こどくのむら 猛毒少女と毒舌少年

ホサカアユム

第1話 雪道(ゆきみち)に舞う

 その者は凪いでいた。


 凍てつく鏡面と化した道の上を、平行に流れて煌めく光の粒の中。


 滅びた古代世界では、その者の軌跡には名前があったという。


 それは闘技場となる円の上で、その速度や軌跡の美しさを競う競技であったと史実は伝えている。


 この村では、もうそれは競技では無い。


 ルールが失われたという意味では無く、世界自体が闘技場に変わってしまったからだ。


 競う理由が無くなり、競う気概も人々の心の内から失せた。


 現在は氷の文明の時代。


 ここは、それ以外を知らないそれだけの村だ。


 この世界にもう、春はやってこない。


 啓蟄(けいちつ)の日射しに、虫達が目覚め始めることも無い。


 その者が死んだ遙か後の時代ならどうなるか分からないが、知ったことでは無い。


 知ったところでどうしようもないし、どうかしようと考えたところで――


 いや、考えることすら出来ないだろう。


 それを許されていて、考えることが出来るのは――


 冬だけだ。


 その者は、今が愉しい。


 それで充分、それで愉悦である。


 悦楽が全身にみなぎる。


 白く固まった村、雪に埋もれた家々。


 亀のように歩む――亀という動物はすでに絶滅危惧種だが――鈍重な村人達。


 その隙間を自分だけが、撫でるように滑り歩ける。


 頬を切る、細く鋭い冷たい風も、その者が進めば、虹色の風になる。


 雨氷に凍結した路面が、少ない日光をきらきらと乱反射させる。


 日の光はそれだけで有り難いが、氷結した鏡面を通して目に入ってくるそれは、星の光にも似る。


 虹色の風と星の光。純白の美の更なる上の世界。


 それは再発見だった。


 だからその者は、ただ伝えたかった。


 もう一つの星空を。


 競技などとは関係なく、この美しさが、この情景が、暖かい時代の人々を喜ばせ、わざわざ極寒の世界を滑り歩くという娯楽を生んだのだろう、とその者は思う。


 速ければ速い程、いい。


 速さだけで己の世界は変わる。


 速さから連想される言葉は全て、氷の上では快楽だ。

 

 もっと速く。


 もっと綺麗に。


 もっと愉しく。


 その者は星の光だけを見つめて、ひたすらに先へ先へと往く。

 

 何者をも――自分をも振り返らずに。

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