◇ 神に代わり罰し、ついに神の怒りを買った。

「っああ、また池に浮かんでいたり、丘向こうの山に登られようとしていたらどうしようかと……っ!」


 書庫から顔を出すと、駆け付けて来たメイドに開口一番そう言われた。さすがにそんなことはした覚えがないわ、というファニーシュの抗議の声は聞き流され、自室に連れ戻された。


 身だしなみを整え、朝食を摂る為に居間に出る。両親とリーヴィは既に部屋にいたが、パルフェの姿がない。周囲を見渡していると、ザヌが問う。


「この日、パルフェは朝食に遅れて来たか」

「ん~……いいえ。ちゃんと時間通りに来ていたわ」


 覚えているというよりも、パルフェは遅刻や欠席自体が珍しいのだ。体調不良は大天使の加護とやらでほぼ無いにしても、几帳面で予習復習をしっかりとし、準備を整えた後も何度も確認するほど心配性なパルフェが、遅れることは基本的に無い。うっかり寝坊したというのなら話は別だが、彼女は今朝お祈りをしていたのでそれもないだろう。


「ねえ、パルフェは?」


 席に着いた義弟のリーヴィに声をかけると、彼はいつもパルフェが座る席をちらりと見やり、首を傾げた。


「さあ……?」

「ん~……ちょっと見て、」


 くる。と続けようとしたその時、パルフェが背後の扉から入って来た。ほっとしたのも束の間、あまりにも青白い顔をした彼女にファニーシュは驚き、慌てて駆け寄った。


「どうしたのパルフェ! 真っ青よ!」

「い、え……」


 大天使の加護がある限り、体調不良はありえないのではなかったのか。ザヌにパルフェを呪うよう指示も出していないというのに、何が起こっているのだろうか。


 ファニーシュの大きな声でパルフェの様子に気づいた母も歩み寄って来て、パルフェの額にそっと触れた。


「熱は、無さそうだけれど……無理せず今日は休みなさい。先生には私から連絡しておきます」

「はい……」

「パルフェ、大丈夫? どこか苦しいの?」


 心配になって話しかけると、パルフェは弱弱しく微笑み、ゆっくりと首を振った。


「いいえ……心配いりません、お姉様……」

「でも……」

「今日は少し、お祈りに時間をかけてしまったから……体が冷えたのかも、しれません」


 確かに、触れた彼女の肩はひんやりとしているけれど、本当にそれだけだろうか。


 食事は部屋でとると言って、パルフェはよろめき、侍女に体を支えられながら居間を出て行った。


***


「ねえ、ザヌ! わたくしに黙って、パルフェを呪ったりしていないわよね?」

「無論」


 朝食後、記憶通りリーヴィの臨時家庭教師の大声を遠くに聞きながら、ファニーシュは自室でザヌを問い詰めた。他の悪魔のように屁理屈をこねてパルフェを呪いでもしたのかと思ったが、ザヌは冷静にそれを否定した。


「わらわが呪えば、大天使の加護で跳ね返った呪いがそちに降りかかっておるわ」

「確かにそうね!」


 じゃあ違うか。とはいえ、考えれば考える程、パルフェの体調が崩れた理由が分からない。悩み唸るファニーシュを冷ややかに見つめ、ザヌは口を開く。


「機会を逃さぬ為には、怠けている時間はない。今回は捨てるという約束だ。さあ、そちはそちのするべきことをせよ」

「ん~……そうね……」


 次回はパルフェが良くなることを願って、ファニーシュはザヌに問われた事を一つずつ知ることに注力することにした。


「ええと、それじゃあ……パルフェに関することは、パルフェが元気になって聞けそうになってからにしましょう! まずは、わたくしが毎月教会に行く理由ね!」


 とりあえず自身の日記を確認してみるが、やはり記憶通り『友達がいるから会いに行っている』という認識のようだ。何故教会に預けられていたのかすらも、(気にしていなかったのだから当然だが)書かれていない。自分の考えがあてにならないとなれば、次に頼るべきは両親だ。


 父は既に仕事に出てしまっていたので、ファニーシュは母の部屋を訪れた。


「お母様! ちょっといいかしら!」

「はい。どうしましたか、ファニーシュ」


 扉から姿を現したファニーシュを見て微笑む母につられてこちらも笑みを浮かべながら、大きなソファに腰かける母の隣にファニーシュは腰かけた。


「わたくしはどうして、毎月教会に行くのかしら!」


 微笑む表情を変えぬまま、しかし母は確かに指先をピクリと反応させた。


「どうして、そのことが気になったの?」

「お友達に会えるのは嬉しいけれど、教会に行ってもわたくしお喋りしてお菓子を食べているだけでしょう? その時間を、お勉強の時間にあてればパルフェやリーヴィに置いて行かれなくて済むと思うの!」


