飛行線

こにー

第1話

 気がつくと、電車に揺られていた。

 いつの間にか寝てしまったのだろう、と落胆した。勉強しないといけないのに。

 同じ号車には誰もいない。珍しいことがあるものだと思ったのも束の間、奇妙なことに気がついた。


 カーテンが電車の窓に付いている。部屋の窓に付いていそうなカーテンが。

 こんなものは初めて見た。なんとなく、手を伸ばしてカーテンをそっと開けた。

 思わず、悲鳴を上げそうになった。


 電車は空を飛んでいた。


 そんなナンセンスなことはない。頭の中に浮かんだ、常識外れな考えを捨てようとした。

 けれども、この景色を眺めれば眺めるほどそう考えざるを得なくなる。

 一瞬は、極地か何かかと思った。まあ、極地でも困るけれど。あちらこちらに広がっているのが雪、所々隙間に見えるのが氷だと。が、下に緑があるのが見えた。

 これだと、上空だ。積雲だらけでここがどこの上かはわからないけれども、飛行機の窓の眺めにそっくりだ。

 あまりに現実離れしていて、唖然としてしまった。




 我に返って、真っ先に思いついたのは明晰夢だった。よく考えたら、リュックも持たずに電車にいるなんてありえないし、さっきまで学校で勉強していたはずだ。こんな現実だから、逃避行をしたいという願望が現れたのだろう。この車内だって、この景色だって、夢ならば全て問題はない。ノープロブレム。きっと誰かが起こしてくれるはずで、それを待てばいい。


 退屈だったから、進行方向と同じ方向で歩いてみた。車内は普段乗る電車と殆ど変わっていない。椅子のシートの模様、手すりやつり革も見慣れたものだった。車内の広告だってそうだ。カーテン以外におかしいのは、行き先が表示されていないことだけだった。


 扉を開けて4回目までは変化がなかった。5回目は物凄く重たかったが、どうにか開けられた。6回目はそれより軽かった、が。

 人がいた。

 向こうの扉を開けようとしているようだった。服装からして、同じ学生だろうか。あの制服に見覚えはないけれど。


 「こんにちは。」

取りあえず声をかけてみた。

「どうも。」

振り返ったその人のもとに近づいてみる。

「あの、頬をつねって貰えませんか?」

「え。」

「夢の中で出会った人は、やってくれないと聞いたことがあるので。」

これは友達の経験談だ。何となく、試してみたかった。

「あ、はい。」

戸惑いが隠せない表情に申し訳なさを感じながらも、夢だから何でも許されるだろう、と強気でいくことにした。


 いいの?と問いたげな瞳に、頷いた。

 直後、伸びてきた手が頬をつねった。


 ということは夢ではないらしい。

「しかも痛いなら、尚更、夢じゃないや。」

思わず呟いてしまった結果、謝罪合戦が始まった。




 謝罪の声が重なって、気まずい沈黙が流れ、数秒が経った時。

 それを破ったのは相手だった。

「そういえば、夢の中だから痛みを感じないってことはないらしいですよ。よく、痛くないなら夢だ、なんて言われてますけれど。」

「そうなんですか?」

「個人差があるらしいです。」

「初めて知りました。」

「というか、もし貴方の夢なら、何で貴方を知らない人がそこに入り込めたのでしょう?」

「……確かに。」

「だから夢じゃない気がします。」

「でも、電車が空を飛ぶなんて頭がおかしくなりそうです。」

「じゃあもう1つ。そこの扉が開きません。」

冗談はやめてくれよ、と思いながら試してみた。


 開かない。びくともしなかった。


「そういえば、さっきの号車のこっちの扉も、開きにくくなかったですか?」

後ろを指差しながら尋ねたが、

「いや、そうでもなかった気がします。」

とのことだった。あれは勘違いなのか。まあいい。兎に角、ここがおかしいことだけはよくわかった。




 取りあえず、持ち物をばということでポケットを探った。2人とも鞄は持っていなかった。普段通りにハンカチとティッシュを持っていたが、それ以外にボールペンと切符が入っていた。

 「飛行線?」

切符には飛行線という文字があり、本来は出発地点と到着地点が書かれているであろう空白と矢印があった。そして、シンボルマークと思しきピラミッド、それも4つの横線が入っていて5階層になっているものが描かれていた。


