によ

パソコンを起動させるため、電源ボタンを押す。数秒。パソコンが生き返る音がする。薄暗い部屋に、光が差し込み、聞き飽きた起動音が流れる。私は、すぐにネットを開き、いつものページへと飛び、過去の作品を眺める。

 

『仏』

ごめん

寂しい

寂しくてさびしくてたまらないよ

女の子を抱いても

男の子に抱かれても

寂しさは消えないでどんどん広がっていくんだよ

どうしたらこの寂しさは消えるの

誰か教えて、と


ポツリ

ポツリ。降るものは、雨か涙か


痛い、遺体、あ、痛い、あ、遺体、会いたい

誰の?


私が知りたい


いつかその寂しさは私を侵食していくだろうね

そのうち、私は寂しさの塊になって全身涙で覆われて

冷たい身体だねって言って王子様が迎えに来てくれるの


そんな中二病患者はここにおりますよ

神に願っても仏に拝んでも

誰も降りて来やしない

2013.0305 00:29


 中学生の時に自分を中二病だと客観視できていたのなら、私は実際中二病ではなかったのではないだろうか、と考えながらページをくるくるとスクロールする。


『耳』

生きている感覚がする

耳から世界の声たちが流れ込む

不協和音はない

あるとしたらそれは雑音だから大丈夫

私たちの耳は壊れない

脳みそ引っこ抜かれて、ぐっちゃぐっちゃに殴られてもそれはそれで素敵だから

新しい。声を今日も私は探して目が歩く

それは、生きている限り続くと思っていいよ

私たちの脳みそは常に外に出ているのだから

中にあるというほうがおかしいんだって

誰が変わってるなんて言ったの

誰がおかしいだなんていったの


普通ってなんだろうか

分かりたくもない、分からなくていい

普通の少女ほどつまらないものはないよ

普通ってないから、普通もある意味かわってる


夜の音がする

不思議な声がする

全部で感じられる


嗚呼、素敵

2016.0909 20:58


これ、結構好きだなあ、今でも。

一息ついてから、私は今日の作品を書くために投稿ページを開いた。

時間がなかったり、何も思い浮かばないときは、過去に書いたものを保存しているファイルから作品をコピーして投稿するが、今日は時間がたっぷりあった。というよりか、時間がないほうが、今の私には珍しい。

パチパチ パチパチ タイピングをする。この音が私は好きだ。

ワンルームの六畳。しかもフローリングではなく今時畳の、変な形をした部屋。今にも切れそうな常に薄暗い蛍光灯。ぽつんとリサイクルショップで買った平凡な椅子と作業机。それから実家から持ってきた。いや、正しくは盗んできたと言うべきであろう薄い敷布団。あと、机の上には、いくつかの色んな辞書と、お気に入りの本たち。

小さいころよく母が読み聞かせてくれた『モモちゃんとプー』。保育園の時に何回も読んだ『おしいれのぼうけん』。小学生の時の夏休みの課題図書『ピトゥスの動物園』。それから中学生の時に流行った『もし高校野球の女子マネージャーが「ドラッカー」のマネジメントを読んだら』。高校生の時になんとなく買った『南総里見八犬伝』の上下巻。そして谷崎の本三冊。

モモちゃんは小さいころ私の中に本当に存在していた猫と喋ることのできる憧れの女の子だった。『おしいれのぼうけん』は、読むたび読むたび一人でトイレに行けなくなるし、保育園のおしいれが怖くなる。だけれど私は何回も何回も読みかえして、ねずみばあさんと対峙していた。『ピトゥスの動物園』は、小学校三年生の夏休みの宿題である読書感想画で選んだ本だ。本に感動し、良い絵を描こうと思っていたばかりに、完成したその絵が思ったよりも下手くそで泣いた。『もしドラ』は、その当時流行っていたから買ってみたが、読んでも内容はさっぱり入ってこない。難しい。表紙の絵は可愛いのに、内容が難しく、訳の分からないまま私は最後まで読んで勝手に達成感を覚えた。『南総里見八犬伝』は、高校生の頃なんとなく読んでみようと思った。『南総里見八犬伝』にしようか、『東海道中膝栗毛』にしようか悩んだものだった。何故この二つで比べるのかは、なんとなくだ。似ている気がする。母が持ってきた本の厚さに驚き、これ全部読み切れるのかと不安になりつつも完読。登場人物の名前が長いし、多いし、過去と現在を頭の中で行ったり来たりで内容を忘れつつ、ああ、こんなものを書けるなんて凄い人だな曲亭馬琴は、などと他人事のように思った。谷崎潤一郎は、高校生の国語の授業で本当に少し名前が出てきただけの、いや、時代と名前と代表作だけを覚えるだけの完全テスト用の人物だったが、いやに私の頭に残り、母に一番有名であろう『刺青』を買ってきて、と頼んだのだ。『刺青』、その他短編・中編を少し読んだだけでもドロドロの、一度足を入れてしまえば二度と抜けない沼にどぽりと沈むように、私の心は魅了されてしまって、授業中も先生の目を盗んでは読んでいた。

周りにこの気持ちを共感してくれる人物はおらず、母に素晴らしさを熱弁したが

「そんなのただの官能小説よ、あんたエロいの好きね」

と言われ、全てを否定された気がした。

 本たちは私に魅力的な文字の使い方と、文章の造り方を教えてくれた。

そんな私のお気に入りの本たちを眺めながら、今日はもう駄目なのかなぁとため息をついた。こういう気持ちになってしまうと、もうその日は何をしても立ち直ることが出来ないので、出だしを三行しか書いていない投稿ページの文を全て消してから、風呂に入ってさっさと寝てしまおうと思った。

おんぼろのアパートのくせにユニットバスではないところが救いだ。しかし自動でお湯を入れてくれるわけではない。水と熱湯を自分でいい塩梅に調節しなければいけない面倒くさいタイプだ。

だけれど私はこのタイプが好きだった。祖父母の昔の家がまさしくそれで、狭い銀色のバスタブで、そこでの記憶が蘇るからだ。

黄色いあひるを浮かべて、自分の家とは違うお風呂の熱さと、祖母の洗顔の魔法(無くなった洗顔の容器の中にお湯を入れて振るとまた泡が出てきて使える)が、何とも言えない不思議な空間で、非日常を感じさせた。

銀色の狭いバスタブに、少し熱め、私の大好きな温度。四十五度。ちょっとピリつくくらい、母にその温度辞めなさい、体に悪いから、って何回も言われた、でもやめられない、熱いけど我慢できる。むしろ気持ちのいい温度を熱湯と水の蛇口を回して作る。

