フォレストフレーバーは風に乗って

 私達は鎧を着た正体不明な客人に別れを告げると、急いで広場を後にした。燃える家の確認もしたい所だが、今は主人様と合流する方が優先だ。自分達が住んでいた場所が無くなる、自分の大切な場所が無くなる、それに対しての喪失感は正直な話し、理解できていなかった。何故なら、まだその実感がないからだ。遠目で家が燃えるのを見た、見たのは私だけだ。二人はまだ家が燃えているのを目視で確認はしていない。まぁ、家の方から煙が立ち込めていて、煙も森の中に入ってきており、何かが燃える匂いもする。きっと二人も私の事を疑ってはいないだろう。それに、そんな嘘をついた所で、私は得をしないからだ。おかずの取り合いでも、木下で昼寝をする時の場所取りでも、悪戯をしてみのりさんに叱られるでもない。嘘をついて、気を逸らして、私が得をする事はない。だから、二人とも私の見た景色を信じて、私の言葉を信じてくれている。私が見た景色が夢でもない限り。

ことはを先頭に、私達は森の中に入った。先程駆けてきた北側の森と同じく、平地に背の高い木々が立ち並び視界は悪い。しかし、ここは私達の遊び場である。木の種類や形、木の傷、生えている葉っぱの種類や向きや倒れ方で大体の位置把握はできる。どれだけ鬱蒼と草木が生い茂ようとも、この森の中では私達には関係ないのだ。それはしおりさんとことはだけでなく、私も同義である。この森の中には沢山のレンズがぶら下げてある。主人様やみのりさんやしおりさん、ことはが、いつも家にいる私のために、わざわざつけてくれた物だ。これさえあれば私一人でも森の中を散歩するくらいならできる。流石に、しおりさんやことはのように森の中を縦横無尽に駆け巡ったりはできないが、チーの背に乗ってことはとよく遊びに行った場所だ。

そんな森の中なのに、私達は違和感を感じていた。何が変だと言われれば答えようがないが、何かが変なのだ。

いつもの森の中なのに、私達は何処に向かって走っているのか、このまま進むと何処に着くのかが分からなくなっていた。

ことはがチーのスピードを緩め、しおりさんが立ち止まった。

しおりさんが後ろを振り返ったり、辺りをぐるっと見回したりしている。

「さゆり、ことは、景色が変だよ、何処を見ても同じにしか見えない」

私は胸元のレンズをぎゅっと握り、周囲のレンズを覗き込んだ。

しかし、その景色に変な所は一切なかった。このまま真っ直ぐ進めば、主人様の元に辿り着くはずなのに、二人の視界は何か違和感を感じていた。

しおりさんが

「来た道を戻ろう、なんか嫌な予感がする」

と広場に戻る提案をした。私には感じられない違和感だが、しおりさんが言うのならまず間違いなく問題が起こっているのだろう。

「私の視界はいつも通りですが、なんか嫌な予感がするのはわかります、戻りましょう」

「さゆりはことはに道順を教えて走って、着いて行くから」

と来た道を戻ろうとしたが、私の除いていた視界がぐわんと歪んだ。

どれか一つの視界なのか、はたまた、今覗いている全ての視界なのか分からないが、私の視界もおかしくなっていった。

一瞬前までいつもの景色が広がっていたはずなのに、今見えるのは全く知らない、行ったこともない森の景色が広がっていた。

私は混乱する頭を無理やり押さえつけるようにして、無理やり見覚えのある景色を探した。

しかし、見覚えのある景色は何処にもなかった。

理解が追いつかない。心はどんどん焦っていった。焦れば焦るほど正確性は欠け、見落としも増える。けど焦らずにはいられなかった。

「しおりさん・・・私の視界も多分二人と同じものが見えています」

私はしおりさんに自分が道案内出来ないことを伝えた。

しおりさんが

「マジか・・・視界を奪うタイプの幻術じゃないって事か・・・」

しおりさんは腰から鉄の棒を抜くと同時に、愛刀であるハルバーどを構えた。

【幻術】

昔から御伽噺などでよく出てくるほど有名な魔術だ。

相手の視界を奪ったり、相手を眠らせたり、聴こえない音を聴かせたりと相手の行動を制限するタイプの魔術だ。

しかし、火の玉を飛ばしたりするのと違い、幻術には準備が必要になる。

例えば、相手の目を見て、決まった動作を繰り返す。

相手に特定の質問を投げかけ答えさせるなど、ある程度の準備が必要なのだ。しかも、それでいて魔術師の技量も高くないと効果が半減したり、最悪かからない事もある。リスクのある魔術だが、こうやってかかってしまうとどうしようもない。

解除方法は相手しかわからないものが多い。しかも、私達三人共、魔術師ではない。普通の人間だ。

そんな人間が簡単に解けるほど、幻術は優しいものではない。

過去の修行で、主人様に頼んで幻術をかけてもらった事がある。

私は、全然知らない沢山の視界を頭の中に映し出され、鼻血を出して倒れ、ことははグウとチーと共に何処かの山で大きな蛇に追いかけられ、しおりさんは、幻術の中でも主人様の修行を受けていたらしい・・・

