第37話 人間になったドラゴンと
「本当に、どれだけ感謝をすれば良いのか…神の名において、あなたに愛と祝福を」
ガウリスは私の手を取って、その手に額を寄せて感謝の言葉を表した。
「私はロッテの言う通りやっただけで…ロッテが色々調べなければあなたをこうして人間の姿に戻すなんてできなかったわ」
「本当に、皆様にはどれほど感謝の言葉を贈れば良いのか分かりません!」
ガウリスはバスタオルを腰に巻いただけの姿で神に祈るかのように空を見上げた。
人間の姿に戻ったガウリスはアレンよりムキムキで、アレンよりも身長が高いという体格の良さだった。
どう見ても神官とは思えないし、初対面で「このガウリスは歴戦の戦士だ」と言われたら皆素直に信じちゃうかも。
「けど一部元に戻ってないね」
「そうなのですか?」
ロッテの言葉にガウリスが聞き返すと、ロッテはガウリスの喉の方に手を伸ばす。
「うん、ほらそこの喉ぼとけの下…ドラゴンの鱗が」
「それは触っちゃいけねえやつだ」
その手をサードが即座に止めた。
そういえばガウリスと出会った村の子供たちが触ろうとしたときも同じことを言っていたけど…。
「何で触っちゃいけないの?」
聞くとサードは自分の喉を指さしながら、
「ゲキリンっつってな。…俺の住んでるところで使われてる言葉なんだが、あのドラゴンの喉の下にはゲキリンっつー、一枚だけ鱗が逆になっている所がある。
そこを触ればドラゴンの怒りに触れて暴れまわる。だから相手の怒りのポイントに触れることをゲキリンに触れるって言葉があるんだ」
「じゃあいつもサードがエリーを怒らせるのもエリーのゲキリンに触れてるってことなんだな!」
アレンがアハハ!と笑いながら言うとサードがイラッとした表情をして、アレンはこれやべーわ、とサードからシュパッと距離を取る。
アレンのこういう時の逃げ足はわりと速い。
「やっぱり神の施したものには完全に手に負えないかぁ」
ロッテはうーん、と唸りながらガウリスの喉の下にある鱗を眺めた。
「しかしこの姿に戻れただけでも私は満足です。魔族といえどあなたにも感謝しています。神の名においてあなたに…」
ガウリスはロッテの手を取るけど、ロッテは慌てて手を引いた。
「ちょっとやめて、神への言葉を魔族のあたしに言わないで。気持ちだけで十分だから」
ガウリスは慌て手を引っ込めた。
「も、申し訳ありません、つい癖で…」
「けど人間の姿に戻れてよかったよなぁ。ドラゴンの姿はかっこよかったけど、隠れるのも食べるのも家の中にいるのも不便そうだったし」
アレンがガウリスに近寄って肩を叩くと、ガウリスは額に当てるようにアレンの手を取る。
「ええ。アレンさんが一番私に普通の人間として接してくれましたね。神の名において、あなたに愛と祝福を」
「なんかこれ照れんな」
「サードさん…」
ガウリスが頭を上げてサードに顔を向けたけど、サードは私たちに背を向けて大広間から廊下に消えるところだった。
「あ、あの、サードさんが私を人間だと見抜いてくださったからここまできてこの姿に戻れたんです、神の名において、愛と祝福を…」
「男の愛なんていらねぇ。気持ち
サードが吐き捨てるように言う。
「いやこれはそのような意味合いではなく、全てのものに対する博愛…」
「いらねえ。博愛だなんて偽善みてえな言葉からして気持ち悪ぃんだよ」
そう言い残しサードは暗闇へと消えて行った。
「…」
ガウリスの広い背中がしょんぼりと小さく縮こまる。
「サ、サードってああいう奴だからさ!気にすんなよ!」
「そうそう!今まで見てて分かるでしょ?あいつ本当に性格悪いのよ!」
アレンと私が慌てて落ち込むガウリスを慰めると、ガウリスはサードの去っていった廊下の奥を見てから私に視線を向ける。
「いいえ、サードさんは性格は悪くありませんよ。確かに噂できいていた勇者があのような激しい性格だとは思いませんでしたが、それでもいくら私に腹を立てようと見捨てずにここまで連れてきてくださいました。サードさんは優しい方です」
…見た目は全然神官に見えないけど、私をたしなめるような言い方とサードを守るような穏やかな口調は神官っぽい。
それにあのサードを優しいと言うなんて、いい人だ。
同時にサードにとって使い勝手の良い駒にされそうと心配になった。
「それでこれからガウリスはどうするの?」
ロッテの急な言葉にガウリスはキョトンとした顔をロッテに向ける。
「完全に元に戻ったとは言えないけど、故郷に帰る?」
ガウリスは顔を曇らせてうつむいた。