多分このくらいかなって思ったら、そのままドボドボ放置して、お風呂に入る支度をする。

明日は裕子とランチに行く約束をしている。その後、恵比寿のバーで出会った四歳年上で不動産勤務の男性と、ホテルのディナービュッフェに行く。

ビュッフェなんて太るし、ディナーなんてお高いでしょ。だから大衆居酒屋にしましょうって私言ったのに、僕は金持ちだから、女の子にお金を出させるなんてことしないよ、なんてきざなセリフを当たり前のように言える人。

「悪いです…でも、ホテルのディナービュッフェなんて行ったことがないから是非行ってみたいわっ」

って上目遣いの猫なで声で返事をしたわ。そりゃ、悪いですって口では言うけど、しめしめやったぞなんて思って、行く気満々、お金を払う気なんかゼロ。

 「あんた、いつか男に刺されて殺されるよ」

そういえば母にそんなことを言われた気がする。遠い記憶。

とりあえず、ディナービュッフェを堪能した後、ホテルとってあるから、なんて言われる可能性はゼロではない。しかも最上階のスイートルームだったりして、セックスをしちゃうなんてことも考えられるから、勝負下着を着ていこう。

前の住人が置いて行ったらしい、なんだかイワクつきな、横にお札が六枚貼ってある古い木の五段あるタンスの、一番上を開ける。

このタンス、管理人さんが、捨ててもいいけど実費でね。なんていうから、捨てるのが面倒くさくて使っているけれど、今のところ心霊現象も怪奇現象も起きていないから、何ら問題はないと思って愛用中。

きっと前の住人はお札を張るのが趣味だったか、これはお札に見えるステッカーなのではないかと最近思考をめぐらして、前の住人はどんな人だったのかを想像するのがマイブーム。

お隣の佐藤さんによると、毎日のように違う女を連れ込む、自称バンドマンだったらしいが、怖いお兄さんたちが来てからなかなか姿を見せなくなり、知らないうちに退去したのだとか。ステッカーの説が濃厚だぞ、などと適当に考えながら佐藤さんとは小話を二時間ほどした。

小話がどのくらいの時間を指すのか分からないが、今思えば二時間は小話ではないのではないか。長話なのか。どうでもいいことか。

タンスの一番上には、下着類がぐっちゃぐちゃに入っている。一度畳んではいるものの、これもちがう、あれもちがうと、いざ選ぶときに出したり入れたりするので結局中でぐちゃぐちゃになってしまうのだ。

横が紐で、可愛い白のレースが付いた黒いパンティとブラジャーのセットがあった気がする。

半年前に別れた元彼と、箱根に三泊するという計画を立てたはいいものの、気持ちが先走りホテルを予約する前に買った代物だ。悲しいことに、このパンティとブラジャーを着ることはなかったのできっと奥の方にあるだろう。

色とりどりの下着たちを床に捨て、まだ年末BIGセールの赤い値札が付いている紐パン勝負下着セットを発見した。ちなみに、紐パン勝負下着セットというのは、私が命名した。

紐パンはこれ一つしか持っていないのだが何回見ても卑猥な構造である。黒の薄いサテンの布地に可愛いふりふりのレースが付いた前後を繋げる横の伸縮する黒い紐。この紐も、可愛く蝶々結びされており、その先にはカラフルなビーズが二つついている。

しかし!私は思う。この可愛い蝶々結びされている紐を解いた瞬間!(びっくりマークがあと百個は欲しい)私たちは、なんともセクシュアルな、淫靡な雰囲気を醸し出し、それまでいた可愛い子ウサギちゃんはどこだい?とでも言いたくなるような、サキュバスが突然現れ、自分の性欲を抑えきれなく衝動に駆られてしまう。その紐を解いた瞬間、王子様だったはずのどんな男でもみんな狼、いや、獣になってしまう。

その紐を解いてもなお王子様を気取るやつらは、私が魔女になって勇気を出して紐パンツを履いてきた、けなげなお姫様の代わりに毒りんごを食わせてやるから死んでしまえと勝手に思う。

紐パン勝負下着セットが私のもとに来てから半年が経ち、やっと着る機会を得た。

この下着は修羅場をくぐり、いくつもの戦を経験したどの下着よりも輝いて見える。

あとは、洗面所の小さいプラスチックのIKEAで購入した安い入れ物から、使い古した貰い物の白いハンドタオルを二枚取り出して、支度は終わりだ。

お湯の溜まり具合を見ると、後五分くらいで良い頃合いだ。

そういえばパソコンの電源を切っていないのを思い出した。スリープモードになっているパソコンの電源ボタンを押し、再起動させる。

 スタ子のBLOGへようこそ

ポエムや詩を書いています。年中反抗期ニート……

映し出されたページの右上、バツ印のボタンを素早くクリックする。開いていたページを全て消し、左下のなびいているカラフルな旗のようなマークをクリックしてからシャットダウンへカーソルを持っていく。

パソコンは毎回命引き取るように、それまで稼働していた命を、シューンという音とともに終わらせる。

毎回、パソコンを閉じた後の無音が私を寂しい気持ちにさせる。

だから今日は明日のことを考えながら、シャットダウンした後はすぐさま風呂場に向かった。

服は、着ている最中は良いが着るのと脱ぐのは面倒くさい。大嫌いだ。ついでに髪の毛を洗うのは好きだが、髪の毛を乾かすのは大嫌いだ。髪の毛を乾かした後の、シャンプーの残り香は好きだ。私は結構面倒な奴だと思う。面倒というより我儘だ。でも服は着なくちゃいけないし、脱がなきゃいけない。髪の毛は洗わなきゃいけないし、濡れた髪の毛をそのまま放置すると春夏秋冬高熱を出すので、乾かさなければいけない。

面倒くさいと思いつつも、しっかりとこれらをこなす私は、もしかすると結構偉いのではないか。褒められてもいい。全く傲慢な女だと言われてもいい。

面倒くさい服を脱ぐ行為を適当に終わらせ、脱いだどうでもいいティーシャツと高校の時部活で使っていたピラパン(テカテカしたカラフルなハーフパンツ)とキャミソールとパンティを裏返しのまま洗濯機に投げ入れた。

風呂場の戸を開けると、むわあと広がる湯気。

その湯気をめいっぱい吸い込むと、鼻の奥の方がぶわあっと温かくなって、熱くなって、心まで温まる。

換気扇を回しなさい。中に湯気がこもると冷めた後水滴になるでしょ、が口癖だった母を毎回思い出しながら換気扇を敢えて回さない。

「カンキセンをまわすとけむりがきえちゃうのぉ」

と昔泣き喚いた私は、この煙が大好きだった。冬場は特に白くなるから、立ってシャワーを浴びていると足の先の方が見えなくなる。なんだか魔法みたいと今でも思う。

蛇口を回して、風呂より少しぬるめの温度に蛇口を調節し、頭からお湯を浴びる。洗顔で顔を洗い、胸まである濡れた髪の毛を束ね頭の上の方で丸めて結んでから、手で風呂のお湯を混ぜる。

