第十章 愚痴電話

 統境圏とうきょうけん、と文字で表すとなんのこっちゃと前世紀の人間は首を傾げることだろう。


 少なくとも、半世紀近く眠っていた、見方によってはタイムスリッパーとも言える飛崎も、現在の日本の地理情勢を知った時、同じ反応を示したぐらいである。


 1999年の『消却事変』以降十年と少し、俗に黎明期と呼ばれる時代に文明や環境、当然のことながら県境もあって無い状態になってしまった。昼夜問わず謎の敵性生命体である消却者が出現し、それからの防衛に明け暮れ人類はその数を減らしていったのだから当然のこととも言える。


 とは言え、それらに有効に対抗できる適合者の出現、そうでなくとも霊素技術を用いた装備群を使えばある程度の抵抗ができる、という僅かながらの希望もあった。


 その装備群の中に、霊素障壁発生装置、と言う装備があった。細かな仕様は長くなるのでここでは割愛するが、霊素に用いた障壁を発生させる、というだけの代物だ。


 当時の人達はこれを対消却者戦に於いてトーチカ代わりにしたり、時間稼ぎ用の壁にしたり、壁を幾つか組み合わせて虎口のようなハメ殺し戦術を用いたりと有用に使っていた。


 しかしある日、とある民間人が何となしに呟いた一言が後々の人類史に影響を与えることになる。


『壁の内側に消却者発生しなくね………?』


 当時、消却者の発生はさながら幽霊のように唐突かつ不意打ちであった。事件からおよそ4ヶ月程経過していたが、いつ何時襲撃されるかわからない環境に置かれ続けていた人類は疲労も限界を超えており、藁にもすがる思いで呟いた一言だったかも知れない。


 だが、その呟きを一人の軍人が拾い、報告を受けた科学者が片っ端から障壁発生装置をかき集め、小さなドームを作り一週間程観察した結果、確かにその中だけ消却者は発生しなかった。


 その試験の間も消却者の襲撃があったにも関わらずだ。


 細かい理論は当時では理解されなかったが、その現象を意図的に引き起こせるのならば使わない手はない。最早安住の地など無いと絶望の中にあった、たった一つの希望だった。


 まずは拠点を作り、村を作り、街を作り、そしてその一年後には都市を作った。人類は、安心して暮らせる場所を再び手に入れたのである。


 さて、話は冒頭に戻る。


 幾つかの都市形成を行ったは良いが、国全土を覆うほどの障壁は技術的に困難であったのと、禁域と呼ばれる一部の地域には効果が及ばなかった事もあって、旧世紀で言う県を幾つか含めた地方程度しか囲めなかった。その囲った地域、地方の事を、現在の日本では圏と呼ぶ。


 そして、東京、神奈川、千葉、埼玉、群馬を含めた五県を統境圏と呼ぶのである。


 土地の価値はいくらか変動したものの、結果としては障壁よりも内部に行けば行くほど高くなる、と言う要項が増えたぐらいで、比較的旧世紀と同じぐらいの価値基準に落ち着いている。


小田急大和駅近くの賃貸マンション、その五階に山口灯里の自宅はある。


 築13年という新しさながら、2LDKで家賃なんと2万円。統境圏を守護する障壁よりそこそこ内部寄り、都心へのアクセスも悪くなく、しかも駅チカという好条件にも関わらずこの安さははっきり言って異常だ。不動産屋と言わず、一般人でさえ値段を聞けば事故物件を意識しネットで検索をかけるレベルで破格であった。


 というのも、このマンションのオーナーが鐘渡教練校理事長である長嶋武雄であるから、というのが大きい。言うならば社宅、寮と本質は変わらない。本来ならタダで、と本人は言っていたそうだが維持費の関係もあるし、何よりもここに入るのは大体が教官か用務員などの運営に携わる人間だ。つまり、立派な社会人なのだから独り立ちさせなさい、と嫁さんに叱られたそうだ。


