第六話:出陣前夜

 日は既に西へ沈み落ち、パルマ軍野営地も徐々に夕闇に支配されつつあった。リヴァン市内も大部分は夜の帳が下りており、街のシルエットに沿って黒いペンキを塗りたくったかの如く、黒々とした様相を呈していた。

 そんな漆黒の背景とは対照的に、野営地にはポツポツと人の営みを感じる燈が焚かれ、たまに警備兵が持つ松明が不規則に、ゆらゆらと野営地内を漂っていた。


「フレデリカお姉さんから貰った鉄砲見せて見せて〜」


「あぁこれ?はいどうぞ」


 規則正しく整然と並ぶテントの一幕が、カロネード姉妹用として割り当てられていた。


「こんな形のピストル初めて見たよ。どうやって撃つのー?」


「カタツムリみたいなパーツにネジが付いてるでしょ?それを巻くと、中に入ってる鉄輪が巻かれていくのよ。引き金を引くと、丸まった鉄輪が一気に解放されて、その時に発生する摩擦熱で、火薬に着火する仕組みなの」


 紺色のペティコートを脱ぎながらホイールロック式ピストルの解説をするエリザベス。慣れないテント構築作業で疲れており、時々息をつかないと満足に服も脱げない。


「不発に強いって利点はあったけど、再装填が面倒なのと、機構が複雑だったのもあって、今じゃ芸術品の仲間入りね。あーもう疲れた!」


 コルセットを外した所で体力の限界を迎え、下着の白いワンピース姿のまま寝袋に倒れ込むエリザベス。


「そんな面倒な仕組みなのに、どうしてフレデリカお姉さんは大事そうに持ってたのかなぁ?」


「言ったでしょ、今は芸術品扱いだって。それで戦おうなんて中隊長さんも思ってない筈よ。どちらかと言えば御守りの一種みたいな感じで持ち歩いてたんじゃ無いかしら」


「はえー。じゃあお姉さんからお姉ちゃんへの御守りでもあるんだね〜、あ!売るなんて酷いことしないであげてね!」


 流石にそこまで金の亡者じゃ無いわよ、とエレンからピストルを受け取るエリザベス。寝る気満々のエリザベスに対して、エレンはまだ着替える素振りすら見せようとしない。


「それにしても寝袋一枚で寝ろだなんて……確実に明日は寝不足確定だわ〜!」


 青臭い雑草の匂いが染み付いた寝袋を手足で無理やり伸ばしながら、何とか自分好みの触感にしようと奮闘するエリザベス。


「どうしてリヴァン市内に入れてくれないのよ〜!せめて土の上じゃ無くて板の上で寝たかったわ!」


「リヴァン市内は、避難してきたパルマの人達でもう一杯なんだって。イーデンおじさんが言ってたよ」


「ぐぬぬ〜!避難民が羨ましいー!」


 暫く姉が寝袋の上でグネグネしているのを見つめていたエレンだったが、突然、何かを思い出したかの様に立ち上がった。


「な、何よ急に?」


「ちょっとイーデンおじさんの所に行ってくる〜!」


 言い終わる前に靴の踵を潰しながら、エレンはテントを飛び出していった。


「なるべく早く戻って来なさいよ〜」


 引き止める気力も残っていないエリザベスは、寝袋に突っ伏したまま妹を見送った。



「そんでテントを飛び出してきたって訳か。消灯後の外出は軍務規定違反だぞ」


「わたし民間人だもんー」


 兵士達の物よりも一回り大きな将校用のテントにイーデンは居た。明日の作戦図を書いていた所の様で、夕刻エリザベスから渡された紙地図に、詳細な砲撃予定地点を書き込んでいた。


「あ、こんな夜遅くまで砲撃予定地点のマーキングやってるの〜?」


「生憎、あんたの姉様みたいに小慣れた砲撃指揮は出来そうになくてな。予め砲撃地点に番号で振っておけば少しは指示が楽になるだろうと思ったんだ」


「偉いっ!そんなイーデンおじさんにはこれをあげちゃう!」


 そう言うとエレンはポケットからパイプを取り出し、イーデンが向かう机の隅にちょこんと置いて見せた。


「お、クレイパイプじゃねぇか。幾らだ?」


「あげるって言ったでしょー。お代はいらないよ!」


 財布を取り出そうとした手を制止するエレン。商人の割には欲が無ぇな、と言いつつもパイプを受け取るイーデン。エレンは彼がパイプに火を付けるまでの間、じっと黙ったまま、イーデンの顔を見つめていた。


