第18話
家を出てから半日も経っていないのに、我が家の変わりようは凄まじいものだった。
窓ガラスは粉々に砕け、炎を映す輝く破片を周囲に散らせている。木製のドアは熱で歪んでエリスの力では開くことは不可能だった。
緊急事態だと言い訳を考えて、エリスは全壊した窓から侵入を試みる。
「いたっ!」
割れたガラスが指に刺さり、じんわりと朱色の玉が指に浮かんでくる。
だが、この程度で止まっていてはティナの救出に間に合わない。エリスは涙目になりながらも一気に窓枠を飛び越えた。
熱気が家中に満ち、木材で作られていた家具は灰と化している。
思い出の品も燃えているのかもしれないが、そんなことを考える余裕は無い。
「ティナ、どこにいるの?」
残されているはずの妹を探すため、エリスは一心に叫ぶ。しかし返事は来ない。
その間にも灼熱の炎に舐められた壁が崩れ落ち、崩れていく家の軋みがエリスの鼓膜を震わせる。
このまま立っていても収穫はないどころか、自分の死期が早まってしまうだけだ。
「ティナ、返事して!」
一緒に寝ている寝室、洗面所、風呂場など、手当たり次第探してみても影一つ見当たらない。
もしかして既に焼け死んでしまったのだろうか。
無意識に浮かんでしまった最悪の想像に、心臓が握り潰されるような感覚になる。
いなければいいのにと思った。
「だけど、ほんとに死なないでよ……!」
山の上で呟いてしまった一言を今更になって後悔する。
村が焼けているのは自分の願いのせいではないか、そう思わずにはいられなかった。
しばらくすると探す場所は無くなり、エリスは完全に手詰まりになってしまう。
涙が頬を伝っていく。心が折れてしまいそうだった。
崩壊の合唱が家中に木霊する。今まで育った我が家が潰れるのも時間の問題だ。
「エリス」
「イーサン⁉」
呆然していたエリスに声を掛けたのはイーサンだった。
体中に痛ましい裂傷が刻まれ、口周りには垂れたばかりの鮮血が滲んでいる。
ここに来るまでに何度も魔物と戦ったのだろう。歴戦の猛者と言われても疑えないほどの覇気を纏っていた。
ふと、エリスはイーサンの顔から下に視線をずらす。
――イーサンが腕に抱えていたのは、布にくるまれた何かだった。
否、何かだったなどと誤魔化す必要は無い。布の中には何があるのか、異様に働く本能が教えてくれていた。
涙で視界が滲んでしまい、イーサンの姿がはっきりと見えない。
嗚咽が喉にせり上がって、イーサンに声を掛けられない。
状況を飲み込めないまま崩れ落ちるエリスに、イーサンは無言で見つめているだけ。何も声を掛けてはくれなかった。
家の半分が崩れ去った頃、やっと現実が理解できるようになってくる。
「ティナは……?」
「……間に合わなかった」
短いながらも、イーサンは落ち着いた声で断言した。
嘘だと信じたかった。これは夢の中の世界。目を覚ませば何もかも元通りになっていると思いたかった。
どうして最後に消えてしまえと思ってしまったのだろう。
後悔が、無念が、罪悪感が、エリスの胸を詰まらせる。二度と目を覚まさない妹に向けて、心の底から謝罪する。
うずくまって動かないエリスに、イーサンは無感情な生差しを向けた。
「攻撃は心臓を貫通してた。きっと苦しまずに死ねたと思う」
何の慰めにもならなかった。
楽に死ねたとしても、それが何になるだろうか。死なせてしまったという事実には変わりはないのだから。
思い出の家が、懐かしいおもちゃが、妹の亡骸が炎を映して紅に染まっている。
「……イーサン、悪いけど出て行って」
「お前はどうするつもりだ」
「ここに残る」
「死ぬぞ」
「わかってる」
死人に謝罪しても何の意味もない。自らの命を以て罪を贖うことしか、エリスには思いつかなかった。
何もかも投げ捨てるようなエリスの言葉に、イーサンは声を震わせる。
「馬鹿なことを言うな。お前まで死んだら俺に何も残らないじゃないか」
「村の知り合いが何人かいるでしょ」
「全員死んだかもしれない」
想像もしていなかった言葉に、エリスは目を丸くした。
村が酷い有様であることは知っていたが、ほぼ全滅している状況にまでなっているとは思ってもいなかったのだ。
エリスの気持ちを察したように、イーサンは丁寧に言葉を口にしていく。
「戦ったやつも、逃げようとした奴もスケルトンに殺されていた。俺が麓に降りたときに生き残っていた村人は誰もいなかった」
「……」
「エリス、お前が死にたいと思うのもわかる。それでも死なないでくれ。エリスにまで死なれたら、俺には何も残らなくなるんだ……」
