第7話 ラスボスの頼み
木造建ての明るい部屋の中、私ふかふかのクッション付きの椅子に座り、テーブルの上にある小さい花弁の花を見つめていた。
すると陶器が触れ合うカチャカチャという音が響き、目の前に茶色い液体の入ったお洒落なティーカップが置かれる。
「はいどうぞー」
ティーカップの他にアップルパイとフォークも目の前にそくそくと置かれる。
アップルパイなんて冒険していると中々食べられないから一瞬「わぁ」と顔がほころんでしまったけど、慌ててそれを自制して口をキュッと引き結んだ。
ラグナス・ウィードという名前の女の子…いや、魔族でありスライムの塔のラスボス。
それが何故私をこんな所に連れ込んでティータイムをしようとしているのか…。
それより聞いたことがある。魔族に出されたものを食べると死ぬとか、モンスターになるという話を。
ラグナスというスライムの塔のラスボスは私の向かい側に座った。
「食べないの?冷めちゃうよ」
「…」
エリーはラグナスをジッと見た。相手はとっくにフードを取り外している。
サードの食指が動いた通り、ラグナスの顔は少しやる気のなさそうな雰囲気を持つ可愛らしい女の子だった。
恐らく本人が魔族だと主張しても大体の人は信じないのではないか、というぐらい人間と同じような見た目だ。
「言ったでしょ、別に私はあなたと戦うつもりもないし、悪いようにする気もないって」
相手はミルクの入った小さい壷を傾け紅茶の中に入れ、クルクルとスプーンでかき回した後にクイッと一口飲んだ。
話は少しさかのぼる。
「私はここのラスボス、ラグナス・ウィードでーす。イエー」
相手…ラグナスはやる気の感じられない声でそう言い、私は事態を飲みこめずにいた。
「え、何?」
「私、ラスボス、ここの」
相手は床と自分を指さし伝えるが、今まで見てきた魔族の風貌(ふうぼう)と全く違う。今まで会って来た魔族はもっと人間とかけ離れた異形の姿だった。
「…こっちの姿の方がいい?」
ラグナスの周りが歪んだかと思うと、次の瞬間には倍の大きさになった体格で顔には鳥の骸骨をかたどった仮面をかぶり、その落ちくぼんだ黒い眼窩(がんか)からは赤い不気味な光がチラチラと揺れている異形の姿が現れる。
「あ、そうそう!魔族ってそんな姿!」
エリーは納得した。
確かにこのラグナスとはここのラスボスであるらしい。でもならなぜ私をいきなりラスボスの間に連れてきたのか。
まさか勇者一行だと気づいて皆をバラバラにして一人ずつ潰していくつもりで…!?
一人だけどやるしかない、と杖をギュっと握って身構える。でもラグナスは異形の姿を解いて元の女の子の姿に戻ってフードを取り払う。
「別に私、あなたと戦うつもりもないし攻撃する気もないから。それより話があるの。ちょっとこっちに来てくれる?」
と背中を向けて歩き出した。
敵とはいえここまで堂々と背中を向けられると攻撃しずらい。大丈夫かと警戒しながらそろそろとついて行くと、扉の向こうにこの木造建ての部屋があって、
「まあ座って。ティータイムしながら話そう」
と椅子を引かれたところで冒頭に戻る。
「…それで話って」
目の前の美味しそうなアップルパイに目が奪われるけど、心を強く持って手を付けずに我慢している。
ラグナスはその様子を見て、
「それより食べたら?」
とすすめてきた。
それでも私はラグナスを慎重深い目で見る。しばらく無言の見つめ合いが続いて、ラグナスはフゥ、と軽いため息をついた。
「もしかして、魔族が作ったものを食べたらモンスターになるとか死ぬとか信じてるクチ?」
エリーはなおも黙ってラグナスを見返す。
無言の肯定(こうてい)と受け取ったんだろう。ラグナスは自分のアップルパイをフォークで一口大に切り分けて口に運ぶ。
「確かに、魔族の作ったものを食べるとモンスターになるとか、死ぬとかそういうのはあるよ?でもねぇ、食べたら死ぬって、人間界でも普通に毒とか混ぜたら死ぬじゃん?