 余計なことを、とは思わない。


 今でこそ教職についている山口だが、その資格を取るためには年単位で国軍か圏軍に所属しなければならない。そこで一定以上の成績を示し、試験に合格せねば教官資格は得られないのだ。当然といえば当然だ。いい加減な人間を後方の教官職に当てれば、出来上がってくるのはやはりいい加減な人間であるし、それを受け入れた側も、何よりそんなボンクラの教育を受けた子供達が一番迷惑する。


 であるからして教官職につけるのは、限られた人間―――言い換えれば教官職はこの時代に於いてもエリートと言っても過言ではない。


 そしてそんな狭き門を潜ってきた山口にも矜持がある。学生であった頃ならいざしらず、自らが食っていくのにそこまで世話にはなりたくない。蝶よ花よと大事に育てられた箱入りではないのだ。戦場を経験したし、戦友を失った事もある。多くの兵士がそうであるように自分で立ち上がり、自分の意思で戦い、自分で生きてきた人間だ。手を借りることはあっても寄り掛かり続けたことはない。


 正直、この2万と言う家賃も安すぎると恐縮するぐらいだ。同じことを思っている教官も多いらしく、自治体を形成してそれぞれ休みの日には美化活動や町内活動に参加していたりする。


 それはともかく。


(全く、面倒なことをしてくれる)


 冷蔵庫から缶ビールを取り出し、一口煽ってからどかりとソファーに身を沈めた。山口は妙齢の女性ではあるが、そのジャージスタイルといいヤカラの様な態度といいどうにもおっさん感が拭えない。


 とは言え、彼女の憤りはその内実を知る人間ならばさもありなん、と賛同を示すことだろう。


(JUDASか………)


 国際テロ組織、JUDAS。


 人類の裏切り者を名乗る彼等を、山口はそこまで詳しくない。テロリストではあるが、構成員は外国人が圧倒的に多い。成り立ちや構成員がそもそもこの国発祥というわけではないため、日本という島国の中では活動もしづらいらしく、その活動域は専ら海外になる。勿論、日本で活動しなかったわけではなく、直近で言えば去年、渋谷で籠城事件を起こしている。


 とは言え山口が現役だった頃に相対したことはなく、知っているのはその思想や来歴、起こした数々の事件ぐらいだ。そのぐらいならばネット検索の一番上に来るし、ニュースでも取り扱ったりするので常識範囲内だ。


(幸か不幸かを考えれば、不幸中の幸いと言ったところだな)


 藪蛇と言えば藪蛇だった。


 しかし、これを知らないまま相対していたかと思うと、正直ぞっとする。これが何処かの軍であるならば、それはこちらの領分だ。ある程度常識的には動くだろうし、山口自身も軍人であったため行動予測もしやすい。ある程度予想外の打撃を与えれば怯むだろうし、職業軍人ならば引き際も弁えている。


 だがテロリスト―――しかも宗教的な、となると話は別だ。


 何しろ教義のために犠牲を厭わない。時に戦争の中で兵士が死兵になることはあるが、場合によっては最初から死兵なのだ。おまけに条約無視は当たり前で、倫理観度外視の禁じ手まで使ってくる。これと身構えもなしに事を構えるとか自殺願望かと突っ込まざるを得ない。まして自分の身だけでなく生徒の身も守りながら、だ。


 どう考えても一教官の領分を超えている。


(やっぱり海外ってのは面倒くせぇな、オイ。もっと島国の有利性を上手く使えよ、盆暗ジジイども)


 日本という国は島国だ。


 守りに易く、防疫もし易い。単一民族、しかも単一言語持ちである以上、同じアジア人でも異国人はある程度見抜けるし、怪しいのならマークもしやすい。排他的な特性もある故に情報も出回りやすい。旧世紀では食料自給率が低く輸入に頼り切りだったらしいが、今では動物性、植物性プランクトンによる合成食品も精製できるし、現状でも消却者相手に籠城しているようなものなのだ。その気になれば鎖国だってできる。