「……黙ってガン飛ばしてくるって事は、聞き辛い質問を抱えてんだろ?別に遠慮しなくていいぞ」


「あはは〜、よくわかったねぇ」


 手を口元に当てながら参った様子で愛想笑いを浮かべるエレン。後ろめたさを感じてるのか、イーデンが椅子に案内しても、遠慮して立ったまま話し始めた。


「あの、その……お昼の時はゴメンなさい。おじさんから見たら無茶苦茶な命令になっちゃうのは分かってたんだけど――」


「姉様の為だろ?俺も曲がりなりにもパルマで命を助けられた身だ。恩を感じてない訳じゃねぇよ……だから一旦座れな?立ちっぱなしじゃこっちも話がし辛ぇから」


 ずっと机の横で直立したままのエレンに可笑しさを覚えたのか、咳き込む様な笑い声を上げるイーデン。それでもエレンが申し訳なさそうにしているのを感じたイーデンは、半ば無理矢理彼女を椅子に座らせた。


「事前に聞いてたのかどうかは知らんが、クリス隊長からも散々せっつかれてたんだよ。早く士官になる決意を固めろ、ってな。結局遅かれ早かれこうなってたさ」


 幾日かぶりのパイプを味わいながら椅子に足を組んで持たれかけるイーデン。


「そんなにオーランド連邦って将校さんが足りて無いの?」


オーランドこの国の軍隊は常に士官が不足してるからな。それだけ職業軍人に魅力を感じる奴が少ねえってことだ。俺も成り行きで軍に入ることになっただけで、最初っから職業軍人になるつもりは毛頭なかったぜ」


 それでも砲兵指揮官になるなんて完全に想定外だったけどな、と鼻に掛けた笑いを漏らすイーデン。思っていた程彼が士官への昇進を嫌っていた訳では無い事を知って、エレンは胸を撫で下ろした。


「でも、どうしてイーデンおじさんは士官になりたくなかったの?単純に面倒事が増えるから?」


「まあ、それも理由としてはあるな」


 一時中断していた地図作業を再開しながらイーデンが答える。


「ただ一番の理由としては、単純に部下の面倒を見切れる自信が無いからだ。」


「部下の面倒って、今までは騎兵軍曹だったんでしょ?既に部下は何人か居たんじゃ無いのー?あ、そこの書き方違うよ〜」


 イーデンの隣に立ち、アレコレと砲撃図の書き方を教えるエレン。年齢は全く逆だが家庭教師の図である。


「確かに数人部下と呼べる奴等はいたけどよ。まだ数人ならギリギリ面倒見切れるぜ?それが士官になったら一気に数十人規模の面倒を見なきゃならねぇだろ?それが俺には無理って話よ」