それにモンスターにするって、魔族が作ったものを食べさせるだけじゃなくてそういう薬を食べ物に混ぜないといけないの。その薬ってすごく貴重で今は作れる人も少なくて高いんだよ。
一個買うと一族が潰れるとか、十個買うと国が傾く言われるくらい高いの。もし一般家庭で手に入れたら家宝にして代々伝来させる家もあるくらいなんだよ?そんなものをここで使うと思う?」
魔族なのに、なんだか切実な内容だ。人間界とも大差ないようにも感じるし、ラグナスが嘘をついているようにも見えない。
でも信用もできない。
「だって、魔族がこうやってアップルパイと紅茶をだしてもてなすとか…あり得ないわ。それに何で作ってるかも分からないし…」
「大丈夫だよ。これこの村の雑貨屋から買ってきた小麦と砂糖で作ったアップルパイと紅茶の茶葉だから。村で見なかった?雑貨屋サミィ。私よく行くんだけど」
「えっ。買いに…いってるの?村の雑貨屋に?あなたが?魔族でスライムの塔のラスボスなのに人間の雑貨屋に?」
「人間界の食べ物食べたり雑貨見るの楽しいんだもん」
ラグナスは立ち上がって一冊の本を持ってきて、再び椅子に座って身を乗り出してくる。
「ほら見て。これ見ながら作ってみたの。『おいしいパイの作り方・初心者編』」
ラグナスはウキウキした表情でアップルパイのページを開いて見せてくる。
「ページの最後には美味しい紅茶の入れ方も書いてあってね、この紅茶もこれを見ながら入れたんだ~。この本を買ったら雑貨屋の娘さんが今度村に伝わる伝統的なパイの作り方教えてあげるねって言ってくれて、今度ここに来て教えてもらうつもり…」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
話を遮(さえぎ)って身をのり出す。
「なんで魔族が人間と親しくしてるのよ!敵対してるんじゃないの!?っていうか、店屋の娘さんがどうやってこんなラスボスの間(ま)までこられるのよ!」
どこからどう突っ込めばいいのか分からないので言いたい事は全部言いきった。
ラグナスは一拍間を置いてから人差し指を一本立てる。
「質問には答えるね。一つ目の質問、何故人間と親しくしてるのか?さっき言った通り、人間の生活に興味があるから村に足しげく通っていたら仲良くなったの。村の皆にはダンジョン傍の生態系調査員だって言ってるよ」
指をピースの形に変えて、
「質問二、敵対しているんじゃないのか?確かに魔族と人間は昔から折り合いが悪いからお互いに倒し倒されの関係を続けてきてるけどね、私はそこまで熱心に人間を倒したいとは思ってないの。
むしろ人間の生活に興味があるし、私以外にもこういう魔族は結構いるよ。まあ魔族の中では変わり者の部類だけどね」
指を三本たてて、
「質問三、村の人がラスボスの間に来れるのか?ここはラスボスの間じゃなくて、村から少し離れた所にある小屋。石の塔ってここの湿気の多い気候に合ってなくてジメジメするから普段はここで過ごしてるの。スライムには過ごしやすい条件だけどね、石の塔は。
村の人も私が生態系調査員としてダンジョン近くのこの小屋に過ごしてることは知ってるからたまに遊びに来たりもしてるよ。そして私の得意技は召喚と転送。つまり好きな所から好きな所にワープしたりさせたりできる」
だからさっきは塔の壁に扉が出来て、そこに入ったらラスボスの間へ、そのラスボスの間の扉を開けたらこの木造建ての部屋へと一瞬で移動できたのか。
このラグナスは転移を簡単にやってのけているけど、ここまで一瞬一瞬で転移する技を習得するにはかなりの年月が必要だと聞いたことがある。
やはり目の前の少女は力の強い魔族なのだと再確認してまた警戒した。
ラグナスはふと紅茶を飲む手を止めて顔を上げる。