いい具合の熱さだ。

足の先からゆっくりと入り、じわじわと感じる熱さを楽しむ。

以前この話を仲の良かった馬鹿な男の同期にした時、そんなに熱いお湯に浸かるなんてお前どエムかよ!と社内の食堂に響き渡りそうな大声で笑いながら言った橘のことは一生忘れない。それに対して、むきになってどエムじゃねえよ!どエスだわ!とこれまた橘の声を上回る大きな声で叫んだ私は後日社内で、伊藤さんどエスなの?僕、実はエムなんだ。苛めてもらえないかなと数人の知らない社員からメールが来たり、女性の社員から遠巻きに見られたりと、恥ずかしさのあまりまもなく退社することになった。

むきになると、考えより先に言葉が出てしまうのは私の悪いところだ。その所為でこの年になってまで下らない家出を六年も続けている。自分でも何がしたいのかよく分からない。

そんなことはさておき、風呂に浸かると私は必ず目をつむる。

これまた母に、お風呂で寝ちゃダメ。溺れると危ないでしょう、と何度も言われた記憶があるがもちろん無視。

目をつむったら、今日の朝起きてから今現在までの出来事を思い返す。朝、少し寒くて目を覚ますと、まだ日の昇らない四時だった。こんな時間に起きてしまった自分と、時間を確認しようとして開いたスマートフォンの、今まで暗闇にいた人間の目に容赦のない光にイライラしてしまい、二度寝をした。二度寝をすると必ずと言っていいほどおやつの時間を過ぎないと起きない。何故私が三時のことを小さい子のようにおやつの時間というのかは、今でも三時きっかりにおやつを食べているからである。

二度寝をしての遅刻は、もちろん会社勤めの間は一回もしたことがないが、今となってはし放題のため、二度寝どころか三度寝、四度寝をし、気づいたら一日が終わり次の日の朝なんてこともよくある。

自分の中では数十分しか経っていないので、これは一種のタイムスリップではないのか、と若かりし高校生の時から思っている。タイムスリップしている割には、している回数が少ないのか、それともただ筋力を落としているだけなのか、年相応に老けたね、と友人に言われ萎えるこの頃である。

兎にも角にも、そんな高校生のころは二度寝遅刻魔と呼ばれた私が、今日は何故だかお昼ごろに目を覚ました。

いつもより腹が減ったから久しぶりにクックパッドを見た。一時間ほど調べてから、美味しそうな料理で簡単なレシピを探し出し、いざ作ろうかと思ったが、何も買い置きがなかったため、すっぴんでアパートの近くのコンビニまで行ったは良いものの、その徒歩に案外労力を使い作る気が失せたので、とりあえず飲むヨーグルトのアロエ味三本とピノと男梅のグミを買ってきて貪り食った。

こんな少量の食べ物に対して、貪り食うという言葉を使う不自然さは多少なりとも私も感じるが、ヨーグルト三本を秒で飲み干し、男梅のグミ袋を切るなり、口元に持っていき口に入るだけグミを流し込み、顎の力を自慢するかのようにぐにぐにと噛み、それもものの数分で食べ終わったのだから、貪り食うで正しいのだと思う。

ピノも豪快に食べるのかと、いもしない観客に思わせつつも、やっぱりそこは女の子だし、ピノ六つしかないし、味わいたいし、とあえてピノだけ特別に一つずつ刺して食べた。   

少し溶けたピノは、舌と上顎で押すと口の中で破裂するように潰れ、舌にチョコレートの甘さが最初に、その後、中の白いアイスの味がじんわりと広がる。やっぱりアイスは、ハーゲンダッツにしても、クーリッシュにしても、このピノでも、値段に関係なくカチコチより少し溶けているくらいが美味しい。

全て食べ終わると、ゴミを適当に分別して捨てて、平凡だけど座り心地は良い椅子に座り、和室に何故か合う作業用の机の上に置いてあるパソコンの電源を入れた。

ちなみにパソコンは最新のソフトを使っている。パソコンは私の命とほぼ同じであるから、最新のものにしておかないと老いている気がして嫌だ。

私の命と同じものはパソコン以外にも、この狭い部屋についている唯一の収納スペースであるおしいれをほぼ占領しているおよそ八百冊にも及ぶ愛おしい漫画たちや、いくつかの準お気に入りの本たち。そしてこれまでに稼いだお金がある。お金は、銀行から全て引き落とし、この部屋のある場所に隠して、しっかりと計算をしながら使っている。

面倒なやつの割にこういうところはA型っぽさがでて、しっかりしていると自分では思っている。

命と同じくらい大切なものを失うのは、私が死ぬのと同じだ!と受験期漫画を勝手に捨てそうになった母と大喧嘩したのを思いだした。受験期に漫画ばかり読んでいた私が悪いのかもしれないが、心底母親が憎かった。

案の定、第一志望の高校に落ちた私は泣く泣く私立の併願校に進学した。良かったことと言えば、そこで私は上位の成績を常にキープできたことくらいだった。友達作りは苦手だったから、よく話す女の子は帰宅部仲間の三人くらいしかいなかった。その三人とも帰りの電車が真逆ということもあり、放課後、私は一直線に家に帰り、ユーチューブでボーカロイドの曲をあさりながら、オンラインチャット部屋で見知らぬ人たちと会話をしていた。

大学ではそれなりに少し遅めのデビューとやらをした。化粧をすれば女は別人になる、と大学に入って一番に出来た友達の美香は言っていた。美香にメイクから流行りの服まで全てを教わった。そんな仲の良かった美香の連絡先は、今現在知らない。

新入生歓迎会では、しつこい勧誘に断れず、いわゆる飲みサーに入ってしまったためか、友人が沢山出来た。コミュニケーション能力も次第と上がって行って、四年生になるころには一丁前にコールを後輩に振って飲ませたり、一気飲みが得意になっていた。

今となっては、なんて危険で意味のない行為だろうと思うが、その時の私は間違いなく人生を目一杯楽しんでいた。

大学の友達は一生の友達、なんて中学の時の先生が言っていた気がしたが、そういえばあの先生は女子大出身だったっけなどと、本当にどうでもいいことを思い出した。

パソコンをつけて、自分のブログを更新するため、ワードファイルをクリックする。書き溜めたポエムや詩がずらりと並んでいて、今日はどれを載せようかと、閲覧者の少ないブログの割に色んなファイルを開いては消してを繰り返して悩んだ。

