第12話

「教えてもらったはいいけど、どうしようかなぁ」


 グレンと別れたミーアは、一人でロビーの椅子に座っていた。冒険者の姿を眺めているだけで時間を潰していられそうだが、今はそんな気分ではない。


 足を適当にぶらぶらさせながら、今後の予定について考える。


「イーサンに一人で行くなって言われてるし、でも……」


 彼の初恋の相手がどんな人なのか、ぜひとも知っておきたい。かといって約束を破ってしまえば彼の信頼を失ってしまう。


 それだけはどうしても避けたかった。


「私に友達がいれば……うぅ……」


 今さら悔やんでも遅い。イーサンの存在で忘れかけていたが、メルコポートにはミーアの友達はおろか、知り合いすらいないのだ。


 唸っても現実が変わるはずもなく、ただ時間が過ぎていくだけ。


 そう思っていた時だった。


「お嬢ちゃん、何か困りごとかい?」


 ミーアの肩を叩いたのは、どこか軽い感じの男だった。短い白髪が印象的で、小さなナイフを腰に帯びている。


 その格好にミーアは察する。盗賊かもしれない、と。


 警戒の色を瞳に宿し、盗賊かもしれない男をひと睨み。そのまま低い声を出す。


「私を誘拐しても何の利益にもなりませんよ」


「そんなことするわけねぇだろ⁉ こう見えても俺は冒険者で、無法者とは訳が違うのさ」


 指先で器用にナイフを回す男は、ミーアの警戒など意に介していないようだった。


「後で何かあったらギルドに連絡するので、名前を聞いてもいいですか?」


「どんだけ俺は信用無いんだよ……俺はグレンだ。見た目通りの公正公平を貫く盗賊さ」


「へえ……」


「少しぐらい興味を持ってくれても良くないか⁉ そんなに冷たくあしらわないでくれよ」


 一見する限り、グレンが嘘をついているようには見えなかった。とはいえ、盗賊の行動がミーアに読めるはずもなく、未だに警戒を解けないままだ。


 半目で見つめるミーアに、グレンは行き詰ったらしく頭を搔いた。


「このままじゃ埒が明かねぇ……そうだ、お嬢ちゃんはイーサンを探してるんだろ?」


「どうしてわかったんですか⁉」


「そこは盗賊のスキルってことで」


 ミーアはグレンに一本取られた気がして、悔しさで頬をわずかに膨らませる。グレンは盗賊らしいがさつな笑い方だった。


「イーサンのところに行きたいか?」


 いきなり本題に切り込むグレン。いかにも盗賊らしい無駄のない話の展開だ。


 ミーアは頬に指を当てて考えこむ。


 グレンは素性をある程度明かしているので、怪しいだけの盗賊ではないようだ。しかし見知らぬ人についていくというのは抵抗がある。


 グレンの目的がわからないというのも不安要素であり、今は信頼できると言い難い。


「報酬で何が欲しいんですか?」


「いらねぇ。俺もとある依頼でイーサンのいる方向に行くから、もしよかったら同行しないかって誘ってみただけだ」


 タダより高いものは無い。いくら田舎出身のミーアでもそれぐらいはわかっている。


 行き先で行方不明になれば見つけてもらえる可能性はほぼゼロになるし、なにより死んでしまえば本当に取り返しがつかない。


 未だに疑いが消えないミーアに、グレンは提案する。


「そんなに心配なら、ギルドの誰かに俺のことを知ってるか聞いてみたらどうだ?」


「その手がありましたか」


 ミーアは手を叩いて、ぱっと顔を明るくする。


 椅子から立ち上がり、ギルドの受付へと向かうミーアに、グレンは大きなため息をつく。


「盗賊やめようかなぁ」


 信頼してもらえる職業にすればよかった、と今更ながらに後悔した。


 


