第6話 午後の仕事
恒星間移民船の中央ブロックは、デフォルメすればキノコの傘が開いたような形状だった。
進行方向一番前に位置するキノコの傘の部分には、直径数百メートルの宇宙港(スペースポート)がある。
現在は物資の搬入や乗組員の退去、お偉いさんの視察などで使用頻度は比較的高いが、くじら座タウ星系第四惑星への旅が始まってしまえば使用頻度は大幅に減り、船外作業艇や真空中に放置しても問題がない資材の保管場所になる予定だ。
宇宙港が有する他の重要な機能としては、超高速航行時に小天体と衝突し、不幸にして斥力シールドや電磁シールドで防ぎきれなかった場合に、緩衝エリアとしての役割を果たすことが期待されている。
宇宙港の後ろに続くキノコの軸の部分は、順に、検疫所兼エアロック、サーバールーム、コントロールルーム、居住ブロック連絡ロビー、レーザー核融合炉、対消滅エンジンで構成されていた。
そのうち圧倒的なボリュームを閉めているのは、レーザー核融合炉と反物質燃料を使用する対消滅エンジンだ。両方とも燃料自体は極めてコンパクトなのだが、安全にエネルギーを取り出し、活用するために大規模な機械設備が必要だった。
また、居住ブロック連絡ロビーとエアロックの間は、気密処理されたエレベーター二台と、非常階段二カ所が繋いでいる。
中央ブロックには居住ブロックのような遠心力による疑似重力発生システムがないため、慣性航行時は無重力状態となり、加速時にのみ疑似重力が発生するようになっていた。
現在は地球から見て月の裏側に位置する重力均衡点(ラグランジュポイント)に停泊しているため、中央ブロックに位置するコントロールルームは無重力だ。
「こんにちは~」
クリスの元気のいい声が中央ブロックの中ほどにあるコントロールルームに響いた。例によって手のひらをこちらに向けてクルクルと回している。オレンジ色のジャケットが明るい表情の彼女によく似あう。
普段は弾むように歩いているクリスだが、無重力対応でブーツの電磁石をオンにしている関係で、なんとなくペタペタした歩き方になっていた。一方、栗色のショートヘアは、重力から解放されて、ふんわり感がアップしている。
円筒形の中央ブロックの一角に設けられたコントロールルームは扇形で、広さはハイスクールの教室並み、四人ずつ二列に職員が並んでいた。職員の左横に位置する場所には事務局長席があり、ダークブラウンのジャケットを身に着け、セルフレームのハーフリムタイプの眼鏡をかけた四角い顔のアジア系中年男性が無愛想に座っている。
部屋はアイボリーホワイトの壁にダークブラウンの床で、天井全体が青みがかった光をぼんやりと放っていた。
コントロールルームは、宇宙船の操縦室であり、移民船の設備全体を管理する制御室であり、都市国家として機能する移民船の行政機関の執務室でもあった。
人数は船長や事務局長も含めてたったの一〇人、おまけにほとんどが兼務職員だ。多岐にわたる業務内容に対して、明らかに人数が少なかったが、数千人しか住民のいない都市国家の行政職員に多大な人的リソースを割くわけにもいかないので、仕方のない人数でもあった。
「や、やぁ」
マコトがドモリながらクリスに挨拶を返す。
マコトが座っていたのは、前から二列目、事務局長席から数えて二つ目の席だ。
クリスがマコトの隣、事務局長寄りの席に座ると、マコトの耳がみるみる赤くなる。
マコトにとって、その席の配置は幸せすぎるものだった。明るくて優しくて愛らしいクリスがすぐ横にいて、いつでも、その横顔を眺めることができる。
そして、マコトが奇跡や運命を感じたのは、事務局において、マコトとクリスは同じ役割を担う担当だったことだ。
「う、うわ~、また、いっぱい御意見メールが来てる!」
席に座ると同時に、クリスがもともと高い声をさらに半オクターブほど跳ね上げた。
スマート眼鏡に自分の席に設置してある事務局端末のメールデータを表示させたらしい。
クリスとマコトは移民船の運営事務局で企画調整担当を務めていた。移民船の住民に対する広聴活動(クレーム対応)、移民船の運営ルールの整理、住民総会(議会)対応、広報活動が分掌事務だ。
「今日のメールの回答案は俺がつくるよ。あ、あのさ、クリス」
大きな薄茶色の瞳を見開いて驚き呆れるクリスに、マコトが助け舟を出した。
「わかった、じゃあ、明日は私が対応するね。で、なぁに?」
クリスは、スマート眼鏡へのメールデータの表示を中止すると、マコトの方に向いた。