あ、これいいかも、と久しぶりに開いた意味の分からないファイル。


『バナナと私』


ばぬぬ

ばなな

卑猥


それはそんなこと考えもせず生まれてきただけなのに

今の私には卑猥なものを彷彿とさせる


だがしかし美味しい

とても美味しい


大人も、子どもも、スポーツ選手も、お年寄りも

みんな好きなバナナ


ただ少し反り返って

棒のようで

皮をむかなきゃいけないから


思春期を迎えるとなんだか人前では食べづらくなる


そんなばななの

そんな私の

そんな秘密


この時何を考えてこれを書いたのか、今となっては謎であるが、今日はこれを載せようと決めコピーし、ブログの投稿ページに張り付ける。投稿ボタンを押し、投稿を完了させ、ブログのページは一旦しまって、ワードをまた開く。

今日はどんなのを書こうか。悩んで、悩んで、大好きなボーカロイドの曲を聴きながら感傷に浸り、二つ書けた。それを書くだけで五時間もかかった。時計を見ると夜の八時だった。書くのをやめて風呂に入ってから寝ようと思い今に至る。

本日も真に何もない一日でした。

そろそろ顔が汗まみれになってきたので、風呂から上がり、ヘアゴムを髪から外す。元彼が好きで買い置きしていてまだ沢山あるパンテーンのシャンプーを、シャワーでよく濡らした髪につける。わっしゃわっしゃと髪の毛を洗い、よく流す。流し終わったら、手でよく髪の毛を絞ってからタオルで少し拭いて、同じくパンテーンのリンスインコンディショナーを髪の毛全体に着ける。そしてしばし待つ。待っている間に体を隅々までよく洗ってから、顔のにきびの位置、新入りや成長具合を確認する。それが終わってから、リンスインコンディショナーと一緒にボディーソープも流す。最後に髪の毛をタオルで上にあげて、体をもう一度お湯で流してからあがる。

身体をタオルでしっかり拭いて、とうとう紐パンに足を通す。ブラジャーはつけて寝ない主義だから、洗面所の明日着る服の籠に入れておく。

ああ、とうとうこのパンティを履く日が来たのね、と感慨にふけってはみたものの、履き心地はいつも履いてるパンツと同じようだ。

ただ、横に紐が付いている。これを外すと私の私があらわになる。でもまた結ぶのが面倒くさそうだから外すのはやめようと思い、そのままスウェットを着た。

ただタオルで上げただけの髪の毛を下ろし、タオルでよく拭いてから、パンテーンのミルクを二プッシュして髪の毛につける。

それからドライヤーのコンセントを入れて、風をHOTの強にして、髪の毛を下から持ち上げるようにして、頭皮を乾かす。

髪を乾かすのが嫌いだから、いつかどこかで聞いた、頭皮だけ乾いていれば大丈夫という、全くあてにもできない誰かの言葉を信じ、ある程度頭皮とその近くの髪の毛が乾いたらドライヤーを止める。

この方法で風邪をひいたり、熱を出していないから、私が信じきっているこの誰かの発言は正しいのかもしれない。

ある程度乾いたのでドライヤーを止め、部屋の電気を消して、スマートフォンの明かりで布団までの経路を照らし、明日のアラームをセットして私は眠りにつく。

明日は新宿で十二時に待ち合わせだから、九時には起きよう。八時半から十分ごとに九時までアラームをつけて、私は目を閉じた。

ガタンガタンという大雨で、ついでに風も強い最悪な天候のような音で私は目覚めた。出窓からは多分七時くらいの日差しがさしていた。

アラームは九時にセットしたから相当早起きをしてしまった。そんなことを考えながら部屋の時計を見ると、やはり七時十五分くらいだった。 

伸びをしてから天井を眺めてぼーっとする。

目覚めても私はすぐに起き上がることができない。実はこれには深い訳がある。

小学校六年生の遠足の日。胸を弾ませ、母に朝よと起こされた日。思い切り起き上がった私は、頭がぐらりとしたと思うと同時に、目の前が急に暗くなり、気づくと焦燥した母と救急隊員の顔があった。

あれ、遠足は?などとのんきな言葉がまず最初に頭をよぎり、その後自分の声が出ないことに驚いた。

声の出し方ってどんなだっけ。あれ、手も足も動かないぞ。

頭はしっかりと声を出しているのに、手足を動かそうとしているのに、体のほうが全くそれらのやり方を忘れているようで、目だけをぎょろぎょろと動かして、必死に遠足はどうなったのかを母に訴え聞いていた。

私はそのまま救急車で運ばれた。運ばれている最中、母はというと、私のせいかしら、などと動かない私の手を握ったまま涙ぐんでいた。

救急隊は喋れる?名前言える?などと質問攻め。質問攻めという表現はおかしいか。まあ、私はそれらに答えることが出来ないので、途中からは聞くのをやめ、初めて乗る救急車の中をじっくり見まわした。いろんな道具が所狭しと置いてあったり、かけてあったり。ああ、ここでたくさんの命が助かり、失われてきたんだな、などと自分が今どんな状況にあるのかもよく分からずに考えていた。

病院につくと、血を抜かれたり、点滴を刺されたり、脳に異常がないか調べたり、そんなことをされているうちに声が出るようになった。私の第一声は

「ママ、遠足行きたい」

だった。

そんな私にあんた馬鹿じゃないの、と母は言い、頭を叩いた。抱きしめるところではないのかここは、と困惑した。

医者は、貧血もないですし、脳に異常も見られないので、脳貧血じゃないですかね、と言った。血圧が下がって脳に酸素がいかなくなって起こるものらしい。ちゃんとした病名は急性迷走神経反射。その後私は、この迷走神経反射というもので三回ほど救急車で運ばれることになるのだが、それはまたの機会に話すとしよう。

兎にも角にも、私はこの時のトラウマがあり、朝起きてすぐに起き上がることをしなくなった。まあ、そのせいで二度寝、三度寝をしてしまうという言い訳を聞いてほしいものだ。だが今日は昼から約束があるため、二度寝をしたら即アウト。こんな時には音楽の力を借りる。スマートフォンを開き、音楽再生アプリを開く。椎名林檎の「人生は夢だらけ」。


 大人になってまで胸を焦がして


冒頭は切ないようなピアノと、椎名林檎の不安定だけれど艶と芯のある歌声が爽快に流れる。歌詞はどんどん人生を下降し、年を取ると時が流れるのが早くなるかのようにアップテンポになっていく。そしてサビが流れる。


 これが人生 私の人生 鱈腹味わいたい


ここで私は毎回踊りたい衝動に駆られる。蝶になって舞ってしまいたい、バレリーナになって舞台の上をくるくる回って見せたい。その衝動を、起き上がる力に変える。

「こんな布団の中で一生を終えてたまるもんですかあ!」

と一人で呟きながら、布団を蹴り飛ばして窓に向かう。

 カーテンを開けて雨戸をずらすと、気持ちのいい秋晴れだった。

 秋だけどまだまだ暑いな。

ガタンガタンの音の正体は全くつかめず、もしかしたら夢なのではないか。夢じゃなかったら霊だろうか。やはりタンスは呪われているのか。それは怖いから夢ということにしておこう、などと考えながら、トイレに向かう。

