第十三話 西部戦線異誕アリ case1

「景気が悪いのはどこもおんなじやのう」

「金はあるところには有るんですよ。それもどこも同じです」

「言うやないか。ますます頼もしい」


 不景気はどこも一緒だ。東条郷司とうじょうごうしはこの言葉を聞くたびに嫌になる。

 自分たちは他と同じであってはならないのだ。自分たちの商売は堅気の連中とは違う。「東」にいる自分の方がそれを自覚しているというのはゆゆしきことではないか。

 卓の向こう側に座る前野はいかにも人が好さそうな顔で薄笑いを浮かべている。ここは京都にある料亭の一室だ。すぐ横を見れば、窓から大きな池を望むことが出来る。池を囲むようにして、五つの棟が建てられている。

 この料亭は宿泊設備もついた、比較的高級な店だった。来る時は近くに鴨川が流れているのがわかり、立地条件もいい。卓の上には畳が無く、脚を下ろすことのできる空間が作られていた。畳が敷かれた部屋も、埃一つ無いほど手入れが行き届いている。奥の座敷には四人の背広の男が控えている。それぞれの組の人員だ。

 快適だった。ただし、交わされている会話は決して景気の良いものではない。


「知っての通り、『西』はかなり荒らされとる。何がしたいんか言うたら、やっぱりうちの組の縄張りが欲しいんやろな」

「目星はついてるんでしょう?中国の連中だとか。香港?」

「上海や。うちと最近よう揉めとる。香港の連中は組にも上海にも殴られて虫の息や。今さら挽回はできひんやろ」


 顔の笑みを消して、前野が言った。ここにいる二人にはある隠された特別な関係があった。前野の暢気そうな外見は、さしずめ中小企業おやじさん、と言ったところだろうか。実際は違う。神戸海野会甲陽組若頭こうべうんのかいこうようぐみわかがしら、前野竜太郎。つまりはヤクザだ。対して東条郷司は東京に根を張る設楽組代貸したらぐみだいがし。現在設楽組の揉め事の解決を全て任されている立場にあった。実質彼がトップに近い。一見何のつながりも無い二つの暴力団だが、実は大元は同じである。


海野会が今から三十年ほど前に関東に進出した時、東のヤクザたちと激しい抗争を繰り広げた。結果的には海野会は敗走したが、現地に残留し、現地で人員を少しずつ増やし、そのまま落ち着いたメンバー達がいた。それが設楽組だ。密かに武闘派として縄張りを広げ、今まで生き延びてきた。

 当時は未成年だった東条は、過去に抗争から生き残った古参メンバーの一人だ。自分も外見には自信が無い。サラリーマン然とした外見はとても武闘派ヤクザには見えまい。


「重鎮はかなり減らされましたか」

「四人。その他も大勢。間違いなく上海の連中や」

「手は貸しますが……うちもそれなりに兵隊を揃えねばなりません。兵隊がいるってことは丸腰ではなく、やはり銃が必要でしょう」

「そのへんはぬかりない。当てはあるんや」


 西側の暴力団はとにかく揉め事が多い。日本有数のヤクザが集まっている。

 海野会も、去年まではまるで忘れてしまったかのように連絡を東条にしてくることは無かった。ところが、最近になって救援要請が来たのだ。東条すれば来るべき時が来た、という感覚だった。西の組員たちが、上海系の犯罪組織とトラブルを起こした直後だったからだ。

 今日は、救援要請にこたえる約束を取り付ける日だった。三十年が経っても、海野会と自分は別のものになったという意識は全く無かった。むしろ、上海系の組織を追い出すチャンスだとも思っていた。報酬はそこから上がる利潤だ。悪い話ではなかった。東の資金源が増える。


「そういうことなら喜んで。東よりも刺激的なことになりそうです」

「おお。やってくれるか。なんなら、お前には空いた穴を埋めてもろてもええわ」

「そんな。あいにくまだ東からずっと離れるわけにはいきませんよ」

「お前のところのオヤジ、やっぱりまだ体悪いんか」

「ええ。ですが、まだ健在ですよ」

「言うたなこいつ。こっちは味方にも気をつけなあかんねんで」


 前野が笑いながら、洋風懐石に箸をつける。東条はよく冷えた日本酒に静かに口をつけた。口当たりがよく、いつも味わっているワインよりも優雅な飲み心地だった。


「この前、うちの息子が変わったことを言うてきたんや」

「なんでしょう?」


 気が抜けたのか、前野が世間話を始めた。いつの間にか金網で焼いていた牛肉を自分の皿に移し替えている。


「最近の子はニュースを見ない言うてな、学校の先生がぼやいとったらしいんや。それで息子もテレビは全然見てません言うたらしいんや。確かに、芸能人の名前にも疎いんや、あいつ。そしたら『え、それやったら今台湾で何が起こっとんのかも知らんの?』っ言われたんやと」

