012

 蝉が鳴き出したと思ったらあっという間に夏休みになった。

 寮の生徒は帰省する人が多くほとんどの部屋が不在となる。

 俺は記録のあった実家という電話番号に寮の電話を使って連絡してみた。

 両親と名乗る知らない人が電話先に出た。

 それっぽいやり取りして夏は勉強や部活が忙しく帰省は難しいと説明して電話を切った。


 ・・・しかしこの世界の俺。

 姿形が俺なら、この身体の親も俺の親なんじゃないか?

 そう疑問が浮かんだけれど見に行く勇気はない。

 記憶が全く別ならやはり別人だ。

 親の顔をした別人と話をしたら俺の頭がおかしくなりそうだ。

 やはり中国州広島市の実家は禁忌だ。


 それはそうとして長い夏休みをどう過ごすか。

 身体を鍛えるのと勉強するのは確定。

 ただそれ以外にも時間は作れる。

 AR値の問題にも本格的に取り組みたい。



 ◇



 九条さんは夏の前半は実家に帰るそうだ。

 実家でみっちり弓の練習をして来るとか。

 成果を見てくださいね、と眩しい笑顔を向けられた。

 期待してると適当なことを言って送り出した。

 攻略ノート的に九条さんに攻略されるのは避けたい。

 立ち位置が難しくなってきた。

 娘の楓と歳が近いので娘と接してると思うようにした。

 それならまぁドギマギで流されたりすることもない。

 しばらくはこれで誤魔化せそうだ。


 夏休み中、飯塚先輩に頼み込んでリア研の活動日を設けてもらった。

 さすがに毎日は難しいので前半と後半に1週間程度。

 かなり無理をお願いしたのでお礼もしなければ。

 先輩も俺という後輩が幽霊部員にならず活動していることが嬉しいらしい。

 Win-Winの関係になっていると信じたい。



 ◇



 そんな夏休みの前半のある日のこと。

 俺はリア研で先輩といつもの世界語の勉強を終え、AR値の調査をしていた。

 部活は午前中に限定しており9時から11時だ。

 今日も怪しい情報を整理するのかと思っていたら先輩が鞄をごそごそし始めた。



「ふっふっふ、京極君」


「その怪しい笑い、碌なことじゃねぇと思うんだが」


「じゃーん! こんなものがあります!」



 発声で作り出した効果音とともに取り出したのは20センチ四方の小さな保冷箱。

 シーズン商品としてフェニックスの店頭で並べて売られている。

 この保冷箱、未来製品のひとつで内部がマイナス50度まで下げられる優れもの。

 この最大設定でアイスを入れようものなら固くなりすぎて歯が逝ってしまうやばいやつだ。

 毎年、少年少女が夏休みに逝ってしまいニュースになるとか。

 リアルの正月に餅を詰まらせてお亡くなりになってしまうのと同類らしい。

 燃料は付属のカードリッジを充電して差し込むだけで半日くらい持つ。

 先輩は自宅から凍らせるような何かを持ってきたのだろう。

 問題はその何か、なのだが・・・。



「何、俺の歯を砕くためにアイスでも用意したの?」


「ノンノン! 毎年、設定温度を低くしすぎてアウトドアで歯を犠牲にする子供がいるからって、そんなことはしないよ!」


「・・・で、中身は?」


「アイスだよ!」


「普通のアイスをソレに入れねぇだろ? 設定温度、最大のマイナス50度じゃねぇか」


「でもでも、京極君のためのアイスなの!」



 何やら黒い物体を保冷箱の中から取り出して、用意したお皿の上に置く。

 素手で掴むと皮膚に張り付いてしまうので用意してあったトングで取り出していた。

 その謎の物体は周囲に白いもやを纏いながら机の上に鎮座している。

 ナイフとフォークをその前に置いてドヤ顔で俺に勧めてくる。



「はい、召し上がれ!」


「それそのまま食べたら舌に張り付くだろ?」


「じゃ、もう少し柔らかくなるまで待ってからね! 溶ける前に食べてね!」


