49 シャット伯爵令息ジョルジュは思う 3
マリエットローズ様の言動は、そこからもっと驚きの連続だった。
お付きメイドや護衛の女騎士を連れて、船のあちこちを見て回り始めたんだ。
だから興味半分、心配半分で、僕もこっそり後を付けてみた。
最初は大人達の話に飽きたからなのかと思ってたら……。
「ここ、
船員にそんなことを聞き始めたんだ。
荒くれ者ばかりだから、きっと小さな女の子の相手なんて慣れてないんだと思う。
最初、船員達はみんな困ったように顔を見合わせるばかりだった。
だから、物陰に隠れてる僕が顔だけ出して、『公爵家のお嬢様なんだから、ちゃんとしないと父上に言いつけるぞ』って顔で睨んでやったんだ。
なんでマリエットローズ様がそんなことを知りたいのか分からない。
だけど、マリエットローズ様が知りたいことの答えを聞けば、僕もマリエットローズ様が見てる景色を見られるんじゃないか、そう思ったから。
「船が燃えないように石のタイルで囲ってるんですが、火の扱いは注意しながら、一度に大量に作れるスープが多いですね。生肉も野菜も日持ちしませんから、港に寄るたびに新鮮なのを買い付けるんで、その材料を見てメニューを決めます」
「そっか……まだ沿岸部の航路だから、別に保存食でなくてもいいのよね。でも、今後はそうはいかなくなるから……」
話を聞くと、マリエットローズ様は難しい顔になって、何か難しいことをブツブツ言い出す。
僕にはマリエットローズ様が何を聞きたくて、話を聞いて何をそんなに真剣に考え込んでるのか、半分も分からなかった。
船員達も、困ったように肩を竦めてる。
でもきっと、マリエットローズ様が真剣な顔になる、何かがあったんだろう。
それからも船員の船室や、貴族用の客室、船倉と、あちこちを見て回っては、船員に話を聞いて、何事かを考え込む。
結局、僕には半分も分からなくて……。
ふと、そんなマリエットローズ様に見覚えがあるのを感じた。
マリエットローズ様とは今日初めて会ったばかりのに、なんでそんなことを思ったんだろう?
僕も考え込んで、すぐに思い当たった。
父上に似てたんだ。
領主がどんな仕事をしてるのか見学しなさいって父上に連れられて行った先で、大人から色々な話を聞いて色々と考えている父上と、そっくりな目と顔をしてる。
しかも。
「船長さん、海図を見せてもらえませんか?」
「船長さん、地図はどうやって作るんですか?」
そんなことを言い出した。
「船長、私からも頼む。マリーに海図を見せてやってくれないか。きっと何か考えがあってのことだろう」
「船長、構わない。マリエットローズ様なら大丈夫。見せて差し上げてくれ」
なのに公爵様も父上も、そんなことを言うんだ。
たった五歳の女の子を信じてる顔で。
何かとんでもないことをするのを期待してるように。
その後の船長の説明は、僕には難しすぎてほとんど意味が分からなかった。
何をやってるのかは分かったけど、それがどういう意味を持つのかが分からなかったんだ。
なのに公爵様も父上も、マリエットローズ様は全部理解して、その上で何かを思い付いて考えてるって言う。
信じられなかった。
信じられなかったけど……。
「マリエットローズ様は大変賢くていらっしゃる」
「マリエットローズ様の見識と発想は大変素晴らしい」
まるで悪い魔法にかかったみたいに心酔してる父上の言葉がふと頭をよぎった。
父上と同じ目と顔をしてたマリエットローズ様なら、もしかしたら本当に……。
こんなこと思う方がどうかしてるけど、マリエットローズ様は五歳の女の子の見た目をしてるだけで、中身はもう大人なのかも知れない。
そしてその日の夜、晩餐会が終わってから父上の執務室に呼び出された。
「ジョルジュ……お前には酷な話になるが、勘違いしたままでいるよりいいと思うから敢えて告げよう。私はお前とマリエットローズ様との結婚は考えていない」
まるで頭を殴られたみたいな衝撃が襲ってきた。
「だ……だって、父上は挨拶の時……『是非仲良くしてやって下さい』って……」
「やはりあれで勘違いしたか……済まんな、あれは文字通りの意味で、裏も表もない」
そんな……。
「そもそも、ゼンボルグ公爵家とシャット伯爵家の仲は良好だ。婚姻を結ばずとも、その関係を維持出来る。今後、マリエットローズ様のおかげで、ゼンボルグ公爵領全てが富み栄え、ゼンボルグ公爵家とシャット伯爵家は豊かになるだろう。わざわざ婚姻を結ぶ意味もメリットもない。恐らくマリエットローズ様は、中央の公爵家か侯爵家へ嫁ぐか、婿を迎えて、中央とのパイプを作ることになるだろう」
なんで僕とマリエットローズ様が結婚することに意味やメリットがないのか、難しくて分からない。
分からないけど、父上がいつも言ってる僕達ゼンボルグ公爵領を馬鹿にしてる中央の貴族なんかと結婚しなくちゃいけないなんて、マリエットローズ様が可哀想だ!
