第十三章 格闘少年の心傷

「あーあ、負けちゃった。ずるいわ。ワイヤーまで使うなんて」

「そうですわ!この卑怯者!山猿!」


 一試合終わって三上の足に絡みついたワイヤーを飛崎が解いてやっていると、不満をエリカが口にしてその従者が黄色いポンポンを手に非難の視線と罵倒を突き刺してきた。


 しかし彼はしれっとした表情でずるいも卑怯もあるか、と吐き捨てた。


「別に武器の種類と数までは制限されてねぇだろうが。主武装が使えない状況なんざザラに在るんだから体術は当然として暗器の類だって使うさ、お上品な生き方なんぞしちゃいねぇんだから。まぁ、何でもありが基本の傭兵相手に油断した方が悪いわな」


 国が統率する軍が起こす正規戦に交戦規定はあるし国同士で交わした国際条約もあるが、特に傭兵が多く動員されるような不正規戦には無い。


 戦後、おっとり刀で駆けつけた某かの国がウチが依頼した戦争だから、と無理矢理適用しようとする場合もあるが、実際の現場では原則的には無視に近い軽視をされている。特にそもそも意思疎通が出来ない消却者相手のA.E戦では顕著だ。


 人間としての常識なり良識なりが期待できない以上、現場での独自判断、それに伴う速度は非常に重要になってくる。飛崎も正規戦に参加することもあったし、傭兵協会に登録している以上は公表されている部分や戦後に自分が不利になるような項目に関してこそ嗜み程度に暗記しているが、何が何でも守ろうとは思っていない。条約守って死ぬなど本末転倒だからだ。


 傭兵在り方自体が正規兵と足並みを揃えるのが難しいために遊撃戦が基本で、そもそもが一山いくらの消耗品として扱われることが多い身でわざわざ縛りプレイをしたいとも思わない。国に大事に育てられたわけでもなし、マゾヒストでもない。金のために命を張っているのであって、お題目や政治の為に命を張っているのではないのだ。


 そんなにお綺麗な戦争がしたければ自前の軍を使え、と言うのが飛崎は勿論、大抵の傭兵達のお気持ちである。


 あからさまな契約、及び条約違反をかましてない限りは好きにさせるし好きにやらせるし好きにやる、とはARKSの代表取締役社長のマクシミリアン・アガートラームが掲げた社訓でもある。実際にARKSとの業務提携の際の契約書には大抵この文言が踊るぐらい対等にやっていた。そうでもなければ文字通りの捨て駒にされかねないからだ。


 今回の模擬戦に関しても、開始直前に『異能無しの無制限一本勝負』と新見が告げているのだ。武器一つに限定されていないのだから、サブウェポンが飛んでこないと考えている方が甘い。


「ナイロンワイヤーなんか一体どこで仕込んでたんだ?全然気づかなかった………」


 ワイヤーを解かれて、ムクリと身を起こした三上が飛崎に尋ねてみた。


「武器を選んだときにこっそり袖口に隠してた。鞘に結んだのはさっき、技術の謂れを喋ってた時に鍔の裏でやってたからお前さん等には見えんかったろ?」


 あの時か、と三上は思い出す。確かに飛崎は悠長に自分の技術の由来を語りながら構えていた。


 いつでも抜けるし油断はしてないぞ、と言うポーズなのかと思っていたが切り札を仕込む意味もあったらしい。意識の誘導と本命の隠形、と言うべきだろうか。まるで手品のようなやり口ではあるが、確かに有用で近接戦闘を主とする三上からしてみても見習うべき点も多い。