「いやだから、これ何なんだよ・・・」



 全力で拒否する空気を出してみるが、先輩は困ったような表情をする。



「折角、京極君のために用意したのに・・・」


「得体の知れないもんを口にする俺の身にもなってくれ!」


「大丈夫だよ、死亡例はないから」


「それ、暗にヤバいって言ってんだろ!?」



 やり取りしている間に温まってきたのか、謎の物体からのもやが少し晴れてきた。

 だが謎の物体は真っ黒だ。

 そもそもチョコレートの黒さでもない、真っ黒な何かだ。

 明らかにお菓子などではない。



「・・・もしかしてこれ、魔物か人肉の類?」



 夏休み前に先輩が張り切っていたのを思い出す。

 真っ黒な何かって、それくらいしか思い浮かばない。



「だからアイスだよ!」



 先輩は答える気がないらしい。



「だって、凍らせたらアイスだよ!」


「いやその理屈はおかしい」



 食べる意味では普通、氷菓子を指すだろ。

 英語じゃ凍ったら何でもアイスだろうけどさ。


 雉撃ち2時間の怪しい薬を提供されたとき。

 先輩は少しでも、という可能性にかけてくれて用意してくれた。

 結果はともかく。

 そう、雉撃ち2時間の結果はともかく・・・。

 だから今回もそういった善意で用意してくれたものなのだろう。

 そう考えると・・・。

 考えると・・・恐怖しかねぇよ!



「先輩」


「なに?」


「折角だから、先輩も一緒に食べねぇ?」


「えー! それじゃ間接キスになっちゃうじゃん!」



 ナイフとフォークまで用意しているのに、どうして直接齧ることになってんだよ!

 顔を赤らめてイヤイヤな素振りしてんじゃねぇ!


 ・・・まぁ、あれだ。

 きっとこれはAR値を上げるための何かなんだ。

 魔物の死骸か、新人類の人肉か、中身は聞かないことにしよう。

 知らないほうが良いこともある。

 それにほら。

 万が一、億が一、可能性があるならさ。

 やるっきゃねぇじゃん?

 俺が、世界が滅ぶかどうかの瀬戸際じゃん?

 ヒーローがラスボスで死にそうなシーンで「お腹壊すのが怖いから」って途中で拾ったアイテム拒否しねぇじゃん?

 ゲロマズの回復薬だったとしても戦闘中だったら吐き出さねぇじゃん?

 得体が知れないからって、先輩の善意を拒否する理由になんねぇよ。

 と、溶け始めるというタイムリミットに俺の思考も押され、無理矢理に決断する。

 進むんだ、俺は。


 ナイフとフォークを手に掴み、随分と柔らかくなってしまったソレを切り分ける。

 シュウシュウと何かが蒸発する音がするのは気のせいだ。



「え・・・ほんとに食べるの? 食べちゃうの?」


「食べるよ、先輩が用意してくれたんだし」


「ちょ、ちょっと待って。心の準備が・・・」


「だから顔を赤らめてんじゃねぇ! 前と同じ展開だし」


「ああ・・・!!」



 溶け出す前にソレを口の中に放り込む。

 冷たい感触だったものが徐々に溶け出す。

 ざくざくと咀嚼した瞬間に、苦味と雑味とエグ味と、人間が拒絶する味覚が総出でハーモニーを奏でる。

 これは・・・ほら、あれだ。

 メシマズなヒロインが張り切って食材を冒涜したものを、主人公が悲しませないために飲み込むやつだ。

 俺の精神が全力で拒否しているものを、気合で飲み込む。


 ・・・やっぱり。

 気絶とかしねぇんだよ、メシマズ程度で。

 ああいうのってよくある表現だけど、我慢して飲み込むくらいで何か起こるわけない。

 だって俺、今、意識あるじゃん?

 食べた瞬間に気絶ってやっぱりオーバーアクションなんだよ。

 ん?

 あれ、先輩、何か言ってる?



「---、ーーーーーー!?」



 おかしいな、先輩、ちょっとふらついてね?

 ほら、言葉が喋れないくらいふらふらしてんじゃん。

 大丈夫かよ、おい!



