衝動書き集め(短編集……?)

揺蕩う人形

二重の少年少女

「君はまるで、人生そのものが後悔だ……みたいな顔をしているよね」



 声の主は、その大人びた口調には似つかわしくない、可憐な少女だった。僕の目には、日本人特有の童顔が相乗効果を果たして、さらにさらに、必要以上に愛らしく見える。

 リス、みたいな。

 小動物みたいな。

 あんなに可愛らしい姿をしていたところで、自然界では何の得もないだろうに。顔面の良し悪しに関わらず、肉食の獣達は容赦情けなく捕食するだろうに。

 なのに、リスは可愛い。

 猫だって、トイ・プードルだって。

 もっとも、猫もトイ・プードルもその外見のお陰で、人間社会での『愛玩動物』としての立ち位置を得ているわけだが。トイ・プードルなんて名前の通りだろう。

 愛玩犬だ。

 けれど、リスはそうじゃない。確かに愛玩動物としてリスを好んで飼育する人も、いるにはいるんだろう。だが、それは犬猫と比べれば、いや比較するまでもなく割合が少ない。

 比較対象になんてなるはずがなかった。

 地球上に生きるリスの大半は野生なんじゃないか、と思うくらいには。

 だから、やはりあの魅惑的な形質は無駄なんじゃないかと思う。もっと、爪を長くして牙を鋭くして、ついでに猛毒でも吐けるようになれば生存率はぐっと上がるんじゃないか。

 それと同じような、どう考えたって必要以上である魅力を、この少女は持っていた。

 透き通るような肌に、整った顔立ち……なんてありふれた表現は、彼女にはあまり相応しくない。もっと、珍しい語彙ごいを多用して語られるべき容姿に、絶対的な雰囲気を、あからさまに纏まとった彼女は、ベタ踏み橋みたいに急角度のブリッジポーズで僕を見つめていた。

 見つめて、しまっていた。

 よりにもよってそんな姿勢で。

 僕は、見つめられてしまっていた。

 反応に困る状況だ。

 だって、そうだろう?

 超有名脚本家の映画を担当する超有名監督が手塩にかけて育てた超有名子役を、容易く凌駕りょうがしてしまいそうなくらいの、絶世の美が、橋の真似事なんてしながら意味深な台詞を口にしているんだから。

 動揺しない方がどうかしている。

「……」

 僕はもちろん、動揺していた。

 口をあんぐりと開けて、アホみたいに阿保面を晒して、事態を飲み込もうと必死になっていた。

 だからだろうか。

 現状を理解し切れていなかった脳は、いつもの調子で捻くれた言葉を発した。

「人生が後悔なんじゃない、後悔が人生なんだ」

 言った途端、やってしまったと反省した。

 それはなぜって、目の前の少女が眉を顰ひそめたからだ。

 ググっと、眉間に渓谷を作って口を尖らせている。僕から見て逆さまの彼女の顔は、とても不機嫌そうになって、地面に垂れた黒髪が胴体をうねらせる蛇のように見える。

 メデューサ。

 目のあった相手を石化してしまう恐ろしい化物。

 卓越し過ぎた美とかいったものは、むしろ恐ろしいらしかった。

「だとしても、じゃん。人生が後悔でも、後悔が人生でも、結局はどっちもどっち。最終はイコール。だったら、私が言った通りで良いんじゃない?」

 そりゃあ、まあ。

 おっしゃる通りで。

「君はさ、あれでしょ。友達いないでしょ」

「それとこれは話が違うだろ」

「同じだと思うけどね。それよりも、なんで君は上下逆なのさ」

 うん?

「それは……君がブリッジなんてやっているからだろ」

 不思議なことを言う少女だった。

 自分がもう少しで逆立ちになりそうなほどに背中を曲げているくせに、それを自覚していないらしかった。ということは、彼女にとってはその、内臓が頭の方に寄ってしまいそうな体勢こそが通常なのかもしれない。

 異常なくせに。

 通常なのかもしれない。

 対義のものをその身一つで両立させているとは、僕みたいな人間だ。

「表裏一体って言うのかな」

 恥じらうように顔を赤らめて、両手で地面を押し、反動をつけて上半身を起こした(それは体操の熟練者を連想させる洗練された動作だった)少女は僕の方を向いて首を傾げた。

「表裏一体?」

「ああ、うん。裏も表も引っ付いてそうだなって」

「お腹と背中がくっ付くってことかな?」

「似てはいるけど、違うぞ、それは」

 腹が減っているのだろうか。

 僕は咄嗟に、もしかすると端から見ると供物を捧げるような挙動だったのかもしれないが、Yシャツの胸ポケットからスティック状の携帯食を取り出した。

「食べるか?」

 差し出す。

「うん、食べる」

 欲望に素直な少女だった。

 飢えた獣の如き食事風景を、横目でチラリと見てから、眼下の景色をぼんやりと眺めて、考える。この少女は、どうやって、こんな場所までやって来たのか。

 こんな場所。

 廃ビルの屋上。昇降機は機能を停止し、階段は崩壊し、壁面に固定された梯子は赤く錆び付いていた。夕焼け空が地上を舐め尽くす劫火ごうかのようで、袖を捲り上げて露出させた腕が、その熱量を受けてヒリヒリしている。

 ジリジリ。

 ヒリヒリ。

 もぐもぐ。

 がつがつ。

「ご馳走様」

「お粗末様。……なあ、少女」

「うん?」

「君は後悔をしたことがあるか? 事後に、自分の行動を悔いたことがあるか?」

「……私はないね。私は、後悔なんてしたことはないよ。先に悔いたことはあっても、後に悔いたことはないね。基本的に憶病なんだ、私は」

 憶病。

 それは、僕だ。

「未知が怖いからね。先に進むのも、暗がりを懐中電灯で照らすのも、たまらなく恐ろしいから。そこに何があるか、何が現れるか分からないからさ」

「だから、怖い」

「うん、怖い。だから、私は行動しない。だから、私は後悔をしない」

「でも、それだって、今じゃあ後日談だろ? 結局のところ後悔だ」

「後、悔」

「私が先に悔いたって、最終は後悔だ。僕と同じように、どうしようもなく後悔だ。先も後も、後も先も。結局のところはイコールだ」

 イコール。

 あるいは、表裏一体。

 結局は、どちらも後悔。

 最終は、イコールだ。

 僕も君も、君も僕も。

 そんなことは分かり切っていたのに、やはり、僕は溜息交じりに呟いた。

「あぁ」

 幻のように四散する少女の姿を、見た気になって。

 彼女の髪が、皮膚が、血肉が、微細な粒子となって風に乗る。崩壊、と言うよりも、それは還元と表す方が正解な気がした。もしくは、蒸発。気化するように、霧と化した彼女の風は、伸ばし過ぎた僕の頭髪を僅かに揺らして、後方へと過ぎ去った。

 僕は、後悔を感じた。

 どうしようもない、感情を。


「僕が、君を自覚しなければ」

『私が、君を自覚しなければ』


 ——こんな思いを、あるいは想いを、抱かずに済んだのかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る