プロローグ6
先程から、しおりさんやことはが踏みつけている球体の機械。これはこの世界で魔術が一般に浸透している事を表すのにとても分かり易いものだ。この機械には魔術、異能の能力が溜め込まれている。先程から踏み付けられている球体には「風」の力が貯められている。この家での正しい使い方は、階段から落ちた際にエアークッションのように落ちても怪我をしないようにと、落ちそうな場所、転びそうな場所に設置されている。この球体自体のカバーできる範囲は大体十メートルもないだろう、それに加えて、主人様の心配性な性格も加味されて、階段の一段一段に設置されていたり、外のテラスにも等間隔に大量に設置されている。そのおかげか、私は階段から落ちて怪我をした事はない、転んで怪我をした事もない。全てこの球体のおかげだ。
しかし、いつの世でもイレギュラーと言うものはある。それがしおりさんとことはだ。この家がある地域は正直に言って田舎だ。遊び場なんて畑と川と裏側の森しかない。当然遊び飽きてしまう。その中で、わざと、故意にこの球体の能力を発動させる遊びを思いついてしまったのだ。最初は階段や屋根、背の高い岩場などにこの球体を持って登り、飛び降りる。手に持っているだけでもこの球体の能力は発動するため、二人は面白がって遊んでいた。しかし飽きはくる。どうにかして新しい遊び方を見つけたい、その飽くなき探究心から現在の踏み付けて飛ぶと言う使い方に行き着いた。言ってしまえばバグだ。作った人はこんな使い方をするとは夢にも思っていなかっただろう。かと言って、エアークッションのようなただの安全装置として作り出した訳でもないだろう。特別な力をそんな簡単なことだけに使うわけもなく、本来の用途とはかけ離れた使い方で、この家では定着している。他にも「火」「水」「土」「雷」の能力を貯めた物もある。もっと言えば「水」と「風」を組み合わせて「氷」として使っている物もある。そう、洗面所の蛇口だ。あれもこれらを組み合わせた物だ。こう言った技術の進歩に私達は助けられ生活を豊かにしている。当然ながらこれらの機械にはお金がかかる。タダで使えるわけはない。だから、蛇口、水道と呼ばれる物が整備されているのは王都やお金持ちの貴族が住む街にしかないのだ。でも、正規の方法ではなく、非合法で数多く出回っている。貧困に喘ぐ民衆ですら手の届く範囲で投げ売りされているのだ。それはなぜか。簡単だ。貧困に喘ぐ民衆の中にこの特別な能力を持ち、日銭を稼ぐために生産に精を出している者が多くいるからだ。魔術師は努力の結晶、異能の能力者は生まれ持った才能、しかし、両者ともに共通している部分もある。そう、戦争だ。戦争になれば魔術師も異能の能力者も関係ない。使えるものは全部使わなければ生き抜く事はできない。そのため、戦争を嫌がり、戦わない方法として能力を提供する者たちが現れた。戦わずに、魔力を消費するだけで衣食住と賃金が保証される。そんなおいし話はない。でもそんなおいし話は極々一部の能力と運を持った者だけで、多くの場合は、それを真似て、価格を抑えて、質の良くない物を大量に作り、使い捨て状態で売り捌く。それによって貧困に喘ぐ民衆でも手に入れられる価格まで下がっているのだ。もっとも機械と言っているが、正確には機械ではない。不思議なカラクリがある訳でも、職人が丹精込めて作っている訳でもない。元々はただの「石」だ。そこら辺に落ちている普通の石だ。その石にある手順を踏んで、能力を入れると能力に応じて石の形状が変化する。「風」なら先述の通り球体に「火」なら板状に変化する。石の種類によって能力の使用できる時間が違う。いい石とは言わないが、合っている石を使えば、そこら辺に落ちている石よりも長持ちしたり、宝石と呼ばれる高価な石になれば、ほぼ半永久的に使用することができる。どのような原理なのかはわからないが、そこら辺に落ちている石を拾って、決まった手順を踏んで、能力を貯める事さえできれば、それだけで生きて行くことが可能なのだ。私の能力もそう言った使い方ができれば、私と同じような人を助けることができるのかなと思っていると、腹部に少し圧迫感を感じた。
私が目を覚ますと、目の前には大きな穴、その奥には青空が広がっていた。周りの机や棚などは私達が落ちた衝撃で見るも無惨な姿になっていた。私はハッとし、背中から腹部にかけて優しく締め付けている腕を触り、
「しおりさん、大丈夫ですか」
と体を捩りながら聞いた。そうするとハハハと笑い声が聞こえ、
「大丈夫だよ、ごめんね、飛び過ぎちゃった」
彼女は恥ずかしそうに笑った。よかった。と安堵から私は周囲に聞こえるように声を漏らした。