「ーーーーーー!?」



 ほら、先輩! ちょっと座って横になって・・・あれ?

 なんか視界がおかしい・・・白っぽいぞ・・・

 あれ? どうした?

 ・・・



 ◇



 ・・・

 目が覚めたらそこは知っている天井だった。



「保健室じゃねぇか!」


「わっ! びっくりした!」



 俺は保健室で寝かされていた。

 先輩がそこに居るってことは、そういうことなんだろう。

 ふ・・・テンプレに負けたぜ。

 テンプレはテンプレだけあって、逆らうのは困難なんだな。

 テンプレ破りの行動ができる奴って尊敬するよ・・・。



「京極君、お腹は大丈夫?」


「アレがそうやって心配するモンだったって自覚はあるんじゃねぇか」


「だって本当に食べるだなんて思わなかったし」



 犯人は大体そう言うぜ。



「ところで・・・どう? 何か、身体に変化はあった?」


「んー、ちょっと腹の調子がおかしそうなくらいだな・・・」



 立ち上がって調子を確かめる。

 なんか腐ったものを食べた時の、食中毒のような症状はない。

 だけどあの食べた直後の不調は明らかに身体に影響を及ぼしていた。

 俺が体験したことのない感覚なのだから、もしかしたら魔力なのかもしれない。



「食べた時、浮遊感があった。全能感とかはなかったけど・・・」


「うん、目が逝ってたもんね」


「ほとんど麻薬じゃんよ!!」



 駄目だ・・・成功した感が全くねぇ。

 だけどほら、折角、死にそうになってまで頑張ったんだし。

 AR値の測定をしてみようと思うんだ。



「先輩、測定器あるか?」


「部室に戻れば」


「よし行こう」



 廊下で時計をチラ見すると13時になっていた。

 おいおい2時間も寝てたのか・・・先輩、なんだかんだ言って待っててくれたんだよな。

 部室に戻り、早速測定器を用意する先輩。



「はい。ここに唾液をお願い」


「うん」


「それじゃ、スイッチオン!」



 ぼんやりと水晶玉が光る。

 誤差だったことを期待してあれから何度かトライしてみたが、結果はすべてゼロだった。

 だから今回も期待せずにそのメーターが最低値の付近で上げ止まるのを待った。

 ほら、ゼロの箇所を通り過ぎて・・・え!?



「・・・先輩、これ・・・」


「うん。1、だね」


「すげぇじゃん! 効果あったじゃん!」



 うわ! なんだこれ!

 すげぇ嬉しいぞ!

 あの黒部ダム(1位)から高瀬ダム(2位)くらいになった気分だ!



「これ、本当だったら凄いことだよ。世界初の実証実験成功だから」


「すげぇよ先輩! さすが先輩だ!!」


「でもね」



 はしゃぐ俺に先輩が真剣な表情を向ける。



「本当にそうだと認定するなら、継続して1か月くらいはこの数値が維持されないと」


「え?」


「何かの拍子に誤動作したとか、何かそれっぽいものがここに付着してただけかもしれない。例えば私の唾液とか」


「・・・」



 先輩は冷水を浴びせるようなことを言う。

 でもそうだ。ぬか喜びの可能性もある。

 この結果は重畳として受け止めるけども、ちゃんと定着できたかどうか確認してから本気で喜ぼう。



「分かった。先輩の用意してくれたもんだからな。明日以降、また測定してから喜ぶよ」


「うん、そうしよう? 負担だけかけて騙したような結果になったら嫌だから」



 なんで先輩、こんなに親身なんだ。

 いつもの駄目先輩の奇行で落ちがつくと思ったらシリアスモードだよ。

 調子狂うなぁ・・・。



「先輩」


「うん」


「お昼、食べに行こう。俺、おごるからさ」


「え、いいの?」



 シリアスモードから、ぱあっと花が咲いたように喜ぶ先輩。

 今は夏休み。食堂は閉まっているから行くなら外食だ。

 土曜日のお昼に九条さんと店を開拓している成果を披露するときが来た。

 よし、飯塚先輩の好みに合わせてエスコートするぞ!



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