第2話 朝食片付け。

 俺と美羽は二人して台所に立っていた。

 先ほど終えた朝食の片付けだ。

 美羽は真面目なので、いつまでも汚れた皿を見ていると、ムズムズするらしい。

 俺が食器用洗剤のついたスポンジでこすり、皿を美羽に渡す。

 美羽は皿をふきふきして食器戸棚に戻すのだった。

 洗うのを俺がするのは美羽の大切な肌を守るためだ。

 ちなみに今はエプロン姿をしている。美羽は青いエプロンを、俺は黒いエプロンをしている。

 邪魔にならないよう、髪は一つにまとめ、シュシュで固定している。

「やっぱり代わろうか?」

「いつも言っているだろ。大切な彼女の柔肌がボロボロになるのは見ていられないって」

「そう。ならいいのだけど……」

 実際、前に皿洗いをしてくれた時、手荒れが酷くなった。

 それを見て以降、肌の強い俺が皿洗いをするようになった。

 ちょっと申し訳なさそうにしている美羽だが、そんな顔をされても困る。

 頑固な美羽にしては珍しく奥手だから、きっとこれで良いのだろう。

 水で軽く流したあと、スポンジで頑固な汚れをゴシゴシとこする。泡まで流したあと、美羽に渡す。

 時折、泡が残っていることがあり、美羽に指摘されることがある。

 でもその指摘も悪いとは思わない。

 俺と美羽の健康のために言ってくれているのだから。

 だから俺も素直に対応できる。

 対等であると認めているからだ。

「いや~。家事もできるなんて素敵な彼女だ」

「もう! いつも褒めすぎ。わたしなんか普通な方だよ」

「そうは言うが、俺の彼女可愛すぎだ」

「もう。もう!」

 プリプリと怒ったような表情を浮かべる。

 でもそれが照れ隠しと知っている。

 可愛い顔して頬をぷくっと小さく膨らませるのだ。

 小動物感が少しある。

 いつもはクールで、誰とも話さない彼女とは大違い。

 でもそれが嬉しい。

 ギャップ萌えという奴かもしれない。

 彼女と一緒にいる時間は充実している。

 救われた気持ちになる。

 精神的に落ち着く。

 まるで見る抗うつ薬だ。

 俺にはもったいないくらいの才女だ。

「またニマニマしている」

「だって可愛いんだもの」

「もう。そう言うところだぞ!」

 美羽の違った反応に少し驚く。

「ほら。皿洗う!」

「はいはい」

 俺はそう言い手を動かす。

 この幸せな空間を伝えるにはどうしたらいいのだろう。

 俺は照れている美羽を眺めながら皿を洗う。

 と、つるっと滑って皿を落としてしまう。

 床にダイレクトに落ちる皿。

 パリンと割れる音とともにのけぞるネコのチャオ。

「ご、ごめん! 怪我ない?」

「それはわたしの質問。怪我ない?」

「俺は大丈夫だ」

 美羽の対応は素早く、ホウキとちりとりを持ってすぐに皿を集める。

「俺に手伝えることは?」

「じゃあ、ビニールと新聞紙を、丸めてクッションにする」

「ああ。分かった」

 俺は慌てて新聞紙を丸め、ビニールにいれる。

 そこに割れた皿を入れて封をする。

 最後に【割れ物注意】の張り紙をして玄関脇に置いておく。

「チャオが触れたら大変だから、気をつけてね」

「ああ。分かった。しかし割れ物はゴミ収集者さんも大変だな」

「そうね。これからは割らないように!」

「それなんだが、プラスチック製の皿にするって手があるぞ」

 ぱんっと両手を合わせる美羽。

「それいいね! やろう」

「さて。皿洗いの続きをしないと」

「うん」

 こくりと小さく頷く美羽。

 汚れた皿を蛇口に近づけて水を流す。

「いたっ」

「大丈夫?」

 よく見ると、先ほどの皿で切ったのであろう傷口が見える。

「ごめん。ちょっと離脱する」

 そう言って蛇口を止める。

 美羽が先周りし、絆創膏を手にする。

「そう言えば、絆創膏って地域によって呼び名が違うんだよな」

「聴いたことある。バンドエンドやカットバン、サビオとか?」

「そうそう! よく覚えているな。さすが裸部利らぶり高校のトップ」

「もう。こんな時に」

 絆創膏を貼ってもらうと、美羽は照れくさそうに笑う。