 その言葉は嘘ではなかった。ザヌに問われてから、ファニーシュなりに考えて、時間の有効活用とやらができればいいのにと思ったのだ。実際、ファニーシュは教育の何もかもが後回しにされて妹弟よりも遅れていて、ほんの少し気にしていた。


 ねえ、どうなの。と母の顔を覗き込むと、母は少し難しい顔をして「そうねぇ……」と肯定なのか独り言なのか曖昧な相槌を打った。


「あの子達を、うちの茶会に呼ぶのでは駄目なの?」

「ファニーシュ……あの子達は、長距離を移動できるほどの体では……」

「あ、そっか!」


 そういえば、教会の友達は皆、体のどこかが弱い。馬車の振動では痛む程に過敏になっている者もいるし、大きく環境が変化するのは良くないと、いつだったか神父も言っていた。


 じゃあ、元気なファニーシュが向かう方が良いか。そう考え、ザヌの問いを思い出して首をかしげる。


 何故、ファニーシュはその教会に預けられていたのだろう?


 慈善活動だというのなら、リャーナルド家を継ぐリーヴィも参加すべきだ。心優しいパルフェが関わらなかったのもよく分からない。


「ねえ、お母様! わたくしはどうして、教会に預けられていたの? 確か、八つの頃まで教会のお世話になっていたわよね!」


 強請るように母の腕に絡みつく。母はしょうがない子を見るような慈しみの目でファニーシュを見つめ、口紅の乗った鮮やかな唇を動かした。


「まだ、知らなくていいのですよ。今は、まだ……」

「じゃあ、いつ教えてくださるの? 明日? 来週? 来月? 早く教えて欲しいわ! だって、」


 急かすように体を弾ませながら、ファニーシュは母の腕を揺すった。


「秋の月の二十日までに教えてもらえないと、困るの!」


 何度かやり直して分かった事がある。時間の巻き戻りは、いつも秋の月の二十日に起こる。パルフェの誕生日から丁度一週間後だ。それまでに聞き出せないと、また同じやり取りをしなければならない。


 そんなこちら側の都合を隠して押し付けられた母は、


「──」


 目を見開き、愕然としてこちらを見つめていた。


「ど、う……して」


 数回口をぱくぱくと動かした母は、絞り出したような声で言った。


「どうして、貴方がその日を……」

「え?」

「誰に聞いたのですか!? 誰! ファニーシュにこの事を教えたのは!」


 突然立ち上がり、母は使用人たちに向かって声を荒げた。一人一人に向かって睨みつけ、睨まれた使用人らは男も女も青ざめて、自分ではない、と首を振っていた。


「お、お母様、」


 こんな母の形相は見た事がない。止めようと伸ばしたファニーシュの手を、ザヌが鼻先で止めた。


「待て」


 何をするのだ。このままでは優しく穏やかな母が、使用人たちから恐れられてしまう。抗議的にザヌを睨みつけると同時に、母が声を上げた。


「パルフェの式日を教えたのは、誰です!」

「!」


 式日? 口の中で、母の言葉を繰り返す。パルフェが関わる式なんて、神との式ぐらいのはず……。


 戸惑いながら母を見上げれば、視線に気づいた母は視線をさ迷わせ、近くにいた使用人にファニーシュを押し付けて部屋から出て行ってしまった。


 静まり返った部屋で、数人のメイドがファニーシュと視線を合わせる為に近くで屈んだ。


「……さ、さあ、お嬢様。お部屋に戻りましょう」

「ええ……」


 彼女らの手を借りて、ソファから立ち上がる。後ろをついてくるザヌを振り返る。これまでの悪魔と違い、彼女は嗤っていなかった。


***


 自室に戻り、ファニーシュはベッドの上で寝転がり、しばらくぼうっとしていた。


 パルフェの式日に時間の巻き戻りが起こっている。かつて契約したベリーの言葉が確かなら、この時間の巻き戻りに悪魔たちは関与していない。つまり……この現象は、神様側が起こしているのかもしれない。