手を伸ばせば届きそうな距離で、クリスの薄茶色の瞳がまっすぐにマコトの黒い瞳をとらえる。
「あ、あの今度の週末」
マコトは唾を飲み込み、一生懸命、何事か話しかけようとしていたが、なかなか言葉が出てこなかった。どうもクリスを目の前にすると、極端に口が重くなるようだ。
「やぁ、クリス。今日も最高にキュートだね」
マコトがグズグズしていると、ブロンズのジャケットを身に着け、メタルフレームのボストンタイプのスマート眼鏡をかけた長身のエドが、マコトたちの背後から現れた。
マコトが思わず視線を向けると、普段は知性が勝り冷たい光を放つ金髪の下の青い瞳が優しい光を放っていた。口角も上がり自然な笑みを浮かべている。
「ありがとう」
クリスは、そんなエドに視線を向けると短かく返事をした。
「どう? 今度の週末、第四街区の展望レストランで食事でも」
「えっ」
マコトの顔から血の気が引いた。
居住ブロックは六つの球体から構成されているが、それぞれの球体の地上部分は多様な植物を育むため、少しづつ気象条件を変えてある。
第一街区は熱帯雨林気候、第二街区はサバンナ気候といった具合だ。
第四街区は温暖で夏は雨が少ない地中海性気候で、ブドウやオリーブ、柑橘類などを地上で栽培している。そして、住民にバカンスを提供するため、客室数三〇ほどの小さなリゾートホテルと併設のイタリアンレストランがオリーブの森の中に設けられていた。今は気象条件が初夏に設定されているはずだ。
「う~ん、だいぶ仕事がたまってるから無理だと思う」
一瞬考えたクリスだったが割と素っ気なく断った。
すぐ横のマコトは安堵したかのように小さなため息をつく。
「またクレーム対応かい。どんな内容なの」
エドはクリスの顔に自分の顔を近づけた。混信や盗聴を防ぐため、データを表示させるスマート眼鏡と端末の距離制限は厳しく設定されている。クリスの席の端末データをエドの眼鏡に表示させるためにはクリスの顔に近い位置にエドの顔を持ってくる必要があった。
「あっ、ごめん。私、アプリ落としちゃったから。マコトくんに見せてもらえるかな。今、アプリを立ち上げてるのは彼だから」
クリスは近寄ってくるエドから身体を離すと隣のマコトに目配せをした。
口の形が『お願い』と言っていた。
「エド、これだよ!」
多少困惑しながらもマコトはエドを手招きした。クリスが殊更エドを避ける理由は分からないが、エドがクリスとくっついているのは見たくないので、マコトにとっては都合がよい。
エドは一瞬落胆したような表情を浮かべるとマコトに近づき、腰をかがめた。
メール一覧には見た瞬間にげんなりするくらい雑多な意見が表示されていた。
グローバルネットワーク経由で届けられた外部からの意見は次のようなものだった。
・統合なんか必要ないだろ。
・たかだか数千人で人類の多様性を実現していると主張するなんて片腹痛い。
・移民計画など、税金の無駄遣いだと思う。
・外宇宙になど目を向けず、地球の復興に力をつくすべきではないか。
・片道百年以上かかる世代宇宙船の計画は人道に反すると思う。
・多額の税金を投入するが成果はどのように検証するのか?
・もっと情報を開示しろ。乗組員の選考過程に疑義がある。
・俺も乗せろ、カネなら払う。
・神の国にふさわしい人間だけを選べ!
面倒くさい意見が多かったが、そのほとんどは移民船の運営事務局で回答しようがないもので、基本的には『貴重なご意見ありがとうございます。いただいた御意見は宇宙植民地研究開発機構で慎重に検討させていただきます』という定型文を送り返すことになっていた。
厄介なのは移民船の乗組員からの意見だ。
採用、不採用、検討に仕分けして、船内のイントラネットの掲示板で回答するルールになっていたからだ。しかも具体的な要求がとても多い。その内容としては次の通りだ。
・ムスクを建設しろ、信教の自由の一環だ。
・火葬はやめてほしい。
・銃の携帯を認めろ、自分の身の安全は自分で守る権利がある。
・もっとコムギの作付けを増やせ、コメなんか要らん。
・ヤギの乳は臭いからヤダ。
・牛肉の配給を増やせ! ステーキ食わせろ。 コオロギなんか嫌いだ!
・ブランデーが飲みたい、タバコが吸いたい。
・グローバルネットワークを自由に使わせろ。運営事務局の奴らだけが使えるのは不公平だ。
・最新のアニメが見たい。
・新型携帯端末を入荷してほしい。
・地下通路で衛生害虫のGを見つけた、黒くてデカい奴だ。検疫は何やってる!
