社畜覚醒~仕事から逃げて異世界へ~

天音鈴

レッツ、デスマーチ!

「A社の発注数が九百個、B社が二百個……」

 

 明かりの点いていないオフィスの中、俺はひたすらキーボードを叩いていた。

 ぼんやりと光るパソコンの画面にはエクセルが映っていて、俺がキーを叩くたびに数字が入力されていく。

 ……どうして電気をつけて作業しないかって?

 電気代がもったいないからに決まってるだろ。

 

「C社が四百五十個……。 はぁ……」

 

 ズボンからスマホを取り出すと、パソコンとにらめっこしてから六時間が経っている。道理で肩や目が痛むわけだ。

 俺は眉間を揉みながら、真夜中のオフィスの中、たった一人で涙した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 俺こと葛葉亜瑠人くずは あるとは、地方生まれ、地方育ちの人間だった。

 わんぱくな小学校生活を送り、漆黒と闇にまみれた黒歴史の中学校生活を過ごし、同級生の女の子に振られまくった高校生活を送った。

 それなりに勉強ができた俺は大学進学を機に親元を離れ、東京の大学に進学した。もちろん有名な大学じゃなくて、ちょっと勉強できれば合格できるような偏差値の大学だ。

 正直な話、都会生活に憧れて都会の大学を選んだのだ。

 

 そんな不純な動機で進学した俺が大学の勉強に身を入れるはずがなく、適当に講義を受けて最低限の単位を取って卒業した。時間とお金が許す限り、とにかく遊ぶのが俺の大学生活だった。

 遊んでばかりの大学生を雇ってくれるような企業があるはずもなく、俺の就職活動は散々な結果に終わった。

 ほとんどが一次落ちしたなかで、唯一二次面接まで進めたのが今の会社だったのだ。


「わが社では、社員にやりがいを感じていただくことを第一に考えています」

 

 会議室での面接で会った社長の第一声がそれだった。

 ……終わったな。

 俺はそう思ったね。

 

 社長の横で疲れた目をしている平社員といい、社長の発言といい、資料として渡された勤務時間の案内などといい、ここはブラック企業だと全身の感覚器官が訴えかけていた。

 俺は資料を見つめる。

 平均勤務年数一年、初任給なし(研修期間のため)、雇用保険は自己責任。

 どう考えてもおかしい文言に穴が開くほど見つめながら、この世の終わりは東京の一角にあるんだと思った。

 だが、他の会社に受かっていない俺に選択肢があるはずもなく。


「……それで、葛葉さんにはわが社で働く意志はありますか?」

「はい!」

 

 清々しいほどの満面の笑みで答えるしかなかった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 そんなこんなで俺はこの会社に四年勤めている。

 朝六時に出社して、日付が帰ってから帰るのは日常茶飯事。なんなら家に帰ることができたら涙を流して喜べるまである。

 残業代? きみがなにを言っているのか、俺にはわからないね。

 休日もなく働いている俺に彼女ができるはずもなく、最低賃金のマンションで細々と暮らす生活が、大学を卒業した俺の四年間だった。

 

「はぁ……」

 

 街灯に照らされた夜道を歩く。

 大学入学のときに買ったスーツはすっかりシワだらけになってしまい、見るも無残な姿になっていた。

 俺が望んでいたのはこんな都会生活じゃない。

 もっとこう……なんというか、流行の波に乗る華々しい生活を想像していたんだ。都会に憧れたことのある奴ならなんとなくわかるだろ?

 だが、実際の俺は朝から晩までオフィスに監禁状態。最近の流行を追うことすらままならない状態だ。

 疲れた俺を出迎えてくれるのは、愛しの妻でなく、安売りのときに買った山積みのカップラーメンたち。

 ひとたび熱を注げば熱々になってやけどしちゃうぜ!

 そう考えれば、カップラーメンは妻と同じ意味を持つ存在なのかもしれない。

 ……何言ってんだ、俺は。

 どうやら働き過ぎで頭が狂ってるらしい。

 

 そんなにつらいなら仕事を辞めればいいんじゃないかって?

 甘い。

 お前たちは砂糖よりも甘い!

 こんな不況で仕事を辞めれば、次はいつ働き口を見つけられるかなんてわからないんだ。下手すれば一生バイト生活かもしれない。

 そんなリスクを背負ってまで退職する勇気が、俺にチキンハートには備わっていなかった。

 

 希望も何もない夜道を歩いて二十分、やっと住んでいるアパートが見えてくる。

 俺はアパートの敷地に入ろうとして、ふと足を止めた。


「俺の部屋に、誰かいるのか?」


 ボロアパート三階の西の角部屋に明かりがともっていた。

 安月給のなかから断腸の思いで電気代を払っている俺が、電気の消し忘れをするなんてまずありえない。

 今は真夜中なので、親が来るにしては、あまりにも非常識な時間帯すぎる。

 俺は息を殺し、ドア越しに耳を澄ませた。


「~♪」

 

 歌声が聞こえる。中にいるのが女であることはわかった。

 残念ながら、彼女や女友達のいない俺には家に招くほどの親しい関係の女性はいない。

 となれば、この部屋の中にいる可能性があるのは強盗や空き巣の類といったことになるわけで。


 人の家で盗みを働いておいて、謝罪の一つも無しか?

 ごめんなさい。お詫びになんでもしますから、許してください!

 ん? いまなんでもって……。


 そんな妄想を花咲かせながら、俺はカバンを持つ手に力を籠める。本当なら警察を呼ぶべきなのだろうが、疲労困憊している俺に取り調べを受けるほどの体力は残されていなかった。

 無駄を最小限にするため、できれば、自分だけで解決したいのだ。

 深く息を吸い、長く吐き出す。

 

「動くな!」

 

 部屋の中にいたのは、白髪の女性だった。

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