「はい、お疲れ様。レンもありがとう。大体だけど三人のレベルは分かったよ」


 そんな風に感心していると、新見が声を掛けた。


「レンとエリカは問題ないね。と言うか、僕が教わらなきゃならないレベルだよ。問題は」

「俺っすね………」


 自由になった足の感覚を確かめながら、三上は立ち上がって肩を落とした。


「何と言うか、レン以上にチグハグだったわね」

「うむり。攻撃の捌き方や体捌きは随分様になっていたが、いざ反撃に出ようとすると妙にギクシャクしておった」


 先程の戦闘では飛崎の攻撃をいなしたりエリカの盾になったりして防御面では悪くない動きをしていたが、一転攻め手となると全くいい所なしであった。


「あれだけの体捌きが出来て、身体能力に恵まれただけの素人ですは通らないと思うよ。教頭の直弟子でしょう?君は」

「やっぱり、班長は知ってますよね」

「事前にこの班のメンツの資料は貰ったよ。だからまぁ、話しても良いんじゃないかな」


 そうっすね、と申し訳無さそうな表情をした三上は小さく吐息して飛崎達の方を向いた。


「昨日のエリカの話聞いて言いそびれたんだが、その、俺もJUDASとはちょっと因縁があって。一年前、あいつ等が渋谷で起こしたテロに巻き込まれたんだ。まぁ、それ自体はよくあるって訳ではないけれど、運がなかったで済むんだが」


 去年の6月の話だ。


 何でも無い休日に、幼馴染と街へ買い物へ出た際に三上はその場に居合わせた客と同じように人質となった。世間で言う渋谷テロ事件。圏警が記録した正式名称は渋谷七星ビル立て籠もり事件。総合商業施設でのテロ事件は被害者数が事件全体で4000人に及び、その半数が重軽傷を負い、死者は954人に登った。


 日本犯罪史上稀に見るほど大きな被害を出しておきながらJUDAS側の下手人61名は逮捕者も含めて後に全て死亡しており、テロの目的は不明、と極めて不気味な幕引きをしている。


 殉教者等と比喩されているが、一体何のための殉教なのか全く分からない。そもそも、彼等の教義では消却者に喰われることによって新たなステージに行けるというものだ。こんな自爆テロめいた消却者のしの字も掛からない死に方は彼等の教義に則していない。


 一年近くたった今でも結論が出ておらず、JUDAS本体も何の声明も出していない。


「その時にはもう異能を使えるようになってたのもあって、連中の何人かを殺した。小夜を傷つけられて頭に血が上って、無我夢中だったんだ」


 あの事件の真相は、被害者である三上も未だに分からない。ただ、三上正治と言う少年を語る上で必要なのはテロの目的ではなく、人質という立場で何を成したかだ。


 あの日、ビルの上階にいた三上と幼馴染は階下での爆発音を聞いていた。状況が分からずその場にいた客が階下の様子を伺っていると、悲鳴と発砲音が響き渡り、それは徐々に上へと登ってきていた。三上は身体こそ既に大人のそれに近しいものではあったが、中身は中学生だ。突然の状況に右往左往するばかりで、ともすれば幼馴染の方が肝が座っていた。


 結局、まるで逃げるようにして登ってきた信者達に捕縛され、三上は幼馴染と供に人質となった。


 そこから8時間程拘束され、外の戦闘音に怯えながら大人しくしていたのだが、人質の中に赤ん坊がいた。それに至るまで何度かぐずってはいたのだが、その時のぐずり方は大きく、また母親も極限状態の中疲弊していたのもあってあやしても全く大人しくならず、神経を尖らせていた信者が母親を無能と言い放ち発砲。続いて赤ん坊に銃口を向け、見かねた幼馴染が飛び出し、盾となった。


 その時の一瞬を、三上は未だ鮮明に思い出せる。


 叩き込まれた四発の銃弾。映画のように血飛沫は舞わなかったが、倒れ伏した幼馴染の身体から流れ出る赤いそれは、紛れもなく生命の証であった。目の前が真っ白になり、世界が赤に染まった。


 そこから数瞬の事を、三上正治は覚えていない。


 気づいた時には後ろ手に拘束されたまま何人かの信者を蹴倒した。反撃によって右腕を斬り飛ばされて失ったが、結果として拘束が解かれることなった。彼等が用いた拘束具は俗に異能封じと呼ばれる霊素妨害機能があり、装着者の体内霊素を乱すことによって異能を封じるというものだったのだが、これが解かれたことによって三上は適合者としての力を奮えるようになっていた。


 フロアにいた見張りは19人。中には適合者もいたのだが、最初に不意をついた相手がそれだった。残りも武装していたし、迎撃のための流れ弾で人質にも怪我人は出てしまったのだが、理性を飛ばした三上は止まらず、結果として人質側に死亡者が出なかった。正直な所、運が良かったと今でも思う。


 その大立ち回りの影響で敵方の指揮系統が乱れ、この混乱を好機と見て踏み込んできた圏警の特殊部隊が来る頃には、人質がいるフロアを守っていた19人の信者の内10人が昏倒、あるいは死亡しており、残った9名も捕縛されていた―――と、後に病院のベッドで目覚めた三上は聞いた。