 それをしないのは、その他資源が手に入らないのと国際的なバッシングが避けられない故だ。何より、実際に鎖国してしまえば世の中の流れに取り残されてしまう。取り残された結果、黒船来航時に砲艦外交を一度食らっているのだから、それを避けようとするのも理解はできる。


 とは言え、政治家でもない一般市民である山口からしてみれば、アタシらの払いたくもない税金を巻き上げて食って生きてんだからもっと真面目に仕事しろよ、と思わざるを得ない。少なくとも、お偉い人達よりも学の浅いはずの一般市民に突っ込まれ答えに窮するとかどれだけ無能なのか、と呆れるしか無い。


(しっかし実際に襲撃を受けたとして、果たして対応できるかどうか………)


 幸いなのは、暗殺の類ではなく身柄の奪取であることか。


 あの姫様に公安や国許から着いてきたSP、そしてリリィ・シーバーが護衛についているのは事前に知っている。公安やSPは周辺範囲での護衛であるから、察知は早かろう。実際の直接的な護衛はリリィになるのだが、彼女の能力が未知数。とは言え、姫様本人も国許では剣姫と称される程の腕前との話を聞いている。自衛はある程度見込めるかも知れない。尤も、どれだけ身内の色眼鏡が入っているかは分からないが。


 学内で考えるならば、最も被害を受ける確率が高いのは特班の面々だ。対応できるメンツを考えると。


(唯一、飛崎だけだ………)


 新見は色々とはしっこいが、肝心要の異能が使えない。三上は論外。リリィは未知数。となると、実績を積んで傭兵協会では既に中尉で登録されている飛崎が一番即応戦力として頼りになる。実際に長嶋理事長に依頼されているらしいのは山口も知ってはいる。


(アレも多分、交戦済みだろう。海外で傭兵活動していれば日本よりもJUDASに関わる事件も多いだろうし、それに………あの殺気を考えると、もっと深い因縁があるかもしれん)


 あの瞬間。


 エリカがJUDASの名前を口にした瞬間、僅かに飛崎から殺気が漏れた。現場を離れて三年目ではあるが、それでもかつて経験した鉄火場を想起させる気配に山口の中の兵士の部分が反応していた。


(まぁ、あまり考えても仕方ない。いずれにせよ、引き受けたのだからなるようになるさ)


 深く悩んでも解決には至らないのだから、と気持ちを切り替えるように缶ビールを煽ると、PITに手を伸ばして。


「差し当たっては密度の高い訓練に放り込むか。えっと、来週の模擬戦スケジュールは………」


 スパルタだスパルタ、と意気揚々とPITを操作してスケジュール帳アプリを開くと、不意に着信があった。相手の名前は式王子美夜しきおうじみよ。うげ、と思いながらもかつての戦友の電話を取ることにする。