自分達から頼んでおいてなんだが、ある種のトラウマになっている。

そして、そのトラウマからなのか、『幻術』の怖さも知っている。

『幻の中で起こった事は現実になる』

幻術の中で傷を負えば、現実にも反映される。それが一番怖い所だ。

だから、私達は焦っているの。一秒でも早くこの現状をどうにかしないと全滅してしまう。

主人様にもう一度会う事ができなくなる。

早る気持ちを抑えられず、私としおりさんは落ち着きなく周囲を見回し続けた。

無意味だと分かっても止めることが出来なかった。

そんな時、私の前に座っていることはが

「ねぇねぇ、お姉ちゃん」

と私の方を振り向かずに誰にも気が付かれないように、最小限の動きで、肘で私のお腹に軽く叩いた。

私は焦る気持ちを押さえつけ、できる限り平然を装って

「どうしたの」

と小声で優しく聞き返した。

少しの無言を挟んで、ことはは小さく低い声で

「誰かが、ずっとこっちを見てるよ」

と背筋が凍りそうな言葉を放った。

ことはの視線に対する敏感さは信用できる。私がレンズ越しに見ていても気が付き、私が見ているレンズに向かって手を振ったり、わざとレンズに布を被せたりする。見られている事に対してとても過敏に反応する。そのことはが、誰かが見ていると言うのならば・・・

私は激しくなる鼓動を抑えつつ、私達を観察していると言う視界を探した。

しおりさんにこの事を伝えたいが、ことはがわざわざ小声で私にしか聴こえないように言ったと言うこと、見ている者の方向を言わなかったと言う事を考えると、見ている者はそんなに遠くにはいないのだろう。

幻術にかかった状態で、どうやってその第三者を探し出せばいいのか、そもそもどうやって私達に幻術をかけたのか。

幻術は決まった手順を踏む事で相手を混乱させる魔術だ。

いつ私達はその手順を踏まされたのか。

どう考えてもそんな手順を踏まされていない。

何故なら、現状がイレギュラー過ぎるのと、直接相手と対峙する事もしていない。

かかるとすれば、広場で鎧の騎士と戦ったしおりさんだけだ。

私もことはも、直接相手と対峙してはいない。

私は撃ち落とされ、ことははチーと一緒に追いかけられた。

この時点では多分、まだ誰も幻術にかかっていないだろう。

そうすると、広場で合流したタイミングか、この南側の森に入ったタイミングしか、私達が三人で行動をしている場面がない。

広場で、騎士を倒した時に違和感はなかった。

そうすると、消去法でこの森に入ったタイミングしかない。

森に入る時、入った直後に何があった?

見えたのは、生い茂る木々、綺麗な青空、家の方に登る黒煙。

そうか、それなら納得がいく。

さて、幻術の手順、そして、これが魔術的な幻術ではないことが分かったところで、解除方法がわからない。

下手に動く事もできず、監視されているのは変わらない。

しおりさんは、ハルバートを構え、怖い顔をしながら周囲を警戒していた。

私は俯き、どうしたらいいかを模索していた。いや、考えるフリをしていただけなのかも知れない。

対象方法を知らない物を、どれだけ悩んでも意味はない。それはただ考えているフリに過ぎない。

異能の能力ならまだしも、魔術には原理がある。そしてこれは魔術ですらない。

それに対して起こすアクションは、知らなければできない。

そう、意思疎通もできず、対象方法が分からない現状は詰みなのだ。

どれだけ考えても、答えは導き出せない。

私は、「また」諦めていた。

主人様と離れたまま、今度は何も出来ないまま終わってしまうのかと思っていた。

その時、俯いた頭の上から水をかけられた。

びっくりして頭を上げると、ことはが冷たい目をして私を見ていた。

「お姉ちゃん、またつまんないこと考えて、勝手に諦めてたでしょ?」

と言うと、水筒の水を、今度は私の顔にかけて

「これで見えるようになったんじゃない?」

そう言うと今度は自分の顔に水を掛け始めた。

水筒の残った水を全部被ると、ことはは、私の腰についた水筒に手を伸ばした。

腰にぶら下げた水筒を雑に奪い取ると、ことははチーから飛び降り、しおりさんの元に駆けて行った。

しおりさんは、困惑しながら近寄ってくることはに対して

「どうしたの?おかしくなっちゃったの?私に見えてないものが見えるの?」

とハルバートを構える事もできずに、左手を前に出した。

ことはは笑顔で、

「何言ってるの?私は元々おかしいでしょ?」

と言いながら、凄いスピードで、しおりさんの左手を掻い潜ると、水筒の水をしおりさんに向けて掛けた。

水筒の水は綺麗に、しおりさんの顔に掛かり、顔から水滴が滴った。

それを見てことははゲラゲラと森中に響くような声で笑った。

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