「はい。あのあたり、なにかありましたか、最近」


 前野は首を横に振る。


「何もあらへんよ。いやな、息子も同じことを聞いたらしいんや。そしたら、先生は『今すごいデモがあって揉めとるんやないか。暢気でええなあ。ぼっちゃんはって』」


 坊ちゃん言うのが傑作やろ、と箸を軽く振る。東条はおそらく彼の息子も、外見は穏やかな印象なのだろうと推測した。


「でな、息子が言うたんや。『それ、ほんとに台湾ですか?香港じゃなくて?』と。そしたら、『かもしれんけど、どっちも中国なんやから一緒やろ』言われたんやて。台湾と中国は違う国やろ!ははは!」

「確か、デモは何年か前から数えて二回目でしたよね。……連中とは違って、西と東に分かれても、我々はどちらも海野会ですよ」

「ほう!よう言うた!期待しとるで!ほんまに……」


 そこまで言いかけた時に、轟音が鳴り響いた。二回、三回、と立て続けに扉の外から聞こえてくる。銃声だ。外には見張りを立たせている。

 東条は思わず机の側に伏せ、背広の内ポケットから拳銃を引き抜いた。ロシア製の純正トカレフ。安全装置の付いていないモデルだ。彼は同じ銃をいくつも持っている。

 叫び声が続き、銃声が五発続く。やがて、扉の外からは何も聞こえなくなった。遅れて前野が中腰になって立ち上がり、部屋の外にすばやく移動しようと動きだす。

 東条は両手でトカレフを構え、目の高さに合わせた。扉に銃口を向け、引金に指をかける。奥の座敷に控えていた男達も一斉にそれぞれの銃を構えて飛び出してくる。

 次の瞬間、ものすごい音と共に壁が砕け、前野の身体が後ろに吹き飛んだ。部屋の奥の壁にぶつかり、跳ね返って畳に叩きつけられる。壁に空いた穴の向こうで一瞬、素早く動く人影が微かに見えた。


「野郎!」


 叫びながら拳銃を構えた甲陽組の組員が引金を引く。東条も壁の大穴に向かって発砲する。激しい銃声が重なって轟いた。この場を離脱するために、一刻も早く侵入者を殺す必要があった。金属がぶつかりあうような音がして、部屋のあちこちに発砲した弾丸が飛んでいく。


「どういうことだ……」


 光る何かが高速で空間を走った……かに思えた瞬間、叫んだ組員の首が付け根から床に落ちた。切断面から大量の血が噴き出す。天井の電灯がいきなり破壊され、火花が散る。

 そちらを思わず向いた東条の部下の身体が、いきなり真っ二つになった。わけのわからない声を上げながら、部下の身体が二つに分かれて畳の上に倒れる。流れ出した血がこちらに向かってきた。

 キン、と音がして、扉が四つに分かれ、こちら側に倒れた。戸口に現れた黒い影が銃弾を避けながら、猛スピードでこちらに向かってくる。足元を狙って放たれた銃弾を、畳を踏んで跳躍してかわすと、天井近くまで影が飛び上がる。


 何かが空を切り裂いた。隣に立つ部下の身体が後ろに飛んでいく。同時に、ものすごい衝撃を食らい、東条は床に強く叩きつけられた。

 右腕がトカレフと共に、床にぶつかる。今銃を失うわけにはいかない。指に力を入れようとした。力が入らない。


 いつの間にか手首から先が無くなっていた。


「うああああああああああああああああああ」


 激痛に東条は絶叫した。思わず、もう片方の手で傷口を抑えようとする。が、また空中を光が走り、その手は肩から先ごと切断される。顔から床に倒れ伏した。全身から力が抜けていく。


『……ああ。終わりだ。……当然だ。…………撤収する。もう引き出せる情報は無い』


 頭の上から声がする。襲撃者のものだろうか。日本語じゃない。誰かと電話で会話しているのか?


 力を振り絞って顔を上げる。大きな黒い影が、暗くなった部屋の中にそびえるようにして立っていた。彫りの深い顔と、目の周りの輪郭だけがうっすらと見えた。

 視界がぼやけていく。


「……だれのめいれいだ……」


 蚊の鳴くような声しか出なかった。男が手に持った何かをこちらに向ける。

 頭が圧迫される。激痛が全身に走った。口いっぱいに血の味が広がる。やがて、全身の感覚が消えた。






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