 実際的な被害は数名に留まった。その中でも一番酷い怪我をしたのが人質を無視して暴れに暴れた三上だったのは皮肉と言うべきか。腕を斬り落とされても、都合15発の銃弾を身体に打ち込まれても致命傷には至らなかった頑丈さに呆れるばかりである。


 尤も、流石に失血だけはどうしようもなかったらしく、救急隊に運ばれている時には何度か失血性ショックで心臓が止まったらしい。


 とは言え、現代の医術はナノマシン治療に始まり、サイバネティックスも前世紀とは比べ物にならない程進んでいる。対消却者戦と言う人類存亡をかけた戦争の中で進化したのが皮肉といえば皮肉だが、結果として三上は一命を取り留めた。後遺症も失った右腕以外には無く、それとて生体義肢による復元が可能である現代では無いに等しい。


 そう、身体は問題なかったのだ。


「ふとした時に、あの日、殺した狂信者達の顔がチラつくようになった。コレが結構、致命的でさ」

「あー、分かるわ。儂ん時も初陣が突発的なA.H対人戦だったから、一ヶ月ぐらいは撃ち殺した相手が夢にまで出てた。薬物療法とカウンセリングでどうにかなったが」


 PTSD。心的外傷後ストレス障害。所謂、トラウマと呼ばれる心の病気だ。


 如何に外科技術が進んだ現代と言えど、人間の脳や精神を100%詳らかにしたわけではない。いや、前世紀で言う非日常が現代では日常化している以上、特定分野では1999年より全く進んでいない、あるいは遺失して退化している場合もある。


 この分野にしても進みは遅く、最も有効な手立ては薬物投与による治療とカウンセリング程度しか無い。後は精神干渉系の異能を持つ適合者に頼るぐらいだが、異能が異能だけに管轄が政府だ。基本的に戦場帰りの負傷兵に当てられるし、数が限りなく少ないため一般人に回ってくることはない。


「俺の場合、状況が許してしまったのもあって自覚するのが遅かったんだ。悪いのはテロを起こしたJUDAS、お前がやったのは正当防衛、むしろ解決の糸口を作った、右腕を失いながらもよくやった英雄だ―――散々持て囃されて、最初の方は鼻高々だったんだけどな。今考えたら、凄まじくガキだった」


 述懐する三上の肩は下がり、その背中は大柄な見かけに似合わずに小さくなっていた。


「気づいた時にはもう遅かった。戦場での使い勝手優先で失った左腕を生体義手じゃなくてわざわざ機械義手にして、その調子を試そうと腐れ縁と組み手した時に初めて自覚したんだ。殴ろうとする度、蹴ろうとする度、組み付く度、殺した相手の顔が浮かんでくる」


 ざりざりと、砂を擦るような不愉快な音を立ててフラッシュバックするのはあの狂信者達の顔。


 自らこそが絶対正義と言って憚らない彼等の喜悦の表情。殺し合いをしているのだと言うのに、哄笑すら上げて銃口をこちらに向けてくる愉悦の笑み。そして満足そうな顔で、至福の中で事切れていく。


 自覚した時には手遅れだった。三上正治と言う適合者は、自らが持てる最大の強みを失った。


「これでも随分マシにはなった方なんだ。少なくとも攻撃するだけなら出来るようにはなったから」


 最初の方は本当に酷かった、と彼は苦笑する。


 訓練の中でさえ敵と定めた相手を見て吐き、対峙して吐き、組み合って吐き、終いには指一つ動かせなくなった。


 この一年近く、リハビリと水無瀬の指導のお陰で稽古程度なら問題は無くなった。未だ若干呼吸が乱れたり、攻撃そのものに躊躇いはあるが、回避や防御に徹するならば以前と変わりない。いや、攻撃ができなくなった分、そちらにより特化したとも言える。それは先程、飛崎の抜打ちを見てから防いだ事からも分かる。


「代わりに本気が出せなくなった、と。よくある話だけど、それだけに根深いよね」

「よくある、のですの?」


 新見の言葉に、リリィが首を傾げた。


「兵士のPTSDなんて、前世紀からずっと言われているよ。『消却事変』以前だと兵士を育成、及び維持するための費用と、兵士を全てA.Iなどの機械に置き換える費用、どっちが高く付くか論じられたぐらいさ。結局、その決着が付く前に『消却事変』が起こって、兵士どころか民間人まで前線に駆り出される羽目になったんだけどね」