「そしてそれはジョルジュ、お前もだ。それが、シャット伯爵家のため、ひいてはゼンボルグ公爵家、ゼンボルグ公爵領全てのためになる」
「納得できません……!」
搾り出した僕の言葉に、父上が大きく溜息を吐いた。
「だろうな」
そう思うなら、なんでそんな酷いことを言うんだよ!
知らず唇を噛みしめ、拳を握り締めてた僕を、父上が可哀想な子を見るような目で見てきた。
悔しかった。
悲しかった。
「分かった。お前がどうしてもマリエットローズ様を諦めきれないというのなら、力を貸そう」
「えっ!? でも、父上、いま……」
「不服なら、それでも構わないが」
「い、いえ! 父上、力を貸して下さい!」
「そうか、分かった」
父上は頷いた後、仕事の時みたいに厳しく怖い顔になった。
「本気でマリエットローズ様と結婚したいのなら、今以上に死に物狂いで学び、見聞を広め、励み、努力しなさい。しかも
重く、脅すような言葉に、思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまう。
「勉強が出来る? シャット伯爵家の将来は安泰? その程度では歯牙にもかけられないぞ」
「……!?」
「お前が治めるのは、シャット伯爵領などと言う一領地ではなく、ゼンボルグ公爵領全てとなるのだ。ゼンボルグ公爵領を治めるに値する男、その評価を得られて初めて勝負の舞台に立てると思いなさい。言っておくが、そのくらいの男は、中央や他国を探せばいくらでもいるのだからな」
「……っ!」
僕以上に優れた子供がいるわけがない。
昨日までの僕なら、きっと即座にそう言い返してた。
でも、言葉が出なかった。
それがなんの根拠もない思い上がりだったって、今日知ってしまったから。
「五歳にして……いや、たった三歳にしてゼンボルグ公爵領全てを豊かに治められると、私達に期待と確信を抱かせた、あのマリエットローズ様の隣に夫として立つその意味を、まずお前は理解しなくてはならない」
マリエットローズ様のあの大人のような目を、表情を思い出して、またしても生唾を飲み込む。
マリエットローズ様が聞いた話を、話していることを、ほとんど理解出来ない僕では、全く相手にもされない、そう理解したから。
「マリエットローズ様と比して決して劣らぬだけの知識と教養、そして視野の広さと発想力を身に着けなさい」
それは、きっと並大抵のことじゃない。
「公爵閣下から『ご子息は大変優秀だと聞いている。シャット伯爵家は安泰だな』などと言われている段では、お話にもならないぞ。『シャット伯爵家の跡取りを奪うようで心苦しいが、マリーの夫となって、あの子を支えてやって欲しい』、そう言わしめて、初めてようやく可能性が見えてくる話なのだ」
「……分かり、ました」
その日、僕は覚悟を決めた。
そして翌日の見送りの時、その覚悟を、決意を、マリエットローズ様に伝えた。
「僕はもっと色々な経験をして、立派な男になってみせます」
「では、次にジョルジュ様にお会いする時が楽しみですね」
その微笑みに全身が熱くなって、気付いたらすでに馬車はなくて、マリエットローズ様達は帰った後だった。
そして僕は、その日から努力の鬼になった。
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