禁断の果実~三角関係~
まろん
第1話 変わりゆく日常で、酔いか恋か勘違いか
人は「ダメ」と言われると余計にしたくなってしまうもの。
子供も大人もそれは同じ。
私はそれを「禁断の果実」と呼んだ。
あの人が居なくなってから施設の空気がガラッと変わってしまった。
「あの人」とは明るくてよく笑うムードメーカーであり、みんなの相談役で姉御的な存在の祐佳の事だ。
仕事も出来て気立てもいい彼女が居なくなってからというもの、その相方だった恵の忙しさは今まで以上に増した。
(このくそ忙しい時に辞めるなんて・・ほんと空気読めないんだから。)
この苛立ちをどうしても抑えきれず、つい周りに当たり散らしてしまうのが自分の悪い癖だと恵は自覚している。
特に仕事が出来ない若い男性職員には、どうしても強く当たってしまうのだ。
こういった所を目の当たりにしているため、パートを含めた職員間での恵の評判はあまりよくない。
(私の態度が良くないのは分かってる・・・でも私には施設長としての責任があるから気にしてられない。)
「めぐさん、あんまり根詰めすぎはよくないわ。少し休憩しましょ。」
事務仕事に追われてパソコンの画面とにらめっこしていためぐに声を掛けたのは同僚の彩だ。
彩は仕事出来て施設の事もよく分かっているので、頼りになるベテラン職員だ。
祐佳が居なくなってから自分の事を支えてくれた、いわば恵にとっては新しい相方のような存在である。
「彩さん・・ありがとうございます。そうですね、そろそろ休憩にしますか。」
めぐはさりげなく気遣ってくれる彩の存在が心地よかった。
辞めてしまった祐佳は美人で気さくで、施設の職員みんなから慕われていた。
完璧主義な恵とは裏腹に自由奔放な祐佳。
施設長は自分なのに、正職員もパート職員も何か相談する時はまず祐佳に話す人が多かった。
恵は心のどこかでそんな祐佳の存在が気に食わなかったのかもしれない。
(でももう居なくなった事だし、関係ないか。)
頭を抱えたくなる問題は沢山あるけれど、自分が上に立って何とかしなくてはいけない事には変わりないのだ。
恵は自分自身で鼓舞をし、昼食を済ませたら再びパソコンとにらめっこの続きをした。
「お疲れ様で~す!」
「こんにちは~!」
気が付けば時計が13時を回ろうとしていて、パートの職員達がちらほら出勤してくる。
そしてあの男も。
あの男というのは他の部署と兼務の正職員、大熊の事だ。
なぜ「あの男」という呼び方をしたくなるのかというと、仕事がロクに出来ないくせに職員会議の時や勤務時間に対して何かと突っかかってくるからだ。
おまけに腋臭。
49歳というのに未だに独身で、子供との接し方が分からないのか、施設の子供達ともうまく打ち解けられていない。
恵はこの男の事が生理的に無理なのだ。
恵だけではなく、他の職員からも煙たがられている。
「めぐさん、ちょっといいかな、僕、あっちで休憩取れてないんだけどどうしたらいい?」
パート職員達が施設内の消毒作業をしている中、大きな体をした大熊が恵を呼び止める。
「・・・とりあえず今は洗車してもらって、活動中どこか休憩取れるように調整します。」
「ふーん。」
大熊は正職員で介護福祉士、社会福祉士、社会福祉主事など多数の資格を持っているが、決して出来る男という訳ではない。
どちらかというとさぼり癖があり、空気が読めず常に楽をしようという一面がある。
こういった部分から周りの、特に女性職員からは嫌煙されてしまうのだろう。
恵が施設長を務める児童デイサービス「おひさま」は、利用している子供達の送迎も仕事に含まれている。
そのため「運転が出来る」というだけでも重宝される事があるのだ。
大熊もそのうちの1人かもしれない。
だって中には運転が苦手という職員もいる。
祐佳が居なくなってからこの男の存在が余計に恵の苛立ちを助長させている。
また、大熊も祐佳には色々愚痴を聴いてもらっていたので、何か言いたい事があってもワンクッションになってくれる存在が居なくなってしまった。
その矛先がどうしても施設長の恵になってしまうのだろう。
その様子を職員みんなが目の当たりにしたのが職員会議だ。
月に1度行われる職員会議の時はなんとなくピリピリした空気が漂っている。
ここ1カ月で起きたヒヤリハットの報告や事故報告をするのは、自分が当事者でなくとも穏やかな気持ちで聴いていられるものではない。
それに同じような議題や同じような目標の発表。
果たして意味があるのか分からないこの会議をやるためにパートを含めた職員達はいつもより1時間早く出勤しなくてはならない。
でもそんな事はこれから起こる戯言に比べたらはっきり言って小さな事だ。
少なくとも施設長の恵にとっては。
「それでは皆さん第4回児童デイサービスおひさまの職員会議を始めたいと思います。本日出勤でなかった方もご協力ありがとうございます!」
そうなのだ。
職員会議にはなるべく沢山の職員に出勤してもらうようにしている。
