高校時代から付き合って7年。社会人になった俺と彼女。

リンゴ売りの騎士

前編



 ――ある日。

 男は会社から帰宅すると、見慣れない箱をリビングのテーブル上で見つけた。何の特徴もない白い箱だ。


「……なんだ?」


 その箱について何か他に特徴があるとすれば、掌サイズの大きさだということくらいで、こんなものを最近購入した覚えもなければ、誰かからもらった記憶もない。不審に感じた彼は、警察へと知らせることに。


「……仕事で疲れてるのに、なんでこんな面倒事を」


 はぁ、とため息をつきながら男はカバンの中身を漁る。コンビニで買ったペットボトルが邪魔で、なかなか見つけられない。ペットボトルをその辺に置くという当たり前のことに気づかないまま、男はイライラしながら探し続ける。その内、ピンポーン

という柔らかな音が玄関から聞こえ、彼は顔を顰めながら応えた。


「(こんな時に……)どちら様でしょうか?」

「私!! 入っていい?」


 玄関の扉越しに聞こえるのは、元気一杯と言った感じの女性の声だ。その『いかにも元気ですっ!!』みたいな声は疲れた身体に響くため、早々に追い返したくなった。声音から、彼女が誰かを特定する。


「……美里……ああ。でも少し待ってくれ、取り込み中だ」


 玄関の扉越しに、彼はそう声を掛ける。


「え? ……あ、ごめん。ひょっとしてその……自慰中だったり」

「(はぁ……)」


 彼は美里の斜め上な返答でイライラした感情の上にウンザリとした気分になりながらも、なるべくそうした感情を込めないように彼女に説明する。


「……違う、何だか訳の分からない白い箱があってな。今から警察に」


 バンッ!!


 勢いよく開いた扉は、そのまま壁にぶつかって大きな音を立てる。


「ちょっ、ちょっと待ってもらっていいかな~? うん、直ぐに済むからね~」


 美里と呼ばれた女性はそう言いながら、この家の家主である彼に断りもなくズカズカと入って来た。もっとも、これで機嫌を損ねるような彼ではない。この程度でとやかくいうほど、彼女と浅い関係でもないのだ。この家の合鍵すら、彼女は持っている。

 彼は一体何だと思いながら、リビングに急いでやって来た彼女のすることに注目する。彼女はテーブルに置かれた白い箱を躊躇いもなく拾い上げると、自身のバッグに雑に突っ込んだ。


「……中身……見た?」

「いや? 何だか分からないからこうして警察にと思ったわけで……何なんだ? それ」

「い、いや……なんでもないし」


 目をキョロキョロとさせて言い淀む彼女を見て、彼はイラつく。たかだかそんなことで不機嫌になるのは、仕事で疲れているからだというのもあるのだろう。


「……美里、こんな面倒事は持ち込まないでくれ」


 大方、彼女の置忘れか何かなのだろう。そう予測していた彼は、美里の「ごめんごめん」という全然反省してないような謝罪の言葉を聞くことになるのだろうと考えていた。しかし、返ってきたのは全く別の言葉だった。


「……は? 面倒事? そんなに、ここに私が来るの嫌なの? ……だよね。この前

もなんか可愛い後輩の子と仲良く話してたみたいだし」


 彼女は一気に不機嫌になり、ちょっと前の出来事をネタに責めてきた。自身の髪を指先で弄りながら、自分と目も合わせようとしない。


「いや、その子とは少し話しただけ……というかなんだ? 何で急に不機嫌になんだよ」


 彼からすれば、なんでこうなったのか微塵も見当がつかない。いつも通り、「ったく……」という言葉から始まって、ヤレヤレと済ますつもりだった。しかし、今日はどうだ。仕事で疲れているのに、突然家に来たかと思えば急に不機嫌になるし、彼からすれば不機嫌なのはこっちだと言いたいくらいだ。


「……だって、この箱のこと面倒事だっていうし」


 俯き加減で、呟くように言った彼女は拗ねたような態度を見せる。彼はそんな態度の美里を取り敢えず脇に置いて、まずこの箱について尋ねた。


「……一体何なんだその箱? いや正確には何が入ってんだ?」

「…………」


 彼にそう問われても、彼女は答えなかった。全く答えようとはしない彼女に対して、彼は無意識に眉間にしわを寄せた。静寂がリビングを包む。


「……言いたくない」


 ようやく口を開いたと思えばまるで子供の様な返答であり、彼はさらにイライラを募らせる。しかし彼は、その気持ちをなんとか飲み込み、努めて冷静に話しかける。


「美里、そもそもそれがなんであるか分からないと、俺もなんて言えば分からないんだって。いい加減に教えてくれても」

「嫌っ!!」


 完全な否定に、彼はついに声を荒げる。


「いい加減にしろって!! こちとら仕事で疲れてんのに、こんな箱ごときに時間を取られたくねーんだって」

「……時間を取られたくない? こんな箱ごとき!? ああ、そうですか分かりましたぁ!! 私といても楽しくないってことでしょ? 今すぐ帰るわよ!! バカぁ!!」

「はぁ? おい、美里!!」


 男の言葉も彼女には届かず、そのまま彼を押しのけてバタバタと慌しく家から出て行った。一人残された彼の家に、再び物音ひとつしない静寂がやってくる。

 いつもは荒んだ心のオアシスである静寂も、今日はどこか虚しいものに感じられた。


「……はぁ、全く」


 ここ最近、こうしたケンカもどきの頻度が多くなってきている気がする。何かにつけて、彼女と衝突する機会があるのだ。

 高校時代から付き合って、今年で7年。こうした展開は、初めてでもない。しかし、慣れてきたのかケンカし始めた頃のようにすぐには動けず、行動するまでに時間が掛かるようになった。

