第13話 アルルカンド。

 緑が多い長閑な平地。

 田園がどこまでも続くそんな景色を眺めながら、一本道をただただ進む馬車に乗って。


 目の前の座席には、旦那様がゆったりと腰掛けこちらに笑みを向けている。

 時々、その優しい声で、「大丈夫? どこか痛いところはない?」そう訊ねてくれる。


 ごとごとと揺れる馬車はそれでもマーデン領から聖都まできた時のことを思うと、幾分揺れも少なくお尻にも優しい。

 車輪に工夫がされているのとそれに何より座席のクッションが男爵家のものとは段違いにやわやかく、長く座っていてもそこまで苦にはならなかった。


「ええ、とても過ごしやすい馬車ですから」


 シルフィーナもそう笑みを返す。


 この優しさがたとえ三年だけのものだったとしても。

 この笑顔が旦那様なりにわたくしに与えてくださるお慈悲なのだとしても。

 それでも、こうして与えられる優しさには答えたい。

 そう思うようになったシルフィーナ。


 お飾りでもいい、そう開き直ったわけでもない。

 心が弾けそうになる瞬間も、まだ時々ある、けれど。

 それでも。


 まず、恩を返そう。

 ちゃんと侯爵夫人としての勤めを果たし、どこに出ても恥ずかしくない嫁になるのだ。

 それがただ唯一恩返しになるはず、そう思い至った。




 馬車の中でごとごとと揺れながら、こうして旦那様のお顔を自然に眺めることができる。

 それだけでも十分幸せだ。

 そう思うと自然にほおが緩んでくる。

 そうするとなぜか旦那様も一段と優しい笑顔を返してくれる。


 幸せだ。


 別にこれはデートでも遊びに行くのでも旅行でもなんでもない、ただのスタンフォード侯爵家が領有する東部アルルカンドへの帰郷の旅程なのだとしても。

 シルフィーナは十分、幸せに包まれていられたのだった。


 ♢


 聖女宮での漆黒は、騎士団によって特に大事にならないうちに鎮圧された。

 生み出された魔獣の数も少なく、そこまでの脅威にはならなかった。

 でも。


 あの時。


 自分がなぜ駆け出してあの場に向かったのか。

 なぜ自分がなんとかしなくては、などと思ったのか。


 シルフィーナにはわからなかった。


 自分にはそんな力は無いはず。

 魔と対峙するなど、命を危険に晒すような真似をなぜ自分がしてしまったのだろうか、と。

 結局、間一髪で旦那様に助けて頂いた。

 そのまま気を失ってしまったけれど。


 あの時の、「もう大丈夫だから」と優しく微笑んでくれた旦那様のこちらを見つめる瞳が忘れられない。


 勘違いだっていうことはわかってる。


 愛されてなんかいない、って、そんなこともわかってる、つもり。


 だけど。


 シルフィーナはただただその旦那様が自分に向けてくれた優しい瞳が嬉しくて。幸せで。


 それだけで、「もういい」って、そう思ってしまったのだ。



「もういいの。わたくしはそれで、いいの」と。そう。



 ♢




 東部のアルルカンド地区は、三つの旧領地で構成されている。


 海に面したオレーリア。南の穀倉地帯を持つサマルカン。そして、その間に挟まれた丘陵地、ルルイエ。

 元々はそれぞれ別の領主が治めていた土地だったけれど、もうここ百年はスタンフォード侯爵家の所領となり発展していた。

 海運が盛んで他国との貿易の玄関口ともなっているオレーリア。

 鉱業が盛んなルルイエ。

 そして、農業が盛んなサマルカンと産業もバランスが良く、全体的に潤っている。


 そんな三つの旧領地を結ぶちょうど中間に、領都アルルはあった。


 場所的には旧ルルイエの領都であったルルエ、まだまだ田舎の領都に過ぎなかったその街を、百年前の当時のスタンフォード侯爵が開発し、新たにここアルルカンド全体の領都と定めたのだった。


「さあ。もうじき到着するよ」


 そんな声に窓の外をみると。


 真っ白な煉瓦造りの城壁に囲まれた、厳かな雰囲気をもった白亜の街が見えて来る。


「綺麗……」


 シルフィーナの口からはため息と共に、そう声が漏れた。

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