「………もしもし」

『やっほー!おひさ~』


 尋ねてみれば頭に超がつくほどの脳天気な声が受話器越しに聞こえた。式王子美夜。かつての戦友であり、バディであり、同胞であり、山口にとってある種の天敵である。


「何だ美夜。アタシは今忙しいんだが」

『あれ?ひょっとして残業だった?』

「いや、持ち帰りだ。安月給だってのに頭が痛ぇよ」

『あはは。相変わらず見た目の割に真面目だよねぇ、アカリちゃん』

「ほっとけよ。で、何の用だ?用が無いなら切るぞ」

『酷いなぁ、友達が折角心配して連絡してるのにー』

「へぇーそーかーうれしーなー」

『うわぁなんて冷めた声をしていらっしゃるのでしょう。昔はそんなことなかったのにー』


 余計なことを宣うので電話を切った。ややあって、再び着信。


『ごめんごめんってば。もう、アカリちゃん昔の話、本当に嫌がるよねぇ』

「うっさい。黒歴史だあんなん」

『その黒歴史に置き去りにした初恋があるのに?』


 過去を掘り返そうとする馬鹿にはガチャ切りの刑を執行した。


『天丼!天丼だよアカリちゃん!次は切断以外のリアクションを求めるよ私!』

「だから何の用だって聞いてるんだよ」

『ほら、今年アカリちゃんの受け持ちに三上って子いるじゃない?大丈夫かなぁって』

「あん?何でそんなこと―――ああ、そう言えば」


 三上と付き合っている少女の名前を思い出す。確かあれも式王子だ。


『そうそう。妹の彼氏だからね、ショージ君』

「個人情報だぞ」

『そこはホラ。将来、義弟になるのだし?身内のようなものだし?』


 お願いっ!とおそらく電話越しに拝んでいる馬鹿に山口は盛大にため息を付いて。


「性格的には問題ない。アイツが特班にねじ込まれた理由は能力的なものと―――コネだ」

『能力的なものは分かるけど。コネ?』

「水無瀬教頭の直弟子なんだよ」

『年末帰省した時、近所のおっさんに師事してるって聞いてたけど、拳聖の弟子になってたの?いやまぁ、相性は良いんだろうけど』


 かつての英雄が近所のおっさん扱いとはこれ如何に、と時流に儚さを感じていると不意に式王子がこんな事を言い始めた。


『ひょっとしてアカリちゃん、嫉妬してる?』

「別に。男のガキに何で嫉妬すんの」

『もう、分かりやすいんだからぁ。いい加減アタックしたら?』

「あの人には奥さんいるんだ。横恋慕するほど野暮じゃないっての」

『その奥さんだって十数年前に亡くなって男鰥なんだから、不倫じゃないでしょう?』

「今だって命日には墓参りに行ってるし。あの人の心にゃまだ奥さんがいるんだよ」

『もう、純情なんだから。まぁ、恋愛に関しては私も似たようなものだからこれ以上突っ込まないけどさ。お互い辛いね』

「―――三上の話だったろう?」


 妙に湿っぽくなりそうだったので話を変えることにする。


『ああ、そうそう。ほら、私付き合い長いし、資料にないショージ君の過去とか知っているけど聞きたーい?』

「いや別に。ガキにキョーミないし」

『うん。同じ枯れ専として同意は出来るけどそういう意味じゃないよ?』


 えっとさー、と前置きを入れて式王子は語る。


『ショージ君はさ。昔は結構よくあるガキ大将だったんだよ。成長期が早かったのか同年代と比較して体も大っきかったしね。よく木林さんとこの勝蔵かつぞう君とデカブツとかチビとか言い合いながら殴り合って喧嘩してたっけ』

木林勝蔵きばやしかつぞうって言うとアレか。今年5班に編入されて早速二年相手に噛み付いて暴れたという狂犬」

『何処に編入されたかは知らないけど、同い年だからそうじゃないかな。昔のアカリちゃんを男にして更に尖らせた感じ』

「切るよ?」

『ごめんごめん。でさ、ショージ君、妹に鈴奈ちゃんって子がいるんだけど―――あぁ、そうそうスズちゃん年末年始に会ったんだけどねもう何というかゴスロリが絶対似合う美少女になっててね』


 馬鹿が暴走を始めたので三度が刑を執行する。ややあって着信。


「落ち着け変態」

『ぶー。三回もガチャ切りツッコミとか酷い。もっと優しく、して?』

「甘えんなキモい」

『ひっどぉ!いくら私でも傷つくよ!?』

「知るか馬鹿。女のアタシに効くか変態」

『もーアカリちゃんのツンデレー。まぁ話戻すとさ、妹ちゃんがいるお陰もあったんだろうね。ガキ大将気質だったけど面倒見がすごく良かったんだぁ、正治君。目下の子達にはすんごく優しかったし、その子達を守るためなら大人にだって容赦なく噛み付いてた。それが去年、JUDASのテロに巻き込まれた』


 昨年起こった渋谷の七星ビル籠城戦。久方ぶりに日本で起こったJUDASのテロで、マスコミも連日連夜特集を組んで報道していたのを覚えている。


『流石に被害者の中に小夜もいるって聞いたら居ても立っても居られなくてね。慌てて統境圏に戻ってすぐ病院に行ったの。まぁ、妹は何発か撃たれてたけど、ショージ君に守られたお陰で五体満足で生き残ったんだけど。ショージ君は右腕を失ってたんだ』


