第14話 うー、トイレトイレ

「ううん…」


寝苦しくて目が覚めた。


苦しい。


まるでお腹が締め付けられているようで息がしづらい。

寝返りを打とうとしても体が動かない。


寝起きの頭でそこまで気づくと、眠気がスッと消えて頭から血の気が引いた。


そういえば世の中には金縛りというものがあって、寝ていると体が動かなくなる現象があると聞いた。

原因は色々あるみたいだけど、その一説には心霊現象も一因とされるとか…。


まさかこれって心霊現象…!?


心臓がすくみ上がると、ふいに後ろからスカァァ…と軽いいびきが聞こえてきた。


首だけを動かして後ろを見ると、アレンの健やかな寝顔が見えて、よくよく自分の体を見てみると、アレンの腕が自分をしっかりと抱え込んでいる。


…何だアレンか…。


心霊現象かと思った自分に呆れつつアレンの重い腕をどかして起き上がった。


私が昔良く読んでいた乙女向けの恋愛小説だったら、


「キャアアアア!」


と叫ぶか、


「え…なんでこんな風に抱きしめて…?」


と少し胸がときめくシチュエーションだろうけど、アレンは寝ているうちに近くの物にしがみついて寝るクセがある。

だから何だろうが誰だろうが寝るとき近くにあるものは今の私みたいにアレンの腕の中に巻き込まれていく。


最初巻き込まれた時はさすがに驚いて恥じらっていたけど、寝る時は何でも巻き込んでいくのを見てそういうクセのある人だと知ったうえで何度か巻き込まれた今では、「ああまたか」とすっかり慣れてしまった。


ちなみにサードは巻き込まれるのをとても嫌がっているから寝る時はアレンと自分の間に何かしら物を置くようにしている。

そうすればその間に置かれた物を犠牲にして自分は被害に遭うことが無いから。


けどおかしい。一応男と女だからサードとアレンは部屋の左端、私は右端に寄って寝ていたはず。

寝る前もそうだったんだけれど…。


部屋の中を見渡してみると、サードの姿が無い。それを見て察した。


サードが近くに居なくて怖くなったから私の傍に近寄って来て、それで安心したからこんな健やかな顔で眠りについのね…。

それならサードは扉の向こう側で見張りでもしているのかしら。


目が冴えてしまったので立ち上がって腕と首を軽くグルグル回す。アレンの重い腕のせいで少し肩が凝った。


寝不足になると髪の栄養に悪いから私は夜の見張りは免除してもらっているけど、夜のダンジョンではこうやって片方が起き、片方が眠り、と交代で見張りをしてくれている。


ちょっとサードの様子でも見てこようかしらと扉をそっと開けて辺りを窺ってみるけど、サードの姿が見当たらない。


「あら?」


どこで見張りをしているのかしら。

もう一歩前に出てみるけどやっぱり見当たらない。


「どうした、小便か」

「ひっ」


驚いて声のした場所はどこ、とぐるぐると辺りを見渡すと、居た。

扉から出てすぐ右脇の壁にサードは寄りかかっていた。


サードの身に着けている紺色の鎧と紺色のストールは闇と一体化するにはもってこいの色であまりにも暗闇に溶け込んでいるけど、よくよく目をこらすと部屋の中のたき火の明かりで暗闇からわずかに浮き上がっている人影がある。