・もう嫌だ、船から降りたい。
「いやぁ、随分と多岐にわたる意見だね」
素早くメール一覧に目を通したエドは、微かな笑みを口元に浮かべたように見えた。
「だろ」
「そもそも、いろんな宗教、文化の人間を乗せすぎなんだ。だから苦労する。いっそのこと、ジャパニーズだけの船にでもすれば、もめごとも少ないんじゃないかな?」
エドは皮肉交じりの笑みをマコトに向けた。
「そうもいかないよ」
多様性の確保は移民船の在り方の根幹だ。
マコトはエドの意見に賛成するわけにはいかなかった。
「でも、月軌道上のスペースコロニーは地球連邦の各州政府が民族別に自分たちのコロニーをつくってるよな。チャイナコロニーとか、ジャーマンコロニーとか」
長身のエドは、背筋を伸ばし、座っているマコトを見下ろしながら、発言を続けた。
「まあ、それはそうだけど」
「船の名前を決めるときも大変だったじゃないか。多くの人間が『ノアの箱舟(アーク)』で良いと思ったのに、異論続出で散々もめた結果、単に『アーク』になった」
エドの青い瞳が冷たい光を放っているように見えた。
「イスラム教徒の私に言わせれば、箱舟といえば当然『ヌーフの箱舟』よ」
突然、マコトの右側、クリスとは反対側の席に座っていたアイーシャが口をはさんだ。マコトとエドの会話を聞いていたらしい。
はっきりした口調だったが、その切れ長の目は別に怒っているようには見えなかった。
「宗教関係でもめるくらいなら、僕は『ラピュータ』が良いと思ったんだけど。ガリバー旅行記に出てくる天空の国の名前だよ」
アイーシャのさらに向こうに座っていたベンまでが丸い顔に人懐っこい笑顔を浮かべて会話に参加してきた。
「なっ、一事が万事こんな調子だ」
アイーシャやベンの発言を聞くと、エドは両方の手のひらを上に向けた。『お手上げだね』というジェスチャーだ。
「移住可能な惑星が増えてくれば、特定の民族や宗教、文化の人たちに特化した移民星にするという選択肢もあるでしょうね」
クリスが珍しく生真面目な視線をエドに向けた。
普段あまり見せない表情のクリスに、マコトは思わず息をのむ。クリスは続けた。
「でも、今のところ人類が移住可能とわかっている太陽系外の惑星はくじら座タウ星系の第四惑星だけよ。だから、この船は人類統合の象徴にすると決めたんじゃない。地球のみんなで」
クリスは少し怒っているようだった。
エドは肩をすくめる。クリスと議論する気はないようだ。
「そういえばさ、今朝の軌道エレベーターへのテロ予告、誰がイントラの掲示板にアップしたの? リーファ?」
悪化した場の空気をリセットしようとでもするように、ベンが強引に話題を変えた。
リーファというのは一列目でベンの前に座っている情報担当の少女の名前だった。
マコトのスマート眼鏡が、黒髪をセミロングにしたチェリーピンクのジャケットの背中に『リン・リーファ』という名を表示した。
「事務局長よ」
振り返ったリーファはアジア系で、猫のような眼をした中肉中背の少女だった。セルフレームの丸いロイド型眼鏡がきつい目つきを緩和しようと頑張ってはいたが、見事に失敗していた。
「さすが仕事中毒(ワーカーホリック)」
リーファの隣の席のサムが混ぜっ返す。左の方から事務局長の咳払いが聞こえてきた。
「まぁ、そんなことは、この際どーでもいいわ!」
リーファのにべもない態度に、マコトは早朝から仕事に励んだ事務局長を気の毒に思った。
事務局のほとんどのメンバーは、テロ教団『神の国』による軌道エレベーター爆破予告は、どーでもいいことではないだろうと心の中で突っ込んでいたが口に出した者はいない。ギスギスし始めた空気を入れ替えようとしたベンの配慮も台無しだ。
「ムカつくことに、また、ハッキングしている馬鹿がいるのよ!」
リーファ中心の話題になったためか、エドは仕方なくクリスの前にある自分の席へと戻っていった。
「ハッキングって?」
「グローバルネットワークの出入り口に設置してあるルーターの管理者権限を乗っ取ろうとしたクソ野郎がいるのよ!」
マコトが迂闊に質問すると『あんたが犯人じゃないでしょうね!』と詰問するようなキツイ視線がリーファから返ってきた。
「外部の動画配信サイトでも見ようとしたんじゃね?」
サムの発言には妙に実感がこもっていた。きっと彼も試したことがあるんだろう。そして、見ようとした動画配信サイトは絶対にエッチな奴だと彼のルームメイト全員が確信した。