 有名所だとベトナム帰還兵が主な代表例として挙げられるが、医学として分類分けされ始めたのがその頃と言うのが多分にあり、実際には人類の争いの歴史にずっと寄り添っていたであろうことは想像に難くない。


「PTSD治療の場合だと専門の医療機関はあるんだけど」

「一応、定期的に通ってはいます。と言っても、特効薬は有りませんし医者からもじっくりやるようには言われているんすけど」


 外傷や悪くなった臓器があるわけではないのだ。物理的に治らない以上、時間が掛かるのも道理と言えた。


「儂自身がそうだったから言うが、時間が解決するって奴だな。本来なら教練校通うのも治ってからの方がいいんだろうが、何ぞ法律が在るんだっけ?」

「戦時特措法ね。とは言え、日本だと四十六年前に作られた法だから改正されてもおかしくはないのだけれど。人が足りないからって、何処の国も似たような状態よ」


 飛崎の疑問にエリカが答える。


 適合者特別措置法とも呼ばれる徴兵制度だ。詳しく話すと長くなるので割愛するが、この制度の影響で成人年齢が15歳に引き下がり、ある一定期間までは自らの進路に選択の余地が無くなった。


「まぁ、そんな訳で、一番の問題児は俺っす。スンマセン」


 申し訳無さそうに頭を下げる三上に、新見はひらひらと手を振る。


「気にしないでとは言わないけど、気にし過ぎないように。このメンツの中じゃ今更だから」

「苦労するなぁ、班長よ」

「そう思うなら代わってよ、レン。いやホント本気で」

「御免こうむる。儂は儂の面倒を見るので手一杯よ」


 縋るように懇願の視線を向けられ、飛崎はそっと視線を外してそう言った。




 ●



 夕暮れに染まる街並みを歩きながら、三上は小さく吐息した。


(思ったよりもいっぱいあったな、バイト………)


 時刻は17時前。


 訓練自体は2時間ほど前に終わっていたのだが、学生会に寄ってアルバイトの斡旋を眺めていたらこんな時間になっていた。


 そう、アルバイト。端的に言って小遣い稼ぎである。先立つものがなければ社会人は当然だが、学生だってやっていけない。


 鐘渡教練校は不思議な運営形態である。前世紀の感覚で言うと、公立と私立に大凡が分けられ国からの補助金の多寡で学費が決められる。その差は五倍にも達したのだという。


 だが、鐘渡に限らず教練校と名がつく学び舎は学習塾ではなく士官学校の面が強い。それも適合者専門の特殊な、だ。


 であるならば公的資金をブチ込んで国営にするのが理想ではあるが、設立当初の国家の財政状況でそれが成せなかった。次代を育てるよりも先に、今代を維持できねば先も何もあったものではなかったからだ。だから国が出来たのは場所の誘致と教育委員会と言う首輪だけだ。この辺りは相応の政治的やり取りや複雑化した国家運営も関わるので割愛するが、鐘渡教練校は設立当時、長嶋武雄を旗印にする私塾や道場に近い有り様であった。


 ただ、個人でこれ程の学校を作るほどの資金力は当時をして英雄と謳われていた長嶋でも容易ではなく、だからこそ現在では巨大複合企業として成長した綾瀬重工による全面的な支援があったのが大きい。


 彼の企業が資金提供に当たって要求したのはたったの2つ。


 一つ、基本的に鐘渡教練校が運用する装備に綾瀬重工製を採用し、新製品のモニターも担当すること。


 一つ、麾下で活動している関連グループ企業に学生アルバイトを斡旋すること。


 有り体に言えば将来を見越した囲い込みである。前世紀で言うならばT田王国と揶揄されたやり方を、今世紀で行おうとしたわけだ。果たしてその目論見はスポンサーが欲しい長嶋、名声と信者が欲しい綾瀬重工、そして単純に自由にできる小遣いが欲しい教練校生の利害が一致することによって成功した。


