた。

「ワタシが言ったのは――」


「待て!」

 緊迫したタケルの声だった。

 朋美が驚いて振り返ると、コートを着た女がまっすぐに向かってきていた。

 タケルが女の服をつかんで引っ張るが、伸びてきた女の手が朋美の顔のすぐ横をかすめた。

 朋美の目が女が持っていたものに引き寄せられる。

 それはナイフだった。


「おっ、とっ、とっ、と」


 通り魔のくせにやけに情けない声を出して、女はバランスを崩してペタリと尻もちをついた。

 朋美は腰が抜けたのか、壁を背にしてズルズルと腰を落としていった。途中、無防備になっている朋美のパンツが見えそうになったが、こちらは当然ながら光ったりはしなかった。

 タケルは朋美のそばにひざをつき、声をかけた。

「小原さん、だいじょぶ?」

「う、うん……」

 朋美は返事をしたものの、誰に何を聞かれたのかもわかっていないみたいだった。



 僕が小原さんの無事をたしかめて振り返ると、ナイフの女の子の姿は消えていた。

 個室の中からドアを半開きにして様子を見ていた魔衣が出てきて彼女の後を追ったけど、すぐに戻ってきて言った。


「ナイフを持ったアブないオンナは逃げた。それと、パンツをちゃんとはけたか見てほしい」


 魔衣がスカートをたくしあげると、やっぱり謎の光がタケルの目を襲った。


「お前、見せパンはいたんじゃないのか?」

 魔衣は返事のかわりに親指を立てた。

「なら、なんでまだ股間が謎の光でおおわれてるんだ?」

 魔衣が股間を確認しようとしてスカートの前をまくりあげるので、またもや光に襲われる。

「やめろ! まぶしい」

「ワタシの股間に発光機能はない。したがってワタシの意思で光を消すことは不可能」

「だって現に光ってるぞ……」

「たぶん自主規制的なもの」

「なんだよ、自主規制って!」

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