彫りの深い顔だし、広間も暗いからかすかにうつむいただけで目の部分が真っ暗になって何も見えない。
「禁足地(きんそくち)に足を踏み入れ、神からの罰でモンスターの姿へと変化してしまったのです。恐らく私は神官に戻れないでしょうが…少なからず急に居なくなった私を心配している者もいるはずですから、せめて事情を伝えに戻りたいたいとは思っています」
ロッテは頷きながらガウリスを見て、その後に私とアレンを見た。
「それなら皆で送ってってあげたら?」
「別に私はいいけど…」
私がアレンを見ると、アレンも、
「俺も構わないけど…」
と言葉を濁した。
「ならガウリスを故郷まで送ってやろう」…ってサードが言うわけがない。
基本的に面倒臭がりだし、人のために何かしてあげようなんて優しい気持ちなんてない奴だし…。
「サードが何て言うか分からない、って思っるでしょ」
見え透いてるとでも言いたげに笑いながらロッテは続ける。
「多分断らないと思うよ」
「いやぁ、どうかなぁ。あいつここまで連れて来たので用は終わったって思ってるかも」
アレンが返すとロッテはサードの去っていった廊下を見る。
「サードの話聞いてて思うんだ。あいつどっかおかしい」
そうねと頷くと、ロッテは私を見て笑った。
「違う違う。だっておかしいじゃない、サードはガウリスのあのドラゴンの生態に随分と詳しい。ゲキリンとかね。けどあたしたちは全く分からないでしょ?何で?」
何で?って言われても…。
皆答えられないで顔を見合わせているとロッテは続ける。
「あたしたちはあのドラゴンのことは一切分からない。でもサードの故郷ではリューやタツと呼び、その生態すら普段使う言葉に混じるほど有名。
しかしサード曰くそのドラゴンはあくまでも想像上の生き物で、サードの故郷にはモンスターといえる生き物は生息していないという。さあここから考えられることは?」
ロッテはまるでクイズの問題みたいに言ってくるけど、それでも皆答えられないでいる。
けどロッテは別に答えを待っていたわけじゃなかったのかさっさと続けた。
「サードから聞いた話をあたしの頭の中でまとめると、もしかしたらサードは別の世界の人なのかもしれない」
「別の…」
「世界?」
私とアレンが一言ずつ呟いてぽかんとしていると、ロッテは続けた。
「魔界、人間界、天界…。それ以外の世界ってことかな」
「そんなのあり得るの?」
この世界以外の世界だなんて突飛な話をされて思わず聞き返すとロッテは笑った。
「あたしは結構しっくりくるけどね。あたしたちもこうやってここにいる。もしかしたらこの世界以外にあたしたちみたいな知的生命体がいる可能性だって捨てきれないじゃない?
そんでサードのいた世界はこことは違って人間種が幅を利かせて多く生息してる世界なんじゃないかな。
サードの言いぶりから考えるともしかしたらモンスターや魔族、神もいる可能性はある。でもよっぽど適性のある人間しか発見できない。だから人間種以外はほぼ想像上の存在として認識されている…」
「ん…?」
ガウリスが何かに勘付いたような疑問の声を出す。
「だとしたら私の国で信仰されている神が、なぜサードさんの世界にいるというドラゴンの姿にしたのでしょう?このような喉の逆さの鱗という細かい所まで変化させたということは、リューやタツという存在を知っていた…?」
ガウリスの言葉を聞いたロッテは楽しそうに口端を上げて、頷きながら続ける。
「ガウリスの姿を変えた神はリューやタツという生き物を知っている。何も言わないけど、サードもそこに気づいて気になってるみたいだよ。魔族は人間の欲ってのには敏感だからね」
ロッテはたまらなく楽しいという表情でこぶしをにぎって、その場で足を踏み鳴らすように動かした。
「あー、知らない事がどんどん出てくるぅ~!ねえエリー、サードの故郷について何か分かったら教えて!ねっ!約束!あいつの故郷のこと無理に聞こうとするとあたしの体差し出さないといけないからさ!ねっ!」
子供みたいなキラキラした目でロッテは私の手をつかんでブンブンと振り回す。
「わ、分かった…」
「ありがとーエリー!じゃあちょっと調べものしたいからあたし行くね!」
ロッテは強く私にハグすると、いい笑顔でその場を立ち去っていく。
生き生きとした足取りで去っていくロッテを見送てから、私たちは静かになった大広間でチラと後ろを振り向く。
魔法陣の中ではまだ白い煙がもうもうとしていて、アレンが私を見ながら指さす。
