第7話 移民船の運営

 船長室は事務局長席のすぐ裏手にあって、暗褐色の木製家具と毛足の長いダークグレイの絨毯が特徴的な、重厚で落ち着いた雰囲気の部屋だった。

 食器棚や電磁調理器具、小さな水回りまで完備しており、食器棚には値段の高そうな洋酒の瓶が並んでいる。

 空気清浄機も設置してあるはずなのに部屋では生臭いタバコの匂いが感じられた。船長は有能な人格者だが、今時珍しくタバコと強い酒を嗜んでいることで有名だった。

 船長室の中央にはダークブラウンの木製の打ち合わせテーブルと六脚の椅子が設置してあり、今は船長、事務局長、クリス、マコトの四人が腰を下ろしている。

 船長はマコトたちとほぼ同じデザインの簡易宇宙服を身に着けており、ジャケットの色はグレイだ。きれいな白髪をキッチリと七三に分けた面長のジェントルマンで、鳶色の瞳は常に好奇心で輝いている。スマート眼鏡はセルフレームのウェリントンタイプだ。マコトたちのスマート眼鏡には『ジャン・ジェルミ』と表示されていた。

「移民船の運営に関し、本日届いた外部からの意見と内部からの要望に対して、以下のように回答しようと考えております」

 事務局長が『御意見メール』一覧と、それに対するマコトの回答案を、船長と自分たちのスマート眼鏡に投影した。

 外部からの意見に対する回答は『貴重なご意見ありがとうございます。いただいたご意見は宇宙植民地研究開発機構で慎重に検討させていただきます』という定型文だった。

 『宇宙植民地研究開発機構』というのは、くじら座タウ星系第四惑星への移民計画をはじめ、地球周辺のスペースコロニーや実験施設である金星の浮遊都市の運営、火星や小惑星の開発を担当している地球連邦政府が設置した国際機関だ。

 ちなみに、船長は高名な経済学者であるとともに宇宙植民地研究開発機構の理事でもあった。そして、事務局長は、もともと宇宙植民地研究開発機構の職員で、トーラス型スペースコロニーの運営実績を買われて今のポジションについている。

「もっと地球の復興に力を尽くせという意見は正鵠を得ていますが、神の国にふさわしい人間云々という意見は、テロ教団『神の国』の連中と同じ発想ですね」

 船長は外部からの意見の一つを見て眉を曇らせた。

「そうですね」

 事務局長も苦々しい表情を浮かべる。

「くじら座タウ星系第四惑星をどの自治州が管轄するかで、もめたことを忘れてしまったのでしょうか。そして、地球連邦政府が、かの星を人類の統合の象徴にしようと決めたことも」

 それは先ほど、クリスがエドに向かって言い放っていたのと同じ内容だった。

「おっしゃる通りです」

 事務局長が大きくうなづくのを確かめると、船長は深いため息をついて次のページを表示した。マコトたちのスマート眼鏡にもデータが共有される。それは移民船の乗組員からの要望事項に対しマコトが作った回答案で、事務局長が決裁したものだ。


 ・ムスクの建設   → 検 討  居住区の一室をムスクにあてることは可能。

 ・火葬の中止    → 不採用  移民船は狭く、衛生面の問題もあるため。

 ・銃の携帯     → 不採用  宇宙船内では流れ弾のリスクが大きいため。

 ・小麦の作付け増  → 検 討  多少の調整の余地はある。 

 ・ヤギ乳の不使用  → 不採用  飼料コストの安い乳製品であるため。

 ・牛肉の配給増   → 不採用  飼料コストの高い食品であるため。

 ・コオロギ飼育の中止→ 不採用  飼料コストの安い食品であるため。

 ・ブランデー製造  → 不採用  醸造設備に余剰がないため。

 ・タバコの栽培   → 不採用  健康に有害だと住民総会で決定されたため。

 ・ネットへの接続  → 不採用  将来接続できず今から慣れる必要がある。

 ・最新のアニメ   → 不採用  将来入手できず今から慣れる必要がある。

 ・新型携帯端末   → 不採用  将来入手できず今から慣れる必要がある。

 ・検疫強化     → 採 用  衛生害虫の撲滅に努める。

 ・下船希望     → 採 用  運営事務局企画調整担当に連絡を。


「『不採用』が多いですね」

 船長は、またも溜息をついた。

「できるだけ住民総会で民意を諮るようにしてきましたが、キャパの決まった移民船ではリソースが限られます。そのために断らざるを得ない要望というものは出てきます」

 事務局長は申し訳ないという表情を浮かべながらも毅然と言い放った。

「このブランデーという要望ですが、対応できないものでしょうか?」

 船長の目は恨めしそうだ。ひょっとして要望したのは船長ではないのかとマコトは思った。船長はアルコール度数の高い洋酒が大好きなのだ。

「醸造設備のキャパの関係で、あまり多くの種類の酒類を製造することはできません。住民総会で主たる酒類はワインにすると決まっています。昨年、第二街区で酒に酔った連中が乱闘騒ぎを引き起こしたことで、そもそも酒なんか造る必要はないという意見も出ているくらいです。また、船内生活が長くなりメンタルに問題を抱えた住民がアルコール依存に陥る事例が医療班から報告されています」

