013

■■九条 さくら ’s View■■


 弓道部の合宿は8月の後半に設定されています。

 わたしはそれに合わせて実家から寮へ戻って来ました。

 合宿と言ってもどこかへ遠征するのではなく、学校の合宿所に泊まり込むだけです。

 ですからお泊りと言っても不足の何かがあれば自宅へ戻ることができます。

 準備という意味では気軽に参加できるものです。


 合宿の目標は9月にある大会で入賞すること。

 関東州大会で上位3位に勝ち進むことです。

 1位になると日本大会に参加することができますから、弓道部なら皆が目指す到達点です。


 大会は3人の組で競う団体戦と、個人の成績で競う個人戦があります。

 桜坂中学は州大会上位の常連で強豪と呼ばれています。

 中学にしては珍しく学内に立派な弓道場があるからです。

 わたしがこの学校を進学先に選んだ理由でもあります。

 ですからこの初めての合宿で、今までよりもひとつ上のレベルを目指したいと考えていました。

 今年はどうしても好成績を残さないといけない理由がありますから。



 ◇



 泊まり込んでの練習はいつもの部活動の数倍の長さです。

 朝から夜まで文字通り1日中、的前に立つのですから。

 同じ日にこんなに長い時間、弓に触れたのは初めてでした。

 弓道を続けてきましたが、腕や手が疲労でボロボロになるのは久しぶりです。

 弓を始めた頃にこういった怪我や筋肉痛は散々に体験しました。

 上達したと思った今になって感じるのですから、まだまだ修練が足りないのでしょう。

 この合宿中に、この痛みも感じないくらい慣れてみせます。


 京極さんのアドバイスのお陰で、わたしと団体戦を組むおふたりと仲良くなれました。

 工藤 綾さんと、大月 めぐみさんという方です。

 おふたりとも弓道は初めてで4月からずっと頑張っていらっしゃいました。

 6月からこうして3人で練習を重ね、おふたりも的前でそれなりに結果を残せるようになってきました。



「さくら、とっても上手だよね」


「うん、私もそう思ってた。的前で同じところへ連続で当てるなんて、どうやってるの?」



 3人で日曜日にお食事に出かけたりして、すっかり仲良くなれました。

 こうして名前で呼ばれるのは心地良いですね。

 京極さんもわたしのこと、名前で呼んでくだされば良いのに。



「同じところに当てるときは的を見ていませんから」


「え!? 見ないの!? それって当たらなくない?」


「その・・・全く同じ動きを同じ気持ちでやればできるのです」


「そんなの出来っこないよ!」


「わたしもこれは見様見真似なのですよ。橘先輩がお手本ですから」


「えー、さくらん、あの高飛車のこと手本にしてるんだ」


「お上手なのは間違いありません。見習うべきところは見習います」


「ほえー殊勝だねぇ。高飛車先輩はなぁ・・・さくらのことなら見習えるんだけど」


「うんうん。私もめぐみんと同じ! さくらんのことお手本にさせてね」


「ふふ、わたしで良ければどんどん手本にしてください。綾さんもめぐみさんも、この合宿で一段上にいけるよう頑張りましょう」


「ありがと! 頑張ろー!」


「おー! 高飛車を見返してやんぞー!」



 厳しい練習もこうやって仲間と頑張れば自然と辛くなくなりました。

 不思議なものですね、京極さんに相談した頃と比べると雲泥の差です。

 京極さん・・・夏休みに会えていません。

 わたしが帰省や合宿で寮に居ないせいです。

 寮にいると仰っていましたが、どうされているのでしょう?

 合宿の後、夏休みの間に一度くらい会いたいです。

 京極さんのために、わたし、頑張っているのですよ?



 ◇



 合宿も後半になりました。

 団体戦の練習も熱が入ります。

 綾さん、めぐみさんともに的前の腕前がかなり上達しました。

 的を外すことは少なくなったので本番でこの実力が発揮できればそれなりの成績を残せるでしょう。



「やった! 3連ちゃん!」


「すっごーい、めぐみん! もう完璧じゃん!」


「おふたりとも、お上手です! 正射のその姿勢、忘れないでくださいね」


「あっはは! さくらのおかげだよ!」



 めぐみさんは、綾さんとわたしにきゃあきゃあと抱きついて喜び合います。

 こういうの、楽しいです!

 おふたりと一緒に活動できていることがとっても嬉しい!



「めぐみさんの努力の結果ですよ。あとひと息、頑張りましょう!」


「「おー!!」」


 

 団体戦の練習の合間に、わたしは個人戦の修練に力を入れています。

 橘先輩には負けられません。

 もし大会中に先輩と一対一で勝負となったら、おそらくは射詰めになるでしょう。

 交互に射て最初に外したほうが負け、という勝負。

 これは最終的に体力、精神力の勝負です。

 橘先輩に負けないためには当然に橘先輩以上の修練が必要なのです。

 自分との戦いの弓道において運任せにするなど愚の骨頂です。

 ですから修練の積み重ねが全ての結果につながるのです。

 実力で迫るのは当然のこと。

 気持ちでも負けません!

 京極さん、見ていてください!