「出港したら、そんなサービス受けられなくなるんだから、そういう輩は旅をあきらめて船を下りてほしいもんだわ。ともかく、アタシの大切なルーターちゃんに手を突っ込んで汚そうとするような、ふざけた奴は許さないわ。絶対に犯人を突き止めてやる!」
リーファはネットワーク機器を擬人化して、妙な表現で憤慨している。
「アクセスログは取れてるんだろ? なら、すぐに犯人が分かるじゃねえか」
「はぁ、誰に向かって物言ってるの? そんな助言が必要なレベルだとでも? 犯人はアドレスを偽装してやがるのよ! クソ野郎が!」
リーファの言う『クソ野郎』がハッカーのことなのか、それとも直前に話しかけたサムのことなのかはっきりしないところではあったが、サムを怒らせるには十分だった。
「おい、マコ、この口が悪い女、何とかしろよ!」
「へっ、なんで僕が?」
突然のとばっちりにマコトは目を白黒させる。
「同郷だろうが!」
「いや、確かに僕も彼女もアジア圏出身ではあるけれども、同郷ではないし」
リーファはベトナム出身だと、マコトは聞いたことがあった。
「なんで、アタシがマコに何とかされなきゃいけないのよ!」
リーファはますます目を怒らせてサムに噛みつく。
「うっ」
直接言い返さないところを見ると、サムはリーファを苦手としているようだ。
『オレ様はフェミニストだから』と以前、サムが言っていたことをマコトは思い出した。
彼は女性に対しては強く出ることができないらしい。
「なんかいやらしい言い方だよね。何とかしちゃうだなんて」
困っているサムとマコトへのアシストなのか、ベンがリーファに変化球を投げつけた。
「バカ!」
そういうネタに免疫がないのか、リーファは顔を真っ赤にして怒鳴った。得意のマシンガントークの引き金が引けなくなった。
「リーファ、あなた言葉遣いを何とかしないと、良い伴侶を得られないわよ」
エドとサムの間の席に座っている若い女性が見かねたようにリーファをたしなめた。
ウェーブがかかったブルネットの髪をセミロングにカットし、健康的な浅黒い肌に整った顔立ちだ。聞いたところによるとコーカソイド系とネグロイド系の混血らしい。
女性的なスタイルで、胸が豊かなことがスカーレットのジャケットの上からでもわかる。
スマート眼鏡は赤いセルフレームのオーバルタイプ、マコトのスマート眼鏡には『フローラ・フランセル』という名が表示されていた。以前、サムが自分の好みだと騒いでいた美しい女性だ。
「別に、男なんて目じゃないし」
リーファが口を尖らせた。
「あら、そう? 本当にそう?」
フローラが大人の雰囲気を漂わせる翡翠のような瞳に、少し意地悪そうな光を浮かべた。
運営事務局の若手男性四人組が同じシェアハウスで生活しているように、女性四人組も同じシェアハウスで生活していた。ある程度のプライバシーは共有しているはずだから、それをネタにしたツッコミのようだ。
「そ、そうよ、そうなんだから」
リーファはムキになって、フローラに言い返した。
まるで、小さな妹がお姉さんに突っかかっているようだ。
「え、なんだ、なんかあるのか?」
二人の間に挟まって、困惑の表情を浮かべていたサムだったが、リーファの劣勢を見ると急に元気になった。
「リーファは、お兄ちゃんがいればいいのよね」
「なんだブラコンてオチか」
話の方向が期待外れだったらしく、サムはつまらなそうに呟いた。
「うっさい!」
「ひょっとして、リーファのお兄ちゃんって猛獣使いなの?」
ベンがリーファにビーンボールを投げつける。ベンは、普段、人懐っこい笑顔を浮かべていて、良い人そうな雰囲気だが、茫洋とした口調で結構辛辣なことを言う。
「ころすぞ、おめー」
リーファが顔を朱に染めてベンをにらんだ。ベンはペロリと舌を出す。
「あ~そろそろ仕事をしてくれないかな」
左の方から苛立ちを込めた低い声が響いた。
ダークブラウンのジャケットを着たアジア系の四角い顔の中年男が不機嫌そうな顔をリーファたちに向けていた。眼鏡はセルフレームのハーフリムタイプだ。
マコトのスマート眼鏡に『ハン・ハオラン』と名前が表示されている。彼が恒星間移民船アークの事務局長だった。
「お兄ちゃんかぁ。いいな、家族がいて」
事務局内の騒ぎが事務局長の一喝で収まった直後、寡黙なアイーシャの寂しそうにつぶやく声が、何故かマコトの耳に残った。
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