 その後紆余曲折を経て、それらを統括管理する学生主体の生協―――学生会が誕生し、そこからアルバイトの斡旋を受けることが出来るようになった。


 学生が学費を払わず、且つ士官学校のように国から給料は貰わないで小遣いを稼ぐ、というサイクルが出来たのである。


 さてそのように生まれた制度ではあるが、何しろ揺り籠から棺桶まで何でも取り揃えている綾瀬重工の麾下企業である。斡旋先は山のようにあるし、仕事だって多種多様。日中は教練校生として学業に打ち込まねばならないので、泊まり込みだとか単純に距離が離れすぎているとかは予め除外されているのにも関わらず、紙出力すれば六法全書より分厚いファイルが出来るほどと噂されているレベルの量に三上は目を回す羽目になった。


 アレはこれと決め打ち出来ているならばともかく、とりあえず覗いてみるかと言う気楽な感覚で行って良いものではない。


 そもそも住む場所は大凡の学生が寮で、インフラ関係含めて無料、食費は電子マネーで一定額支給される。家電製品は自前だがそれも実家から持ってきたものであるし、精々金が掛かると言えば自前のP.I.Tの通信費ぐらいだ。それだって支給品(綾瀬重工の新製品モニター)に乗り換えれば課金以外は無料だ。後は15が成人で、本来ならば諸々の税金も払わねばならないのだが、教練校生は免除される。


 暮らしていく分にはぶっちゃけ金は要らない。とは言え思春期の少年少女がそんな枯れた中年のような生活で満足できるはずもなく、己の物欲を満たすために資本主義経済をぶん回すのが通例となっている。


 三上も中学卒業時に車と二輪の免許を取ったので金を貯めてどちらかが欲しいと思っているのだ。差し当たっては効率的に稼ぐようにするためにはどうすればいいか、明日班長に聞いてみようと決めた。 


(特班に入った時はどうなることかと思ったが、気の良い連中で助かった)


 班長である新見の顔を思い出して、今日のことを振り返る。


 飛崎を相手にエリカと共同で模擬戦した後、それぞれ人員を変えて何度か模擬戦をした。新見は勿論、リリィも熟れた動きを見せて、やはり三上はボッコボコにされている。如何に防御と回避が優秀でも、通す方法など幾らでもあるのだ。初見でないなら攻略もしやすい。


 相変わらず攻撃する度に躊躇しているが、精神の問題である以上一朝一夕でどうにもならないのは誰も理解しているのかそこは指摘せず、隙の誘い方や見せ方などの立ち回りを中心に教えて貰った。


(―――っと、ここか)


 今後の訓練に思いを馳せていると、視界に目的としていた建物が入ってきた。


 スーパー伊藤。


 地域密着型のチェーンスーパー。当然、綾瀬重工資本である。桜山寮も近いのでチラホラと他の教練校生の姿も見える。学生会で三上が目を回していると、幼馴染からの夕食の誘いがあったので承諾したらここを合流地点にされたのだ。多分、荷物持ちも兼ねているのだろう。


「おや、三上。今お帰りか?」


 早速店内に入ろうかと自動ドアに近寄ると、中から独特なシルエットが出てきて三上に声を掛けた。


 丸い。


 全体的に丸い少年だった。背の低さも相まって玉のような、と言う形容詞が赤ん坊以外に似合う人間もそうはいまい。しかしそのコロコロとした容貌に反するように憂いを帯びながらも鋭い眼光と、無駄に渋いバリトンボイスが絶妙にミスマッチしている。


 今井兼次いまいけんじ


 丸いのに今井、等と呼ばれる肥満少年である。三上とは中学からの付き合いで、比較的気心の知れた中である。


「ああ、今井は―――まぁ、買い食いだよな」


 買い物袋を腕に引っ掛け、フードコートで買ったであろう唐揚げが入ったバーレルを抱えている今井の姿を見て問いかける必要性を失った。


「ふっ。愚問とはまさにこの事だろう。買い食いをしないデブは木登りしない猿と同じだろうよ。どうだね一つ?」

「ありがとうよ。ん。うまい。飯に拘っている割にはジャンクフードとかよく食っているよな」

「馬鹿かね貴様。脂質と油とカロリーの塊だぞジャンクフードは。―――即ち、この世で一番贅沢な食べ物である」


 その無駄に渋いバリトンボイスではっきり言われるとなんだか格言みたいだなぁ、と三上は思うが当人にとってはただの食いしん坊バンザイである。


「それより今日は式王子とは一緒ではないのだな。先程そこのスーパーで買い物してたらすれ違ったのだが」

「ああ、今から合流するところだ。―――それにしてもソーセージばっかだな」

「試食コーナーは重力と同じである。デブは試食品に魂を縛られているのだよ………」


 つまり販売員に買わされたらしい。まぁ、本人は満足気なので問題はないのだろうが、この袋がはち切れんばかりに詰め込まれたソーセージを一体どう処理するのだろうか。いや、この男のことだから間違いなく胃袋に納めるのだろうが。