私を抱き抱えたまま別宅の屋根から落ちる際に、私の腰に手を回し、自分の背中から落ちるなんて、そんな無茶を、無茶とせずにできるこの人はやっぱりすごい人なんだと改めて感心していると、すぐ近くのタンスだったものが、バキバキバキ、ガタンと大きな音を立てながら崩れ落ちた。私は無事ではいるが安全な状況ではないなと感じ、周囲にの視界を覗き込んだ。この部屋にも私の視界が広がるようにレンズが設置されている。主人様曰く、私がここに遊びに来た時に少しでも退屈しないようにとの配慮だった。数枚のレンズを覗きながら、安全そうな場所を探した。どうやらここは別宅にある仮眠室のようだ。そして、例の丸い球体が私達の体を支えており、地面への直撃は逃れられたようだ。しおりさんに抱きしめられている腕を解いてもらい、自分の短い足を伸ばし、床に降り立った。私が床に降りるのを見送ると、しおりさんは、ふんと一息ためを入れて、仰向けの状態から体を丸め、その反動を使い、勢い良く床に飛び降りた。床からの高さとしては一メートルくらいだろうか、ベッドに腰掛けている高さより高いのは分かった。何事も無かったかのように彼女は私の服に付いた埃を払い、次に自分のを払った。例の球体がどれだけ安全にクッションを作り出してくれるとはいえ、空から落ちてきた衝撃は多少なりあるはずだ。しかし、彼女は自然体で、どこか痛めている様子もなく、あちゃーっと声を漏らしながら辺りを見回していた。やっぱりこの人は特別の中で最上位の特別なんだと改めて感じ、自分がどれだけ無力なのかを再確認せずにはいられなかった。
私が焦燥感に駆られていると、バタンと乱暴に扉を開ける音が聞こえた。私達はその音がした方に、恐る恐る首を向けた。
そこにはオーガのような、御伽噺でしか聞かないような、しかし、今まで何度か拝んでしまったことのある、恐ろしい顔をしたみのりさんが立っていた。
ああ、今日は天気が良いからみのりさんと仲良く洗濯できると思っていたが、これは間違いなく最上級のお説教から始まり、しおりさんは壊した屋根と家具の片付けと修理、私は掃除だなと思いながら私達はゆっくりお互いの目を見つめた。しおりさんは真っ青な顔に涙を浮かべていた。
この恐ろしい空気は私たちにとっては重く、そしてとても長く感じた。
そうすると後ろから、
「あらあら、今回もずいぶん派手にやったね」
と優しくて、柔らかい、私の大好きな声が聞こえた。
鬼の形相を体現したかのようなみのりさんの横をヒョイっと細身の体が躍り出てきた。表情は柔らかく、声も柔らかく、仕草も柔らかく、歩も柔らかに私達の元に寄ってきた。私が主人様に顔を向けると、主人様は膝を付き、私の顔を見つめ、にっこり笑うと、細いけれど、大きな手で優しく頭を撫でてくれた。
「怪我はないかい?」
柔らかい声でそう聞かれ、私は吃りながら、
「だ、大丈夫です。し、しおりさんが守ってくれたので怪我はありません」
と少し声が裏返りながら答えた。
主人様はにっこり笑うと、また、頭を優しく撫でてくれた。
私は恥ずかしさと、喜びを上手く抑えられずにモジモジしながら、主人様から目をそらした。
主人様はゆっくりと立ち上がると、今度はしおりさんの顔を見つめ、今度は少し目を細めて腕を伸ばした。
伸びた細い腕、でも不摂生で細い訳ではなく、きちんと鍛えられた上で細いその腕。私はその綺麗な腕に見惚れていた。
しおりさんは今にも泣きそうな顔をしながら、主人様の目を見つめていた。耐えられなくなったのか目をぎゅっとつぶった瞬間に、しおりさんの顔のあたりからパチンと音がした。正確には眉間からだった。しおりさんの眉間に主人様のデコピンが当たった音だった。
デコピンを受けたしおりさんは力なくその場に座り込んだ。座り込んだしおりさんを上から見下ろすように、主人様が膝に手を付き、前傾姿勢になると、
「また屋根に穴を開けて、怪我でもしたらどうするんだい?」
と先程、私にかけてくれた柔かな声とは違う、少しだけ、ほんの少しだけ怒った口調でしおりさんを叱った。
「機械には限界があるんだから、こんな無茶なことしちゃダメだよ」
と続けて言った。
確かに、今回は別宅の寝室部分に落下したからよかったものの、これがこれから朝食を食べるキッチンだったら誰かを巻き込んで怪我をしていた、させていたと思うと、私は少し背筋がゾッとした。
私が身震いしたのを察してか、主人様は、しおりさんの頭に大きな手を乗せると
「でも、怪我がないみたいだから、今回も許そう。」
と優しく笑いながら、しおりさんの頭をわしゃわしゃと撫でた。
撫でられて安心したのか、しおりさんはごめんなさいと何度も言いながら、子供のようにわんわんと泣き出してしまった。
主人様はそれにも動じることなく、怪我さえしなければいいよと、優しく頭を撫で続けた。
しおりさんが一頻り泣き、まだちょっとぐず付きながらも、主人様の手をとり立ち上がると、主人様はまた笑顔で、
「今日の修行はいつもよりキツくするから覚、悟しておくように」
と優しく、とても優しくしおりさんに向かって地獄の宣告を行った。
一瞬前までグズついていたしおりさんの顔がみるみる青くなり、足がガクガクと震え出した。それにつられ、私の顔も青くなっていった。しおりさんがあわあわしながら、「それはちょっと、それだけは勘弁してください」と、主人様の周りをピョコピョコ飛び回りながら懇願しても、聞こえないフリをして、主人様は私の手を握り、先程、しおりさんに抱き抱えられた時と同じように抱えられ
「さて、朝ごはんを食べに戻ろうか」
と優しい目で私を見ながら呟いた。
私は、顔を真っ赤にして、しおりさんとは違う意味であわあわしながら、吃りながら、
「はい・・・」
と返事をした。
その様子を微笑ましく見守るかのように、大きく空いた穴から綺麗な青空がこちらを見守っていた。
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