 再び皿洗いを始めようとするが、美羽が止める。

「痛いんでしょ? あと少しだし、わたしがやっておくよ」

「でも……」

「わたし、罪悪感でいっぱいで、だから手伝わせて」

 サファイヤのような瞳でのぞき込まれる。

 断固として反論を許さないような目に負けてしまう俺。

「分かった。でも無理はしないでね」

「うん。ありがと」

 そう言って台所に立つ美羽。

 俺は所在なさげにうろうろするが、することもないので、チャオを抱きかかえる。

 そしてぎゅーっと抱きしめる。

 美羽にはできないことを、チャオで発散している。

 その自覚があるからチャオには申し訳ないと思っている。

 抱きしめたいのだ。美羽を。

 でもそれをしてはいけない気持ちがある。

 その点、チャオなら存分に抱けるのだ。

「チャオが苦しそうだよ!?」

 しっかりと見ていたらしい美羽が声を上げる。

「お、おう。すまん」

 チャオはネコの割に俺たちに甘えてくる、可愛いネコなのだ。誰かに似ている気がする。

 ちなみに今はため息を漏らしながら、「しょうがないな」と言った顔つきをしている。

 さすがチャオである。

「そろそろ洗い終わったか?」

 俺が訊ねると、美羽は振り向く。

「うん! 終わったよ!」

 この満面の笑み。

 これを待っていた。

 俺にしか見せない顔だ。

 それを見るだけで多幸感が溢れてくる。

 幸せってこういうことなのだろう。

 俺は皿の片付けを手伝いだす。

 美羽もそれを受けて、一歩下がる。

 男を立ててくれるのだ。

 食器戸棚に皿をしまうと、後ろで待機していた美羽がエプロン姿で応じる。黒髪をなびかせて、近寄ってくるのだ。

「お疲れ様」

「ああ。美羽も、お疲れ様」

 お互いにねぎらい、クッションの上に座る。

 しばらくまったりしていると、チャオが皿をネコパンチする。

 これが皿を洗ってくれ、の合図なのだ。そして水が入った容器もタッチする。水がなくなっているようだ。

 ちなみにネコ用の皿はネコの形をしている。

 俺はネコ用の皿を二枚手にすると台所に向かう。

 ちょこちょことついてくる美羽。

「わたしが洗うよ。傷口が広がらないよう、安静にしていて」

「ああ。お願いするよ」

 美羽はネコ用の皿を、ネコの形をしたネコ用のスポンジで二枚洗うと、ネコ模様のタオルで拭き、水用の皿には水を入れ、チャオの前に差し出す。

「他に洗うものある?」

「うーん。ないかな。ありがとう」

「いえいえ」

「良いお嫁さんになるよ」

 俺はコクコクと赤べこのように頷く。

「もう! バカなこと言っていないで」

 優しく言う美羽。

「いやいや本気だよ。俺は」

 そう俺はいつだって本気だ。本気で生きている。

 気持ちを曲げずに真剣な眼差しで美羽を見る。

「もう。もう。もう!」

 熱くなった顔を冷ますようにパタパタと手であおぐ美羽。

 その姿も可愛らしいのだが、手が少し荒れている。

「ちょい」

「ん?」

 俺が呼びかけると、美羽はこちらに身を寄せてくる。

 ハンドクリームを取り出し、美羽の手につける。

「肌、大事にしろよ」

「もう。心配性なんだから」

 それでも受け止めてくれる美羽が好きだ。

 ハンドクリームを塗り込むと、少し染みたのか、痛そうに顔を歪める。

「美羽。痛いか?」

「うん。ちょっとね」

「これからは洗い物をする前に塗り込むべきだね」

「わたしもそう思うよ」

 笑みを浮かべて、握った手を傍に寄せる美羽。

 胸に近づいた手が暖かい。

 ドキドキしてしまう。

 手をつないだだけでも、こんなにドキドキするものなのか。

 俺はそんな自分の気持ちに戸惑いを覚える。

 こんなに近いのは初めてじゃないだろうか。

「大輝。ハンドクリームありがと」

 そう言って手を離す。

 少し惜しいと思ってしまった。

 もっとつなげていたのならきっと嬉しいのだろう、と。

 そう思えた。

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