「でもどうして? 神様はパルフェを花嫁にしたくて、式をあげるのでしょう? 式の度に時間を巻き戻して、どうしたいのかしら!」

「それを知るのだ」


 ザヌの短い返答に体を起こす。巨大な翼を畳み床でくつろぐように座っていた彼女は、牝牛の目を細め、言う。


「増え行く疑問の全てを知れ。さすれば、相対するその日に、そちは心からの答えを出すことが出来る」

「分からないわ! 貴方、わたくしたちに何があったのか、分かっているのでしょう? どうして教えてくれないの!」

「そちが知ろうと行動すること、それがなければ意味が無い」


 知りなさい。


 止まっている暇はあるのか。


 動け。


 短く、的確に想いを伝えるザヌの言葉に押されて、ファニーシュは納得がいかないままベッドから降りた。


「教会のことは、お母様は教えてくれなさそうだから、次に教会に行く日に神父様に教えてもらいましょう! そうね、他に知りたいことと言えば……」


 室内をぐるりと見渡し、ドレスルームに目が行く。


「あ、そうだわ! あの髪飾り! あれはいつ買ったのか貰ったのか、まったく覚えていないのよね! でも、パルフェは知っていそうだったわ!」


 あれを今のパルフェに見せて、聞いてみるのはどうだろう。


 そう思いながら、ファニーシュはドレスルームに駆け込み、引き出しの中を探る。確か、この辺りに……。


「あら? んん? 無いわ!」


 記憶を頼りに探した引き出しの中には無く、他の場所も探してみるが見つからない。


 変だわ。と呟いていると、お茶を持って戻ってきたメイドが、ベッドルームからこちらに顔を出した。


「まあ、お嬢様! どうされましたか?」

「ねえ、このぐらいの箱に入った金細工の髪飾りを知らない? この辺りにあったはずなのよ」

「金細工……は、お嬢様はたくさんお持ちですからね。どのような箱に入っていましたか?」


 手で大きさを示しながら、特徴(といっても簡素だったのでこれといった特徴もなかったから、主に髪飾りの方の特徴ばかりになってしまったが)を伝える。思い当たる物が無かったのか、メイドはファニーシュにお茶を飲んで待つように言って、ドレスルームを隈なく探し始めた。


 淹れてもらった紅茶で唇を濡らしつつ、さて他に知りたい事はあったかな、と考えている内に、メイドが戻って来た。


「どうだった?」

「それらしい物は見つかりませんでした。金細工の髪飾りはいくつかありましたが……」


 そう言って、彼女は見慣れた髪飾りを数個こちらに見せて来た。「それじゃないわ」と首を振ると、メイドは「そうですよね……」と肩を落とした。


「まさかこのお屋敷に盗みを働く者がいるとは思えませんが……念のため、報告して参ります」

「お願いね!」


 まあその内見つかるだろう。然程深刻に捉えず、ファニーシュは次の知りたい事を探す事にした。


***


「どうしてエオル様は、わたくしとの婚約を受けてくださったの?」


 数日後。ディアンヌ家に遊びにやって来たファニーシュは、単刀直入に彼に尋ねた。客を迎える談話室の対面の席に着いていた彼は、やや首を傾げるような動きをした。黄赤色の髪がさらりと流れて、それだけでこちらはドキドキしてしまう。


「どうして、というと?」

「だ……だってわたくし、貴族令嬢としての教育は全くと言っていい程受けていない、未熟者だわ。それに、うちは伯爵家、エオル様は公爵家でしょう? 断ろうと思えば断れる立場だわ」


 何か返そうと口を開いたエオルを遮るようにして、


「エオル様はわたくしの事を、心から愛しているというわけでも無いでしょう?」


 と続ければ、彼は苦笑して頬を掻いた。


「うん、まあ……でも、貴族が愛し合って結婚する方が稀だよ」

「それは知っているわ! でも、他に良い縁談だってあるはずよね? どうしてわたくしとの婚約を決めてくださったの?」

「うーん……どこまで率直に答えていいのかなぁ……」

「嘘偽りなければどこまでも率直に答えて頂戴! 特に傷つくことはないわ!」


 最初から、ファニーシュの一方通行の想いだと知っている。だから胸を張って「さあ、どうぞ!」と促すと、彼は噴き出すのを堪えたように笑って、「そうだなぁ」と切り出した。


