戦闘

 ほれ見たことか、と言う体で剣吾が真文を見やり、真文はただ頷くしかできない。なるほど確かに、話を聞く気はないだろう。


「さて、そろそろ始めようか。まずは吾輩からだ」


 リッチの干からびた手が前方へと掲げられる。金属の軋むようなノイズとともに、空中に魔法陣が複数現れる。その形を認識するよりも遥かに早くそいつは飛んだ。剣吾の口に向かって。しまった、と思うがもう遅い。口の前で幾つもの魔法陣が重なり合い、収縮して一つの円と成ったとき、何かがはまるような音がした。


「…………」


 テメエ、何しやがる、と言おうとしたのだ。だが口がぱくぱくと開くばかりで一切の声が出ない。剣吾の顔が即座に青くなった。


「そうよ童子、お主の声を封じたのだ」


 からかうような声色。睨みつける剣吾。


「吾輩の世界で言うところの魔力、ではない。もっと直接的に、お主は声を操っておる。そうだな童子? 吾輩が集めた魔素を散らしたのも、全てお主の声だ。声をそのまま操っておるのだ」


 試しに咳払いをしてみるが、これすら一切の音が出ない。剣吾は真文に向かって、首を横に振ってみせた。


「さてどうする童子? 吠えることが出来ぬ今、お主はどう動く? さあさあ、我輩に見せてみよ。お主の意気地を」


 しかし、動いたのは真文だった。いつものメモ帳に素早く文字を書き、意識を文字へと集中させる。真文の意識、記憶の中にあるものならば、もしくは彼が限界まで想像を固め、脳内で具現化出来るものならば、そのかたちは文字を通して顕現する。

 掌の上に現れたのは、薄く小さな機械だった。ひどく使い込まれて、角の部分の塗装が少し禿げている。


「充電済みです。大きいので気をつけて下さい」


 黙ったまま剣吾は、いや、そう表現してしまえば語弊があるだろう。声を発することが出来ぬまま剣吾は、真文に礼を言った。口をぱくぱくさせるだけであったが、十分に意図は伝わった。受け取った小さな機械を慣れた手つきで操る。ぽちぽちと押していって、目当てのものを見つけ、浮かべるのは満足げな笑み。

 真文が書いた文字は、『剣吾さんの携帯音楽プレーヤー(大音量)』であった。


 再生ボタンを押す。爆音。叫ぶようなボーカルが、叩き割るようなドラムが、開幕一番に轟き渡る。その音と同時にまるで爆発のような衝撃波がリッチを襲った。咄嗟に防御用の魔法陣を展開するが、続いて刻むようなギターとベースが鳴り響き、音と同じ速さで防御魔法を叩く。魔法陣ごと揺れ、音という音全てが襲い掛かってくる。泣くように歌うバイオリンとピアノ、唸るサックスが突風となって吹き荒れる。


「…………」


 剣吾の口が動いた。まだ、と言った。これで終わると思うなよ、と。

 リズムに合わせてトントンと爪先で地面を蹴って、サビに入った瞬間、跳んだ。正に跳躍したのだ。普通の人間には不可能な距離と高さを一飛びに。リッチの眼前にまで迫る剣吾。思わずおののくリッチ。彼が跳んだ理由は、リッチの立てる「音」を自らの耳で拾うためだった。

 次々に破られる防御陣、しかし止まぬ攻撃を防ぐためにリッチは高速詠唱による多段展開を強いられていた。だが、その高速詠唱は実際にリッチの口から、音として出ている。圧縮され、彼の世界の者ですら正確には聞き取れないであろうが、それでも「音」として出ているのだ。

 リッチの下顎、左側の上顎との接合部分が砕けた。詠唱の声の他に、乾いた骨が軋む音を剣吾の耳が捉えたからだ。



 天津剣吾の特殊能力とは、音の支配だ。己自身が発する音、もしくは己の聴覚が捉える音。これらを操ることが可能という、実に直接的な力。最も操りやすいのはやはり自分の声であって、それ故に己の声を使うのが基本となっていた。

 だが、聞こえる範囲の音ならば彼の支配下に置くことが出来る。たとえどんなに小さく密やかな音でさえも、彼が聞き取ることさえできればそれは既に所有物なのだ。

 音に対する絶対的な支配権。それこそが、剣吾の最大の権能。彼の力。音は振動となり、風となり、指向性の暴力となって襲いかかる。



 リッチは剣吾から距離を取る。しかし、剣吾の左手に握られた音楽プレーヤーの大音量はリッチを逃しはしない。責めるように紡がれる歌詞が、刻むテンポが、空爆のように上空から降り注ぐ。防御魔法陣がいくつも頭上に展開し、破壊され、砕けては消える。防御特化のために硬質化した魔法陣と音の爆撃がぶつかりあって音を立て、それら全てが剣吾の下僕となって牙を剥く。

 空中に浮いていたリッチの体が、少しづつ、少しづつ、下方へと押されてゆく。穿つような音の暴力に耐えきれず、リッチの足がついに地面へと到達する。だが、リッチは支えるように上へと伸ばしていた両手を片方だけ引き、剣吾へ向けて指差した。空気が軋む。瘴気が集約する。靄のような薄闇は凝縮されて形を成し、幾つもの刃を作り出す。無秩序に生み出された刃たちは、まるで意思を持ったかのように一斉に剣吾へと切っ先を向けた。風よりも速く飛び剣吾へと死を届けようとするが寸前で弾き飛ばされる。


 音の弾幕が威力を増す。黒い刃が無限に生成される。もうこうなってしまえば、あとはどちらの集中力が先に切れるかだ。または、どちらかが次の一手を打つか。別の方向へと意識を分散しながら、双方向へと集中し続けなければならないこの状況。だが、剣吾は生身の人間だ。そして、リッチは既に朽ちた身体。即ち、疲労という概念は存在しない。魔力の供給にさえ気を付けていれば、時間が経てば経つほどリッチにとって有利になってゆく。この状況に持ち込んだこと事態が既にリッチの掌の上。

 哀れな小鳥。いずれ堕ちるとも知らず、必死に羽ばたき続ける。生きるという小さな炎の、最期の狂乱であろうか……


 しかし。堕ちたのは剣吾ではなかった。

 リッチの左肩を貫く、錫杖の杖尻。乾いた音ではなく、まるでガラスを砕いたかのような音。赤い、ルビーの様な透明の欠片が飛び散って、まるで血が吹き出しているように見えた。


「お主……!」


 錫杖の遊環からは、一切の音がしなかった。足音も、呼吸でさえも。僧から発せられるはずの音が一切消えていた。


「……討ち、取ったり!」


 僧の声が発せられて初めて、彼の音が戻ってくる。荒い呼吸、玉砂利を踏みしめる足、揺れる錫杖。

 一つの曲が終焉を迎え、残響が震えた。

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