「これこのままでいいのかな?」
「だってどうすればいのか分からないじゃないの」
「火があるから放っておくのも心配ですよね」
確かに本も大量にある場所に火の気があるのは危ないと、水をかけることにした。
三人で水を運んできて未だに煙の出ている葉の上から水をかけると、魔法陣の中に充満していた煙はフッと消え失せて、すっかり元通りの大広間へと戻った。
…でも煙の消えた跡には魔法陣と焼け焦げた葉っぱの残骸、香油で油っぽくなった床が残されたけど、これは本当にどうすればいいのか分からないから、後でロッテの指示をあおることにして、大広間から立ち去った。
* * *
「ああ、いいんじゃねえの」
「え…本当に!?」
サードがパンにかじりつきながらどうでも良さそうな顔であっさり言うから、私は驚いて聞き返してしまった。
ガウリスを人間に戻した次の日の朝、サードにガウリスを故郷まで送ることを提案してみたらあっさりと頷いたから。
でもサードはそれ以上何を言うことも無かったから本当にいいみたい。
それならそれでいいわとガウリスに視線を向ける。
「でもまずは水のモンスターのことをロッテに聞いてからになるけど、ガウリスはそれで大丈夫?」
「私は大丈夫ですよ。…本当は一人で帰られればいいのですが…」
ガウリスは申し訳な顔になる。
ガウリスはドラゴンの姿でいくつもの国を移動して来たから通行手形を持ってなくて、そんな状態で国を抜けようとしたら最悪、捕まって牢屋に入れられて処刑されるかもしれない。
それに神にドラゴンの姿にされて国をいくつも渡って、魔族と勇者御一行の力を借りて元の姿に戻ったなんて話、本当のことでも誰も信じないだろうし。
そうして朝食も終わってから今日も本の片づけを頑張るぞと、本の整理に取り掛かると、強力な助っ人が現れた。
ガウリスだ。
「これは宗教学、天気の本は天文学、星座の本も天文学、岩石の本は地学…」
ガウリスは一目見ただけで本を素早く仕分けして、たった数時間で後は運ぶだけというところまで一人で済ませてしまった。
「こういう仕事してたの?」
あまりの手早さにすごいと思いながらガウリスに聞くと、ガウリスは手を休めず、
「神殿などの宗教施設には本が集まりやすいので本の整理や管理も仕事のうちです。まあ私は本を読むのが子どものころから好きなので他の神官たちよりも慣れてるかもしれませんね」
と言いながら見るからに重そうな大量の本を一気にヒョイと持って歩いていって、高い所にそくそくと入れていく。
アレンより凄いその筋肉も見せかけのものではなみたい。
アレンもてきぱきと動くガウリスを見て感心したような顔で声を漏らした。
「ガウリスってスペック高いなぁ」
「スペック?」
アレンもガウリスの腕から本を取り棚に入れつつ、
「だって背高いし神官だし頭いいし強そうだし…ってか、なんで神官なのにそんなムキムキなの?何かと戦うの?」
それは私も気になっていたから少し離れたところで聞き耳を立てる。
「我が国の男は一人ひとりが幼いころから体を鍛え、精神を鍛える風習があるのですよ。時には不条理に襲い掛かる脅威から国を守らなければなりません。ですから職業など関係なく、我が国の男は全員戦士なのです」
「…俺ガウリスの国に生まれなくてよかった、戦うの好きじゃないし」
アレンがポツリと呟くとガウリスは笑い、
「無理に戦うこともありません、戦うよりも話し合いで終わらせるに限りますからね。力を振るうのはその話し合いで解決しないまま暴力を振るわれそうになった時程度ですよ」
思った以上にガウリスは人格者だった。
アレンも私もあっという間にガウリスと打ち解け話し合いながらせっせと本の整理を続けていくと、次の日の昼食になるころには全てが片付いてしまった。
ロッテもあまりに片付けが早く終わったのに驚いていたけど、それでも助かった~という顔をしていた。
「けど魔法を覚えさせるより先に片付けが終わっちゃったね。あと一週間はかかると思ったんだけど」
「約束だぞ、水のモンスターのこと教えろよ」
「ろくに動いてもないくせによくそんな上から目線で言えるわね…」
呆れたようにサードをみる。
結局サードはどこかの部屋のソファーでゴロゴロしながら本を見て、本を読むのに飽きたのか真面目に整理に取りかかっているのを見た数分後、また違う部屋でゴロゴロして本を見ているという状態だった。
「まあサードはろくに動かなかったけど、他の三人はしっかりやってくれたからね」
用意された昼食を囲んで、皆ロッテの言葉を待つ。
