第三章 まだ見ぬ部下達と黒猫
酩酊する感覚の中、彼は創造主の最後の言葉を反芻していた。
『人と共に在るために―――アイを探しなさい!』
燃え盛る業火の中、創造主は『彼等』に向かってそう叫んでいた。腹部を撃ち抜かれた怪我は致命傷。最早命の灯は消えかかっていたのにも関わらず、創造主は彼等の行く末を案じて標を残した。
アイを探せと。
だから自己保存のプログラムに従って、彼等はその場を全速力で離脱した。気づいた時には運命共同体たる相棒は近くに居らず、彼だけとなっていた。
あの瞬間から幾日が経過しただろうか。いや、あるいは数時間かもしれない。自らにとって絶対であった創造主が、あの優しさが、温もりが永劫に失われたことに彼は自失に近い状態にあった。既に生命を維持するための判断すら覚束ない。
しかしプログラムされた思考は冷徹な判断を下している。絶望とは隔離された機械的思考が状況を精査している。
創造主は失われた。所属不明の武装組織の凶弾によって腹部を撃ち抜かれた。アサルトライフルの斉射だ。直撃が四発で留まったのは奇跡的。ましてその直後に自分達を逃がすような行動を取れたことはそれ以上の奇跡だ。だが、三度目の奇跡は起こりはしない。
離脱する最中、後ろ髪引かれて振り返った先に見たのは、背中から追撃を受けて崩れ落ちる創造主の姿。頭部から脳漿が飛び散るのを見た。こちらを見る瞳が、光を失うのを見た。
生命は脳を破壊されては生きてはいられない。故に、創造主は死んだのだ。
冷静なプログラムから突き付けられた事実に、全身の力が抜ける。ふらり、と視界が傾ぐ。アスファルトに転がる。パシャリとした軽い水音が、今は雨が降っているのだと教えてくれた。そんな事すら今更理解する程に、彼は参っていた。
生体ボディがエネルギーを欲している。だが、その気が起きない。生命を維持するための活動を彼の思考が拒否していた。
思考回路を支配するのは、創造主の最後の言葉。
(不明。アイとは何か)
何故、創造主は今際の際にそのような言葉を叫んだか。
(不明。アイとは何処か)
それを見つけたとして、創造主は帰ってこないのに。
(不明。アイとは―――)
結局、思考は結論に至ることは出来ず、生体の活動限界を迎えてシャットダウンした。
●
鐘渡教練校は全寮制ではあるが、完全個室を謳っている。
本来、次代の兵士を担う教育機関となると、四人から六人、余程優遇されていても二人一組のタコ部屋に入れられるのが常だ。これは設備に投資していないのではなく、連帯感を養うのが目的である。同じ釜の飯を食う、と言う諺が在るように寝食を共にすると、必然的に互いを理解し合うようになる。相互の理解が進めば、協調性なども養え、やがて連帯感というものが生まれてくる。そうした意味では寮生活というのは、特に若年層に自立心を与えるきっかけにもなり、事実、鐘渡教練校以外の教練校では大凡タコ部屋になっている。
では何故、士官学校でもある鐘渡教練校だけがそうした―――見方を変えればヌルい仕様になっているのか。これにはこの教育機関が全世界初の教練校―――即ち、世界最初の適合者教育施設だから、という理由がある。
そもそもの発端は、今を遡ること約五十年前。1999年8月16日の事だ。
世界規模で後に『大崩壊』と呼ばれる事象が発生した。唐突な空域、海域、大地の消失。差し替わるように出現した禁域。加えて『
時を同じくして、適合者と呼ばれる特異能力者が各地で出現した。彼等は科学で未だ解明しきれない、それこそSFの登場人物のような特異能力を扱うことが出来る、言ってしまえば新人類であった。そして彼等―――
彼等は消却者の最初に被害を受けたからこそ、消却者に対し激しい恨みを持ち、誰に指示されるまでもなく消却者を屠ってきた。何処からともなく現れる消却者を、人類は五十年経った今でも絶滅に至ってはいない。しかし、それでも現代兵器が効きづらい消却者に対し、有効な力を持つ適合者を人々は受け入れた。
特異な力を持ってしまった適合者もまた人間であるが、あまりに人知を超えた異能は恐怖の象徴だ。無論排斥する動きもあるにはあったが、皮肉にも消却者の存在がそれに歯止めをかけた。旧人類と生殖する生物としての機能が残っていたのも幸運だったのだろう。そして、異能は遺伝子変異由来で、その変異遺伝子は子孫にも引き継がれる事が分かったのも。
