2023年 バレンタインデーSS
「……これはなんだ?」
「なにって、チョコレート! 今日はバレンタインデーだよ。日頃の感謝を込めて! 志之元さんって、けっこう甘党でしょ?」
なぜあげる側の人間がそんなに嬉しそうな表情をしているのだと奇妙に思いながら、差し出されたパッケージを開けると
「私も食べてみたんだけど、すっごく美味しかったよ!」
天真爛漫そのものといった眩い笑顔で、目の前の知人が言ってのけた。たしかに一粒食べた形跡がある。
「食べてみたって……普通、人にあげるものを食べたりするものか?」
「ごめんなさい。最後の一箱だったの。で、どうしても味見をしておきたくなって……」
子どものようにぐにゃりと顔を歪めた知人は、見るからに申し訳なさそうな表情で小さくなっている。
知り合って間もない頃は、その異常なまでに整った美しい顔に、おそらく高飛車で高圧的な女だろうと勝手に身構えていたのだが、自分の内面を隠そうともしない豊かな表情と、おっとりとした性格に、毒気が抜かれ、いつしか勲の警戒心は和らいでいた。
(小学生でも我慢できるだろう――)
そう呆れながらも、不思議と不愉快ではなかった。
最後の一箱、という言葉が気になり、パッケージに記載された店名のロゴを端末で検索すると、どうやら高級チョコレートで有名な人気ブランドらしく、目の前にある一箱は今年の数量限定ショコラとして争奪戦になったということまで分かった。
「……手に入れるのが大変だったんじゃないのか」
「え? 全然だよ! たった一時間並んだだけだから」
勲は吹き出しそうになる。否定するなら、寒空のしたで一時間も並んだことは伏せておくべきではないのか。
「人気のチョコを手に入れるためなら、それくらいなんてことないよ!」
そう言いながら知人は片腕で力こぶをつくってみせる。華奢な細腕では著しく説得力に欠けるが、知人の性格からして、その言葉に嘘はないのだろう。
「先に味見をするんじゃなく、一緒に食べるという選択肢はなかったのか?」
「え、いいの?!」
身を乗り出し、パッケージを凝視する知人に、勲の口元がふっと緩む。
知人がショコラに手を伸ばすのと同時に、勲もショコラを一粒つまみ、そのまま口に放り込む。コクのある、リッチな甘さが口内に広がっていく。争奪戦になるのも頷ける味だ。
「やっぱり美味しい〜」
緊張感のない声で知人が感想をこぼす。
はっきり言ってこの知人は勲が苦手とするタイプだ。裏表がなく、素直で、純粋で、物事の裏を読もうともしない。周りの人間にも恵まれて生きてきたのだろう。自分とはあまりにも違う。
だが――――
腹を探らなくてもいい人間が、ひとりくらい近くにいたっていいかもしれない――そんなことを考えながら、勲はもう一粒ショコラを口に入れた。
(了)
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