以前、なんで黒でもなくわざわざそんな色にしたの?と聞くと、


「この色が一番闇に溶けるんだ」


という答えが返ってきた。


そのストールの巻き方も相まってこの男は元々泥棒だったに違いないと思っている。


「クソか?」


驚き返事をしないでいるとサードは嫌なことを加えて聞き返してきた。


「違う!ちょっと起きただけ!」


威嚇(いかく)するように素早く言い返すと、一息ついて改めて聞いた。


「それで、見張りしててどう?他に何か変な事でもあった?」


「いいや。なんも」


サードはそれだけを言うと黙り込む。


他に言うことは無いのかしらと少し待っていても本当に何も無さそうだから私もサードと同じように壁に寄りかかる。


どこかから風が吹き、滝の落ちる音が聞こえ、そして山の上だから冷え込む。


「…なんで火の近くで見張りしないの?寒くない?」


「アレンが怖えから一緒に居てくれって気持ち悪いしウザかったから外に出た」


何となく自分が寝ているうちにどんな攻防戦があったのか想像できたからそれ以上は何も聞かないでおいた。


でもそれほどまでにアレンを怖がらせたサードにも落ち度はあるだろうけど、私だってアレンを怖がらせたまま放置していたしな。


そうやってしばらくお互いに無言でいたけどちょっと思った事を聞いてみた。


「ねぇ、お化けって本当に居ると思う?」


まだ遭ったことはないけど、ゴースト型のモンスターがいるらしいとは聞いている。

でもモンスターじゃなくて正真正銘、人間のお化け、幽霊というものはこの世に存在するのかしら。

このお城に入ってから妙な出来事が続くから、もしかしたらいるのかも…という考えに傾いてきている。でも理性的に考えてそんな幽霊なんて目に見えないものがいるはずないという考えも頭の中にある。


アレンは完璧に信じて怖がってるけど、根性曲がってるというか、偏屈というか、現実的なサードは今のこの状況の中でどう思っているのか…。


「さあな」


サードは一言で終わらせる。でも肯定も否定もしていない。

少し間が空いて、サードはまた口を開いた。


「…俺はそんなの信じてるつもりはねえけど、実際に自分で見て体験したならそれ以降は信じるかもな」


「ふーん…」


サードらしい回答だなと思っているとサードは不意にこちらを見た。


「だが目に見えるから存在するってわけでもねえし、目には見えねえが存在するもんはある」


それを聞いてシパシパと目を瞬かせて、呆れた顔をする。


「それってお化けの存在を信じてるってことじゃないの」


「言葉だって目に見えない、だがある。感情だって目に見えない、だがある。風だって目に見えない、だがある。そう考えると完全に見えないからないとは限らねえ。だろ?」


「…まあ」


サードのことは信用してないし好きでもないけど、サードがたまに発する言葉はかなり説得力があることが多い。

だから皆も説得力のある言葉でコロッと丸め込まれて「さすが勇者の言うことは違う」って尊敬していくのよね。


「昼間中、ずっと視線を感じてた」


サードが急に放った言葉に私はサードの切れ長の瞳を真っすぐに見た。その目は滅多に見せない真剣なもので、黙って続く言葉を待つ。


「最初はてめえが背後から俺を攻撃しようとしてんのかと思ってた。だが後ろを振り向いても別にお前は攻撃する素振りも無かったし、次第に別の方向を見て最終的には俺の前歩いてただろ」


そう言われれば一階を周っている間、サードが睨みつけるようにいちいち私に振り向いてきていた。それが鬱陶しくてサードから視線をずっと逸らし続けて、最終的にサードの前を歩いていたんだ。