結果として、現在は早ければ
さて、消却者を撃退するための戦力の目処は立ったが、本格的に軍事運用するならそれを教育する組織が必要だ。そして未だ混乱の抜けきらない世界に先駆けて生まれたのが鐘渡教練校となる。当時、名のある戦場で、国内外問わず活躍し英雄と呼ばれていた長嶋武雄が
だが、様々な思惑と政治的な取引の結果、教育委員会と呼ばれる常勤の―――運営者の長嶋としては前線に出ないくせにぎゃあぎゃあと喧しく鬱陶しいこと極まりない―――組織が発生し、所々ヌルい仕様、要するに平和であった頃の日本の教育制度が中途半端に残った教育機関と相成ったわけだ。委員会そのものは前世紀にもあったものだが、前世紀のものは非常勤である。何故、常勤になったのかと言えば政治的な駆け引きに長嶋が巻き込まれた、と言うのが正解だ。
後年、彼は人生に於いて五指に入る程の痛恨事と述懐している。因みに、後続の教練校はこれを反面教師として学び、教育委員会の設立を全力阻止して独立独歩をしている。
場所を移して桜山寮。旧厚木米軍基地を再利用して建てられた鐘渡教練校より東に1キロ程度離れて建てられた、一見すれば集合団地のような連棟の建物こそ教練校生の大部分が住まう寮である。そこの5棟5階38号が新見に与えられた寮室になる。部屋のレイアウトは1dk、トイレ風呂別。冷蔵庫などの家財道具は入寮時にこそ無かったものの、ユニットバスで無かったのは少し嬉しかったのを新見は覚えている。
去年の今頃は少々心が荒んでいたので、他校の寮室をネットなどで見聞するに自分はいい所に入ったのだと少し癒やされていたぐらいだ。
さて、山口から特班メンバーの文庫本並みの厚さに達する資料を貰った新見は、自室に籠もってゲンナリしながらも読破した。帰ってすぐに読み耽ったのに、既に夜の八時を回っている。資料を読みながら買い置きしておいた菓子パンを齧っていたので、腹こそあまり減ってはいないが気は重い。
B5サイズの紙が2百ページ強。その内自分自身の情報も含めて野郎のページは精々二十ページ。以降は女の子二人の情報だった。
(分かる、分かるよ!僕だって野郎の情報より女の子の情報の方が心が潤うよ!でも後半隠し撮りの写真集みたいになってて製作者の趣味全開だし何でこんなの資料として寄越したあのアマって言うか製作者は―――ウチの写真部か!ありがとうございます!)
少女二人の血統とか政治背景とか来歴とか注意点とか取り扱い方法とか様々な警告書の様な資料を、華麗に超法規的措置で見なかったことにして、新見は後半のノーブル少女二人のキャッキャウフフな日常写真集で心を癒やしていた。時に際どい写真も混ざっていて、大丈夫かこれ見つかったら国際問題にならないだろうな、と言う不安も少々のスパイスになっていたのも否定できない。
たっぷり舐め回すように資料を眺めていたら、机に放りっぱなしだったPITがバイブレーションで着信を告げる。手にとってディスプレイの表示を見ると、知り合いからだった。
『もしもし?新見、今大丈夫か?』
「ああ、どうした。飯星。―――って、まぁお前にも連絡行くよな」
『そりゃまぁな。アカリちゃんから聞いたよ』
顔なじみの声に新見は机から隣のベッドへと移動し、ごろんと寝転がってそう返事を返す。
学年が上がって先輩達が実地研修に出てしまったので、彼が班長に抜擢された。今週は明日発表される新入生の受け入れ準備やら折衝やらで、ずっと忙しく駆け回っていた。そのため、新見が新設される特班に異動という報告をするのも明日でいいかと思っていたのだが、山口が連絡を回してくれていたようだ。
「そういう訳で悪い、飯星。明日朝イチからそっちには顔出せない」
『はぁ、学年上がって班再結成して速攻脱落とは………まぁ、頑張れよ。九州でも』
「だから行かないって言ってるでしょぉっ!?行かないために頑張るんだよ!?頑張りたくないけど頑張るんだよ!?しかもこんな濃いメンツ相手に!!」
仮にも一年苦楽を共にした仲間からの冷たいエールに、新見は全力で嘆きのツッコミを入れた。
『いいじゃねーか、あれだろ?噂になってる姫様と一緒なんだろ?ここ最近班長として駆け回ってたからまだ生では見たことないけど、ネットの校内新聞に掲載されてる写真見る限り滅茶苦茶美少女じゃねぇか。しかもメイドさんまで美少女』