「別に全員の面倒を士官一人が見る訳じゃ無いと思うよ?その為に下士官がいる訳だし」


「俺が嫌なのは責任を持つ対象が一気に増える事だよ。下士官のうちは、自分とその周りだけ見てりゃいいから気楽だったんだ」


「あー、面倒って責任が増すのが面倒って事ね〜。その点お姉ちゃんは凄いよ!お姉ちゃん基本的に自分の起こした事に責任取ろうとしないから!」


「だろうな。正直嫌味でも何でも無く、見てて羨ましいよ、アイツの性格は……」


 暫く無言で砲撃図を書き込んでいたイーデンは、ふと羽ペンを脇に置いてエレンを見つめた。


「そういや、エレンはなんでエリザベスについて来たんだ?まさか、姉妹揃って軍団長志望か?」


「あははは!違うよー!私は面白そうだから付いてきただけだよー」


 無邪気に笑いながら答えるエレン。


「面白そうだから、ってお前、そんな軽い気持ちで紛争地帯までやってきたのか!?」


「そうだよー、まぁ、家にいても面白くなさそうだからっていうのもあるかな。血の繋がってない私じゃ、カロネード家の跡取りにもなれそうになかったしねー」


 ちぇっ、と口を尖らせるエレン。


「……お前は面白いか面白くないかで人生の選択を決められるんだな。姉妹揃って羨ましい性格してるぜ、ホント」



「――っくしょい!!」


 テントの中に盛大なくしゃみが響く。エレンがテントを飛び出してから数十分、エリザベスは一向に寝付けずにいた。


「う〜やっぱり寝心地最悪だわぁ〜ッ!大地の起伏が如実に背中に伝わってくるわコレ!!よくこんな板みたいな寝袋で皆んな寝れるわね!」


 余りの寝苦しさに一人悪態をつくエリザベス。


「あぁ、もう、叫んだら余計に目が覚めちゃったわ……顔でも洗ってこようかしら」


 むくりと起き上がり、ワンピース姿のまま外へ出るエリザベス。道脇に置いてあった松明を拝借すると、彼女は昼に水を汲みに行った川に向かっていった。


 川のすぐ近くに布陣していたこともあり、特に迷わず川にたどり着くことが出来た。夜の川は、しばしば雲から顔を出す月の明かりに照らされて、青黒く、てらてらとした光沢を放ちながら静かに横たわっている。


 よっこらしょ、と持ってきた桶で水を掬おうとすると、下流の方から水を掻き分ける様なバシャバシャという音が聞こえてきた。

 好奇心から、下流に向かって少し歩を進めてみるエリザベス。普段であれば聞き流してしまう類いの音だったが、静まり返った川辺というシチュエーションのせいか、やけに耳に残る環境音と錯覚してしまう。

 幸いにもその音の正体は直ぐに分かった。川下に数十歩進んだ所で、誰かが一人水浴びをしていたのだ。


「こんな時間になんて物好きな……」


 好き者の顔を拝む為に接近しようとしたエリザベスだったが、雲の切れ目から顔を出した月明かりによって、その必要は無くなった。


「え、中隊長さん!?」


 月光と水滴の反射により青白く光る銀髪。そして昼間の華美な肋骨服を着用していた姿とは対照的な、女性らしい、しなやかな体躯を露わにしているフレデリカの姿があった。


「――ッ!?」


 考えるよりも先に言葉が出てしまったエリザベス。水浴び中に声を掛けられたフレデリカは、警戒した様に素早く毛布を取りながら振り返った。


「あ……エリザベス・カロネード……?」


「ご、ご無沙汰しておりますわぁ〜?」


 松明と桶を両手に持ったまま手を振ろうとして、かえって不気味なポーズになってしまう。不審者にしか見えない風貌の彼女を見たフレデリカは、取り敢えず川から上がると、毛布で自分の体を包んだ。