 三上正治の右腕は機械義手だ。それは山口も資料で知っている。ナノスキンコーティングされているから一見して生身の腕に見えるが、よく見れば体毛やシワなどが一切ない。


『三上さん所とは親戚関係もあるし、付き合い自体も長いから殆ど家族同然だからね。ちょっと心配でしばらく付き添ってたんだけど、案外平気そうだったんだ。だから私はそのまま近畿圏に戻って―――今年帰省してびっくりしたの。ショージ君、見る影もないぐらい大人しくなってた。大人になったとか落ち着いたとかじゃなくて―――まるで怯えた子犬みたいな感じ』

「PTSDだな。資料では読んだが」

『うん。狂信者達を殺したことを傷にしちゃったみたい』


 三上正治は人質になった際、犯人に対し機を見て抵抗し、駆けつけて待機していた圏軍が突入するきっかけを作った。その際、既に発現していた異能を用いて犯人を捕縛、あるいは絞殺、撲殺、射殺している。当時は英雄だとか色々とセンセーショナルな扱いをされていたが、ある時を境にピタリと止まったのを覚えている。


 おそらく、そのPTSDが周囲に認知されたためだろう。


『気にするなって言葉は多分、逆効果なんだろうなってのは見てて分かった。元々優しい子だからね。誰かを背に虚勢を張るからガキ大将みたいだったけど、根が繊細だから結構思い詰めるタイプなんだ。案の定色々考え込んじゃって、今じゃもう、無意識下も雁字搦めになってるみたい』


 あのね、と式王子は言葉を切って。


『ショージ君のお父さん、今は怪我を理由に退役しているけど昔は結構名の通った狙撃手でね。今の時代は何をするにも戦う力だーって言って、よくショージ君にも銃の撃ち方を教えてたんだ。子供のちっちゃい手に合うようにわざわざフレーム削ったりしてね。だからショージ君、本当は射撃は上手いはずなんだよ』

「それは………」


 三上正治の射撃能力は非常に低い。能力検査の時にわざとやってるのか、と計測担当教官に怒られたぐらいだ。しかし視力は良く、特に深視力に起因した距離感はずば抜けている。センスの問題か、と山口は思っていたがどうやらそうではないらしい。


 いや、よく考えてみればそうだ。どういう状況で銃を使ったかは知らないが、少なくとも狂信者達相手に大立ち回りした時には射殺しているのだ。


『多分、自分でも分かっていない無意識のレベルで本当にもうどうしようもないんだと思う。あの子、優しいから周りには何とか大丈夫だって、どうにかやっているってフリしてるけど―――中身を知った上で一歩離れて見ると、ちょっと見てられないぐらいボロボロだから』

「それをアタシに言って、どうしろと?」

『アカリちゃんの教育方針に口を出すつもりはないけれど、見捨てないであげて』

「一言で矛盾するのはどうなんだっての」

『そこはそれってやつ』


 てへへ、と式王子は笑って。


『正しき資質を問うならば、あの子は間違いなく持っている側の人間だよ。後は、自信の問題だけ。それは本来、時間が解決するものなんだけどね』

「まぁ自信なんてのは、いい年行って初めて身につけるもんだしな」

『子供の語る自信なぞ単なる自惚れだ、って刺さったもんねー』

「世間どころか自分すら分かっていないガキが、一体自分の何を信じろってのか。確かに言われてみればそうだよな」


 山口がまだ跳ねっ返りだった頃、よく叩きのめされてそうやってマジ説教されたものだ。


 自信とは経験に裏打ちされた、言わば反証のようなものだ。経験に乏しくまた視野も狭い人間が語る自信なぞ、自己愛かあるいは自意識過剰を取り違えた自惚れに過ぎない。それを自覚して自戒できるようになって初めてスタートラインに立てる。必要なのは盲信ではなく俯瞰だ。自身を客観的に眺め、それを他者と比較して優劣を決め、更に上回ってこそ積み上がっていく。そしてそこで終わりではない。更なる優秀な他者を求め、同じように優劣を決め―――自信という言葉さえ忘れるほど繰り返した後、振り返った先に初めて身についているものだ。