「まずあのモンスターは魔界だと水のスライムと呼ばれてるんだ。一般的に有名なスライムとは種類が違うけど、その体の九割以上が水、残りは水に近い薄い膜と軽度の毒を含んだ状態の体となっている」
そこまでは分かる、と私たちは頷いた。
「その対処の仕方なんだけど…」
ロッテはそこまで言ってから黙り込んでそれぞれの顔を見渡してくる。
「実はどうすればいいのか分からなくてさ」
「っはあ!?」
サードが立ち上がってロッテの胸倉を掴む。
「今まで散々こき使っといてその言い分はねえだろうがよ!」
いや、あんたほとんどサボってたじゃないの…。
さっきより呆れた顔をしているとロッテはサードの手を引き離した。
「あれは魔界だと微生物の一種。だから普通にそこにいても誰も気付きもしないただの単細胞生物なの。
あたしもどうすればいいのか色々と調べて魔界の学者にも聞いてみたんだけど『そんな微生物だけを駆除するなんてこと考えたことなかった。毒でも川にまけば死ぬんじゃないか』って適当なことしかいわなくてさ」
まいった、とロッテは両肩を上げる。
「え…じゃあ、本当にどうすればいいのか分からないの?」
確認するように聞くと、ロッテは頷いた。
「今のところ打つ手なし。水のスライムは乾燥と熱に弱いんだけど、だからって川を干からびさせたり、川を熱湯にしたら人間界の生態系が崩れるでしょ?毒なんて論外だし」
「ええ~じゃあ結局何も分からないのかよ~」
アレンが椅子からズルズルと滑り落ちて、私も脱力した。
魔界の小さい女の子の嫌がらせが、ロッテほど知識のある人ですら打つ手がないと言うほどの大事になるだなんて…。
「まあ、魔族のあたしがこういうのもあれだけど、希望はあるんじゃない?」
「希望?」
ロッテを見ると、ロッテは頷いた。
「あたしは頼れないけど、人間には他に頼れる存在がいるでしょ?」
「…神、ですか?それは」
ガウリスが言うと、ロッテは大きく頷く。
「こうなったら奇跡起こしてもらうしかないでしょ。特にガウリスの国は他の国と比べると神との距離が近いの。それにカームァービ山は本当に神の住む地に続いてるのはガウリスが実証済みなんだから、他の所で頼むよりは効果あると思うよ」
だから打つ手がないってお手上げ状態だったロッテはガウリスを送って行ってあげたら?って私たちに促したのかしらと納得しつつ、ポツリと呟いた。
「でもまだ制御魔法ができないのよね…」
ロッテ付きでも中々覚えられないのに、自分一人だけじゃいくら練習したって上手くできるかどうか…。
私の不安そうな顔を見たロッテは立ち上がるとキッチンから出ていった。
どうやらキッチンの反対側にある自室に行ったみたい。でも足音はすぐに戻って来て、手に紙を持ったロッテが現れて私とアレンに一枚ずつ渡してきた。
「あたしはいつまでも居てもらってもいいんだけど、早めに出発するなら要点まとめた資料作ったからあげるよ。人間は寿命が短いから長くここに留めておくのも心苦しいし」
「そんなに早くは死なないけどなぁ」
アレンは苦笑しながら紙を受け取ると、ロッテは、いやいや、と首をふる。
「魔族の男が恋仲になった人間の女の子を抱き締めてるうちに、女の子が腕の中で老婆になって死んでたって話があるのよ。
魔族には瞬間的でも人間からしてみたらそれくらい時間の流れが早いってね。だから人間をいつまでも近くに居させるの怖いんだよね、振り向いた瞬間に年老いて死なれてたら後味悪いしさ」
もしかして一生ここで本の整理をするはめになるんじゃ…って思った時もあったけど、ロッテも一応気を使ってくれてたんだ。
そう思いながら紙に視線を落とす。
そこには『エリーに向いた制御魔法の使い方』とのタイトルと、要点がいくつか…。
読み進めていくと一番下に「考えすぎない!」と大きく書かれていて思わず吹き出してしまった。
「魔法は結局感覚だからね。頑張って」
ロッテも笑いながら応えて、アレンは渡された紙をチラ見しながらサードに視線を向けた。
「で、どうするサード?早めに出発する?」
サードは一人黙々とご飯を食べていたけど、少し口を動かすのを止めてから顔を上げる。
「そうだな。おまえらが完璧に魔法覚えるまでここにいるってなったらいつまでかかるかわかったもんじゃねえからな。飯食い終わったらガウリスの住む国までのルート確認して出発する」
と言いながらまた口に食べ物を入れた。
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