「少し話をしようか、ミス・エリザベス」



「成程、水を汲みに来たら偶々、水浴びの音がしたから向かってみたと、そういう事だな?」


「左様ですわ……」


 フレデリカに調書を取られながら、体育座りの姿勢になっているエリザベス。一般的な誰何すいかの場面である。


「まぁ、なんだ。こんな夜中に水浴びをしている私が言えた話ではないが、怪しまれるような真似は控えるべきだな」


 そう言うとフレデリカはたった今まで記入していた調書を川に放り投げた。

 緩やかな川の流れに沿って、エリザベスの事案を記した紙が川下に流されてゆく。

 キョトンとするエリザベスを前に、僅かに口元が緩むフレデリカ。


「この調書を連隊長に渡してしまうと、深夜に無許可外出をしている私も裁かれてしまうからね。お互い何も見なかった事にしようじゃないか」


 首を上下に振るエリザベス。

 別れ言葉を交わすタイミングを失った二人は、暫く微妙な距離を保ちつつ、川に向かって座っていた。


「どうして中隊長さんはこんな時間に水浴びをしていたんですの?」


 川を見つめたままエリザベスが問う。


「この時間帯くらいしか水浴びが出来ないんだ。日中は男の目が多すぎるからな」


「あ~、軍隊って男ばかりですものね。異性の事を考える余裕なんて無いのかしらね」


「私が無理言って男社会に居候させてもらっている訳だから、贅沢は言えないんだけどね」


 たまには太陽の下で水浴びがしたいね、と月を仰ぎ見ながら話すフレデリカ。


「中隊長さんは、どうして軍人になろうと思ったんですの?入隊するまでの道もかなり険しかったのではなくって?」


 エリザベスとしては後学の為、というか自分の夢を実現する為に是非聞いておきたい質問だった。


「わたしの場合はコネ入隊みたいなモノだから、あまり参考にはならんと思うぞ?」


「構いませんわ!参考にして見せますわ!」


 そこまで言うなら、とフレデリカは視線を宙に浮かせ、懐かしそうに語り始めた。


「私を軍人として登用してくれたのは、パルマ領主様だ。当時は女官として領主様の馬の世話なんかをしていたよ」


「ただ、次第にノールとの衝突が激しくなってきて、士官不足が叫ばれる様になると、身分や出自で制限されていた志願要項が撤廃されてね。誰でも、という訳ではないが、領主様の信用を得た人物であれば士官への任官を許される様になったんだ」


「それで、自分から軍人になることを志願しましたの?」


「いやいや、確かに領主様のお役に立ちたいとは思っていたけれど、女性将校なんて前例が皆無だったからね。士官なんて考えもしなかったよ」


 話しているうちに、徐々に顔に表情が現れてくるフレデリカ。


「結局、志願要項を撤廃しても一向に志願者が増えなくてね。最後は領主様から半分泣きつかれる形で騎兵士官候補になったんだ」


 その後は成り行きさ、と初めて自然な笑顔を見せながら話すフレデリカ。


「そんなに士官の人気が無いんですのね、ラーダ故郷とは大違いですわ」


「職業軍人自体が人気無いからなぁ。まぁ、軍人以外の働き口が沢山あるって事だから、むしろ良い事なんだけどね。ラーダ王国君の国みたいに上手いこと軍人のカッコ良さをアピール出来れば良いんだけど……」


「私が軍団長になった暁には、ちゃんと軍人の良さをアピールできる軍隊にして差し上げますから安心してくださいまし!」


「ぐ、軍団長……?」


 フレデリカは目を丸くして、エリザベスの言葉の意味を咀嚼しようと復唱する。


「あっと!中隊長さんにはまだ話してなかったわね」


 そう言うとフレデリカに向かって姿勢を直し、リヴァンへの道すがらに宣言した時と同じ様に、自分の夢を語るエリザベス。


「私は軍人として歴史に名を残したいの。大砲一門から軍団長へと成り上がった女としてね!」


 夜中である事を考慮し、昼の時よりは声のトーンを抑え目にして叫ぶエリザベス。


「……応援する。厳しい道になるだろうけど、君なら越えられると信じている」


「あ、あれ?ひ、否定しないんですの?」


 若者の妄言だと笑おうともせず、本心からエリザベスの夢を応援したいと、フレデリカは言い放った。


「なぜだい?素晴らしい夢だと思うけどね……」


「えーっと、いやその、この夢を語った所で、みんな本気にしてくれなかったんですもの。むしろ馬鹿にされる方が多かったものでして……」


 思わぬリアクションにしどろもどろになるエリザベス。

 その反応を見て何かを察したフレデリカは、無言でエリザベスの頭を撫でた。


「……いい夢であればある程、周りからは理解されず馬鹿にされるものだ。今度から、笑われたら誇りに思うといい。私の夢は素晴らしい物なんだと」


 ポンポンとエリザベスの頭を軽く叩くフレデリカ。

 子供扱いとも取れる態度だったが、不思議とむず痒さをエリザベスが感じる事はなかった。

 暫くの間、形容し難い安心感に包まれながら、黙ってエリザベスはフレデリカに頭を預けていた。

 

 その後、フレデリカと別れたエリザベスがテントに戻ると、そこには気持ち良さそうに爆睡しているエレンの姿があった。


 エリザベスは寝付けぬままに、リヴァンの夜が更けていく。

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