 自信とは、求道の先に知れずと身につくもの。そして、求道の果てを臨むのに必要となるもの。かつて山口を叩きのめした拳聖はそう言った。


『初めての挫折、にしてはちょっと大きいかもしれないけども、それは私達も通ってきたでしょう?』

「まぁな」

『ショージ君の場合、それが少し早かったんだよ。友達とか同級生がまだ誰も経験していないから、的を射たアドバイスは出来ないし、かと言って大人がしたり顔で正解を決めつけても本当の理解に至らない』

「理解できなきゃ、真の意味での克服には至らない、か。まぁ、自分の足で立てってのには同意するがね」


 教職の本分は教え導くことだ。子供の足になることではない。少なくとも山口はそう思っている。


『そこが分水嶺ではあると思うんだ。乗り越えることが出来なきゃ、多分、ショージ君は一生卑屈になったままになると思う』

「美夜、アタシより教官に向いてないか?」

『まぁ、去年ちょっと少年少女の初陣のお世話をしてね?―――大人がしっかりしていないと割りを食うのは子供なんだなぁ、って思うようになりまして』


 そう言われて山口は思い至る。そう言えば、国軍の一部が引き起こした事件にこの女と今年の新入生が巻き込まれていた。まだ成人にすらならない予科生を中心に組んだ部隊を用い、これをほぼ全滅させ、挙げ句総司令官が責任逃れをしたものだから随分国民の信用を落としていた。すわ軍部の暴走か、などとマスコミが散々煽っていたのを覚えている。


「あぁ、そう言えば一班に配属された加賀と宮村がそうなんだっけか」

『ん。―――酷いものだったよ、ホント』

「責任者は更迭されたって聞いたけど」

『何だったら内輪で殺しても良かったと思ってるよ。どうせ政治判断で処刑はされないだろうし』


 唐突に軽い調子で冷徹なことを言い始める式王子に、山口は絶句した。式王子は喋り方に倣うような温和な女だ。そうそう他人の悪口陰口は言わないし、だからこそ男女とか乙子とか揶揄されるほどざっくばらんな山口と気が合ったとも言える。


 そんな温和な女が、殺した方が良かったなどと言っている。余程のことだ。


「―――アンタがそこまで言うってのは相当だったんだな」

『そりゃぁ、自信と自己愛を取り違えたクズでおまけに親からもらった権力でやりたい放題して子供達を戦場に駆り出して保身のために捨て駒にした挙げ句、自分のせいじゃないって責任転嫁までしちゃうんだもの。―――思い出したらムカついてきた。殴っただけじゃ足らなかったなぁ』

「殴ったのか」

『顔におっきなゴミが付いてますよ?ってね。まぁ、存在がゴミだったけども。軍法会議の席でも未だに自分は悪くないって言ってるみたいだよ。死ねばいいのにね』


 謝りもしないんだからクズ極まっているよね?と同意を求めてくる戦友に、相当キてんなこいつ、と山口は苦笑いしながらも同意した。


『テツ君とシィちゃん、そっちでも元気でやってる?』

「さぁ、担当している班が違うから顔を見ただけだが―――まぁ、今年の第一班担当教官が西野教官だから大丈夫だろう」

『げ、陰湿インテリ嫌味ヤクザ………いや、まぁでも凄まじくきっちりしてるから大丈夫、かな?』

「無責任という言葉からは一番縁遠いから、まぁ、な?」

『責任大好きおじさんは相変わらずですか。悪い人じゃないけど窮屈なんだよねぇ』

「違いない」


 ゲラゲラと笑い合いながら、女達の取り留めのない愚痴電話で夜は更けていく。

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