血の滴る世界で最高の晩餐を

あすなろさん

プロローグ

「あっつ」


五嶋夏樹は久々の外出ながら、気温の過ごしにくさに苛立ちを覚えた。

仕事を辞めて以来、自分へのご褒美という免罪符を元に、

自宅から出なかった事が今回の状況をもたらした可能性もある。


「まだ6月だよな…熱すぎるだろ」


その話抜きにしても、確かに今季の気温は異常であった。

記録的猛暑。

各地で更新される気温の数々。


「こりゃアイス買ってそそくさと退散だな…」


近場にあるコンビニへと足を運ぶ夏樹。

歩いて5分もすればその道はおのずと見えてくる…はずだった。


「あれ?」


いつもの角を曲がったが、コンビニの姿は一向に見えてこない。


「っかしいな…閉店したんかな」


首を傾げながら、目的地の確認をする為に足を速める。

しかし一行に見えてこない。


それどころか先ほどまでの熱さは消え失せていた。


「なっ…」


涼しさとも言えるが、それ以上に気味が悪くなる。

一筋の汗が夏樹の頬を伝うが、熱さでの汗とは到底思えない。


一面を覆う視界の色。

これこそが夏樹の感情を更に怯えさせる。


赤。

一面を覆う赤色。

その色は流したことがあるであろう血よりも更に暗く、

そしてより一層不気味な色合いだったことは間違いない。


「なんだよこれ…」


慌てるように回りを見渡す夏樹の瞳に、一筋の光が見えた。


「人…外国人?」


綺麗な色をした金髪の髪であった。

夏樹よりも少し小さい身長の女の子が、その場に立っていた。


夏樹の呟きに少女は何かに気付いたように振り返る。

顔立ちは若干幼いが、対照的な青色の瞳が夏樹を見つめた。


「えっ…うそっ!一般の方がどうして!」


「一般?」


少女の問いかけに夏樹は素朴な疑問を浮かべた。

しかし、その内容を考えるまでもなく、手を取られたのであった。


「えっ!?ちょっ…」


「走ってください!!」


少女に急かされ、夏樹も勢いに任せて駆け出した…




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





「ちょ…ちょっと待って!」


久々の全力疾走に、夏樹の体力が持つはずがない。

それでも2分近くは走り続けただろうか。

汗がとめどなく溢れ、夏樹の脚は生まれたての小鹿のように震えている。


「あっ、ごめんなさい!ついいつものペースで」


焦りながら話す少女。

二人でその場に立ち止まり、夏樹は手に膝をつきながらうなだれる。


そんな夏樹を少女は下からのぞき込みながら、


「大丈夫…ですか?」


「っ…!大丈夫には…見えんだろ」


「あはは…そうですよね」


あまりに綺麗な瞳に面くらいながらも夏樹は答え、

その言葉に少女は苦笑いで返した。


「とりあえず説明を…」


「しっ」


「むぐっ!?」


息苦しく吐いている息を押し込めるように、少女に口を塞がれた。


吐きたくなる息を我慢しながら、少女を見やる夏樹。


(…綺麗な子だな…)


肩まで伸びた金色の髪、対照的な青色の瞳。

日本ではあまり見かけない紺色の修道服に身を包む姿。

その風貌に、夏樹は思わず見とれてしまう。


(息切れてねえ…すげえな)


夏樹の現在の状態とも対照的な彼女に関心を抱く。



「見つけたわウルヴァリス」


「くっ…」


正面から別の声が聞こえた。

夏樹はその声の方向へと目を向ける。


そこにはまた別の女性が、二人の行く手を阻むように立ち尽くしていた。


なつめ …」


「あら、覚えててくれたんだ。嬉しいなあ」


「忘れるわけないじゃないですか…貴女はあの件に関わっていますから」


棗と言われた女性を一言で表すなら、日本人形とでも言うのだろうか。

どこまでも飲み込みそうな漆黒の髪。

黒い瞳が印象的で、ひと際目を引くのは身長。


夏樹は170中盤の平均的な身長ではあるが、

彼女は更に高く見える。

180後半といったところか。

そのような背丈を真黒な和服がすっぽりと覆い、更に不気味さが増している。


「あら、デートの最中だったかしら?ごめんなさい。邪魔しちゃって」


「冗談を言っている暇はありません!」


「あらあら、照れちゃって。まぁそうか」


ウルヴァリスと言われた少女は棗をより一層睨みつけるが、

食えない態度で棗は笑った。


「貴方たちは処女じゃないといけないものね」


「しょっ…!?」


「ああ、でも付き合うことはできるのか。ふーん…純愛なのね」


顔を真っ赤にする少女。

ケタケタと笑う棗。

唖然とする夏樹。


「ちょ…挑発には乗りませんよ…」


「あんた…初対面だけどデリカシーの欠片もないな」


「あらありがとう。私にとっては嫌悪の感情でさえも誉め言葉になるわ」


思わず夏樹も一言いうが、相変わらず微塵も効いていない様子である。



「まぁ冗談はさておき……始めましょうか?」


「ま、待ってください!一般の方を巻き込むのは…」


「何言ってるのぉ?私の今日の朝ごはんにちょうどいいじゃない」


「朝…ご飯?」


朝ごはん。

その名の通りに朝に食べる食事である。

夏樹も本日は目玉焼きにご飯の黄金の組み合わせを食してきたばかりだ。


しかし目の前にいるのは紛れもない人間。

その発言に夏樹は怪訝そうに棗を見つめた。


「あはっ」


その刹那であった。

夏樹は先ほどまで見つめていた棗を見失う。

目を離したわけではない。

まるで最初からいなかったようにその場から消え去ったのだった。


「ぐぅ!!!」


棗が再度視界に移ったのは消えてからの一瞬の出来事であった。

瞬きもする前に夏樹の目の前に来ていたのだ。

                