「ああ、あのサードって勇者とアレンって赤毛の子は村の入口まで転送しただけだから安心して。本当はあそこにトラップなんて仕掛けてなかったんだけどね。
あのアレンって子は素直で勇者にうまく使われてるし、あの勇者は腹に一物あるし舌も二枚あるし淫乱だから二人きりになりたくないし…だとしたらあのパーティ内でこんな話できるのがあなただけだったの。エリー」
その一言に私は目を見張る。
サードはラグナスの前では勇者の仮面をかぶってずっと爽やかな顔でいたはずだ。裏の顔なんて一切見せていなかったのに…。
ラグナスは私の顔を見て何を言いたいのか察したのか、ニンマリと微笑んでから身を乗り出した。
「魔族はね、どんなに隠そうが性根の腐った悪い人間なんてすぐ分かるよ。悪い人間は欲さえちらつかせば魔族にとって使いやすい駒になるから、そういう人間を見分ける能力は皆持ってるの。あの勇者は使いずらそうだけどね」
魔族にすら使いずらそうと言われるサードって…。
思わずサードに対して呆れを覚えたけど、改めて聞く。
「じゃあ…私をここまで連れ込んで、何を話したいっていうの?」
ラグナスはムー、と口を軽くとがらせて、テーブルの上にズルーっとうつ伏せになった。
「私、やる気ないんだぁ」
「は?」
「本当は人間界でダンジョンのラスボスになるつもりなんてなかったんだぁ。なのに魔王様が…」
「魔王!?いるの!?」
思わず前のめり気味に立ち上がって早口で聞き返す。
魔族が魔王を滅ぼしたから魔王の存在が抹消されたのではないか、というのが今では通説だ。
ラグナスは軽く私を下から見上げ、あっさりと答えた。
「いるよ~?ただ人間界に居ないだけ。ほら、前回の魔王様があまりにもひどくて内乱が起きたから、魔界の立て直しに専念してて人間界に干渉する暇がないんだよ」
「別に…こっちからしてみたら干渉してこなくていいんだけど…」
これが人間界に住む全員の素直な感想だと思う。
驚きながらも椅子に座り直すとラグナスは身を起こして手をぺらぺらと動かす。
「そう言わないでよ。地上のモンスターのこともあるから来ないといけないんだよ。魔王っていう魔の中で一番の存在を見せないと地上で勝手に一番の存在になろうと頑張るモンスターだっているんだから。
そんで一番になりたいモンスター同士が徒党を組んで戦ったら一番被害に遭うの人間なんだからね。魔王様は必要悪ってやつだよ」
「…じゃあなに?魔王が居た方が人間にとっては平和だって言いたいの?魔王がいると世の中が乱れるって私は習ってるんだけど」
ラグナスは私の言葉を聞いて腕を組み、軽くうなる。
「うーん、難しい質問だな~。そこは魔王様のやり方次第で変わっていくだろうしさ。ちなみに前回の魔王様は最低の評価だね、人間からも魔族からも」
私は自分の揺れる髪の毛をチラと見る。
そんな風に言われたら、その辺の国を治める王家と同じじゃないの。
この髪を手に入れるために戦争を起こしたエルボ国と、隣のブロウ国。そのどちらかの国王がもっと賢かったら、あんな戦争にはならなかった…。
『バーカ、どんなに頭が良かろうが性格が良かろうが、過ぎた宝物は結局持て余されんだよ。俺に拾われて良かっただろ』
頭の中に急激にサードの声が蘇ってきて私は激しく頭を振り、
「それで、本題は」
と話を促した。
「本題の前にもうちょっと前置き聞いてもらうね。魔界では百年に一度行われる大会があって、上位三位までの人が魔王様の下で働く権利をもらえるの。それに魔王様の下で働くっていっても役割が細分化されてるから楽だって聞いたし。
だけどやっぱり実力もないと魔王様の下では働けないみたいでね。ほら、魔界って頭が悪くても力こそ全てって所があるじゃん?」
同意を求められてもよく分からないけど、とりあえず「はあ」とあいまいに返事する。