「良い客だな」

「お陰で明日からの労働にも身が入ろうというものだ。―――エンゲル係数はデブにとっての戦闘力………!」


 またぞろ波紋を呼びそうな台詞を残して今井は颯爽と去って行った。体重は軽く100kgを超え、大量の食品を持っているのにも関わらず軽やかな足取りである。まぁ、こうしたやり取りはこれが最初ではない。中学の頃からの付き合いで、そろそろ文庫本が出来そうなほどデブ語録が溜まっているのを三上は知っている。


 彼はデブを恥ではなく生き方として誇っていた。


 さて、そんな友人と別れてスーパーの中に入り人を探すために適当に散策しているとお目当ての人物をソーセージの試食コーナーで見つけた。


 長い黒髪を片側で纏め、カートを引いてに試食コーナーの販売員と談笑する様は、その長身とメリハリの付いた身体と合わさって主婦の如き出で立ちである。だが、彼女が身に着けているのは鐘渡教練校の制服であるし、三上と同い年だ。


 式王子小夜。


 三上の幼馴染であり、恋仲の関係でもある。


「小夜、ここにいたか。って、あれ?椎名?」

「あ、正治君」

「お、三上君だー」


 声を掛けると、販売員の方も知り合いだった。緩くウェーブした髪に、くりくりとした瞳と童顔、同年代から見ても小さい上背に、朗らかな笑みを浮かべた少女だ。


 椎名しいなみさき。


 今井と同じく中学からの付き合いで、小さくて可愛いと言う即物的極まる理由で式王子の被害者となった―――もとい、親友となった少女である。その関係で三上ともそれなりに仲が良かった。


「よう。もうバイトしているのか?」

「うん。ウチ、兄弟多いでしょ?今年は三人も中学に上がるから家計が苦しくて。学生会がすぐにバイト斡旋してくれて助かってるよー。さっそくボーナスも入りそうだし」

「しかも歩合かよ」

「私も貢献しましたよー。一番貢献したのは多分、今井君ですけど」


 あの買い物袋の理由はこれか、と小さめのホットプレートで焼かれているソーセージと冷蔵ケースに山になって陳列されている袋詰のソーセージを見て納得した。


「じゃぁ、そろそろ行くね。お仕事頑張って」

「うん。また明日ねー」


 買い物の選別自体は既に済んでいたのだろう。椎名と別れると式王子はカートを押してレジに直行し、会計を済ませた。三上は結構買い込んだなぁ、と思いながら商品を詰め込んだ買い物袋を両手に持つ。


「で、どうだよ。一班は」


 店を出て帰路につく折、三上はそう切り出した。師である水無瀬にも語ったが、少し心配だったのだ。主に性癖的問題で。


「うん、総代も風間先輩もいい人ですし、加賀君も口数少ないけど無視されているわけじゃないので割と楽しくやれそうですよー」

「宮村だっけ?お前のお気に入り」

「しーちゃんですね!ちっちゃくて可愛いんですよ!氷のような目ときっつい毒舌が同い年とは思えなくて!もうインスピレーション湧きまくりで早く衣装作って写真撮影会開きたいぐらい!!」

「程々にしとけよー。後、強制撮影会やってまた圏警呼ばれるんじゃないぞー」


 どうやらまだ頭を下げに行く事態にはなっていないようだ。時間の問題な気がするし、何だか新しい扉を開きかけている気もするが。


「正治君の方はどうですか?」

「あー、うん、ぼちぼち。予想通り、俺が足引っ張りそうだけどよ」


 問いかけに三上は苦笑して、躊躇うように続ける。


「明日、だけどさ。カウンセリング行ってみる。ここ最近、行ってなかったしな」

「そうですか。もう予約したんですか?」

「ああ、午前中に来いってさ」

「じゃぁ、私も付き添います。折角の休みですし、午後は何処か出掛けましょう」

「あー………うん」


 明日は土曜日で公休。2連休の初日だ。入学してから最初の休みだから、色々と買い揃えたいものもある。こちらから切り出すつもりだったし、カウンセリングが終わった午後からのつもりだった三上は時間髪入れずに予定を組んでくる式王子にぎこちない頷きを一つ入れて。


