第17話
一瞬、しかし浮かんでしまった最悪の思考に、エリスは自己嫌悪に陥ってしまう。
もう何も考えない方が幸せになれるような気がしてきた。
「エリス?」
眉尻を下げて心配そうな目を向けるイーサンに、エリスはゆるゆると首を横に振る。
「気にしないで、ちょっと驚いただけだから。ちょっと落ち着きたいから、散歩してきてもいい?」
「わかった。戻ってきたら続きをしよう」
続きなんてどうでもいい、そう思っていても、口に出すわけにはいかなかった。
妹の顔をまっすぐと見ることができないまま、エリスは速足で外へと出て行った。
「はあ……」
イーサンとティナが住んでいる村が一望できる山の山頂付近、人気の全くない場所にエリスはいた。
腰を下ろして星空を眺めながら、すでに長い時間が過ぎてしまったような気がする。それを確かめる方法は無いのだが。
夜空に吸い込まれたエリスのため息は、自分の空虚な気持ちを代弁しているかのようだった。
二人が家で待っていることはわかっている。しかし、どうしても足が動いてくれない。
「どうしちゃったんだろ……私……」
これほど大きな感情の変化は滅多になかった。
イーサンに怒るときも、ティナとケンカしたときも、感情的な行動を取ることはなかった。
理解できない自身の行動に戸惑いを隠せない。
エリスは小さな膝を抱えて、喉にせり上がってくる嗚咽をこらえようとする。
「……」
誰もいないのだから、泣いたところで問題はない。そうわかっていても、泣いてしまったら負けたような気分になりそうだった。
どれくらい下を向いていたのだろう。エリスが涙を拭いて顔を上げると、朱色の光が目を覆った。
「え……⁉」
エリスの目に入ったのは、煌々と燃える家々だった。
輝く火の鱗片が舞い散って、エリスの見慣れた村が炎の海になっていく。
あまりにも現実離れした光景にエリスはとっさに動くことが出来なかった。
「……そうだ!」
ようやくイーサンとティナのことを思い出した。エリスを待っている二人は、今も炎に溶けていく村の中で自分のことを待っているはずだ。
このままでは焼け死んでしまう。エリスは涙の跡を隠すことも忘れたまま、急いで村に駆け出そうとした。
「エリス!」
そんな彼女よりも早く行動していたのはイーサンだった。
真っ赤な液体を全身に浴びて、さっきまで整っていた髪は千々に乱れている。目は少し血走っており、肩は大きく上下していた。
エリスは今までの葛藤を忘れて慌てて駆け寄った。
「イーサン、大丈夫? それより、何が起こってるの?」
「スケルトンの群れが襲ってきたんだ」
「ティナはどこ?」
「家に隠れてもらってる。安全な場所に避難しようって言ったんだが、お姉ちゃんを探してきてって言ってきかなかったんだ」
ティナの指示で、イーサンは山の中を駆けまわってエリスを探していたらしい。返り血で服を染め上げているあたり、イーサンは魔物とも戦ってきたのだろう。
予想もしていなかった事態だが、泣いている場合ではないことぐらいエリスにもわかる。
「急いで向かいましょ。ここに居ても何もならない」
「ああ。ティナのことが心配だ」
彼女としてなのか、友人として心配なのか、くだらないことを聞く余裕はエリスには無かった。
暗いうえに道の無い山の中を、イーサンとエリスは駆け足で下っていく。
心が焦っているせいか、普段より足が遅くなってように感じる。
エリスが大きなイーサンの背中に従って走っていると、ふと視界に何かの影が目に入った。
「右から何か来る!」
「スケルトンだ!」
イーサンは山の中で拾った棒を強く握りしめる。それと同時、木の裏をから一体のスケルトンが現れた。
大人ぐらいの背の高さで、髑髏の中には永遠の漆黒が広がっている。見ることすらおぞましい死者の姿がそこにあった。
初めて見る魔物にエリスの本能が警告を叫んでいる。
「――!」
「おらぁ!」
声にならない声を上げるスケルトンに、イーサンは鈍器で容赦なく殴りかかっていく。
鋭く尖った右手の指の骨をかいくぐって素早く脇の下へと潜り込む。
関節を狙った一撃をスケルトンにかまして、右肘から先の骨が音を立てて地面へと転がった。
痛みを感じないスケルトンは腕を失った程度で止まらない。
残された左腕を振り上げてイーサンの胸に一撃を叩き込んだ。
「ぐっ……」
「イーサン!」
苦しげに呻くイーサンの下にエリスは駆け寄った。
触った感じでは骨は折れていない。派手な出血も見当たらないので、走る分には支障はないだろう。
真正面に立つスケルトンを睨みながら、イーサンは横目にエリスを見る。
「俺が時間を稼ぐから、エリスは先に行っててくれ」
「そんなの無茶よ! 今の一撃だって効いてたのに、これ以上戦ったら取り返しのつかないことになるかもしれないのよ?」
「エリスやティナを救えるなら、多少のケガぐらい気にしないさ。それに、お前がいたところで邪魔なだけだ」
「……」
厳しい言葉が本心でないことぐらいエリスにもわかる。
どう動くべきか迷っているエリスの葛藤をよそに、スケルトンは目の前の敵を排除するために動き出していた。
イーサンはもう一度エリスに目を向ける。
「……頑張って」
「任せろ」
イーサンの傍から離れ、それだけ声を掛けると、エリスは山のふもとに向けて走り出した。
背後からはイーサンの叫び声と炎が燃える音がする。
何度も続く剣戟の音に後ろ髪を引かれながら、エリスは一心不乱に駆けた。
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