番外編:ヨルダン公爵の邸宅

 今日、俺は午前中の授業が終わると、王都の高級住宅街に向かう。目的はヨルダン公爵の邸宅に潜入することだ。


 ヨルダン公爵が外出中なのは解っている。俺が用があるのはキース・ヨルダンだからな。キースが公爵家の公務のために学院を休んで、自宅にいることも確認済みだ。


 キースについてエリクに聞いてから、俺もキースのことを調べたけど。情報屋から聞いた話は、キースは品行方正な好青年という噂とは真逆な奴らしい。


 武術大会でキースのことは、エリクに任せたけど。ミリアたちと対戦する可能性があるから、キースがどんな奴か確認しておきたい。もっと早く動くつもりだったけど、クリスやアリサたちのことで時間を取られていたからな。


 『認識阻害アンチパーセプション』と『透明化インビジブル』は発動済みだ。俺は『短距離転移ディメンションムーブ』を発動して、ヨルダン公爵の邸宅に入る。


 天井が高い廊下と、高級そうな調度品。建物の外見も、如何にも大貴族の邸宅って感じだったけど。成金趣味とまでは言わないが、贅を尽くした家だな。


 俺は姿を隠したまま邸宅の中を探索する。今、邸宅にいるのは使用人と侍女が二○人ほどと、騎士らしい奴が五人。

 キースは自室で書類仕事をしている。自室と言っても一部屋じゃなくて、リビングとベッドルームが別れていて、専用のトイレとバスルームがあるコンドミニアムのような作りだ。


 書類仕事をしている限りは至って普通で、黙々と書類を読んでサインをしている。

 しばらく様子を窺っていると、ドアがノックされる。


「キース様。お食事の用意ができましたが、こちらへお運びしますか?」


 ドア越しの侍女の声。


「解りきったことを訊くな。さっさと持ってこい」


 キースは顔も上げないで、苛立たしげに言う。


「も、申し訳ござません。直ぐにお持ちします!」


 二人の侍女が料理を運んで来ると、キースは料理の皿を並べているテーブルの前に、横柄な態度で座る。


 二人の侍女はキースの顔色を横目で窺いながら、給仕をするけど。若い方の侍女が震えながらワインを注ごうとして、少し溢してしまう。


「も、申し訳ありま――キャッ!」


 青い顔になる侍女が謝っている途中で、キースは次女を蹴り飛ばした。 侍女は踞り、割れたガラスで怪我をしているけど、キースは憮然とした顔で。


「貴様の謝罪に、このワインほどの価値があると思うな。貴様のせいでグラスまで割れただろう。どう責任を取るつもりだ?」


「キ、キース様! どうか、お許し下さい! シエルには良く言い聞かせますので!」


 年上の侍女が庇おうとすると。


「貴様が代わりに責任を取るんだな?」 


 キースは立ち上がると、年上の侍女を殴り付ける。侍女が呻き声を上げて、床に転がると。蔑むような顔で、頭を踏みつける。


「お、お止めください……」


「貴様が責任を取ると言ったんだろう? 何だ、口だけか? 貴様たち平民の命など、ワイングラスの価値もないわ!」


 キースは侍女を踏みつける足に、力を入れる。


「おまえ、いい加減にしろよ」


 突然の声に、キースは俺の方を見る。


「貴様、新入りか? 誰に向かってモノを言っている!」


 声を掛ける前に『認識阻害』と『透明化』は解除済みで。今の俺はヨルダン公爵公爵家の使用人の格好だ。イシュトバル王国の王宮に潜入したときと同じように『変化の指輪シェイプリング』で姿も別人に変えている。