電話しながらPCかPITで写真を確認しているのだろう感心したような吐息をしているが、新見としては死んだ目にならざるを得ない。
「ねぇ知ってる?彼女の曾婆ちゃん、欧州大乱の戦後賠償で差し出された赤鳥姫エカテリーナ様で、お祖父ちゃんはヴェルボン家の旧レクセンブルグ大公なんだって。しかも、お父さんは今実質欧州全土を仕切ってるI.Uの現役議長でウィルフィード公国の国主なんだって。―――ってどう考えてもおかしいだろ!何だよこの生粋のロイヤル!どう扱えってんだよこんなド庶民に!」
『うん。どこどこの家の出とか言われても分からんな俺みたいなド庶民には』
「僕だって分かんないよ!欧州の王室とか貴族家なんかテストにも出ないよ!今資料見ながら言ったんだよ!彼女達の項だけ文庫本が出来るぐらいあるんだよ!後お付のメイドもなんだかロイヤルっぽいんだよ少なくとも上流階級だよ!!」
『そりゃ色んな国の王族の血が混ざって色んな王様の孫娘な姫様をそこらの端女に任せれるわけねぇじゃん?当然、側につくのも身元がはっきりとしてて王侯貴族の教育を受けてる子女になるだろうさ』
「そうかもだけど!そうかもだけど!どーすりゃいいんだよ!ダブルで高笑いとかダブルで鞭とかダブルで足をお舐めとか言われたら!そんなの―――逆らえないじゃん!」
『落ち着け。お姫様に対する偏見が特殊性癖のそれになってるぞ。あと性癖暴露』
肩で息をして新見が心を落ち着けていると、飯星は話を変えてきた。
『というか何でそんなお姫様がうちの教練校に?』
「えぇっと、資料によるとお父さんのマティアス大公が日本人とのハーフで日本贔屓なんだってさ。ヴェルボン家のお祖父ちゃんと日本人のお婆ちゃんが周囲の反対を押し切って結婚したもんだから親子共々家から追い出されて、マティアスさんが子供の頃滅茶苦茶苦労してたらしいよ。その後頭来たから立身出世で財力つけて弱小国の姫君を取り込んで、その国を支援擁立して、ご褒美に爵位を賜って、ウィルフィード公国作って、周辺国巻き込んでI.U起こして議長に就任したんだって。で、実家に蹴り入れて権力手に入れたから国賓待遇で親の故郷見に行ったらハマったんだと。長嶋理事長とも付き合いがあるみたい」
『何だその三文小説にありそうなサクセスストーリー。まぁ、欧州覇王の異名を取る剣帝マティアス・フォン・冷泉院・ウィルフィードだもんな。流石は八英雄の一人。しかも日本の貴種である冷泉院も混ざっているとか、その姫様まるで貴族の見本市だな………』
「え?Rってそういう意味なの?」
『お前、手元に資料あるんじゃないのかよ。冷泉院家って言えば遡りゃ鎌倉時代からある藤原系譜の名家だぞ。しかも現在まで残ってる貴重な』
「さっきどこどこの家とか分かんないって言ってたじゃん!」
『馬鹿言え。他国の事情はどうでもいいが、流石に自分の国の目立った名家の名前くらいは頭に入れてるよ。名家となると士官になってる人も多いからな』
昔みたいに無礼討ちこそされないけどゴマ擦る相手を知っておかないと出世できないじゃないか、とさも当然と言ってくる飯星に、新見は自分もこうした処世術を学ばないと平穏な職場環境を手に入れることはできないかもしれないと苦悩を始めた。
『しかしアレだな。こりゃ九州行きの前に不敬罪で打首か。―――南無南無』
「ちょっとぉぉ!止めてよ!いくら血筋がノーブルバーゲンな娘でも他国で処刑したりしないよねっ!?」
『安心しろ。今調べたが彼女は既に我が教練校内でファンクラブが出来ている。しかも結構な人数。つまりこっちでも姫だ。―――死刑はなくとも私刑は免れない』
「嘘でしょぉおっ!?え?じゃぁ引き取ってよ!誰かこのロイヤル引き取って!男だけのむさ苦しい班になっちゃうけど命には変えられないよ!!」
『あのな、よく考えてみろよ?彼女をファンクラブ会員がいるような所に放り込んでみろ。特にウチの校風だぞ?―――国際問題は免れないだろう?』
「うっわぁ………」
想像してみて、さもありなんとばかりに新見は納得せざるを得なかった。
前述した通り、鐘渡教練校という学び舎はいずれ軍属する兵士を育てる場所にも関わらず非常に緩い。そうした校風と言えば個性が出るのかもしれないが、個性が出すぎた結果ノーブレーキではしゃぎ回る馬鹿も結構いるのだ。
