魔法使いの贄

第1話


朝露の香りと心地よい風に頬を撫でられ目を覚ます。

身体を起こし、ふと枕が濡れていることに気が付いた。


泣いている。


悲しい夢でも見ていたのだろうか。

頬を伝う雫は顎先で留まったかと思うと、力尽きたかのように重力に敗北し、落下する。



春先だと言うのに今朝は少し冷える。

顔を洗い、服を着替え、朝食を摂る。いつもと変わらないただ生きるための日常。

明日も、明後日も、1年後も、20年後も、変わらない時間。

そんな時間を過ごし、いつものように大学に向かう。


朝から疲れた顔を浮かべ通勤する会社員。

賑やかに横を通り過ぎていく子供達。

教科書を開きながらバスを待つ高校生。


見慣れた光景を横目に歩いて行く。


見通しの悪い十字路で不意に人とぶつかってしまう。


「すみません。大丈夫ですか?」

「あぁ、こちらこそすまなかったね。…おや、君は……」

「どうかしましたか?」

「…いや、人違いみたいだ、失礼した。」

「はぁ…」


1人で納得した小綺麗な装束に身を包んだ老紳士はニコリと微笑み、では。と一言残し、杖を片手に歩いていってしまう。


こんな街に変わった人が居るものだな。と少々不思議に思ったが、大学への道を急ぐことにした。







大学に着き講義を受け、迎えた昼休憩。


「お、いた。蓮!」


こちらに手を振り歩いてくるのは友人の有馬 颯ありま はやて

別の講義を受けていた彼との合流を果たし、一緒に昼食を摂る。




「今年の1年は可愛い子多いよなぁ〜…」


遠くを見つめていたかと思うとふと颯がそんな事を呟く。


「でも颯彼女居るじゃん。」

「いやいや、彼女居ても可愛い女の子は目で追うだろ。」

「ふーん、そういうものなんだ。」

「そういうもんなの!」


そう言い、バツの悪そうに頭を搔く颯。


「……颯、その手どうしたの?」


手の甲に小さいとは言えない火傷跡。

前まではなかったように思う。


「あぁ、これか? バイトでちょっとやっちまって。」


確か彼のバイト先はハンバーガーショップだ。

飲食店で働けば火傷の1つ2つするのだろう。


「痛そ、お大事に。」

「おう、サンキューな。」


こうしていつもの変わらない昼の時間が過ぎていき、俺達は午後の講義に出席するべく別れを告げた。







「随分遅くなったな…」


講義が長引いてしまい、夕飯を作る気になれなかった俺は行きつけのラーメン屋で食事を済ませることにした。

店を出る頃には遅い時間になっていて、街を歩く人もあまり居なくなっていた。


満たされた腹で家への道を歩いていると、遠くに見知った後ろ姿が写った。


……颯?


走っている。

ただ、それはランニングではない。

明らかに何かあった、もしくは現在起こっているかのような焦った走りに自然と俺の身体も動いていた。





建物と建物の間、簡素なゴミ捨て場のような所で俺は足を止めることになった。


建物の影から見る俺の目の前には颯と、高級そうなスーツに身を包んだ男。

両者は向い合い、互いに構えを取っている。


張り詰めた空気に足が震える。

全身を嫌な汗が伝う。


─────それは、突然の出来事だった。


突如として颯の右腕から炎が上がり、瞬く間に腕全体を覆い尽くしたのだ。


苦痛に顔を歪める颯はゆっくりとその腕を相手に向ける。

次の瞬間、手のひらからまるで火炎放射器のように放出された炎はスーツの男の全身を焼いていく。


皮膚の焼ける音と生物の焦げる匂いが鼻腔を刺激した。

そのあまりの日常から逸脱している光景を目の当たりにして、俺の腰は抜けていた。

しかし、異常な光景はなおも続く。

男がモゾモゾと動いたかと思うと立ち上がり、颯に向かって走り出したのだ。


「…おいおい、しぶといな。」




どれだけ信じられない光景を見ればいいのだろう。



撃鉄が火薬を炸裂させる轟音に、耳鳴りを起こす。

友人の手に握られているのは実銃。

友人が人を殺した。その事実に俺の足は震えた。

足元に転がるそれは額に大きな穴を開け、地面に深紅の水溜まりを作る。

見たことのない状況に思わず胃液を撒きそうになった。


「…そこにいるんだろ、蓮?」


心臓が跳ねる。

自分も口止めとしてあの肉塊のようになるのだろうかと思うと汗が止まらない。


「あー、悪い。嫌なもん見せちまったよな。謝らせてくれ。」


先程の威圧的な雰囲気ではなく、いつも話している少し軽い雰囲気の口調で話しかけてくる。

その話し方に敵意は一切感じられない。

俺は恐る恐る姿を見せ、問いかける。


「…どういう事か説明してもらってもいいかな。」

「場所、変えようぜ。」


そう言い、歩き出した颯を止める。


「これ、どうすんの…?」

「あぁ、朝になりゃ勝手に消えるよ。そいつ、人じゃねぇから。」


聞かなくてはいけないことが山ほどありそうだ。

頭の整理が追いつかないが、一先ず俺達はその場を後にした。






「さて、まずは謝らせてくれ。驚かせて悪かった。」


現場からほど近い場所にある俺の家に着き、腰をかけるなり颯が頭を下げてくる。


「それはもう大丈夫。颯がいつもの颯ってだけで安心した。」

「そうか、ならよかった。じゃあ何から説明するか…」


顎に手を当て、颯は考える。


「まず、俺が撃ったアレだ。さっきも言ったと思うが、アレは人間じゃねぇ。」

「…人間じゃないなら、何なんだよ?」

屍生人グールだ。」

屍生人グールって…。ファンタジーの世界じゃないんだから…。」

「ただの人間だったら火だるまになってまで襲いかかって来たりしねぇよ。アレは血肉欲しさに食いついてきた、いや、正確には魔力欲しさに食いついてきた化け物だよ。俺達みたいな魔法使いは狙われやすいからなぁ…」

「ち、ちょっと待ってくれ。魔力?魔法使い?」


突拍子も無いことばかりで訳が分からない。


「は?何言ってんだ?」


心底不思議そうに首を傾げる颯。


「お前も魔法使いじゃねぇかよ。」





「────は?」

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