ダットサイトの忘却曲線

 乾いた銃声が、森の中に響いた。

銃口からは白煙が登り、射出された鉛の弾丸は、先程まで喋っていた男の胸へ、吸い込まれていった。

吸い込まれた弾丸は、男の胸に当たると同時に砕け散り、小さな破片になりながら、臓器を傷つけていった。

幸いにも、心臓には当たらなかったらしく、男は即死する事はなかった。それが本当に良かったのかはわからない。

即死していれば、苦しむ事はないだろう。しかし、助かる事はない。

現状、苦しみながらも生きている、彼は、まだ助かる可能性はあるのかも知れない。

男は、胸に手を当てながら、跪き、声にならない声をあげている。吐血混じりの咳を混みながら、胸を抑えた左手の、指の隙間から、彼の体液は、重力に惹かれる様に地面に滴り落ちた。苦しみの表情を私に向けた。睨みつける様に、許しを乞う様に、しかし、彼の表情は段々と曇っていく。まるで、夜の森に一人で迷い込んだ子供の様な、まるで雨降る夜に悪夢を見た子供の様な、路地裏で悪魔に出会ったかの様な、そんな表情に変化していった。

 私が放った弾丸は、騎士の鎧を打ち抜けない。鉛程度の強度では傷を付けるのが精一杯だ。しかし、その柔らかさが生身には、とてもよく効く。

皮膚を破り、変形して、肉を進み、削れていく。最後に骨に当たれば、砕け散る。破片は臓器まで届き、残留する。

狩りには使えない。だって、破片が残るから。

狩りには使えない。だって、毒を含ませているから。

弾丸の当たった痛み、砕けて内臓を傷つけられた痛み、即効性の毒による痛み。

これは、対人専用の、鎧を着込まない魔術師専用の魔弾だ。

当たれば、当たりさえすればいい。そうすれば、相手は苦しみの余り、魔術の使用などできなくなる。

もし仮に、魔術が使えたとしても、脅威にはならない。

彼は、もう終わりなのだ。

 私は、小さな声で、一言「ジャム」と呟いた。

視界が、砂漠の砂嵐の様に荒れた。ハリケーンの中の様に荒れた。

少しずつ、ゆっくりと、その視界が晴れていく。

苦しみ、悶え、死にゆく者の見つめている視界と繋がっていく。

歪んだ視界、霞んだ視界。

瞳が見つめるその先に、視線の先に、小さい体の、真っ黒な髪が水に濡れ、木々の間から差し込む日の光で艶めいた、大きくギョロッとした目に、血の様に赤い瞳を輝かせ、、幼い出立ちとはアンバランスな、薄気味悪く微笑んだ、まるで、悪魔の様な、私がいた。

口角は吊り上がり、今にも笑い出しそうな表情をして、左手に握られた、小さく、不恰好にカスタムされた銃を構えていた。

醜い表情、醜い姿。

私は、もう死にゆくであろうこの男の視界を奪い取った。

呻き声が聞こえる。苦しむ声が聞こえる。

助けを呼ぶ声も、許しを乞う声も、全てが自分の頭の中に入ってくる。

醜い、醜い。

その声を聞きながら、視線の先の悪魔は、遂に堪え切れずに微笑んだ。

残り少ない人生の最後に、視界を奪われ、何も見えず、何もできない事に怯えている姿が、堪らなく醜く、悪魔は微笑み続けた。

少しずつ、ゆっくりと、視界が暗くなって行く。

一色ずつ、色が抜け落ちて行く様に、段々とモノクロに褪せていく。

世界がゆっくりと、一秒を刻んでいく、一分にも一時間にも感じる程ゆっくりな、一秒を刻んでいく。

段々と、声が聞こえなくなる。

ゆっくりと、静かに、視界が閉じていった。

 私は、もう動かない、魔術師だったモノを見つめた。

視界の中心には、鉄の出っ張りが見え、その先に地面に伏せた、魔術師だったモノを真っ直ぐ捉えていた。

その事実から目を背けるように、視界は少しずつ、ゆっくりと下に落ちていった。

それと並行するかのように、ゆっくりと忘れていく。

記憶の忘却曲線をなぞる様に、朝露が葉から滴る様に、構えた銃の銃身が下がる様に、私は少しずつ忘れていく。

そして、この事を完全に忘れ、自分の醜い姿を忘れ、私は日常を過ごす。

何の感情もなく、私は、銃に取り付けられたダットサイトから視界を外した。

 広い森の中に静寂が響く。

風が木々を揺らす音が聞こえる、動植物の息遣いが聞こえる、そんな静寂の中に、不釣り合いな笑い声が混ざる。

少しずつ、少しずつ、その声は大きくなっていった。

私の声だ。

醜い醜態を晒し、醜く笑う。

それが、本来の私なのだ。

どれだけ取り繕うと、どれだけ優しい人達に囲まれようと、本質は変わらない。

私は醜い殺人者なのだ。

最初に殺したのは誰だろう?



もう覚えていない。



私は売り飛ばされた。

それは、人を殺めてしまったから。

それも、多くの人を殺めてしまったから。

本来なら殺されていてもおかしくない事だが、何故か売りに出された。

いっその事、殺してくれれば良かったのに、と思いつつも、現状の生活を、私はとても気に入っている。

だから、売り飛ばされて良かったのかもしれないと、今は思っている。

売りに出される人間には、大体何かしらの理由がある。

私の場合、人を殺めてしまっても、それが悪い事だと、倫理的に良くない事だと、理解できなかったから。

それに、他人の視界を強制的に奪い取って、自分の視界として見ることができる能力が合わされば、普通の人間からしたら、恐怖の対象でしかない。

私は、非力な盲目の少女ではないのだ。

他人の視界を奪って、他人の命を奪って、私は今日も呼吸をする。

私は、世界を救うヒーローにはなれないし、誰かに救われるヒロインにもなれない。

私は、ただの化け物なのだ。

子供の皮を被った、非力な少女を装った、化け物なのだ。

化け物は狂った様に笑いながら、魔術師だったモノを見る。

血の様に赤い瞳から、血の様な涙を流しながら、静寂に包まれる森の中、化け物は笑い続けた。

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