告白ならば嬉しかったのだろうか。心の整理がつけられないままに顔を上げると、イーサンの表情が目に入った。
泣きそうで、しかし泣くことなく前を見る意志が籠った眼差しに、エリスの心が打たれる。
この男はまだ諦めていないのだ。できたばかりの恋人が死んでもなお、未来に進む覚悟を持っている。
エリスは早急な考えで死のうとしていた自分が恥ずかしくなった。
布にくるまれた妹へと目を向ける。彼女ならば、イーサンのために何をするだろうか。
「イーサン、私を助けて」
救いを求める声に、応じたイーサンは嬉しそうな表情には見えなかった。
左腕でティナの体を抱え、空いた右腕をエリスの傍に差し出す。
未熟な子供ながらも安心感のあるその手に、エリスは自分の手を預けた。
二人は崩れゆく思い出の地に別れを告げ、最も近い街であるメルコポートへ向かったのだった。
長い話を終えたエリスは、大きな息を吐いて背もたれに寄りかかった。
ミーアはなんとなく想像はしていたものの、イーサンとエリスの過去の壮絶さは言葉を絶するものだった。
目の前で座るエリスになんと声を掛けるべきなのかわからなくて、ミーアは俯いたまま顔を動かさない。
「……その……大変だったんですね」
「別に気を遣わなくてもいいのよ。あれからもう十数年経ったし、私も心の整理はできたから」
「でも……」
エリスは机に両肘を乗せ、手に顎を乗せる。
頬を緩めて柔和な表情を作ってはいるものの、瞳の奥に残った悲しみは暗い色を湛えていた。
そんな彼女は強いな、とミーアは思った。
「それで、どうしてイーサンはギルドマスターになったんですか?」
「そこを話してなかったわね」
エリスは咳払いをする。
「ティナの遺体は故郷の村に埋葬したの。でも、イーサンはそれだけで満足しなかった。もう滅んでしまった故郷の村は守る意味が無いけど、せめてティナには安らかに眠って欲しいと思ったみたいね。私も後から聞いたんだけど、村から一番近いメルコポートのギルドマスターになって、魔物の排除や情報収集をするのが目的だったみたい。冒険者になって腕を上げたのも同じ理由だと思うわ」
「そうなんですか。でも、ギルドマスターの仕事や依頼に追われて村を守れてない気がするんですけど……」
「そのあたりは昔からの性格が原因ね。頼られたら断れない性格だから」
「わかるような気がします」
数日だけの付き合いだが、イーサンが依頼を断っている状況を見たことがない。
過去が関係しているとはいえ、イーサンは常にミーアに優しく対応してくれていた。だからこそ、彼のために何か出来ないかと思ったのだ。
「エリスさんの話に出てきたスケルトンなんですけど……」
「あれが紫鎧の手下だと分かったのは大分後になってからだったわ。イーサンの執念の賜物ね」
「だからあんなにスケルトンのことを調べていたんですね」
思えばイーサンとの出会いもスケルトンからだった。
洞窟で見つけた旗を見て、イーサンは嬉しそうな表情をしていたが、あの時から既に紫鎧のスケルトンの手掛かりを探していたのだろう。
エリスにとって聞きたいことはまだある。
「その……エリスさんは、妹さんに謝りたいんですか?」
「どうしてそう思ったの?」
「エリスさんの話し方がそんな感じだったので」
すぐに返事は無かった。
二人の間に横たわる無言はとても居心地が悪いように思う。全身を刺激されているような気がして、ミーアの心は落ち着かなかった。
もう話さないと思っていた矢先、エリスはゆっくりと口を開く。
「謝るのは全部終わってから。それまではイーサンを支えるつもりよ」
笑顔で言い切ったエリスの目には、隠しきれない涙が浮かんでいた。
ここまでイーサンとエリスに深入りしてしまった以上、知らないふりをするという選択肢はミーアに残されていなかった。
足の上に残された握りこぶしを力を込めて、ミーアは憂愁に閉ざされた女性の目を見つめる。
「明日、私もイーサンについて行ってもいいですか?」
「それは本人に聞かないと分からないわね……でも、私もできるだけの助言をしてあげる」
「ありがとうございます」
「気にしなくてもいいのよ。それより、あの人を過去から解放してあげて」
具体的に荷をすれば良いのかミーアにはわからなかった。しかし思いの熱量はしっかりと胸の中に入ってきて、頑張ろうと誓うミーアの心に活力を与えた。
唇を結んで小さく頷き、エリスに対して意思を表明する。
「イーサンのために頑張ります」
恩人のためにそう誓ったのだった。
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