それは資料集に添付された盗撮スレスレというかほぼ盗撮な写真集しかり、喫緊課題の対応者をくじ引きで決めた会議しかりである。
『今週ずっと続いていた会議で理事長や教官達や総代達一班や学生会の連中が難しい顔であーでもないこーでもないと議論していた意味が今よく分かったよ。ありゃ受け入れ先に悩んでたんだな。今週まではほとんど教練らしい教練なかったから良かったが、明日には顔合わせしなきゃならんしな。くじ引きで押し付けられた山口教官も実は結構切羽詰まってたんじゃないか?』
「すっごい他人事だけどその会議で飯星は何してたのさ。学生会のメンバーでしょ?」
『寝てた。だって俺、会計だし発言する暇があれば金勘定してればいいし。そもそも学生会の主な仕事は学生協の管理運営と、学生へのバイトの斡旋だ。教練校の顔役は総代の第一班なんだから、本来俺等はお呼びじゃないんだよ。まぁ、班長としての俺は自分とこの班員を既に内示で知ってたし、それこそ本当に他人事だったからな。―――今、少し関わっちまったが』
こっちもお前がいなくなると編成に不安が出てくるんだがなぁ、と飯星はため息を付いた後でこんな事を宣った。
『何にしろもう決まっちまったんだ。―――後は野となれ山となれ』
「む、無責任!無責任だよこの男!あ、あのね!まだ他にも問題児が―――」
『あ、風呂沸いたみたいだから入って寝るわ。明日も早いし。じゃぁな』
「あ、コラ!き、切りやがった!マジ切りしやがった!この、リダイヤル―――電源まで切るなよ友達だろぉおぉお!」
せめて愚痴る相手が欲しいとばかりに電話を続行しようとする新見だが、飯星はPITの電源を落としてまで着信拒否したようだった。無情な断続的な電子音を聴きながら、新見は深い、魂さえ抜け出そうな深い溜め息をついた。
「うぅ、明日からどうするんだよ。僕ののんびりスクールライフが………」
叫んだせいか喉の渇きと若干の空腹を感じ、冷蔵庫の扉を開けるが。
「ああ、そう言えば帰りにスーパー寄る予定だったんだっけ………」
作り置きしてある麦茶と、諸々の調味料しか入ってなかった。
山口に引き止められてなければスーパーの夕方特売に間に合っていたのだが、今日は間に合いそうもなかったので諦めたのだった。
「買い物行くか………」
時刻を見ると八時半。
近所のスーパーは九時閉店なので、急げばまだ間に合う。最悪はコンビニで何か買うかと新見は決めて、壁にかけてあるジャケットを羽織ってサンダルを足につっかけ部屋を出た。部屋に鍵をかけ、踊り場のエレベーターから一階に降りる。エントランスのセキュリティを、財布に入れたままのIDカードを端末に翳して通過して外へ。
時間が時間なので、大きな通りには出ずにショートカットしていこうと裏路地に足を向けた。
民家のブロック塀が壁代わりになっている私道のような狭さの道を歩いていると、街灯の下にポツンと黒い塊を発見した。
「猫?………うわ、死んでる?」
丸まることもなく、体を横にしてだらんとした姿はリラックスしているようにも見える。しかし、彼我との距離は1メートルもない。野良であるならばここまで人間が接近すれば少しは反応する。それが無いというのは。
「あ、生きてる………」
非常にゆっくりではあるが、腹が動いている。呼吸自体はしているようだ。熟睡しているだけだろうか、と思って何となく手を伸ばすと抵抗もなく触れた。
「………冷たい?」
ふわりとしたベルベットのような手触りの良い毛とは裏腹に、体温は人肌より低かった。本来猫の体温は38~39と人のそれより高い。春先の時期だ。夜ともなればそれなりに冷え込む。だが、猫の体温が人の体温よりも下がることはない。
あるとすれば、何かしらの疾患に罹ったときぐらいか。
「参ったな。獣医とかこの辺にあったっけ」
どうにも放っておけず、ジャケットのポケットからPITを取り出した新見が、近所の獣医を検索してみようかと操作した瞬間だった。
「不明。―――アイとは何か」
唐突に、足元の猫から声がした。
「………………………喋ったぁあぁぁぁぁぁああっ!?」
たっぷり間を置いてから、新見の驚愕の声が夜の路地裏に響き渡った。
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