「なのにずっと視線を感じた。どういう事だと思う」


「…どうって、見張られてたとか?誰かに?」


それしか答えはないように思える。

サードは軽く頷いたのを見て、私は呟いた。


「魔族とか?」


一番考えられるのはここに潜んでいる魔族だ。

そういえばここには中ボスもいると言っていた…もしかして中ボスが見張ってたのかしら?と考えていると、


「魔族がなんで延々と昼間から俺たちの背後をつけ回すんだよ」


馬鹿か、と一蹴された。


「別に背後をつけ回さなくても、どこか別の部屋からどうにかして見張ってるとか…」


「さすがの俺でも別の部屋からの視線なんて見抜けるわけねえだろ。俺が気づける範囲は自分の周りぐらいだ」


微妙に自惚れてるような発言が出たけど、それより今のサードの話を聞いて首筋に冷たいものが走った。


「なにそれ…。じゃあ今日ずっと私たちの傍に何かいたとでも言いたいの…?」


サードは考えこむように黙り込んでから口を開いた。


「化け物とか幽霊もな、見えるだけじゃねえと思う。見えないけど感じる、見えないけど臭いがする、見えないけど聞こえる…。色々あるだろうさ」


「…」

もしかしてサードはアレンと同様に私を怖がらせようとしてわざとこのような話をしているのかしら。


そう思ってサードの顔を伺ってみるけどその顔は至って真面目そのもので、人をからかうような感情は一切入っていない。


強めの風が吹いてきて、私とサードの髪を揺らして間を駆け抜けていく。


石の隙間から風が漏れるのか、ヒョオーォと長く不気味な音が響き渡った。


ぞっ


今の話と冷たい風で体がだいぶ冷えてきた。


部屋に戻って寝ようとしたけど、冷えた空間に立っていたら体が冷えてしまって本当にトイレに行きたいような気がしてきた。


ここの位置からだと一番近いのは崖にせり出しているトイレ…だけど…。


トイレのある方向を見てみると、ただただ暗い廊下が奥に続くだけで何も見えない。


「こういう時、何もない状況から炎出せる魔導士が居たら便利だよな」


火を起こす時や暗い中を歩く時、サードは何の気なしにぼやく。

私はそんなことを言われるとコンプレックスが湧いてうつむくことが多かった。


私の魔法は自然の物を利用して力を際限なく増幅できるけど、それでも元々そこにある自然のものを増幅するからゼロから炎を作り出すことができない。


私だってこういう暗い中を移動する時に炎が出せたら楽だろうなっていつも思ってるわよと思いながら、そわそわと足を動かした。


朝までもつかしら、それとも思いきって今行った方がいいかしら。


チラッとサードを見た。

するとサードが予想外にこちらを見ていてバッチリと目が合って、思わず目を逸らす。


「便所か?」

「……」


なんでそうデリカシーの無い言い方しかできないの、表の顔の時はそんなこと言わないくせに。


そう言い返したいけど、その気持ちをぐっと押さえてサードを改めて見た。


「つ、ついてきてくれる…?」


「寝てるアレン置いてくのか?一番敵に狙われたら危ないのアレンだからな。お前は一人でも大丈夫だろ」


怒りを押し殺して頼んだというのにそんなことを言われ、ムッとなってサードを睨みつけた。


「もういい、一人でいくもん!」


足音も荒く歩き出した。でも進む先から風がヒュ、と吹いてきて顔から首筋をサワッと撫でていく。


途端にゾワッとしたものが体を駆け巡って、一歩二歩と後ろに歩いて元の位置へと戻った。


「何がしたいんだよ」


サードから笑いのにじんだツッコミが飛んでくるけど、一人で行く心は萎(な)えた。アレンは寝ているし頼みの綱が悔しくもサードしかいない。


「…頭下げてもついて来てくれない?」

「へえ、頭下げるのか?お前が俺に?」


サードが楽しそうな口調へと変わったのを聞いてしめた、と希望を抱く。


こうやって相手をおちょくるような口調になった時は割と機嫌がいい証拠で、比較的こちらのいう事も聞いてくれる。


「だけどなあ、やっぱりアレン一人残していくのは心配だしなあ」


サードは悩むなあ、と呟きながら考えを巡らせるような素振りをする。


少しイラッとしたけどサードに頭を少し下げて、


「お願い…します」


と小さい声で頼み込んだ。


かなり屈辱的だけど、生理現象とよく分からないものへの恐怖には勝てない。


「そんなに怖いか?目にも映らねえもんがそんなに?」


サードは楽しそうに言うと、部屋に戻って松明に火を灯すと、「とっとと歩け」と背中をこづいて歩き出した。

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