「せめて三位と思って戦ってたらさっくりと一位になっちゃって。しかも斬新な戦い方だってことですごく褒められて、魔王様の側近の末席にされちゃって…」
「斬新な戦い方って…召喚と転送が?」
確かにラグナスの転送魔法は抜きんでているだろうけど、目新しいってこともない。というか、この子は末席とはいえ魔王の側近なのか。
私はまた少し身構える。でもラグナスは構わずに話を続けた。
「私昔からスライムが好きだからさ、プルプルしてるあの感じが。つついたら嫌がって逃げるでしょ?あの姿も可愛くてさ~ウヘヘ可愛いやつぅ」
…だからあの塔はスライムだらけなのか。
「だから趣味で色んなスライムを配合したり組み合わせたりで新種のスライムを作りだしたりしてて」
「…へえ…」
もしかしたらあの透明な分厚いスライムもこのラグナスが作り出したのかしら。冒険者の身からするとありがたくない事をしてくれる。
「それを利用してスライムを圧縮して固くしたり大きくして防御したりして色々やってたら、一番弱いモンスターで一位になったから変に注目されちゃったみたい」
「そう…」
「しかもその流れで魔王様直々に人間界にダンジョンを持つ権利貰っちゃって…魔族にとって人間界にダンジョン持つのは力のある証拠で名誉なことなんだけどさ、私本当は人間界の旅係が良かったんだ~。
そうしたら辺りを自由に散策しながら人間のものと関われるしさ~。でも魔王様直々に言われたら側近の件もラスボスの件も断れないしさ~」
まいっちゃったよ、とラグナスはため息をつきながら紅茶をすする。
見た目は大人しくて可愛らしくて。性格は少々やる気が無くて趣味に突っ走るけど、どうやら実力は魔王が認めるほどのものらしい。
でもそれより聞き捨てならない言葉が聞こえたと私は身を乗りだす。
「でもその旅係って…魔族も人間に混じって旅してるってこと?」
「そうだよ。旅をして人間界のモンスターを調査してるの。でも人間として旅をしてるから人間と問題を起こしちゃいけないし、人間ともモンスターとも戦っちゃいけないし、魔族ってばれて殺されても全部自己責任なんだけど。楽しそうでしょ?旅するの」
魔族の間にも人間界と同じような組織構成があるんだなと思いながらとりあえず頷いておく。
「さて長々と前置きをしたけど、これからが本題」
ラグナスが少し真剣な表情になってみてくる。
「私ここの土地と人が好きなの。特産品も観光名所も無かった村にも最近人がよく来るようになって活気がでてきて皆喜んでる。なのに私が倒されてここから居なくなったら、また元通りに戻っちゃう。だから勇者御一行には攻略しないで帰って欲しい」
「…そんなこと言われたって…」
まさか魔族に戦わないで帰って欲しいと言われるなんて…と悩んでいるとラグナスは続けた。
「これは頼みだからタダで去れとも言わないよ。お礼の報酬はそれなりにさせてもらう」
報酬と聞いたらサードが大喜びするだろうけど、ここにサードはいない。
「でもね、サードがここに来るって決めたから…。あいつは一度決めたら達成するまで諦めないと思う」
「確かに執念深そうだもんね。一回悪口言われたら十年たっても忘れないタイプと見たよ」
ラグナスがそんなことを言うから思わずプッと吹き出した。こうやってアレン以外の人とサードの性格の悪さを話せる日が来るとは思わなかった。
「けど勇者があの塔に来たことは皆分かってる。なのに勇者が攻略せずに帰ったとなったら、それだけ難しいダンジョンなんだって噂が広まって逆に人が来なくなるんじゃないかしら」
「もちろん私もそこまで考えたよ。だから私からもう一つ頼みを聞いてくれない?」
「もう一つ?」
まだ言いたいことがあるのかと思いながら聞き返すと、ラグナスは微笑みながら頷いた。
「あのね…」
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