「ファニーシュ嬢は、奇病についてはどこまで知っている?」

「? 神様にお祈りしないと治らない、不思議な病気でしょう?」


 それがファニーシュとの婚約とどう関係するのだろう。キョトンとして返すと、エオルはファニーシュの返答に「そうそう」と頷いて続けた。


「それが、信仰治療と呼ばれている治療法だ。だけど、昨今の研究で、実態は少し違う事が分かったんだ」

「何が違うの?」

「治らないんだよ、普通は」

「……?」


 じっとこちらを探るように見つめる彼の視線の意味が分からず、ファニーシュは見つめ返す。エオルは柔らかな雰囲気を崩さずに続けた。


「信仰治療は、奇病の進行を遅らせることができる。でも、それだけなんだ。だから──ファニーシュ嬢のように、完全に治った例は他に無いんだ」

「……治った?」


 よく分からなくて、ファニーシュはオウム返しをした。エオルの言っている事はまるで、ファニーシュが奇病を患っていたようではないか。


「わたくし、奇病にかかっていたなんて記憶は無いわ!」


 覚えている限り、これまでの人生で大きな病気を患っていた記憶は無い。それが奇病と呼ばれるものなら尚更だ。きょとんとして返すと、エオルは「小さい頃の話だからね」と然程驚きもせず返してきた。


「七年も前の事だ。貴方が覚えていないのも無理はないよ」

「七年って……わたくしが八つの頃? それまで、わたくしは奇病だったの?」

「そうだよ」

「どんな?」


 奇病と一口に言っても、たくさんある。一体どんな病気を患って、どのようにして治ったのだろう? 気になって次々尋ねれば、エオルは律儀に一つ一つ丁寧に答えてくれた。


「貴方が患ったのは、蔦葉病だったと聞いているよ」

「つたば……?」

「今も教会で預けられている子に、花浮き病を患っている子がいたよね?」

「ええ! 皮膚に花の模様が浮き出て来る奇病よね! 触ると痛いから、花の模様が出ている場所は触っちゃ駄目って神父様に教わったわ!」

「そうそう。体中に花の模様が浮き出て、最後には皮膚を突き破って花が出て来るおそろしい奇病だ。それの花が、蔦や葉に置き換えたのが蔦葉病だよ。それが、ファニーシュ嬢が患っていた奇病」


 なるほど、これが最初の……。……最初?


 首をかしげると、エオルはやや困ったように微笑んで続けた。


「貴方は生まれてすぐに蔦葉病を患い教会に預けられた。だけど……いつの間にか、貴方の奇病は蔦葉病から聖女病へと変わったんだ」

「変わることがあるの?」

「ああ。特に、聖女病は他の奇病から移行して発症することが多い奇病なんだよ」

「そうなのね! その聖女病は、どんな症状なの?」


 教会の友達に聖女病を患っている子はいなかったので素直に尋ねる。エオルは「名前の通りだよ」と切り出した。


「神を慕い、人々に尽くすような言動を繰り返す。傍目には奇病だとは分かりにくいけれど、些細な罪を罰しようと攻撃的になったり、身体機能が少しずつ欠落していくことで判明することが多い。貴方は、蔦葉病の症状が治まった途端によく転ぶようになって判明したそうだよ」


 思わず、ファニーシュは自身の手の平を握ったり開いたりしてみた。どこか体が動かないなんてことが無かったか確認するが、歩行も含めて今のところ問題無い。


 本当に自分の過去の話をしているのか疑わしく思うファニーシュの心情を察してか、エオルは「治ってもう随分経っているからね」と付け足した。


 でも。と、ファニーシュは浮かぶ疑問を投げた。


「でも、治るものではなかったのでしょう? どうしてわたくしは治ったのかしら?」

「そこを、私も疑問に思った。そして貴方と、貴方たち家族に興味が沸いた。だから、貴方との婚約話を受けることにしたんだ」


 じっとエオルを見つめると、彼はにこりと微笑む。


「神々への信仰が奇跡を起こした、それだけだ──と貴方のお父様は仰っていたけどね」


 納得していない、とばかりに知的好奇心に目を輝かせる彼の言葉を聞きながら、ファニーシュは、


 ──神々は信仰無くしては生きていけぬ。


 ──知りすぎたのだ。


 ザヌの言葉を思い出して、言った。


「いけませんわ、エオル様」


 意表を突かれた顔をして止まった彼に、ファニーシュは「わたくしも詳しくは知らないけれど」と前置きして、彼の好奇心が進まぬようにしがみ付く。エオルも綺麗な人だから、パルフェのように神様に気に入られてしまうかもしれない。


「知りすぎたら、いけないのよ!」


 得意げににっこり笑ってそう付け足す。彼は目を瞬かせた。


「……貴方は何を知っているの?」

「何も!」


 じっとこちらを覗き込むような目で見つめる彼と目が合うのが嬉しくて、ファニーシュは満面の笑みを返した。


「だからこれから知っていくの! でも、これはわたくしたちの問題だから、エオル様は知っちゃ駄目よ!」


 考え込むように、エオルは自身の顎先に指をあて、短く唸った。


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