「―――悪い」

「それは言わない約束ですよー」


 ただ一言侘びて、それすらケラケラと許される。


 三上と式王子は幼馴染だ。


 家同士の関係もあって、それこそ赤ん坊の時からの付き合いである。兄妹、あるいは姉弟のように近い関係だし、そうした関係のまま育ってきたので今も阿吽の呼吸で互いの感情を汲み取って予定を決めた。おそらく、一年前ならもっとスムーズに、三上の方から強引にでも予定を決めていただろう。


 気の置けない関係と言えば今でもそうだ。いや、なし崩し的と言うか外堀埋められたと言うか、そういう経緯もあったにしろ以前よりもっと近い関係にもなった。


 身も蓋もなく、一言で表すのならば恋人関係。


 だが、自然とそうあろうとするには難しかった。長く一緒にいたからではない。もっと単純に、お互いに気兼ねしているのだ。




 一年前のあの日、三上正治は式王子小夜を守れなかった。




 結果的には救ったことにはなる。


 あの時、三上が暴れて事件収束のきっかけを作らなければ治療どころか止血もままならない状況で、銃撃された式王子が生き残れるはずもなかった。実際に、当時治療にあたった医者からも後十分も手当が遅れれば死んでいた、とお墨付きを頂いている。彼女の身に四発叩き込まれた銃弾の銃槍だってナノマシン治療で綺麗に消えたし、後遺症もなかった。だから、結果的には救ったのだ。


 最初の内は、英雄だと何だと持て囃されていい気になっていた。その時はまだ彼氏彼女の関係ではなかったが、自分は好いた女を救ったのだと、それどころか人質全員を救ったのだと。天狗の鼻というのがあるのなら、きっと空を突き抜けていたに違いない。


 気がついたのは、その後。


 ―――もっと上手くやれたんじゃないんです?


 それは欲張りだという気持ちはある。何でもかんでも出来るヒーローではないし、あんな状況で狂信者以外に死者が出なかったのだ。それだけでも奇跡的なのだから、これ以上を望むのは野暮というものだ。


 ―――だけどあそこで君がキレなかったら、あるいはもっと早くに動けたなら誰も痛い思いをしなかったんじゃないですか?


 死者は出なかったが、怪我人は大勢出た。結果的に死ななかっただけで、三上が暴れた際に狂信者達が放った流れ弾が人質の何人かに当たった。その中で一人、撃たれどころの悪く後遺症が残っている人もいた。風の噂では今度臓器移植するらしい。


 ―――今回の事件で後遺症の残った被害者もいるのですが、君はどう思いますか?


 ある記者にそう問われて三上は何も答えられなかった。


 法的に、三上に責任はない。問うならばJUDASにある。だが彼等はテロリストであり、大人しく方の裁きを受ける訳もなく、裁判の召喚状を送りつけようにも住所すら分からない。


 ―――本格的な訓練を受けていないとは言え適合者なんですから、もっとスマートに解決できたのでは?

 ―――クラスはCなんですね。適合率は低いのですからやはり突入部隊に任せたほうが良かったのでは?

 ―――片腕を義手にしたそうですが、生体式にしなかったのは贖罪のためですか?

 ―――人を殺してどんな気持ちになりましたか?

 ―――怪我した人達に対する責任をどう取るつもりですか?

 ―――英雄となった今の気持ちを一言。




『英雄だなんて煽てられてのぼせ上がった糞ガキだ。ちょっと過剰に防衛本能が出ただけじゃねぇか』




「正治君?」

「っ………!あ、いや、何だ?」


 横合いから覗き込まれるように式王子から声を掛けられて、三上は咳払いをしながら居住まいを正す。


「どうかしましたか?」

「いや、何でもねぇよ。何でも。さ、帰ろうぜ。腹、減っちまったよ」


 誤魔化すようにして三上は足早に帰路につく。その背中が、式王子には酷く小さく見えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る