「あはははは!!さすが聖女機関のバトルシスター!!完全に不意を突いたと思ったんだけどね!!」


「なめないで…くださいっ!!」


先ほどとはうってかわって苦しそうに息を吐くウルヴァリス。

その両手には、漫画でしか見たことないような金色に輝く一際大きい杖を持っていた。


一方棗の手から伸びるのは、漆黒な鋭利な刃物。

否――


「爪…!?」


刃物にも見える刃は、確かに棗の爪先から伸びていた。

化物。

ここにきて夏樹はようやく事態の深刻さに気付く。


先ほどまでの熱さに汗を流していた状況にはもう戻ることはない。

代わりに恐怖感からの冷や汗が頬をゆっくりと伝っていた。


ウルヴァリスは棗の奇襲をひとしきり受け止めると、力をより一層入れて弾き飛ばした。


「もう一回いくわよ!」


「―――ブーストッ!!」


棗は空中で体制を整え、空中を蹴り上げて再度爪を獲物へと向ける。

もちろん空中に壁などはあるはずもないのだが、

彼女の勢いはまるで壁を蹴ったかの如く増す。

この一連の流れで、彼女が人間などではない事を示していた。


そして、その爪先は確かに獲物を捕らえた……

――はずだった。


「……ちぇ、逃げたのね」


荒々しく舞う砂煙。

棗の爪先は獲物ではなく、地面へと深く突き刺さっていた。


「まぁいいけどね。鬼ごっこは嫌いじゃないわ」




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




夏樹は男らしくありたいと散々思っていた。

もちろんこれは持論であり、ただの見栄っ張りである。

だが、まさか自分が一度は女子にしてあげたい恰好。

通称『お姫様だっこ』で担がれている事を、

誰が誇りに思うだろうか。


「ああああああああ!!!!!」


風圧を生身で受けることにより、体が悲鳴を上げる感覚は初めてであった。

もちろん夏樹は飛行機に掴まり飛行したことも、

あるいは新幹線の上に無賃乗車などもしたことはない。

ごく普通に生きていたら早々しない体験だろう。


「あっ!!ごめんなさい!!」


ウルヴァリスは夏樹を担いだまま、脚を用いてブレーキを踏んだ。


「あ、あんたらなんなんだよ…」


「それは…少々話すと長くなりますので…」


苦笑いしながら言葉を返すウルヴァリス。

しかし、その表情に見える陰りを夏樹は見逃さなかった。


「お、おいっ!その手!」


夏樹を抱えている左手から出血が起こっていた。


「あはは、少しだけドジってしまったみたいですね…」


なおも明るく返すウルヴァリスだが、夏樹を降ろす動作と共にその場に苦しそうにしゃがみこんだ」


「大丈夫か?」


「動けはします…が、貴方を担いで彼女から逃げるのは難しいですね」


「マジかよ…くそっ」


夏樹の脳裏に先ほどの光景が蘇る。

――あれはなんなのだ。


否、彼女たちは何者なのか。

初めての体験だらけの思考では、到底答えに辿り着けるわけもない。


「貴方だけでも、隠れてください」


「隠れる?」


逃げるという選択肢ではなく、あえて隠れるという言い方に夏樹はひっかかった。


「はい…彼女の能力で私達は今、結界のようなものに閉じ込められています」


「…結界…。はは、もうわかんないことだらけだな」


再び聞くおとぎ話のような話に、夏樹は乾いた笑いで反応した。


「あんた、ウルヴァリス?って言ったか」


「はい」


「俺が隠れたとして、あんたはどうするんだ」


自然と夏樹に浮かんだ疑問。

結界など馬鹿げたものを平然と行う相手である。

手負いの獲物が逃げられるとは思えない。


「私が彼女を倒さないと、貴方は解放できません」


「……勝てるのか?」


「………20%といったところですかね」


「よーし、わかった。他の案を探そう」


聞きたくはなかった絶望的な数字を叩きつけられ、

夏樹は踵を返して提案した。


「ちなみに…私のいつも持ち歩いている身体強化を行うものがあるのですが…」


「―――今は手元にないと?」


絶望に絶望を叩きつけられ、夏樹は膝から崩れ落ちた。


「で、でも!なんとか頑張ってみますので!!」


「あのなあ」


苦し気な顔をしながら必死に訴えるウルヴァリスの頭にチョップをかます夏樹。


「あいたっ!」


「根性論でどうにかなる相手じゃないんだろ?だったら他の道を探すべきじゃないか?」


「うぅ…でも…」


「俺が死んだらあんたが困る。あんたが死んでも俺は気分が悪い」


夏樹の言葉にハッとするウルヴァリス。

夏樹はそのままウルヴァリスの顔を見つめながらしゃがみ込んだ。


「…何かあるんだろ?奥の手がもう一個」


「――っ!」


夏樹が絶望に思いを馳せていた際、彼女が一瞬ハッとなった表情を見逃さなかった。

無論どんな策なのかは検討もつかないが。


「…眉唾ものではあるのですが、あるには…」


「だったらそれをやろう。成功したら生き残る確率はどんぐらい跳ね上がるんだ?」


「―――100パーセントです」


苦し気ながらも、彼女の表情は凛々しく、そして頼もしく見えた。



「よしわかった。時間もなさそうだし、さっそく――」


いつあの女が追ってくるかわからない。

焦りもあったが、頼もしい返事に夏樹は安堵していた。

油断しないように彼女を急かす言葉をしたところであったが――。


「では…失礼します。」


「――――は?」


呆気に取られる夏樹をよそに、ウルヴァリスの口は、その首筋へと突き立てられていた。

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