 それでも、男はリビングに下ろした自身のバックを手に持ち、彼女を追いかけるために玄関へと向かう。


「……虱潰しに探すしかねーだろうな」 


 連絡しても、返事があるとは思えない。思い当たる場所を一つ一つ足で探すしかないだろう。玄関の扉を開けると、自身の顔を夜風が撫でる。仕事で疲れた身体を無理矢理動かし、風を切る様にして前に進む。歩いていたはずの足は、いつの間にか駆け足に。

 こうして走りながら彼女を探していると、彼はいつも高校の時を思い出す――あの時も、こうして彼女を追いかけたな、と。もっとも、思い出しはするものの今更それについてどう思うわけでもない。彼女がこうして出て行く度に思い出すので、思い出に浸るほどの感慨深さは薄れてきた。

 走りながら、彼は近くの公園や彼女のお気に入りの場所、いきつけの店などを見回る――しかし、どこにも美里の姿は無かった。日付の変わる頃合いで、彼は近くにあったベンチに座る。


「……見つかんねーな」


 乱れた服装を直し、カバンに入っているペットボトル飲料の蓋を開けて一口。街灯に照らされている道路を見ながら、火照った身体を夜風で落ち着ける。

 状況的に、似たようなものだからかもしれない――彼は、再び高校時代を思い出していた。

 当時彼女を見つけた時は、運命だ何だと喜んだものだ。赤い糸でお互い結ばれているみたいだと、本気でそう思っていた。しかし今にして思えば、お互い行動できる範囲が狭かっただけだと、そう感じる――単に、見つかるように出来ていただけだ。


「……俺にはもう……お前を見つけることは出来ないのかもな……」


 高校時代は遠く、すでにお互い社会人。あの時とは随分と違ってしまった。彼女に対して抱いていた思いも、今は風化したように静かなものだ。

 静寂が身体を包み込み、このまま闇と一体になってしまいそうな感覚を覚えたところで、ふと目の前の草むらが道続きになっていることに彼は気が付く。


「……せっかくだ」


 彼は重い腰を上げて細い道に向かって歩き出す。

 ――ここを見たら、大人しく帰宅しよう。

 ――明日になれば、また連絡を取り合うようになるかもしれない。

 そんなことを考えながら、歩きにくい草むらを進む。途中にある木々を通り抜けて、ようやく周りが見渡せるような場所に出た。


「……こんな所……あったんだな」


 最近は目的地に行くのに、迷うことは無い。だから、予定のない場所に行くなんてことはもうほとんどないのだ。どんな景色が待っているのだろうという僅かな期待を抱きながらたどり着いたそこは、夜空を一望できる場所だった。空をじっくりと眺めるなんてことはここしばらくしてこなかったので、随分と久しぶりに感じた。そして、星一つないその空を見て、隣に誰もいない自身の状況を重ねる。


「……そろそろ、別れの時なのかもな……俺たちは」


 高校時代から付き合っているカップルは、ほぼ別れる。あの時は、俺たちはそれに当てはまらないと本気で思っていたけれど、あれから七年だ。相手に対して、思うところの一つや二つは出てくる――美里もそうだろう。


「え……嘘」


 そうやって色々と思考を巡らせていると、どこからか聞こえてきた高い声に中断させられた。彼は声のあった方に顔を向け、泣きはらした様子の彼女を見つめた。

 ――やっと見つけることが出来た。それも、高校時代よりも難易度の上がった状況で。

 運命ってやつを感じてもいい瞬間であり、見つけたという安堵の気持ちも彼は感じていた。しかし彼は、次にどう行動したらいいのか分からなくなっていた――見つけた、だからどうした? 


「……その……よく見つけたね……さすがにもう見つけてくれないだろうなって……思ってたから」

 

 彼女はまんざらでもなさそうに少し笑顔で言った。


『やっと、見つけた』


 高校の時、自分はそう言って泣きじゃくる彼女を優しく包み込んだ。泣き止んだ彼女に心からの言葉で『一生守る』と口にすると、彼女はゆっくりとこちらに寄り掛かり『よ、よろしくお願いいたします』と、顔を真っ赤にしながら言ってくれた。

 高校時代の彼らと状況は似ていても、社会人となった自分の抱く感情はまるで違う。自身の感情に答えを出せないままでいると、彼女は彼に向かって頭を下げてきた。


「その……ごめん……言い過ぎました……それはごめんなさい」


 彼女のそんな姿を見て、彼の中である考えが浮かぶ――彼女にとって自分という人間は、本当に相応しい人物なのか? という疑問だ。

 自身が学生であった時ならば、迷いなどはしなかった。自分こそが彼女に相応しいと。しかし、社会に出てさらに多くの人間と価値観を見聞きしている内に、いつしか考えは変わり、知らず知らずのうちに疑問は大きくなっていた――彼女に相応しい人間は自分以外にもいるのではないかと。

 彼はそんな心情を隠して、謝罪の気持ちを込めて答える。


「ああ、こっちこそ怒鳴ってごめんな」


 彼女は特に審がることもなく、こちらの謝罪を受け入れたように見えた。ゆっくりと彼女は話し出す。


「その……この箱……なんだけどね」

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