アルバイトだろうがパートだろうがその日勤務でなくともなるべく参加するという努力義務が課せられている。
「それではまず今月からの体制についてと、個別対応の注意事項などからお話したいと思います。」
職員会議はだいたい施設長の恵の進行によって行われる。
その向かいには以前なら祐佳が座っていたが、今は空いた席に座るように彩が居る。
その他の職員は適当に空いている所にちらほら座って会議が進んで行く。
「先月で退職した正職員の祐佳さんの代わりに児童発達から理沙さんが異動してきま・・・」
「ごめん、ちょっといいかな?」
出た。
あの男だ。
大熊が遮るように手を挙げて進行を止める。
「何ですか?大熊さん、まだ話の途中なのですが。」
「うん、それは分かってるんだけど、先月辞めたのは祐佳さんだけじゃなくて学生バイトの子達も何人か就職で居なくなったわけでしょ?それに元々いた相沢君も兼務になってほとんどこっちには来なくなるでしょ?その分の補填てどうなるのかな?僕の事も考えてほしいんだけど。」
大熊は職員会議になると「授業参観か!!」とツッコミたくなるくらい手を挙げて発言する。
発言するのはいいことなのかもしれないが、その内容はだいたいが「それ今じゃねーだろ!」というものばかりだ。
恵や他の職員も大熊のそういった部分にいつもため息をつきたくなるのだ。
「大熊さん、今それについてお話しているので、まずは話を聴いてもらえますか?」
苦笑いを浮かべながら恵は言う。
「うん、でもね、この資料には異動してくるのは理沙さんだけで、他の人は兼務でしょ?それだとちょっと補えないんじゃないかな?」
「今はとりあえず話を聴いて下さい。」
「でもこの資料には・・」
「大熊さん。」
ここで大熊に疾風突きを放ったのは「おひさま」の創設者の水野だ。
「職員会議中ですよ。今その話をしているからまずは話を聴いてくださいと言ってるのが聞こえませんか?」
「・・・。」
大熊は水野に言われるとしぶしぶ黙った。
何とか職員会議は終わり、みんな施設の消毒作業に戻ったり、活動準備を始めた。
(今日もやっぱり言ってきた。なんでいつもいつも私にばっかり・・・)
「めぐさん、眉間にシワ寄ってるわよ!」
「彩さん!私そんなに酷い顔してる?」
先ほどの職員会議の一件で苛立ちを隠し切れないめぐに声を掛けたのは彩だ。
「大熊さんね~・・ちょっと変わってるけどいいとこもあるのよ!」
「彩さんは移動支援の方でも一緒に活動してますもんね。」
「まぁね~!ちょっと変な人だけど大熊さん悪い人じゃないわよ!だから空気読めない事あっても大目に見てあげてね。」
彩と大熊は元々他の部署からの長い付き合いだ。
彩も割と職員に対して厳しいが、大熊との間には何か違う雰囲気が流れているのもそのせいなのか。
新年度になってから2カ月が経過するがめぐの仕事量は減るどころか増える一方だ。
というのも新年度になってから体制も変わって正職員もパートも仕事の仕方の変化に対応しきれない部分が多いのも勿論、施設の利用者も新しい環境にまだ適応しきれていないのだ。
季節の変わり目と共にどうしてもイライラしてしまう恵を余計に助長させてしまうのが空気の読めないあの男だ。
「めぐさん、今月の僕のシフト、いつもより30分早い日多くない?」
また出た。
この男はいつも自分の事ばかり。
資格手当をふんだんに貰っているくせにロクに動かない!
所謂給料泥棒みたいなモノと認識されている。
少なからず女性職員は皆そのように思っている。
「大熊さん、今月はゴールデンウィークの関係で資格者の時間数が足りないからどうしてもそうなってしまうのです。兼務先にもそのように伝えて了承を得ているのですが、聴いていませんか?」
「ん?あ、そうなの?ふーん。」
この癖のあるやり取りに恵はいつまで経っても慣れなかった。
何かあると突っかかってくる。
本人はそういうつもりないのかもしれない。
それがまたイライラする。
去年度末まで居た新卒の相沢のなよなよした所にもイライラしていた。
だけど・・・
あの時とは何か違う。
「ねぇ!!それってもしかして大熊さんの事好きなんじゃない?」
夜のバーでグラスの中をマドラーで探索しながら彩が言う。
「はぁ!?私がですか!?」
「だって実際大熊さんの事ばかり気になってるんでしょ?相沢君にイライラしてたのも大熊さんが彼に優しくしてるからだったりしてーーー!!!」
からかい気味に彩が小突いてくる。
お酒の酔いもあってか思考がまともに働かず、そう言われてみればそうなのかな・・・とか思ってしまった。
(確かに私には突っかかってくるけど相沢君には優しいもんね。)
「あら、冗談で言ったのに本気にしちゃったの~??」
彩の声も聞こえないくらい、今夜は酔っ払ってしまったかもしれない・・・。
目が覚めたらあんな事になってるとは誰が思っただろう。
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