私の寝起きはトイレから始まる。トイレに入ってパンツをおろす。便座に座って一息つき、パンツに目をやる。

あっ、紐パン…。そうだった。今日の私は一味違うではないか。いつものただの女じゃない。紐パンをはいているのだから。

いつも便座に座りながら、もっと思慮深いことを考えるのに、今日はパンティのことで頭がいっぱいだ。

トイレを済ますと、手を洗ってからパンツ以外脱ぎ捨て、洗濯機にぶち込む。それから昨日、カゴの中に入れて置いたブラジャーをさっそくつけた。下着姿で、鏡の前に立つ。とりあえず色っぽいポーズをグラビアアイドル気取りでいくつかとってみる。

貧相な体だ。

大人目清楚系の紺色のワンピースを着て、黒タイツをはく。暗い茶髪の髪の毛は、細めのコテで、慣れた手つきで前髪をふんわりと巻いてから、おろしている髪を内巻きにして、後ろをハーフアップに結び、真ん中に渋いピンク色のリボンをつける。それから化粧。

化粧をしてから髪の毛をセットする人が多い中、私はなぜかこだわりを持って、髪からセットするのだ。

ベースメイクをささっと済ますと、清楚系人気度NO,1カラーコンタクト(ネット調べ)を入れ、アイシャドウ、アイライン、眉毛etc…ささっと、ものの十五分で完成する詐欺メイク。

マツエク(まつ毛エクステ)をしているからこの時間で終わるんだけどね。

朝ご飯はいつも食べない。時間は早起きしたこともあってまだ十時だった。

少し早めに出て、ジューススタンドでフレッシュな野菜ジュースを飲むか。

家を出る予定時刻は十一時二分であったが、天気もいいし特に家でやることもなかったのでジュースを買って散歩がてら乗り合わせのいい二駅分を歩くことにした。とりあえず最寄りの駅のジューススタンドで巨峰ヨーグルトのエルサイズを購入したものの、二分で飲み干す。駅に設置してあるゴミ箱にからの紙コップを捨て、駅から出て、木々の生い茂る道路沿いを歩く。

散歩のときは大好きな音楽は聞かない。会社勤めだった朝の通勤ラッシュの時、人の自分勝手がもっとも出るであろう満員電車、ホーム、その喧騒が大嫌いで、私はずっとイヤホンをつけて音楽を聴いていた。音楽を聴いているときは、私がドラマの主人公になれた。ボカロを筆頭に、椎名林檎、マイヘア、アニソン、ピアノソナタ第十五番。長い通勤時間に、たくさんのドラマが頭の中で音楽とともに浮かんだ。

満員電車によく乗っていたが、幸い一度も痴漢という名の愚劣な奴には会わなかった。

一度だけ、私の隣に立っていたスーツを着ている小さくて気の弱そうなメガネの女性が、泣きそうな目で訴えてきたことがあった。まさかと思い後ろに目をやると、何食わぬ顔でその女性のスカートをまくり上げ、その中に手を入れている若い男がいた。

私は、満員電車の中で身動きも全く取れないのについカッとなって、無理矢理自分の体を捻じ曲げ、その男の手を思い切り掴み、あんた何してんの!ちょっと外でなさいよ。下衆野郎!とその車両全体に響き渡るような声で叫んでしまった。

男は小さな声で、な、なにもしてない…とだけ言って反抗的な目をしたので、さらに頭に血が上り、自分よりも身長の高い男の胸ぐらを掴んで殴ろうとした。ちょうどそのとき電車が駅につき、私もなぜか周りの人たちになだめられ、私の手を振り払い逃げようとした痴漢男は他の男性に取り押さえられ、連行されていった。

その後、メガネの女性が駆け寄ってきて、ありがとうございました。宜しければ連絡先を教えていただけませんか。と言った。

電話番号だけ伝えて、私は電車に戻った。その後、お礼がしたいということでご飯に行く流れになり、趣味があったり、話があったりして、今ではすっかり仲のいい友達になってしまった。まあ、これから会う裕子がその子だったりするのだが。

秋の日差しになったとはいえ、まだまだ暑い九月の半ば。

歩いていると少し汗ばんでくる。

秋晴れの空は枯れて行く木々たちに、暖かい光を浴びせていた。道路は車の通りも少なく、静かだった。向こうからトラックがこちらに走ってきた。

もちろん私に向かって走ってきているわけではないのだが、大きいものがこちらに向かってくると私は少なからず恐怖を覚えた。

その時スッと、また言葉が浮かんだ。スマートフォンのブログアプリを開き、文字を打った。この気持ちを忘れないうちに。

『みんなと違う』


殺して

彼女はそう言った

嫌だ

僕はそう言った

じゃあ、殺すよ?

彼女が近づいてきた

ナイフがぐさりとお腹に刺さった

僕は彼女を抱きしめた


二人で死のうか


彼女は泣きながらありがとうって


こんなハッピーエンドなお話がごまんと散乱している世の中で

バッドエンドを好む変質者


殺して

彼女はそう言った

秒で殺した

それで彼女は楽になっただろう


サイコパス、嗚呼、サイコパス


何を書きたかったのか。よく分からない。ただ出てきた言葉をそのまま打ち込み、投稿ボタンを押した。

閲覧者数を見てみると、昨日のくだらないバナナがよかったのか、いつもの平均より三十人程多かった。

スマートフォンをバッグにしまい、また考え事をしながら歩き出す。考

私は母が嫌いだ。もうずっと、小さいころから嫌いだ。

私が五歳のころ弟ができた。母は弟を寵愛した。父はいたって普通の親だった。

私が勝手に疎外感を覚え始めたのは小学校に入ってからすぐのことだった。家庭だけではない。世界に疎外感を覚えた。悲しい時、嬉しい時、私は自由帳を広げて文字を綴った。言葉にすると分かりにくい自分の気持ちも、文字にすることで自分を見つめなおせた。

社会人になって二年目。母と大喧嘩をした。仕事にやりがいを感じたことがなかった。辞めたい。そう言った。母は冷たかった。私のことなど考えていないのだ。

私はどうすればいいのか分からなかった。今でさえよく分からない。それを探すのが人生なのか。長い道のりだ。

考え事をしていると、時間はあっという間に過ぎる。

二駅分歩きおわり、駅に着いた。時計を見ると、予定していた電車の時間の十分前だった。ちょうどいい。

それほど混んでいない昼の東京行きの中央線に乗る。立っている人は少なく、ほとんどの人が座っている。珍しく三人がけの椅子の端が空いていたので、そこに腰を下ろした。  

スマートフォンをカバンから取り出すと、裕子から連絡が来ていた。

今電車に乗りました~!楽しみですね!!