 「飛行船と掛けたのか。あの、船の。」

と呟くのが聞こえた。

 なんか微妙なセンスだな、と正直思ったけれども、それ以上にこの人の頭の回転の速さに驚いた。

「もしかしてそういう言葉遊びが得意だったりします?」

「趣味で作曲や作詞を行っているから、ですかね。言葉の綾には大分敏感になっています。」

「凄いですね。」

「凄い、か。全然そんなことはないですよ。」

「何で、そんな謙遜を。」

「謙遜じゃない。」

断言するその顔は、少し苦しそうだった。


 「ところで、趣味とかありますか。」

趣味は彼方に置いてきたような受験生に、この質問は厳しい。

「趣味は特には。毎日受験勉強ばかりです。」

「気が詰まらないですか、それ。」

「それはないかな。」

 でも、焦燥感でメンタルがやられそうです、という言葉が浮かんだが急いで掻き消した。


 「あの、そのボールペンってことはもしかして?」

自分が持っていたペンには志望大学の名前が書いてあった。訪れた際に買った御守だ。

「あ、ここが志望校なんです。」

「え、1番難しい大学じゃないですか。凄いですね。」

「目指すだけなら誰でもできます。」

「目指そうと考えるのが凄いので。謙遜しないでください。」

「自分の成績だと、全然届かないので。同じ志望校の人とかを見ていると実力の差は歴然ですし。もっとちゃんとしなきゃ駄目です。」

デジャブを感じつつ、全力で否定した。


「案外、似た者同士なのかも。」

 ぼそっと呟いたのが聞こえた。

「というと?」

「自分より凄い人を見て、比べているところが似ているなって。」

「じゃあ、さっきの『謙遜じゃない』っていうのが?」

「そうなんです。最近流行った曲の中に、同学年の人が作ったものがあって。なんか、そういうものを聴く度に、どうしてこうなんだろうって思ってしまっていたんです。」

1つ1つの言葉の裏に自己嫌悪があるようだった。そして、共感できてしまう自分がいた。


 「曲を作り始めた時はそんなことなかったのになあ。」

と少しばかり寂しそうに言う。

「そういや、曲作りを始めたきっかけって?」

「もともと、ピアノとかギターとかを演奏していたので、その延長みたいな感じです。」

「延長?」

音楽をやっている友達は何人もいるが、作曲をする人はいないから、何だかしっくりこない。

「自分が演奏していて楽しいなって思える曲を作っていたんです。だから、自分にとっては『延長』なんですよ。」

「成程?」

「でも、最近は楽しめなくて。自分の好みがわからなくなった、というか。どんな音楽を聞いても、分析ばかりしてしまって。」

焦りが表情に現れていた。先程までの落ち着きが見られず、物凄く意外だった。


 「分析ばかりしてしまうっていうのは、因みにどうして?」

ふと気になったことだった。

「流行の傾向を知るため、ですけど。」

違和感が繋がった。流行った曲を気にしていたのはそういうことか。

「それだと音楽を作る目的が変わってませんか?」

「え、どういうことですか?」

「流行の把握は、他者、もっと言えば世間の不特定多数、を楽しませるための曲を作るために行うことじゃないんですか?」

「言われてみれば、そうかも。」

「それでも、曲作りは『自分が楽しめる曲を作ること』って定義しているから、ズレが生じたのかも。」

 固まってしまった相手を見て、やらかしたなと思った。

「ごめんなさい。会ったばかりの他人がこんなことを言ってしまって。」

「いや、大丈夫です。というか、ありがとうございます。」

「え?」

「自分独りだと気がつけていなかったので。周囲に言ってないですし。最近は再生回数とか、高評価とか、登録者数とかの数字を気にしていたんです。」

「ああ、指標になりますよね。」

「それで、こういう曲調が流行っているから、それを前提で自分はどうするのかみたいに考えていたんです。」

「成程。」

「無意識に、前提に据えていました。もう一度、それを外して考えてみようと思います。」

と言って、晴れ晴れとした表情を見せた。


 「何となく思ったんですけれど。」

「はい?」

「貴方もそんなに他人と比べる必要はないんじゃないんですか。」

「そうですかね?」

「どうして、そこを目指しているんですか?」

「研究者になりたくて。自分がやってみたい研究をしている研究室があるので、どうしても行きたいんです。」

「それなら、その志望校に合格することが目標ですよね。そこが志望校だからって、自他共に認める、誰よりもできる優等生になろうとしていません?」

「確かにそうかも。」

「多分、全部が出来なくても、合格できればいいんじゃないんですかね。」


 でも、と言いかけて口を噤む。そっか、自分の中にある固定観念に囚われていただけだったのか。

「優等生なら合格できるかもしれない、でも合格する人が全員優等生というわけではないってことだよね?」

「そうそう。」

周囲を見たり、テストの結果を見て、優等生という理想には程遠い自分を責めてばかりいたけれども。

「確かに、合格以外のことを追い求めすぎていたのかも。」

「でしょ。」

「ありがとうございます。」

「こちらこそ。」

こうして、互いに気づきを得ることになった。




 「何となくですが、切符に何かを書けばこの扉が開きそう。」

「わかります。何を書くべきかな、目標とか書いちゃいません?」

「いいですね。」

ということで、矢印の左の空欄には自分の名前を、右には合格と書いた。

「書いた?」

「うん。」

「じゃあ、試すよ。」

よいしょ、と力を入れると、ガラリと扉が開いた。


 「わあ。」

この号車にはカーテンがなかった。青空が左右の窓に広がっていた。

 後ろに声を掛けることも、下を覗き込むことも忘れて、只々この綺麗な青に魅入ってしまった。




 気がつくと、教室にいた。

 ボールペンを握りしめながら。

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飛行線 こにー @yukasi

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