 キースがいきなり殴り掛かって来たから、遠慮なく殴り返す。今さら使用人のフリをするつもりはない。アリウス・ジルベルトだとバレなければ十分だ。


 武術大会でエリクがキースの相手をするから、手加減して殴ったけど。キースは思い切り吹き飛んで、背中から床に落ちる。


「き、貴様……どういつもりだ? ふざけやがって、殺してやる!」


 キースはベルトに刺していた短剣を抜く。

 まだ俺のことを使用人と思っているみたいだけど。キースは頭に血が上ると何をするか解らない奴だって、情報屋が言っていたことは本当みたいだな。


「キース様、如何なされました?」


 物音を聞きつけた使用人がやって来る。年格好から執事ってところか。


「ガーネス、この馬鹿を雇った貴様も同罪だ。こいつを殺しても父上には黙っていろ!」


「こやつは……キース様、この者は当家の使用人ではありません!」


「なんだと……貴様何者だ?」


「ようやく気づいたか。まあ、俺が誰だって良いだろう。無茶苦茶な言い掛かりをつけて、侍女に暴力を振るクズに忠告してやる。

 おまえがやったことは立派な犯罪だからな。こんなことが表沙汰になったら、おまえは投獄されるぞ」


 ロナウディア王国は犯罪について、身分に関わらず裁く国だ。


「おまえを殺せば問題ない。侍女たちが喋る筈がないからな。なあ、貴様らはヨルダン公爵家に逆らうつもりか?」


 キースに脅されて、二人の侍女は震え上がる。ホント、こいつはクズだな。


「貴様も相手が悪かったな。この俺、キース・ヨルダンに殺されることを光栄に思え!」


 キースはナイフで俺の喉元を狙う。前回の武術大会の優勝者って話だし。確かに動きは悪くないけど。

 ナイフが届く前に、俺はキースの顎を下から殴りつける。顎の骨が砕けた感触。キースは白目を剥いてバタリと倒れる。


「キース様!」


 執事はキースに駆け寄ろうとするけど、俺を警戒して動けないようだな。


「こ、こんなことをして……ヨルダン公爵が黙っていないぞ! おまえは恐ろしい方を敵に回したな!」


 執事まで脅しを掛けてくるけど。


「こいつがヨルダン公爵の息子ってことは当然知っているし。俺はヨルダン公爵に喧嘩を売っても構わないよ」


 まるで動じない俺を執事が訝しむ。


「おまえは……エリク王子の回し者なのか? 直接手を出してくるとは思わなかったが。その強さといい、王国諜報部が動いているという噂もあるが……」


「そうだとしても素直に答える筈がないだろう。だけど外れだよ。ヨルダン公爵の敵は他にもたくさんいるだろう」


 適当なことを言って、疑心暗鬼を誘う。エリクの計略によって、反国王派から離脱する貴族が増えているし。誰が裏切り者か解らない状況を利用させて貰う。


「ガーネス卿、さっきの騒ぎは何事ですか! キ、キース様!」


 ようやく駆けつけて来た騎士たちが、部屋の惨状を見て剣を構える。


「おまえたち、この男を絶対に逃がすな。殺しても構わん!」


 執事の言葉に、五人の騎士が俺を取り囲む。俺は武器を持っていないから、鎧を着た騎士なら勝てると想ったのか。

 だけど動きが遅過ぎるんだよ。俺は騎士たちの間を擦り抜けながら、拳と蹴りで仕留めて行く。

 数秒後には鎧が凹んで呻き声を上げる五人の騎士が床に転がっていた。


「お、おまえは何者なんだ? ヨルダン公爵家の騎士たちを、こんなに簡単に倒すとは……」


「これくらいできる奴は幾らでもいるだろう。こいつらが弱すぎるんだよ」


 俺は芝居じみた感じで、ニヤリと笑うと。


「ヨルダン公爵とキースに言っておけよ。おまえたちのことは、いつも見ているからな。侍女や使用人に不当な暴力を振るうなら、相応の罰を与えるってね」


 俺は普通にドアから部屋を出ると、『認識阻害』と『透明化インビジブル』を発動して姿を消す。


 キースのことは、しばらく監視した方が良さそうだ。どうせエリクが監視しているだろうけど、エリクとは目的が違うからな。

 俺は自分の伝を使って、監視と何かあったときの|対応(・・)を依頼する。


 あとはエリクと今回の件を情報共有しておくか。

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