私も今乗ったよ~

と返信を返す。待ち合わせ場所まで三十分程度だ。

壁にもたれかかり、私は目を閉じた。

車の揺れや、電車、新幹線、飛行機。乗り物に乗るとすぐ寝てしまうのは、ずっと変わらない。どんなに荒い運転を友人にされたとしても、私は爆睡をしてしまう。以前、そのまま死んでたらどうすんのよ、と友人に言われた時、あり得るかもしれない、と始めて少し恐怖を覚えたが、相変わらず眠気が襲ってくるので、私は乗り物に乗ると寝てしまう。お陰で乗り物酔いというのをしたことがない。

そういや、船には乗ったことがないな。船酔いはするかもしれない。

中野~中野~

電車のアナウンスで目を覚ます。

あと一駅か。

スマートフォンの育成ゲームのアプリを開き、適当に餌をやり、こちょこちょとペットをくすぐると、画面の中でペットはうにうにと笑った。

新宿駅に着いた。

新宿駅構内は、以前何度も迷いに迷った。そのため完璧に道を覚えた。

そんな構内をスルスルと歩き、さすが新宿。平日なのに混んでいるな、などと考えながら、東口を目指した。

改札を出るとすぐに、ベージュのニットのセーターと、黒のロングスカートに朱色のベレー帽をかぶった裕子が目に入った。裕子は、まるで合コンで男ウケを狙うな萌え袖と、うさぎメイク(主に涙袋に赤やピンクのシャドウを塗り、うさぎのような、泣いて潤でいる可愛らしい目を作るメイク)をして、丸メガネをつけていた。

なんで今まで彼氏がいないのか謎なほど可愛いが、本人曰く男の人とどこかへデートに行っても緊張してうまく喋れなくて、会話が続かないのだと言う。そのうち男からの連絡は途絶え、今も彼氏がいないのだと。

こんな可愛いのに勿体無いなぁ。

東口を出て、歌舞伎町の方に進む。ランチに、美味しいワインとお肉がリーズナブルにいただける肉バルを予約してある。

「前からずっと行きたかったんですよ、ココ」

突然裕子は話し出した。身長の低い裕子は、いつも私と話す時少し上目遣いになる。

「裕子ワイン大好きだもんね」

「今日はたくさん飲めるように朝から何も飲み食べしてないんです!」

「それは良くないんじゃ…」

裕子はさほどお酒が強くない。その割にワインが大好きで、ワインを飲みすぎて泥酔し、私が家まで送って行ったことが何回があった。

昼の歌舞伎町は、夜と比べると健全で、ただの道だった。夜になると湧いて出てくるキャッチや、ホストや、ケバい女や、酔っ払いのサラリーマンは死んだのではないかと思わせるほどだった。

歌舞伎町を少し入ると、右側に古い五階建の建物があった。細い入り口を入り、エレベーターで三階まで行く。三階についてエレベーターをでると、すぐに肉バルの文字が見えた。 

裕子が興奮ぎみに、予約していたカトウです、と私の苗字を言った。

「二名様でご予約のカトウ様ですね。お待ちしておりました」

ボロボロの外装だった建物とは思えないほど、中は黒を基調としたオシャレな作りになっており、シャンデリアや、レースや、宝石のようなガラスが壁に散りばめられていた。 

私たちが席に着くと店員はメニューを持って来た。

「ランチのご説明をさせていただきます。本日のサラダは、牛肉とゴルゴンゾーラのサラダ。本日のスープは、コンソメとコンポタージュからお選びいただけます。ワインの飲み放題は、こちらのランチDコースのお客様限定になりますが。AからCのランチでも、こちらで選ばせていただいている食前酒と、お好きなワインを一杯お選びいただだけます」

説明が終わると、ではお決まりになりました頃、と言う店員の言葉を遮って、裕子はDコース二つでお願いします。と口早に言った。

すぐに食前酒とワインの飲み放題メニューが運ばれてきた。

店員は食前酒です。二時間制のラストオーダーは九十分になります。とだけ言い何のお酒かろくに説明せずに行ってしまった。裕子はまず香りを楽しみ、それから一口、味わうように口に含んだ。

「佳奈美さん、これ、シャンパンですよ!美味しい、飲みやすい!」

ゴクゴクと残りを飲み干すと、すぐに飲み放題のメニューに目をやり、次に飲むものを決めている。

「あんた昼から泥酔しないでよね」

「分かってますって」

気の弱そうな裕子は、女の人の前では普通の女の子だ。酔うと、気の弱い、物静かなイメージとは正反対に、うるさくなるくらいだ。

私もシャンパンを一口飲む。口当たりがすっきりとしていて飲みやすい。

少しするとサラダが運ばれてきた。店員がサラダを机に置くなり裕子は素早く、次のワインを頼んでいる。

 一時間もすると、裕子はもうベロベロだった。

「だ~か~ら~、言ってるんですってえ!なんでえ、恋人いないんですかあああって!」

「裕子もう飲むのやめなさいよ……」

「嫌ですう。というかあ!周りの人間たちは見る目ないんですよお~」

何杯飲んだのか。途中から数えるのをやめたのか。数えられなくなったのか分からない裕子は、こうなると私への説教が止まらない。何故恋人がいないのか。何故作らないのか。私のやる気がないだとか、周りの見る目がないだとか。

全く余計なお世話だ。

私はこの後の予定もあるので、食前のシャンパンを含めても三杯しか飲んでいない。

ランチはメインの牛肉のフィレステーキが先ほど来たところだった。私も裕子も、見た目の割には大食いのため、柔らかいステーキをぺろりと食べ終え、周りにあった人参のグラッセやポテトも綺麗に食べた。裕子はその間にもまた一杯ワインを飲む。今日はいつもより格段にペースが速い。

「あんた今日ペース早くない?」

「だってだって!あと、ほら!もう十五分しかないですよ!」

裕子は今運ばれてきたワインのグラスを鷲掴みにして、一気飲みし、直ぐに店員を呼んだ。店員はどんだけ飲むんだこいつ…という顔を隠しきれていなかった。きっと裏では、あの卓の女やばいですよ、と言っているのだろう。私だったら言う。

デザートのフルーツが沢山のっているミニタルトが運ばれてくるまでに、もう一杯おかわりをした裕子は流石にお腹一杯になりました、と言った。

店員が

「ドリンクのラストオーダーのお時間ですがどうなさいますか」

と言いにきたが、裕子はお水下さい、とだけ言ってトイレにたった。

私は、四杯飲んでほろ酔いの気持ちのいい気分だった。

デザートを食べ終わり、裕子も少し落ち着いてから私たちは店を出た。落ち着いたと言っても裕子はかなりベロベロで、千鳥足だった。日が傾いてきたからか、歌舞伎町は少しだけ賑やかになっていた。