 イーサンとエリスが足を踏み入れたのは、かつて村があった場所だった。


 倒壊した家屋や井戸の残骸が草木に覆われており、もう何年も無人であることは明らかだった。


 イーサンは故郷の道を踏む。昔は石畳のあった場所のはずなのに、その名残はもうない。


 昔住んでいた家も草木に飲み込まれてしまった。


「去年よりひどくなったな」


「誰も訪れないんだし、仕方ないと思う。今になってこの村を訪れるのって私たちだけじゃないかしら」


「そうかもな」


 人工物が自然の緑に覆われている光景。悲しい光景であると同時に、どこか趣のある景色でもあるとイーサンは思う。


 悠久の停滞を感じるこの場所では、動くものは風と虫たちだけだ。


 二人は記憶を頼りに満ちなき道を進む。やがて目の前に苔に覆われた墓場が現れた。


 イーサンの隣で、エリスは弔う者がいない墓たちに悲哀の目を向ける。


「こんなに汚れてほったらかしになるなら、墓を作る意味なんて無いかもね」


「そんなことはないさ。実際、年に一度ぐらいだけでも俺たちが墓参りに来てる。少なくとも俺たちが見つけるのに役立ってるだろ?」


「それもそうね。掃除しましょうか」


 イーサンは大剣と共に持ってきた布切れを取り出すと、崩壊しかかっている井戸の水でぬらす。


 誰が眠っているのかわからない墓を、一つずつ丁寧に磨いていく。


 エリスも墓の周りの雑草を取り除いていく。二人だけの作業なので、広い墓場を掃除するにはかなりの時間がかかりそうだった。


 何個目の墓石かわからないまま、イーサンはエリスに水を向ける。


「なあ、この村の生き残りって何人いるか知ってるか?」


「私とイーサンの他は知らないわね。でも、きっと他に何人もいると思ってる」


「思ってる、ねぇ」


 客観的事実でもない言葉を、イーサンは思わせぶりに繰り返す。決して嫌味ではない。


 統計やデータが無いため、この村に住人についてわかるものは何一つ残っていないのだ。


 墓石を磨いていると馴染みのある名前が出てくる。


「ベルは何歳だった?」


 イーサンが良く遊んだ女の子の名前だ。


 今はもう生きていないが、記憶の中にははっきりと残っている。


 村で唯一のパン屋の娘で、迷惑なほど元気な女の子だった。


「十二歳だったわね」


「俺たちとは十歳以上差が出来たな。もうそんなに年を取ったのか」


 死人と年齢の差を比べてイーサンは苦笑する。エリスは表情を動かすことなく、イーサンの言葉に耳を傾けていた。


 取り返しのつかない後悔が胸にこみあげてくる。拳に自然と力がこもってしまう。


 怒りで狂いそうなイーサンの手を、エリスは優しく握りしめた。


「あなたが外にいたのを後悔してるのは知っている。けど、あのことは誰にも予想できなかったんだからしょうがないでしょ」


「そんな訳ないだろ。もし、あのとき俺がティナの話を聞いていれば……」


「それでも変わらなかった」


 未だに気持ちが昂るイーサンの仮定を、エリスは残酷にも一蹴する。


 同じ傷を背負う者のはずなのに、どうしてここまで違うのか。イーサンにはわからなかった。


 若葉の香りがイーサンの心を満たしていく。少し気持ちが落ち着いた気がした。


「もう大丈夫だ。感情的になって悪かった」


「私も夢で見るぐらいなんだから、あなたがそう思うのも仕方ないわよ」


「どんな夢を見るんだ?」


「私と、イーサンとあの子が小さい頃に一緒に遊ぶ夢。今はもう無理なんだけどね」


 エリスは苦し紛れの笑顔を見せるものの、目尻に浮かんだ涙までは隠しきれていなかった。


 妹を失ってもなお、彼女の心はまっすぐと未来を見据えている。それなのに、どうしてイーサンだけが過去に拘泥していられるだろうか。


 希望とは違う、影も形もない感情が胸いっぱいに溢れてくる。


 現実も理想も関係ない願いがイーサンの心を満たしてゆく。


「きっとまた会えるかもしれないからな」


「そうね」


 そよ風に揺られて木々が揺れる。葉や枝のこすれ合う音が二人を応援しているようだった。


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