66 特許利権貴族エセールーズ侯爵
◆◆◆
「閣下、急ぎご報告したき事が!」
エセールーズ侯爵の執務室へ入室した男は、文官風の身なりの良い服を着ていたが、よほど急いで尋ねてきたのか、髪も服も乱れて息を切らせ、額に汗を掻いていた。
「なんだそのざまは、見苦しい」
エセールーズ侯爵は不愉快さを隠さず眉をひそめる。
それから、特注で横幅のある豪華な椅子の背もたれにそのどっぷりと太った身体を預けて肘掛けに肘を置くと、大きく前に突き出された腹の上で手を組んだ。
すでに四十歳を越えて、この世界では初老と呼べる域に差し掛かっているためか、若かりし頃は豊かで艶やかだった金茶色の頭髪はすでに白髪交じりで、薄く寂しくなってきている。
そのため被っているカツラは、その年齢では不自然なほどに豊かで艶やかで、燦然と金色に輝いていた。
しかし、その不自然さを指摘する者は誰もいない。
なぜなら、かつてそれを指摘した者達は、
そんなエセールーズ侯爵の濃い青い瞳に不愉快げに睨まれた男は、慌ててハンカチを取り出して額の汗を拭き呼吸を整え、髪と衣服の乱れを正すとビシッと背筋を伸ばした。
「閣下、急ぎご報告したき事が」
男はやり直して、神妙な顔で重々しく同じ台詞を繰り返す。
「で、なんだ? また
「それどころではありません!」
男は鞄から植物紙の束をつかみ出した。
それを、男を執務室まで案内した侍従が受け取り、エセールーズ侯爵へと
エセールーズ侯爵は訝しげにしながらも、ぞんざいに受け取り目を落とした。
「それどころではない? どこがだ? やはりいつもの特許登録ではないか」
報告に来た男は、特許庁の役人だった。
当然、エセールーズ侯爵の息が掛かっている。
他の特許利権貴族が新規に魔道具の特許を登録した場合は登録済みの書類の写しを、また平民の魔道具師が持ち込んだ魔道具が金になりそうな物の場合は登録に時間が掛かるからと手続きを敢えて行わず、持ち出し禁止のその書類をこうしてエセールーズ侯爵の下へと持ち込むのが役目だった。
エセールーズ侯爵はそれを見て、平民の金になりそうな魔道具を
当然、他の特許利権貴族達も同様の真似をしているため、早い者勝ちだ。
そうしてこれまで幾つもの特許を奪い財を成して、肥え太ってきたのである。
「しかも我がエセールーズ侯爵家が最も得意とする光属性、それもランプの魔道具の特許など、今更驚くほどの物が出来……なんだと!?」
面倒臭そうに斜めに目を通していき……不意にくわっと目を見開くと、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで叫んで立ち上がる。
その内容はあまりにも突っ込み所が多すぎて、どこから突っ込んでいいのか分からず、鯉のように口をはくはくとさせてすぐには言葉にならなかった。
「……何故だ!? 何故あの
やがて、ようやく搾り出すように声を上げて突っ込んだのが、まずそこだった。
「しかもなんだこの技術の数々は!! 『マリエットローズ式出力変更機構』!? 『マリエットローズ式命令変更機構』!? 『マリエットローズ式接続変更機構』!?」
さらに、この部分が突っ込み所が多すぎた。
「なんたる機構だ! こんな方法があったのか!? こんな単純な機構でこのような応用が可能なのか!? 何故こんな単純な工夫をこれまで誰も思い付かなかったのだ!? しかも機構に娘の名前を付けるなど、どこまで親バカだ!?」
「はっ、大変画期的かつ世紀の大発明かと」
たとえエセールーズ侯爵の息が掛かっていようと一介の役人でしかない男は、公爵批判に繋がりかねない『親バカ』発言は拾わず、機構についての発言だけを拾う。
「馬鹿者!! 何が『はっ、大変画期的かつ世紀の大発明かと』だ!!」
「ひっ!?」
鬼のような形相に男は震え上がり情けない悲鳴を上げる。
「何故登録した!? 金になる特許は登録を引き延ばし、先に儂の名で登録するよう言いつけていただろう!!」
今回の三つの機構は、それだけで今後何も特許を登録せずとも莫大な富を生み出し、国すら買える程の財を成せることは、火を見るより明らかだった。
正しく『エセールーズ式出力変更機構』、『エセールーズ式命令変更機構』、『エセールーズ式接続変更機構』として登録出来ていれば、
なんなら王位すら狙えていたかも知れない。
逃した魚はあまりにも大きく、その目は特許登録を許した目の前の男を射殺さんばかりに血走っていた。
「ひっ!? そ、それが登録には、ゼンボルグ公爵閣下ご本人がお見えになったのです!」
「なんだと!?」
「公爵閣下が目の前に立たれて、早く登録を済ませるようにと目を光らせておいでで、何も出来なかったのです! しかも登録が済むまで誰も部屋から出るなと厳命され、公爵閣下の護衛の騎士達が出入り口を塞ぎ、報告に人を走らせることも出来ませんでした!」
「チィッ!! 田舎者の貧乏人の癖に姑息な真似を!!」
続けてしばしゼンボルグ公爵を
むしろ、自分達の特権、利権を侵害された怒りしかなかったのである。
それは特権などではなく、不正な違法行為で裁きを受けるべき犯罪であるが、そのような意識も当然持ち合わせていなかった。
書類を執務机に叩き付け、散々怒りを撒き散らし、机や椅子や書類などに散々当たり散らし、息が続かず、ゼイゼイと顎と腹にたっぷり付いた贅肉を揺らしながら、侍従が起こして持って来た椅子に、どさりと腰を下ろした。
「さっさとこいつの登録を取り消して来い!!」
「さすがに無理です!」
突き返された書類に、男は受け取らず首を横に振って後ずさる。
「そんなことをしたら絶対にゼンボルグ公爵が黙っていません! 万が一監査が入りでもしたら、これまでのことまで全て明るみに出かねません!」
「ええい、忌々しい!」
乱暴に執務机に拳を叩き付けると同時に、執務室のドアがノックされる。
「なんだ!!」
乱暴に応じた声にも動じず執務室に入ってきたのは執事で、主人であるエセールーズ侯爵を刺激しないよう、ことさら丁寧な態度で一通の手紙を差し出した。
エセールーズ侯爵はその手紙をひったくるように受け取ると、封蝋の押印を見て盛大に舌打ちする。
「
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