魅せるドレスの色は

宮野 楓

魅せるドレスの色は

 

 誰かが言ったのを覚えている。ドレスは戦闘服そのものだと。


 この国は聖女であるアリスを先日追放した。

 夫であるカイン王子は最近ご執心である聖女の妹であるアリサがいれば大丈夫、なんて言っているが、そんな訳はない。

 この機会に我が母国ゼブラン王国は必ず攻めてくる。それは間違いがない。私が弟の立場でもそうしているだろう。例え姉がその国に嫁いでいたとしても。

 部屋の窓から空を眺めれば、あまり力のないウィンリィにすら分かる。

 この国を覆っている結界は聖女が去って一日目でもう揺らいでいる。空は晴天なのに、ずっと眺めていると雲が湾曲して見えるのだ。

 恐らくこれは結界が崩れる前兆だと見るのが正しいのだろう。

 ウィンリィはこの国に資源が豊富な事を知っている。

 だからこの結界と信仰で封鎖された国を開く鍵となるべく嫁がされた。だが結果、開く前に自滅の道を辿ろうとしている。

 ある意味開くのだから、ゼブラン王国としてはウィンリィが開こうが、自滅して勝手に開こうが、どちらでもよいだろう。

 ただその二択で変わるのはウィンリィの運命だ。

 覚悟を決めて、鎖国された国にアホだと噂される王子に嫁いだ。必ず開いて見せると意気込んで、この鎖国された国の王族として名を連ねた。

 こうなった今、ウィンリィに取れる選択肢は二つあるように見えて、一つしかない。

 聖女が去って二日目、三日目とカイン王子と聖女なのか怪しいアリサがいちゃいちゃしながら王宮をウロチョロしている中、ウィンリィは空を見上げてはため息をつくしかなかった。

 もちろんカイン王子を毎日諫めはしたが聞き入れない今、ウィンリィに出来ることは一つなのだ。

 だって雲はもう三日でこんなにも歪んでしまって、何ならヒビが見える。


「ウィンリィ様……」


 大半の者には見えていないのだろう歪みに気が付いている侍女が不安そうに名を呼ぶ。


「覚悟なさい。この国はもう長くないでしょう」


 逃げろ、と言えればいいのかもしれない。

 だが結界で覆われているという事は逃げることも出来ないのだ。

 聖女のみが人の入国出国を行える。だから歪んでいようが、ヒビが入っていようが、結界が崩れるその日まで、気が付いたものさえ逃げ出すことは叶わない。

 敵サイドから見れば一網打尽に出来る。もう例え今、結界が崩れても、この国は我が母国……いや敵国に囲われていると見て間違いないだろう。

 ウィンリィは覚悟を決めた。

 ウィンリィは自分の使命を全うできなかった。王族は優雅な生活の代償に国の責を負う。

 本来ならば母国に泣き付けばいい。でもそれでも、もうウィンリィはカイン王子の妻なのだ。

 まさか聖女が追放されて自滅の道を辿るとは予想できなかった。それが敗因だ。

 一日、一日、刻々と終焉が近づき、結界が割れた音がした時、最後が来たのだと思った。

 結界が見えていた侍女に笑いかける。


「ねぇ、悪いんだけど、最後に着替え……手伝ってもらえる?」


 用意していた最期の衣装。私の戦闘服。


 侍女はその服を見て、え、と驚いた顔をしたがその後何も聞かずに着替えを手伝ってくれ、メイクも施してくれた。

 髪は結い上げずに下ろしたままにした。


「お綺麗です。ウィンリィ様」


「ありがとう。だけど、これで、完成じゃないのよ」


 部屋の外からは発砲音、断末魔、悲鳴、色んな音が響いている。

 そして廊下からも剣戟の音と悲鳴と足音が近づいてくる。

 こんなにも分かりやすい最期があるのだろうか。

 そして聖女が去って二週間経ったこの国に懐かしい人物が、ウィンリィの部屋に入室してきた。


「ウィンリィ姉さま。お久しぶりです」


「えぇ、大きくなったわね。ウィルフレッド」


 懐かしい弟の後ろには屈強な兵が連なっているのに、侍女一名しかいないウィンリィが笑みを浮かべて、ウィルフレッドが泣きそうな顔をしている。


「カイン義兄さんはどこにいるんですか?」


「今の聖女様のところかしらね」


「ウィンリィ姉さまはどうしてそんな恰好をしているんですか?」


「王族なら、分かるでしょ?」


 ウィルフレッドはもう泣きそうだが、涙は流さない。

 幼かった弟は少しは成長したようだ。


「ウィルフレッド様、お辛いなら……」


 ウィルフレッドの後ろに控える屈強な兵の一人がそう小さく呟く声が聞こえて、ウィンリィは声を上げた。


「ウィルフレッド! お前はゼブランの第一王子、お前の目の前にいるは確かに姉であるウィンリィだが、その前に敵国の王子妃である! 王族の責を果たせ」


 姉としてウィンリィが最後にしてやれることだ。

 他人から見れば酷だというかもしれない。だがそれが王族であり、王族とは情よりも国の責を大事にせねばならない。

 ウィンリィはウィンリィの、ウィルフレッドはウィルフレッドの、だ。

 ウィルフレッドがぎゅっと握っていた鞘から剣を抜いたのが見えた。

 大丈夫。これならゼブラン王国はまだ安泰だ。そう思って目を瞑らず、最期まで国の責を負うべくウィンリィはウィルフレッドから目を離さなかった。

 その剣が振り上げられ、自身に近づき刺さるその見えるその時まで目を逸らさず見続けた。



 ――――



 辺りは鮮血に染まり、ウィンリィがどこまで自身の最期を見届けられたのかは分からない。

 ただ心の臓が止まった時まで目は開いたままだったので、ウィルフレッドは姉の目に手をそっと添えて瞼を閉じた。

 そして何故か純白のドレスを着ていた姉だったが、今は自身から流れ出る鮮血によりドレスがその色を吸い取り、純白があっという間に深紅へと色を変えていた。

 その深紅に染まりあがるウィンリィを見届けた侍女は、自身が持っていた短剣で喉を突いて自害した。

 何故、ウィンリィがそのドレスを最期に選んだのかはウィルフレッドには何となく理解できた。

 姉は何時もドレスを戦闘服だと言っていた。そして何よりも責を重んじ、王族である事を理解していた。

 だがきっと最期は只のウィンリィとして、王族でも何でもない、ただのウィンリィとして迎えたかったのではないかと思った。


 だから最期は自分の色、一色に染め上げた。


 最期が来るまでは王族として佇み、最期が来て死した時に王族であることを手放して、ウィンリィに戻ったのだろう。

 いつ王族として自覚してあんなに達観したのか分からないが、その前の只のウィンリィに戻れただろうか。

 真っ赤に自分の色一色に染め上げた戦闘服を着た姉であるウィンリィを見て、ウィルフレッドは静かに泣いた。


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