「か、なみ、さん…私やばい…」

少し歩くと裕子は休憩しないと死にそうだと言い出した。

そりゃあれだけ飲んだらそうなるわ…と思いながら、近くのぼろいラブホテルに入った。ラブホテルに入ることは、女子会や撮影で最近よく使っていたため、抵抗はなかった。

部屋に入ると、裕子は荷物をドカッと床においてベッドに座った。私も荷物を椅子の上において、隣に座る。

「す、すみません。ちょっと寒いんで風呂入ってきます」

突然そう言って、裕子は透明の扉で中が透けている風呂場に行こうとした。

「風呂はだめだよ!余計お酒回るから!」

と、とっさに私は裕子の腕をひいた。裕子は体勢を崩して私をベッドに押し倒す形で倒れた。

「ゆうこ…、大丈夫?」

仰向けにベッドで倒れた私の上に、裕子が覆いかぶさっている。

返事がないので、裕子の方を向くと、裕子は私の顔をずっと見ていた。

「何…?」

裕子はそれでもなお私の顔を見続けている。目が合って、数秒。裕子の顔は、私の眼の前にあった。

「……?」

キスをされていた。私も少し酔っていた。舌と舌が絡み合った。裕子は、自分の胸に私の手を導いた。私は、裕子の胸を優しく揉み、スカートをめくった。裕子は、白いレースのブラジャーと、白地にピンク色のレースが付いた花柄の紐パンを履いていた。裕子は耳元で

「といてください…」

と、言った。

私は、妖艶な蝶に惑わされるかのように紐を解いた。

理性はとうに失っていた。

一時間くらいだろうか。私たちは、恋人のようにお互いを求めあった。行為が終わって、お互いの酔いがほぼ冷めた頃。同じベッドに逆向きで私たちは寝転がっていた。

「ごめんなさい。私、佳奈美さんのこと好きだったんです…。ずっと。あの日から」

消え入りそうな声で裕子は言った。

「今日、告白しようって思ってたんです。女同士なんてって言われるのが。大好きなんです、佳奈美さんのこと。嫌われるのが怖くて、怖くて。お酒の力を借りようとして。私…、私…。本当に…、ごめんなさい…」

裕子は泣いていた。

「裕子…」

「私、男の人を恋愛対象に見ることが出来なくて。気持ち悪いんです。高校生の時、親友に自分がレズビアンだと言いました。次の日から、その子は他人になりました。幸せな話のように、良い理解者にはなってくれませんでした。それからこの気持を誰にも、親にも言わず、言えず、隠してきたのに…」

お互い顔は合せなかった。ずっと反対を向いていた。同じ布団の中で、お互いの身体の温かさだけが、少しだけ伝わっていた。

「まず、私を好きになってくれてありがとう、裕子」

裕子は相変わらず泣いていた。鼻のすする音が聞こえる。

「でも、その気持ちには答えられない。もちろん、裕子のことは好きよ。でも、恋人にはなれない。ごめんね」

ふと、どこかで聞いた話を思い出した。告白されて、振るのなら、その後は優しくしてはいけない。優しくし続けるのは、自分が嫌われたくないうぬぼれがすることだ。どこかで聞いた話だった。このまま、仲の良い友人でい続けることは、裕子にとって酷なことなのだろうか。私は言葉に詰まった。

「気持ちを伝えて、振られようって、思ってたんです。このままずっとこの気持を秘めながらいるのはつらかったから」

裕子は、自分に言い聞かせるように話し始めた。

「うん」

「嫌われても良かったんです。ただ怖くて…」

「うん」

「嘘!嫌われたくなんてなかった。ずっと、佳奈美さんと一緒にいたい…」

「うん」

「何が、マイノリティですか。気持ち悪いですか。ただ好きになった人が同性だっただけです。同じです。いけないことですか。違反ですか。分からないです。だって人が息をするのが当たり前なことと、何ら変わりないんです」

「うん。分かったよ。大丈夫」

「佳奈美さんに私の気持ちなんて分からない!」

「うん」

「分かるわけないんです…。当事者じゃないくせに。偽善者…」

「うん」

「嫌いなら、気持ち悪いなら、言って下さいよ!酔った勢いならなおさら!」

私は裕子の方を向いて、頭を撫でて抱きしめた。この行為が、正解なのか、不正解なのかは分からなかった。でもこうせずにはいられなかった。裕子の身体は一瞬固まった。その後こちらを向いてから、私の身体を抱き返した。温かかった。

「私も流されて、行為をしてしまった。裕子の気持ちを知らなかったにせよ、それは謝らせて。ごめん。でも、裕子とはずっと良い友達でいたい」

私は裕子の顔を見た。裕子は私の胸の中で泣いていた。

部屋は静かだった。

「裕子がつらいならもう会わなくてもいいよ」

うぬぼれと言われても、いい。だって本当にそう思っているから。良い友達でいたい。関係を切りたくはない。

元彼は別れた次の日から、まるで他人のように私と接した。目すら合せなかった。幸せな時間の思い出たちが、泥の中に沈んだ。私の悪口を言っていると聞いた。別れは、嫌いになった時にくるものなのだと私は知った。私はまだ、元彼のことを嫌いになれていない。私は、人間を嫌いになったことがない。なりたくない。弱虫でも、偽善者と言われてもいい。人を嫌いになるくらいなら、嫌われる方がいい。だから永遠に、私は自分から別れを切り出せない弱虫だ。

「佳奈美さんは、ずるいです」

裕子は私を抱きしめながら言った。

「私ねー。嫌いも好きも、分からないのよ」

なんだか私も泣きたくなった。目頭が熱くなるのをこらえた。

「嫌いになれないの、知ってるくせに」

「いい人、見つかるよ。裕子は可愛いから」

私が言うか、と自分で思ったが、こう言うしかなかった。流石にこの言葉は酷だと思った。

「わっかりました」

裕子は突然起き上がると、涙と鼻水を布団で拭いて、私の方を見てにこっと笑った。いつもの可愛い裕子だった。

「佳奈美さん、ありがとうございます。拒否しないでくれて。会うの、辞めましょう」

また泣き出しそうになるのをこらえながら裕子は唇を噛んでいた。

ここで慰めるのは違うと思った。

「分かった」

「私に恋人が出来たら、報告します。そしたら恋バナしましょう」

私たちは布団から出て、服を着てホテルを後にした。すっかり日の落ちた新宿の町並みは、いつも以上に賑やかで、喧騒が私の胸に突き刺さった。駅に着くと裕子は、じゃあまた、と言って小さく手を振り、京王線の改札口に消えて行った。