 ◇



 明日が最終日という日の夜。

 わたしは皆さんが寝静まったのを見計らって合宿所から弓道場へ戻りました。

 橘先輩がやっている正射必中を練習するためです。

 端的に言うならば「同じ動作なら必ず中たる」というものです。

 先輩は暗闇でも中てる腕前です。

 わたしもその域に到達したい。

 だからこの時間に来ました。

 ひとり、道衣を身に着けて。

 弓道場が暗いのは今しかありませんから。


 何度も射ました。

 明かりがあれば、最初に狙いをつけることで中てられます。

 2射目以降は1度目に倣えば良い。

 けれど、その初射が中たりません。

 立ち位置、角度。

 わたしがどれだけ視覚に頼っていたか分かります。

 全くと言って良いほど中たりません。

 30を超えたところから数えるのを止めました。

 これでは先輩の足元にも及ばない・・・。

 焦りばかり額の汗とともに滲みます。

 それでも、止めるわけにはいきません。



「的を見ても中たらないわよ」


「!?」



 びっくりしました。

 橘先輩です。

 こんな時間にこちらへいらしたなんて。

 咎めに来た、というわけでは無さそうですが。



「・・・先輩も夜中の練習ですか?」


「九条みたいに、皆、熱心なら良いんだけれど」


「・・・」



 話をはぐらかされているようです。

 先輩のお話はいつも雲を掴むようです。



「正射必中は、こう・・・」



 わたしの横に先輩が立ちました。

 先輩は私服の格好です。当たり前です、寝ている時間ですから。

 普段は指導ばかりであまり見られない先輩の的前。

 新月の近い夜で明かりはほとんどありません。

 でも先輩の姿は見えます。

 僅かに見える細い顔の輪郭。

 黒髪をぎゅっと結んだいつものポニーテール・・・射るために髪はまとめて来たのでしょう。

 長い睫毛を湛えた鋭い目を・・・閉じています!

 そのまま先輩は澱みのない流れるような射法八節をしました。

 その動きが、わたしの瞼に焼き付きます。

 すとん。

 矢が的に留まる音がしました。

 


「貴女が見るべきは貴女自身。的は要らない」


「・・・」



 先輩の意図は分かりません。

 ただ、わたしにアドバイスをしているのは確かです。



「正射必中は自分の姿を見るの。いつも中てている正射の自分を」



 自分の姿・・・。

 目を閉じて、散々、修練したいつもの姿を思い出します。

 いつもの弓道場。

 いつもの仲間。

 いつもの立ち位置。

 いつもの姿勢。

 いつもの角度。

 いつもの射法八節。


 気付けば番えた矢が手を離れていました。

 ぱちぱちぱち、と橘先輩が拍手をくれました。

 矢が・・・中たっていました。



「できるじゃない」


「いえ・・・ご指導いただけたからです」


「どう、弓道は楽しい?」


「・・・はい」


「そう。団体戦の仕上がりも悪くなさそうね」



 いつものように刺すような鋭い言葉遣いではありません。

 何だか優しい口調です。

 きっと表情も穏やかなのかもしれません。

 綾さんやめぐみさんと一緒に、心の中で「高飛車先輩」と毒づいていたことを後ろめたく思うくらいに。


 橘先輩はもう一度、正射必中を披露してくれました。

 当たり前のように、すとんという音が響きました。

 残心の姿勢のまま、橘先輩は話しました。



「貴女の自然体もそうであってほしい」


「え?」


「力の入れすぎよ、九条。人は自分で出来ることしか出来ないの」


「・・・」


「誰かに見られたり、言われたりして、追い詰められたときに」


「・・・」


「自分が出来ることしかできない。他人に変えられそうになったとしても。でも自分が出来ることは出来る」



 禅問答のようなお話です。言葉が出てきません。



「貴女は、貴女のままで良いの。陰口や好奇の視線なんて、所詮、他人事よ」


「・・・」


「弓道が、弓道部が楽しいんでしょ?」


「はい」


「ならそれでいいの。好きな友達が、好きな人がいるならそれでいい」


「・・・京極さん、のことですか」


「あら。自覚あるのね」



 どこ吹く風、という様子で先輩がわたしに向き合います。



「私は京極君のことが好きになった。これは冗談じゃなくてね、助けられたときに本当に惹かれたの」


「わ、わたしも、友達になってやる、守ってやるって言ってくれて! いつも一緒にいるうちに・・・」


「ふふ、そう。それが貴女のままってこと。好きな気持は止められないし、止める必要もない」


「・・・」


「自分の大事な1番は、想い人の1番にっていうのは当然のこと」


「・・・」


「遠慮なんかしてたら、1番が2番になっちゃうわ」


「それは嫌です」


「私も嫌。譲れないし、譲る気もない」


「・・・」


恋敵ライバルだけじゃない、時間そつぎょうでさえも連れ去っちゃう」



 先輩はわたしの顔を覗き込んできました。

 長い睫毛の下の、大きな黒い瞳が、その決意を伝えてきます。



「約束、覚えているわね?」


「・・・当然です。そのために修練を積みました」


「よろしい。貴女の成果、見せてもらうわ」



 そう言って橘先輩は弓道場を後にしました。

 残されたわたしは暫く呆然としてしまいました。


 それから少し生暖かい風が吹き、気を取り直しました。

 再び的前に立ちました。

 いつもの射法八節。

 矢はまた、外れてしまいました。

 何度か射ちました。

 すべて外れてしまいました。


 いつもの弓道場。

 いつもの仲間。

 ・・・凛と張り詰めた橘先輩のあの空気。

 あの静謐な独特の間。

 背筋が伸びる、あの佇まいを思い出します。

 その緊張感に寄り添って、わたしは八節を流しました。

 矢は、的に中たりました。



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