 第二街区の乱闘騒ぎというのは自警団団長のダルが伝説になった事件だ。

「ブランデーは、ワインを原料に作るのですが」

 事務局長の説明を遮るように、船長は眉を顰めてさらに食い下がった。

「でも醸造設備は別途必要になりますよね」

 事務局長はやんわりと、しかし、まったく譲歩するそぶりも見せずダメを押した。

「え~と、タバコもダメなんでしょうか」

「回答案のとおりです。住民総会で圧倒的多数で却下されています」

 タバコも船長お気に入りの嗜好品だが、規律重視の事務局長は、取り付く島もない。

 船長はあきらめたように小さく伸びをした。

「私もコオロギは苦手なんです」

 船長の目から恨めし気な光が消え、口調も少し朗らかになった。

「正直、私も豚肉や牛肉のほうが好きです。ただ、飼育面積の限られる船内で大量の牛を飼うのは困難です。牛のエサも必要になりますし。その点、昆虫類は効率的な養殖が可能ですからタンパク源の確保という点で優れています」

「誰にとっても理想の世界を目指すのは、なかなか難しいですね」

「残念ながらリソースが限られてますから」

 諦めた様子を見せる船長に、事務局長は申し訳ないという表情を浮かべ視線を落とす。

「移民船の中では飼育や栽培ができない動植物も遺伝子情報は持っていくんですよね?」

「はい。移民船の中で栽培や飼育ができない動植物は、移民星に到着してから移民船備え付けの培養槽などを使って、栽培、飼育する予定です」

 話題が変わったこともあり、事務局長が答えに躊躇する間にクリスが答えた。

「我々の子孫たちが、うまく活用できればいいのですが」

「そうですね。冷凍した種子や胚や人工子宮を活用する技術は確実に継承していく必要があります」

 クリスが薄茶色の瞳を輝かせハキハキと船長に応じる。マコトは眩しそうな視線をクリスに送った。

「引き継ぎ、お願いしますね」

「わかりました」

 白髪の船長は若いクリスとマコトに微笑みかける。

 クリスとマコトは声をそろえて力強くうなづいた。

 しかし、その直後、最後の要望を見て船長は表情を曇らせる。 

「ところで船を下りたのは何人になりましたか?」

「先週末の累計で六五〇人です」

 マコトが、先週末に集計した数字を思い浮かべながら沈んだ声で答えた。

「多いですね、一年半で四〇〇〇人のうち六五〇人ですか」

「ええ。今回の計画では、結局、我々自身は移民星の土を踏むことがありませんから。それを改めて思い知ると、決心が揺らぐ人もいるんだと思います」

 それはマコトにとっても大きな悩みの一つだった。新天地を目指して遥か宇宙を旅するというロマンに小さい頃から魅かれていたが、おそらくというか、ほぼ確実にマコトが見る最後の景色は、この宇宙船の中の景色になる。平均寿命が延びているとはいえ、せいぜい一〇〇歳程度、長生きする人でも一二〇歳くらいというのが相場だ。十代後半のマコトは、移民船がくじら座タウ星系第四惑星にたどり着く頃には荼毘に付されているに違いない。

「運営事務局の皆さんは大丈夫ですか?」

 船長の優しい目が、マコトをとらえた。

「迷いがないと言ったら嘘になります。両親とも会えなくなりますし」

 クリスの視線を横から感じたが、マコトは怖くてクリスの目を見ることが出来なかった。

 そんなことは分かったうえで応募したんだろうに、という非難の視線をクリスから浴びせられたら、立ち直れないような気がした。

「確かに家族と一緒に乗り組んでいる人たちは、まだいいのでしょうが、一人の人はいろいろ迷いもあるでしょうね」

 必要な資格や能力があり、家族ぐるみで移民船に乗ることのできた人たちもいた。

 リーファは兄が医師として乗船していたし、ベンに至っては父親が金属加工技術者、母親が保育士として乗船し、家族全員が移民船アークの住民だ。

「私も妻が教員として乗船していることが救いです。子供や孫とお別れをするのは、とても寂しかったですが、この旅にはそれ以上の価値があります」

「はい」

 マコトは船長に勇気づけられたような気がした。

 本当は他にも、ある意味両親に会えなくなることよりも、もっと重要な悩みがあったが、それをこの場で話すわけにはいかない。

「局長は大丈夫ですか?」

 多少迷ったような短い沈黙の後、船長は、事務局長に視線を向けて気遣った。

「私は大丈夫です。一人には慣れていますから」

 マコトは思わず声を上げそうになった。

 事務局長には奥さんがいたはずで、彼女も乗組員だと記憶していたからだ。

 思わずクリスに視線を向けると、『しゃべっちゃダメ』と目が訴えていた。

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