これからとてもじゃないが、下心があるかもしれない男と会う気にはなれなかった。

スマホを開いてメッセージをチェックすると、彼からメッセージが来ていた。

着いたら、教えて

私は、新宿のデパートのトイレで化粧を直してから、JRの改札を通り、山手線のホームへ向かった。

電車は少し混んでいた。帰宅ラッシュ。疲れた空気の充満する車内。私はブログを開く。どうしても、今。書きたい。この気持ち。もやもやが、言葉になってスマホの文字をタップした。


『変化』


私は私が分からない

人は変わる

自分が気づかないうちに変わっていく


大好きだった納豆が

大嫌いだったピーマンが

苦手になり、好きになり


飲めなかったビールを美味しいと言って

よく飲んでいたコーラが飲みづらくなって

嫌いも好きも


みんなが変わっていると思っていたのは

私が変わっていなかったから


変わりたくないと願いながら

気づかないうちに変わってしまうのが

私はとてつもなく怖いんだ


打ち終わってから文を見直し、投稿の文字を押した。

心のもやもやは、少し減ったくらいで、まだ残っていた。

目的地に着くと、彼はスーツ姿で待っていた。タクシーに乗り込み他愛のない会話をした。美味しいディナーも、楽しい会話も、かっこいい彼の顔も、全てが私の理想だった。トイレを済ませて席に着くと、会計はどうやら終わっているようだった。

出来る男はやはり違うな、と勝手に感心した。私が財布からお金を出すことは一度もなく、しかも申し訳なさすら、言葉巧みなセリフで感じさせられなかった。これなら、もしホテルに誘われてもいいと思った。

案の定、上にホテルとってあるんだ。スイートルームなんだけど…、と言われた。なんだけど、と言われても、と心で思いながら、ちょっと酔っ払っちゃったから伺うわ、と言った。

エレベーターに乗り込み、一番上から一つ下の階のボタンを彼は押した。ルームキーはもう持っているようで、いつチェックインしたのか分からなかった。部屋に着くと、彼はカードキーを扉に差し込み、ドアを開けた。私の眼の前に広い部屋と、大きな窓に綺麗な夜景が広がった。

「素敵…」

心から、何も考えずにその言葉が出た。

ガラスのテーブルに荷物を置き、シャワーに入ろうと立ち上がった。

「私、シャワー浴びてもいいかしら」

と、突然、後ろから抱きしめられ、キスをされた。

やはりこうなるか。しかし先にシャワーを浴びさせてほしかった。まあ、下着はレベルマックスのものを装備しているからセーフか。紐パンを履いていなければ、私の脳内はエマージェンシーを発動させただろうが、今日の私は準備ばっちりだ、と考えながら私はベッドに押し倒された。ベッドも、ぼろいラブホテルとは比べ物にならないくらいふかふかだった。

濃厚なディープキスをされ、スカートを荒々しくまくりあげた手は、タイツを丁寧に降ろし、その目はパンティをとらえた。

「へえ、エロい下着。女のくせに、ヤル気満々じゃん。変態だなあ」

彼は、そう言って私の眼を見てから、紐を解こうとした。

悪い癖だ。本当に。

彼を突き飛ばし、急いでタイツとスカートを直し、荷物を持って、私は部屋を飛び出した。

彼は追っては来なかった。

思い描いていた通りじゃなかったのか。

もやもやはいつの間にか怒りに変わっていた。私はこの怒りが分からないでいた。腹の居所が悪かった。ホテルを出ると雨が降っていた。生憎いつも持ち歩いている折り畳み傘は、秋晴れのため家に置いてきてしまった。

でもそれで良かったのかもしれない。雨に濡れたい気分だ。

気づくと母に電話をかけていた。

「もしもし」

一年ぶりの機械越しの母の声だった。変わらない、私の嫌いな母がいた。私は黙っていた。

「あんた何年もほっつき歩いて連絡もよこさないで!」

常に偽善者で、大嫌いだった母に向かって、イライラをぶつけようと思った。あんだけ私の心に傷を作っておいてと、言おうとした。私は母の問いを無視した。

「聞こえてんの?」

少し間が空いた。お互い沈黙した。

「お母さん。大好き」

自分でも驚くほど、その言葉はすんなりと機械と雨に飲み込まれていった。

「そんなこと言うためにかけてきたの?」

言葉は相変わらず冷たいが、少し照れた母の顔が浮かんだ。

「そんだけ」

「あんた、帰ってきなさいよ」

「うん。また連絡する」

暖かい雨が頬を伝った。

家に帰ると、夜中の一時を回っていた。

びしょびしょに濡れた服を脱いで洗濯機にぶち込んで、昨日のお湯を沸かした。沸くまで、裸で廊下に体育座りして、スマホのメモ機能に頭から溢れ出る文字を打ち込んだ。

数十分すると風呂が沸いた。スマホを置いて、風呂に入った。湯気が私を包んだ。湯気に、心のもやは溶け込んだ。風呂から出て、髪の毛をタオルであげて、私は椅子に座り、パソコンをつけた。ブログを開いて、さっきスマホで打った文字たちを、ファイルに保存するため打ち直す。


『綴』


私の文字は道だった

過去に通ずる道だった


過去の私はただの子どもだったのだろう

今の私が大人になったわけではないが


私は私の文字を通して生きていく

痛みも寂しさも

世の不協和音だって愛せる

時にはばななを食べ

少しずつ変る私自身の変化におびえながら


私は生きていく

文字を綴りながら


過去のブログを開くと、過去の私がいた。

涙が出た。

不安は、常に私の中にあるのね。文字は私の心なのね。

今更、今まで自分がしてきたことの意味を理解した。意味なんてたいそうなものでもないけれど。正解なんて、答えなんて、人生の生きているうちには見つけられないし、死んでからだって、また探すのだと思う。

ただ、私はその瞬間、自分の思ったように生きていたい。それが少しずつ変化しているのなら、いつの時のピリオドの私自身も愛していたい。そのピリオドが、こうして文字になり、道となって私自身を示すのなら、私はブログを書き続ける。私にとって、文字は、大切な記憶なのだから。

 下書きを三つほど書き終えた頃には、朝日が昇っていた。今日もどうやら秋晴れのような透き通った青い空だった。

スマホを開いて母のメッセージに文字を打った。

来週末、帰るから。

朝の早い時間帯なのに、すぐに返事が来た。

待ってます。

返事はそれだけだった。

私はスマホをベッドに投げて、暖かい日の射すカーテンを勢いよく閉めた。


おやすみ、今日の私。






メッセージ 新着一件


来週末、帰るから。5:12 既読


母 待ってます。5:14


母 あんたの好きなハンバーグ作っとくよ。5:58





 

■参考文献

・https://www.uta-net.com/song/241087/

 人生は夢だらけ-椎名林檎-歌詞:歌ネット

 閲覧日:2018.11.02

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