胡蝶の夢
王生らてぃ
本文
虫が好き。小さい体で、あちこち歩き回ったり、飛んだり、鳴き声を出したり、人間よりもずっと美しく、たくましい生きざまに尊敬の念を抱いていた。人間よりも虫になりたいってずっと思っていた。人間としてだらだら生きているよりも、虫になって、儚く散りたいと思っていた。
ある夏、蝶を飼うことにした。
公園でたまたま捕まえたアゲハ蝶。黄色と黒の派手な翅の模様と、長くてカールした触角、小さくてもしっかり枝や壁を掴む足。きれいで、力強い。部屋の中にチョウを放すと、カーテンレールの上に止まった。観葉植物を持ってきて、霧吹きで葉に水を吹きかけると、時々それを吸いに来る。
かわいい。
本当にきれいだ。
「そんなに虫が好きかねえ。変なの」
友だちの
小さい頃に私を虫取りに連れて行ってくれた、私に虫の強さを教えてくれた張本人だ。男の子みたいな名前で、昔は男の子みたいな恰好をしていたけれど、今ではすっかり髪を伸ばして女の子らしくなっている。
変なの、男の子みたい、といって笑うけれど、もともと真から教えてもらったことだ。
彼女が部屋に遊びに来たとき、ちょうど、アゲハ蝶が観葉植物からふわっと飛び立ち、真の髪の毛に止まった。髪飾りみたいに大人しく、人懐っこい。ちっとも逃げる気配がなく、むしろ引き寄せられるように飛んでいった。真は昔から動物には好かれやすいたちなのだ。
「しっしっ。気持ち悪いなあ。せめて虫かごのなかに入れておいてよ」
真は飛び回るアゲハを手で追い払ったが、ある時、大きく振った手がバシッと、アゲハ蝶にぶつかってしまった。アゲハは手に弾き飛ばされ、ふらふらと床に落ちる。
「ぎゃっ、汚い! ちょっと手、洗ってくるね――」
私は真をぐいと引き留めた。彼女の右手についた、黄色い鱗粉――アゲハの翅からこぼれ落ちた、きらきらした粉。私はそれがすごく、きれいなものに見えた。そして、それを身に着けた真もまた、前よりずっと魅力的な存在に思えたのだ。
「ちょ、離してよ、手洗わなきゃ……」
さっきアゲハにそうしたように、バシッと私の手をはじいて、真は部屋を出た。
床に転がったアゲハは死んでいた。翅はぶつかったときの衝撃で破けて、千切れていた。
こうやって死んでも美しい。きれいだ。人間とは大違いだ。
本当に?
「あんたも子どもじゃないんだからさ、部屋の中で虫を飼うとか、やめなさいよね。気持ち悪い」
「気持ち悪いかな」
「気持ち悪いよ。あんた」
「私は気持ち悪くてもいいよ。でも、虫は気持ち悪くないでしょ?」
「どっちも気持ち悪い」
「そう」
真は、すっかり忘れてしまったみたいだ。小さいころ、あなたが私に教えてくれたこと。あなたが見せてくれた小さな美しい世界のことを。
夢を見た。自分の背中に大きな翅が生えていて、空を自由に飛ぶことができる夢。すごく疲れるし、風にあおられたりして、思うように飛べないけれど、それでもすごく気分がよかった。嬉しかった。そうしたら、私よりもずっとずっと大きな人間が、私のことを網で捕まえて、乱暴に翅を掴んで、籠の中に入れた。
それは真と、それから私だった。小さなころの私たち。
「みてみて、ちょうちょ捕まえたよ」
「きれい」
「かわいいでしょ?」
真は私に私を見せて、笑っていた。私の目は輝いていた。
目覚めて、それが夢だと知ったときは悲しかった。
学校でも、真は私のことを避けているみたい。
私にすてきなことを教えてくれた真はもういない。髪の毛を伸ばして、女の子らしくなって、私のことを「気持ち悪い」っていう真。そんなの真じゃない。
「なんだよ、私、暇じゃないんだけど」
「私、真のことが大好き」
「は?」
「真は、私に教えてくれたんだよ。きれいに生きる、きれいに死ぬってこと。だから、私にそれを確かめさせてほしいの」
「何言って――」
私は真を呼び出し、教室の窓から真を突き落とした。
下の道路、アスファルトに体を叩きつけられ、血を吹き出し、ばらばらになった真は――ぜんぜん、きれいなんかじゃなかった。ぐちゃぐちゃで気持ち悪い。私のアゲハ蝶とは大違いだ。
でも、見ていてね真。
私なら、もっときれいに空を飛べるよ。小さいころの私たちみたいに、一緒にきれいな世界を見よう。死ぬときはきれいに死のう。死んでもきれいなままでいよう。
私は窓の縁に足を引っかけた。そして、背中の翅を広げて、彼女の死体に向かって飛んでいく。
胡蝶の夢 王生らてぃ @lathi_ikurumi
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